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犬猫と日向ぼっこ

ミックス犬と二匹の猫と一緒に送る毎日の記録と庭の草花の栽培日記。また、旅行先での記録などを綴る。

昔 信州の旅

2006-10-15 08:58:51 | 思い出
暫く天気が続くらしいが、ほんと朝から良いお天気だ。

お祭りの役員さんたちはほっとしていることだろう。

7時頃にはモモの嫌いな煙火もあがった。

今朝も早朝のNHKテレビを見ていたら、新日本紀行のリメイク版

「新日本紀行再び」で信州の妻籠の今と昔をしていた。

昔と言っても妻籠が保存地区に指定されたS48年頃の様子。

JRはまだ国鉄といっていた頃で、旅の本などで「ディスカバー・ジャパン」

といって日本各地のたびの企画を宣伝していた。

このCMは駅のポスター、テレビ等できれいな写真を流していた。

バスでの旅行が今ほど普及していなかったころ。

私はこの頃、学生だったので友達とちょうど35年前の今頃、妻籠 馬籠

黒部ダム等、今は何泊で旅したか忘れたが鈍行列車を使って、お金は

かけないけど時間は贅沢に使う旅をした。

宿泊先は民宿やユースホステル。信濃大町のあたりで宿泊する時は

鹿島槍のスキーロッジに泊まった。ここではやけに大きななめこが入った

味噌汁を覚えている。馬籠から妻籠へは当時のたびの本で特集として

載っていた「中仙道を歩こう」を実践してみた。

今考えると、“女の子二人で山道を歩く”なんてちょっと恐いけど

若いと言う事はたいしたもんだ!そんなこと思いもしなかった。

もっとも、全く人がいないわけではなく、本に載っただけにちらほらと

歩く人がいた。何キロ歩いたかは覚えていないが、雨が降って

それが大変だった事は覚えている。

その時泊まったのは近くにある民宿で、お茶請けにちょっとすっぱいりんごに

砂糖をかけて出されたのが記憶に残っている。

旅の途中で食べた五平餅も美味しかった。

二年前に馬籠に行ったが、当時とかなり様子が変わっていた。

私の足腰はがたが来ているが、この宿場跡は若返って?いた。







祭りの少し苦い思い出

2006-10-12 08:35:01 | 思い出
子供の頃の祭りの事を思い出していたら、甘酒作りを思い出した。

最近は、いつも使っている醤油屋さんがこの時期とお正月前に売り出す

ものを買っているが、子供の頃はおばあちゃんが作っていた。

麹を使って壷で作っていた。詳しい作り方は子供だったので知らないが。

お祭りの前の晩、材料を入れ手少し温めた壷をコタツの中で一晩暖めた。

あの頃は地球温暖化が進んでいなかったからか、この時期 今より寒かった。

夜、甘酒の入った壷が入れてある炬燵に足を入れたりして怒られたものだ。

いつもおばあちゃんが慎重に作っていたが、我が家のものはうまくできなかった。

発酵しすぎて、すっぱくなっていた。それでも結構喜んで呑んでいた。

今のようにはかりや温度計を使って、パンのように作ったら上手に

できたと思うけど、当時は全て“かん”だったみたい。

寿司や羊羹といったものも前の晩に作った。そして、玄関横の軒下に

ちょうちんを下げ暗くなると明かりをともした。

ここまでは絵に書いたような思い出だけど‥。

もうひとつある。

お祭りには女の子は着物を着ていた。今、七五三の時に切るような着物を。

ある年、小学校低学年の頃だったか着物を着せてもらっていた時、姉が

新調したものを着ているのに気づいた。私は姉のお下がりだった。

怒った私は「いつもお下がりばかりー」と、大泣きした。

近所のおばあちゃんやおじさんがなだめてくれたが、うるさく泣くので

ついに父親が趣味の写真で使っていた、ねずみの出る暗室に入れられた。

古いアルバムには涙目で着物を着た私の証拠写真が貼ってある。



今度の日曜は秋祭り

2006-10-11 16:12:07 | 思い出
昨夜 仕事から帰った娘が「神社でおじさんたちが稽古をしてたよ」と

言った。今週末の秋祭りの奴行列に出る人たちが練習をしているのだ。

わが町のお祭りには、奴行列やおみこしの後に地区別の山車がでる。

子供の頃、我が家の斜め前の傘を作っていた家では、この時期、山車にのせる

人形や張りぼて(というのか竹に紙を貼って作った山や動物など)を作っていた。

