東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

『皇帝たちの中国史』宮脇淳子著(徳間書店)「中国五千年」という法螺は夢幻、幻想のたぐい、真っ赤な嘘である シナとは、王朝とは、漢字をつかう意味とは何かを独特な手法で追求

2019-12-16 | 中国の歴史・中国情勢
四川省に「大足」という地名がある。

重慶から成都へ向かう途中。観光資源的に言えば、石仏が高い崖に無数に掘られている。壮観であり、川舟から眺めると詩的環境に迷い込んだかのような気分になって詩を詠みたくなるという感想を述べる旅行者も多い。

重慶が成都から分離され、特別市となった。大足は爾来、重慶市に属するのだが、行政上のはなしはともかく、何故「大足」という地名なのか?

宮脇説によれば、客家の女は纏足をしない。

逞しく耕地を開拓し、素足で歩いて重労働に耐える。だから大足になる。客家は宋王朝の後期から、迫害され遠隔地に追いやられ、あるいは福建省、広東省では中原を追われた一族が山深き場所に籠もって巨大な土楼を築城した。

評者も客家土楼には何カ所か行ってみた。おどろくほど巨大な城であり、広い中庭にも馬羊を飼い、農耕作業もときに内城で従事した。ということは「大足」の地名は客家の土地だったからだ。

いまでも素足で日常をおくる人々はパプアニューギニアやインドネシアの山奥に行けば出会える。狩猟民族が多い。黒呪術を信仰し、現代文明とは切り離されて独特の掟に従う。

さてシナ人はどこから来たのか?

中原はなぜ洛陽あたりの黄河が平たくなる場所にあるのか。

東西南北みなが敵だった時代。シナ史から見れば、秦始皇帝の前に「殷」がある。「商」とも言った。鄭州あたりに殷の王宮らしき遺蹟の発掘が続いている。周辺に殷の人々が使用したと伝えられる甲骨文字の博物館(河南省安陽)がある。いまでは新幹線が止まるので評者も見に行ったことがある。

東夷、西絨(せいじゅう)、南蛮、北荻(ほくてき)は『野蛮人』だった。それぞれが生業を持ち、狩猟、漁労、遊牧、農耕に励み、かれらが混ざり合って、シナ人のエリート層が形成された。だから我が国の縄文時代とは異なり遺蹟からでる人骨は戦争の傷跡、とくに首を切られた死体が夥しく、また奴隷の存在も確認されている。

中国史では秘密結社が革命の主役である。共産党だって秘密結社だった。本来の秘密結社では構成員となるには、任侠道のように義兄弟の杯が交わされ、ときに血盟し、このネットワークが世界に拡がった。客家には孫文、トウ小平、李登輝、リーカンユーらが有名だろう。海外で活躍する華僑も大方が客家である。とはいえ客家ネットワークは、細分化してヤクザの抗争のように血を血で洗う陰惨な戦いが屡々、各地に勃発した。

この秘密結社的ネットワークと宗族の紐帯が、中国人社会の特質であり、彼らのコアパーソナリティ、秘密結社の暗躍がなければ中国史は描けない。

しかも宮脇女史によれば、184年の黄巾党の乱まで秘密結社はなかったという。それまでは木簡、竹簡、もしくは絹に文字が書かれたからだ。秘密の連絡は耳から耳、人から人に頼るしかなかった。知識人が文字を普及させたのは孔子の時代からだが、特権階級か知識人以外、文字とは無縁だった。しかも、文字は統一されておらず、秦始皇帝の焚書とは、文字を統一するために、ほかの漢字を燃やして、消し去り、ようやく漢字の統一が図られた。

中国で紙が普及したのは二世紀頃、もっとも安価に普及するのは八世紀である。したがって後漢末まで、手紙で思想を広めたり、連絡を取ったりすることはなかった。秘密結社は連絡網を構築し、思想を共有する必要が根底にあるように、紙の発明によって、秘密結社が成立したという。説得力に富む解釈である。

なにしろシナ人が信頼するのは家族血族の血縁と、同郷の出身地を重宝する地縁。秘密結社は擬似の血縁関係となる。同郷出身地を信頼するという伝統は現代にも生きており、ひとくちにチャイナタウンと云ってもミャンマーのヤンゴンは、出身地別の会館と宗廟があり、マンダレーにも「雲南省の各地の会館」が区分けされているように、欧米各地のチャイナタウンも出身地による色分けが可能である。

本書は面白くためになる逸話の宝庫だ。

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中国人も知らない歴史の真実!

