東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

「昭和天皇が戦後占領下で発した詔勅の意味を汲みとることが令和時代の課題だ」(櫻井よしこ 『週刊ダイヤモンド』 2019年5月18日号)

2019-05-18 | 日本の素晴らしい文化
2019.05.18 (土)

御代替わりと長い休日で沢山の本を読んだ。その1冊、『昭和天皇 二つの「独白録」』(東野真著、NHK出版)は1997年6月放送の「NHKスペシャル」を基にした作品だ。NHKの報じる歴史物にはおよそいつも独特の偏りと臭気を感じるが、約20年前に出版された本書も例外ではない。それでも考えさせられる著作だった。

「昭和天皇独白録」といえば、90年12月号の「文藝春秋」のスクープを思い浮かべる。東野氏は他にも「独白録」が書かれていたことを明らかにし、その作成は東京裁判において天皇無罪を確定させるための対策だったとする。

そうした動きの背景には、昭和天皇に対する厳しい米国世論があった。45年6月のギャラップ世論調査では「処刑せよ」が33%、「裁判にかけろ」が17%、「終身刑」が11%、「追放」が9%で、70%が強い敵愾心を抱いていた。東京裁判終了後も厳しい感情は消えず、50年3月の同世論調査では、「天皇を戦犯として裁くべし」が53%だった。

皇室を潰し、国柄を断ち切ってしまいかねない米国国民の激しい対日感情をどのように回避し得るのか、先人たちが重ねた苦労は測りしれない。

国民統合の中心に天皇を戴く形を辛うじて守ったとはいえ、日本の国柄とはほど遠い現行憲法を受け入れるなど、先人たちは苦渋の選択をした。しかも、占領下で日本に強要された無理難題の真実は、厳しい検閲制度ゆえに国民は知るべくもなかった。

こうした戦後体制をどう考えるか、昭和天皇のお言葉が東野氏の著書に出てくる。それは「昭和天皇独白録」をほとんど一人で速記してまとめた内記部長、後に侍従長を務めた稲田周一の備忘録中のお言葉だ。

46年8月14日、終戦記念日を前に陛下が首相ら閣僚を前に、述べられた以下の件である。

「戦争に負けたのはまことに申訳ない。しかし、日本が負けたのは今度丈ではない。昔、朝鮮に兵を出して白村江の一戦で一敗地に塗(まみ)れたので、半島から兵をひいた。そこで色々改新が行われた。之が日本の文化の発展に大きな転機となった。このことを考えると、此の際日本の進むべき道も自らわかると思う」

昭和天皇が胸に描いた「此の際日本の進むべき道」は、右のお言葉の約8か月前に発せられた詔勅に示されているのではないか。占領下で迎えた新年の詔勅を昭和天皇は以下のように始められた。

「ここに新年を迎える。顧みれば明治天皇 明治の初国是として五箇条の御誓文を下し給えり」

その後に昭和天皇は五箇条の御誓文全文を続けられた。後年、この件について、五箇条の御誓文を国民に伝えるのが詔勅の「一番の目的」だった、「民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである」「民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあった」と語られている。

民主主義は米国からの輸入ではない、五箇条の御誓文に示されているように、明治以来日本が高々と掲げた価値観である。国民は祖国を信頼し、自信を持ってよいのだと仰ったのだ。敗戦したからといって、祖国を恥じる必要はないとのお考えでもあろう。

憲法は国柄を表現するもので、国の基いである。昭和天皇や先人たちは、前述のように他に選ぶ道もなく木に竹を接いだような現行憲法を受け入れた。私たちは70年以上、その一文字も改正できずにきた。日本はまるで米国に魂を抜かれた操り人形のようではないか。令和の時代の課題は、昭和天皇が発せられた占領下における詔勅の意味を真摯に汲みとることだろう。それが憲法改正だということはもはや説明の必要もないだろう。

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