この時期なら人形も着物を着せてもらって、「今年は○○だな」とわかる

のでいいが、季節外れには首だけが置いてあったりして、ちょっと恐かった。

小学生だった昭和30年代の頃、お祭りの日は学校が午前中で終わりだった。

そして、親戚が集まってご馳走を食べ、昼ごろになると回ってくる山車を見に

いつもはバスが通る道に集まった。その日はバスも道や時刻表が変わった。

子供たちは親戚のおじさんやおばさんからお小遣いをもらって、

通りの両側に並ぶ露店にうきうきと買い物に行った。

イカ焼き 綿菓子 金魚すくい等。いつも近所の友達といっていた。

何回もうろうろして、なかなか決められなかった

一年のうち、花火とこのお祭りの時位しか、こういった買い物はできなかったので

慎重になった。

夜になったら時々、大人が連れて行ってくれた。夜店というものもあったから。

夫は山の中(と言ったら怒るかな?)出身だったので、子供のようにお店めぐり

を楽しみにした。そして、必ず、たこ焼き イカ焼きなんか買っていた。

多分、娘が行こうといってくれると思うので、夫の好物だったものを

今年も買おう。

小学校時代の工作

2006-09-25 09:45:05 | 思い出
昨日の新聞に、月一回入る新聞社発行の小冊子が入っていた。

その中の

「お父さんのモノ語り」に、万華鏡の事が書いてある。

筒状のものを覗いて見るときれいな模様が見えてくる、あれ。

読んでみると1816年にスコットランドの物理学者が発明し、日本には

江戸末期に渡ってきたとのこと。

小学一年か二年の時、図工で作る事になりガラスを持っていく事になった。

近所の友達が、親戚の家にガラス屋があるのでもらいに行こうと誘って

くれたので学校帰りについていった。

しかし、親戚と言ってもそれほど近い親戚ではなかったようで

軽くあしらわれた。もらって帰ったかどうかは記憶に残っていない。

万華鏡もどんなのができたかは記憶にないが、その時の気まずい雰囲気は

7才くらいの子供の心にもしっかり残った。

友達はお父さんが失踪していなくて、お母さんが働き子供三人とおばあちゃん

計5人の生活を支えていた。いつも、鼻汁をたらして、それで子供の中では

ちょっと有名だったが走るのは小さくてもとても速かった。

彼女が私たちを連れて少し自慢げに親戚のガラス屋に行ったのに‥

あの時の彼女の気持ちを思うとつらいものがある。

今どうしているかな?あの頃は近所だったけど、何時の頃か引っ越していった。

幻想的な模様が見れる万華鏡だけど、少し悲しい思い出がある。

彼岸花の思い出

2006-09-20 09:24:29 | 思い出
我が家は、学校の近く。という事で、この時期、運動会の練習でにぎやかだ。

今週末は確か運動会だ。

しかし、最近は子供の数が減ってきているので、以前ほどの賑わいはない。

私が子供の頃は全校児童2000人くらいいたので、教える方も大変だったと

思うし、運動会も児童・保護者で運動場が人でいっぱいだった。

午後、早めの散歩で近くを通る時、児童の少なさに驚く。

うちの娘の時にはまだ一学年、5組くらいあったようなのに

「えっ!これだけ」と言うくらい少ない。さみしいな。

ところで、運動会と言えば運動オンチの私には いや~な思い出ばかり

なんだけど、ひとつだけおかしい思い出がある。

私が4年で、兄が6年だった時のこと。

運動会の前々日、学校から帰った兄が友達と一緒に近くの山に遊びに行った。

帰ったとき、手にいっぱいの彼岸花を持っていた。

その晩、異変は起こった。兄が彼岸花の汁のついた手で顔や体を触ったため

あちこちが晴れて大変な事になった。

顔は口も開かないくらいに腫れていて、まるでお岩さんのようだった。

もちろん運動会は欠席。

いつも、どうにか運動会を休める方法はないかと思っていた私には

うらやましかった。でも‥腫れた顔を見たらやっぱり我慢していこうと

思った。なにせ、口が少ししか開かず、ものも食べにくいくらいだったんだから。

兄弟げんかでよくいじめられていたので、

「ざまー見ろ」なんて心の中で思った。(悪い妹です)

あの時の事が兄弟で集まった時話題に上る事もあるが、

兄はあまり言われたくないらしく話にのってこない。

彼岸花 きれいで好きですが、兄にとってはどうなのかな?