中国史はなぜわかりにくいのか?
国名も違えば、民族も違う――それなのに「中国5000年」の歴史などという真っ赤な嘘をつくからわからなくなる。
日本では歴史教科書で中国という国の歴史がずっと続いているように教えられるが、中国という国があったわけではない。皇帝たちがそれぞれ異なる国をつくって、その国が交代しただけ。
フランス大革命でブルボン王朝が倒れたが、フランスがフランスであることは変わらない。しかしシナの最初の皇帝である始皇帝のあと、武帝が建てた漢はまったく別の国家と見なければならない。そうなると中華人民共和国はわずか70年の歴史しかないことになる。
本書は、始皇帝、漢の武帝など古代シナの皇帝たちから、元のフビライ・ハーン、明の朱元璋、清の康熙帝など歴代皇帝たちの治乱興亡を中心に、これまでの通説を根底から見直し、日本人には想像もつかない誤解もプロパガンダもたっぷりのシナの歴史の謎を解明する。

第一章 中国(シナ)とは何か──黎明期から秦漢統一帝国
・中国人はどこから来たのか──野蛮人が都市に住んで中国人に成り上がった
・始皇帝がシナをつくった──皇帝は中国最大の資本家
・焚書は文字統一のため──中国語というフィクションは始皇帝に始まる

第二章 世界帝国の真実──後漢から唐の衰退まで
・ハンパでない人口激減を繰り返すシナの歴史
・毛沢東の大躍進で人口の十分の一が死んだが、後漢末の人口は十分の一になった
・「世界帝国」としての唐──中央アジアの国際的な人々がつくった国

第三章 モンゴル帝国の興亡──五代十国から元朝まで
・中華思想は宋から始まった──遼と金を野蛮人として蔑む負け惜しみの思想
・モンゴルはなぜ大帝国になったのか?──民主的選挙と婚姻政策
・パックス・モンゴリカ──中国の省の起源は元にあり 

第四章 秘密結社が建国した明王朝
・シナ二千年の歴史で、漢人皇帝はたった四分の一
・明のプロパガンダに騙されるな──元朝は滅びていないし、韃靼はモンゴル 
・元明交代期に高麗から李氏朝鮮へ──大陸の政治に連動する朝鮮半島 

第五章 最後はやっぱり異民族の清王朝
・清朝は漢人王朝ではない──女真人(のちの満洲人)によるシナ支配
・公用語は満洲語──漢人は帝国の統治・経営に参加できなかった
・超人的な天才だった康煕帝──文武両道のスーパーマン

宮脇淳子氏 1952年和歌山県生まれ。京都大学文学部卒業、大阪大学大学院博士課程修了。博士(学術)。専攻は東洋史。大学院在学中から、東京外国語大学の岡田英弘教授からモンゴル語・満洲語・シナ史を、その後、東京大学の山口瑞鳳教授からチベット語・チベット史を学ぶ。 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員を経て、東京外国語大学、常磐大学、国士舘大学、東京大学などの非常勤講師を歴任。現在、昭和12年学会会長、公益財団法人東洋文庫研究員としても活躍。 著書に『封印された中国近現代史』(ビジネス社)、『世界史のなかの蒙古襲来』(扶桑社)、『中国・韓国の正体』(WAC)、『最後の遊牧帝国』(講談社)、『どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史』(KADOKAWA)、『かわいそうな歴史の国の中国人』『悲しい歴史の国の韓国人』『日本人が教えたい新しい世界史』『満洲国から見た近現代史の真実』(徳間書店)などがある。


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