東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

書評 河添恵子著『世界はこれほど日本が好き』(祥伝社)

2015-10-29 | 日本の素晴らしい文化
日本人にまじめさと美しさをみたポーランド人
かれらはなぜ、これほどまで、地球の裏側の日本が好きなのか

書評 河添恵子著『世界はこれほど日本が好き』(祥伝社)
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世界の「親日国家」といえば、まず台湾、そしてトルコがまっさきに浮かび、ついでタイ、ミャンマー、インド、スリランカなどが続くが、欧州にあって最も親日的な国は意外にもポーランドである。

日本文化への理解は想像をこえて深く、古事記も源氏物語も翻訳されている。古都クラクフには日本文化センターがある。

日本となじみの深い文化交流はワイダ監督、ショパン。世界的に有名な人物はキュリー夫人、コペルニクス、最近ではワレサ元大統領。

評者、じつは3回しかポーランドへ行ったことがないうえ、グダニスク、クラクフ、ワルシャワ、そしてアウシェビッツしか知らないが、敬虔なカソリック信仰の国であり、ドイツとソ連に挟まれているので、何回も侵略され、惨憺たる苦しみにあえいだ歴史は何冊か読んだ。

4半世紀前、最初にポーランドへ行った折は、あまりにエキゾティックは町、ジャガイモ主体の料理に飽き、また寒さと暗さから来るのか、ポーランド人の色彩感覚が明るい原色を選びがちで、朱、橙、緑を好むことを知った。日本人の色彩感覚にない配色のセーターを買った。

その後、東京で駐日大使と親しくなったが、なんと日本語が流ちょうであるばかりか、日本の古典文学に通暁していた。大使館員とも親しくなって何回か飲んだが、そのうち、ポーランド政府から招待が舞い込み(と言っても飛行機代は当方が負担)、1 週間ほど出かけて多くの人々に会い、証券取引所や新興の企業見学、ヤルゼルスキー元大統領とのインタビューなどをこなした。

この時代、ホテルには中国人労働者が経済支援かなにかで工事をしにきていた集団がいたし、ワルシャワ市内に寿司屋が1軒だけあったがネタが古く(店主によれば、月に2度、ハンブルグまで買い出しに行くと言っていた)、豆腐と餃子をたべた記憶が蘇った。

2回目はなんと今年の1月、吹雪のワルシャワ、クラクフなどを特急で回ったが、20年の間隙があって、この間に経済発展の凄まじさに驚いた。

町並みはすっかり綺麗になり、新築の摩天楼に巨大ショッピングモール、品物も豊かで、豪華ホテルのまわりには寿司、日本食レストランも随分と増えていた。往時と隔世の感があった。

▼ジュネーブ協定よりも早く戦争捕虜を大事に扱って模本となった日本

さて本書の著者である河添さんは、世界各地をまわって精力的なルポを書き続けるジャーナリストだが、こんどはポーランドの物語に挑んだ。

トルコのエルトゥールル号の美談は映画にもなって年末に公開されるし、杉原千畝の物語も「日本のシンドラー」として人口に膾炙された。しかしポーランドの日本との友好物語が一冊の本に編まれたこと自体、快挙である。

「松山」というのは日露戦争で捕虜になった「ロシア兵」を「人は皆、平等。かれらも愛国者」として日本は捕虜を懇切丁寧にもてなしたことは、第1次大戦でドイツ人捕虜を収容した徳島の坂東収容所(これは映画にもなった)とともに有名だろう。

その「松山」の収容所にいた「ロシア兵」とは大半がポーランド人だった。かれらは日露戦争で日本が勝利したことを我がことのように喜んだ。松山が撰ばれたのは「道後温泉が傷病兵の慰安と治療に適して」いたからで、そのときの記録は数冊すでに上梓されている。

ポーランド人は東洋の島国に生きる人々に本物の人間を発見したのだ。それが根源となって日本とポーランドの友好の歴史が開始された。本書は、こうした美談を多くの逸話に収斂させながら簡潔に追求する。

ワイダ監督は「日本人」と接して「言葉も分からず、習慣もほんの少ししか知りませんが、日本人のことをとてもよく理解できる」と言う。

なぜなら「日本人は、まじめで、責任感があり、誠実さを備え、伝統を守ります。それらはすべて、私が自分の生涯において大事にしている精神です。日本と出会ったお陰で、このような美しい精神が私の想像の中だけで存在しているわけではないことがわかりました。そのような精神が、本当に(日本に)存在するのです」。

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