本書は渡部教授が熱意を込めて書かれた、生前の力作エッセイ『腐敗の時代』『文化の時代』『正義の時代』の三部作から、エッセンスを編集し直した編著である。
肯綮にある格言とは「歴史が繰り返すことはない。しかし歴史のパターンは絶えず繰り返される」ということだろう。ちなみに副題は「渡部昇一的思考で現代を斬る」となっていて、納得がしやすい。
評者(宮崎)の氏との想い出は別の機会に書いたので省略するが、いつも本を(それも原書)読んでいる人、ところがしゃべり出すと話題が豊富で止まらない人。論争でも相手をやりこめる詭弁ではなく、堂々たる反論は科学的、合理的だった。
さて、本書のすべてを小欄で網羅するとなると、おそらく三部作の一冊はおよみになった読者が多いと思われるので、一箇所だけ、あらためて紹介しておきたい。
清濁併せのんで繁栄をもたらした政治家が日本にもいた。
田沼意次ほど「腐敗の権化」を悪評さくさくの政治家はいない。だが、この歴史的評価は、はたして正しいのか?と渡部氏は問題をしてきた。
最初に田沼を評価した作家が村上元三氏と評者、早や合点してきたが、じつは 徳富蘇峰の『近世日本国民史』(講談社学術文庫)は、わざわざ一冊を「田沼時代」として田沼の政治をやや冷ややかに評価している。
▼田沼意次時代とは日本史においてどういう意味を持つのか?
しかし十九年間に及んだ田沼政治は、安倍晋三政権の二倍の長さである。権力が長くなれば政治は弛緩し、腐敗も産まれる。気分も開放的になり、社会はいくぶん放埒になる。創意工夫が産まれ、芸術が花盛りとなる。
事実、華やかな江戸文化は田沼時代に興隆した。
明和四年から天明六年に至る十九年間、田沼は宰相として政策を決定し、賄賂もはびこったが、それは当時の時代の掟のようなものだった。徳富蘇峰は、むしろ田沼意次のオランダ癖に焦点を当てて、そのオランダ学への熱狂的傾斜が日本において蘭学を恢弘させたとする。
杉田玄白の『解体新書』がでたのも田沼時代、大槻玄澤の『蘭学階梯』もそう。夥しい蘭学者を輩出したこと、また平賀源内の活躍を助長したのも田沼だったうえ、黄表紙本から、狂歌、川柳の興隆、世界に衝撃を与えた日本の芸術=浮世絵の黄金期は田沼政権時代に重なる。晴信、春章、歌麿が輩出した。意外に国学が栄えたのも田沼時代だった。塙保己一の『群書類従』、そして蕪村が活躍した。
逆に田沼失脚のあとに登場する松平定信は、質素倹約を旨とするカタクルシイ時代がやってきて、贅沢もいけない、創意工夫のいけない、高級な菓子も、浮世絵も、女性の装身具にカネを使ってはいけない。そのうえ、学問の統制まで行ってしまった。
統治に都合の良い朱子学以外の学問を認めなかった。その反動から、武士は昼、儒学、夜に陽明学に親しんだ。
松平定信をからかった狂歌が残る。
「白河の清きに魚も棲みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」。
松平定信は白河藩主だった。かれの緊縮財政によって、日本経済の繁栄は終わり、松平定信が日本経済に不況をもたらし、「大量の失業者ができ、言論が不自由で、出世の見込みはなくなり、人の世がつまらないものになった」(61p)。
当時から田沼の悪評も聞こえたが、経済が繁栄すれば、田沼政治批判より、目先の利益を追うだろう。
それを道徳的観点からだけで、腐敗の権化にしてしまった元凶を、渡部氏は松浦静山とみる。平戸藩主にして『甲子夜話』の作者だが、松浦海賊の末裔だ。
「日本人は田沼を嫌い、定信の登場に喝采し、家斎に飽きて水野忠邦の登場を歓迎し、政党政治を軽蔑して清潔武断の軍人政治を喜んだ」
渡部 昇一(わたなべ・ しょういち) 1930年10月15日、山形県生まれ。上智大学大学院修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。Dr.phil.(1958)、Dr.Phil.h.c(1994)。上智大学教授を経て、上智大学名誉教授。その間、フルブライト教授としてアメリカの4州6大学で講義。専門の英語学のみならず幅広い評論活動を展開する。1976年第24回エッセイストクラブ賞受賞。1985年第1回正論大賞受賞。2017年4月17日逝去。享年86。
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