goo blog サービス終了のお知らせ 

犬猫と日向ぼっこ

ミックス犬と二匹の猫と一緒に送る毎日の記録と庭の草花の栽培日記。また、旅行先での記録などを綴る。

自分の体験とダブって

2007-03-29 09:10:45 | 思い出
悲しい内容の今週の「芋 たこ なんきん」。

今日は 町子さんのお母さんが健次郎さんを見舞い

その手を握って「がんばって」(大阪弁で言ったが)という場面があった。

言う方 聞く方 どう思っているか‥。


我が家の夫が入院中、亡くなる一週間前に私の母が見舞いに来て

「あんたを頼りにしていたのに‥」と涙ぐんだ。

他の見舞い客は、その時もう断っていた。

夫に了解を得て入れた母が言った言葉に、夫は

  「お母さん お世話になりました。」といって、

今日の場面にあるように母の手を握った。


その後 夫は娘たちとも一人ずつと話す機会をもち、わたしにも

「あんたがいてくれてよかった」といってくれた。


ドラマにあるような言葉は、夫から聞かなかった。

私もそのようなことを言うと、「別れが来る」のが恐かったので言わなかった。

いっぱい言いたいことはあった。


本当は 臨終の間際に部屋に二人だけになって

思っていることを、返事はしてもらえなくても話したかった。

聴覚だけは一番最後まで残っているはずだから‥。


今となって、一番悔いの残る事です。


でも、千の風になって私のブログヲ診て分かっているだろう

パソコンはまだ得意じゃなかった夫だけど‥。



今週で終わる さみしいな

2007-03-27 08:48:46 | 思い出
「芋 たこ なんきん」を見ながらブログ更新。

今週はつらい内容だし、来週からさみしいな

医師から町子さんと順子さんが病気の説明を受けるところから

今日は始まった。

病気の状態(完治しない、あと、半年か一年)をを聞いた町子さん

の目に涙がじわ~と。

演技とは分かっていても、「そうなるよね」と私は思った。

「何を聞きに来たのか」

「本人に言ったから家族に話すことは普通はしてない」と、

言われながら「桜が咲く頃まででしょうか」という医師の言葉を

聞いた時 私の目に涙があふれてきた。

自宅に帰った町子さんに、秘書の順子さんが

“ 今まで夫婦仲良くなんでも話してきたのだから、大先生に今日の話を

  話したほうがいい ”といっていた。

私の場合 「桜の花が‥」という事は術後の夫にいえなかった。

仲のいい夫婦であっても。

早くにその話していたら、残った時間を

夫はどのように過ごしただろうか‥時々思う。

「ぼくとあんたが逆だったとしても、そうしたから(早くに全てを

告知しなかった事)」といってくれたが。


ただひとつよかったと思うのは、再入院の三ヶ月間を個室で

夫の妻、兼 秘書(通訳かも)として過ごし、最期を看取ることができたこと。

たしか、田辺さんも 「見送る事ができたのはよかった」といっているのを

聞いた事がある。

残されて、一人で何年過ごす事になるのか、昨日のブログのようなことがあると

いやになることもある。

しかし、一歩か何歩か、先に旅立った夫が見守っているから

頑張って これも脳への刺激と思っていこう。


昨日の事については しかるべきところに話を聞いてもらう事にした。

ない知恵をフル回転して、生きる知恵を習得していきます。








今週の 「芋 たこ なんきん」は少しつらいな

2007-03-13 09:06:09 | 思い出
今朝も、「芋 たこ‥」を見てブログを覗く。

予告を見ているので、今週の成り行きは想像できる。

今朝は、徳永先生が手術室に運ばれ、待合室で子供たちが思い出を

話す場面だった。

今日も この場面を見て、5年半前に主人が手術したときのことを思い出した。

娘と三人で終わるのを待ち、あまりよくないと覚悟していた。

できるだけ早く手術室から呼ばれることがないように祈っていたが‥。

ポケベルが鳴って、手術室に駆けつけたとき、ひとりで看護士さんに抱えられて

夫のいる手術場に入った時‥もう、5年以上経つのに今日ドラマを見ると

最近のことのように思い出した。


先日 上の娘に「年末に若者に脅されたが、その時の子に出会った。

顔をみると頭にくるよね」と、夜 メールを送った。

すると、「私は 奴(私を脅した中学生)は二番目に腹が立つ奴よ。

一番はお父さんの病気を告知したあの医者よ~」と帰ってきた。

あの医者とは、今その病院の幹部だけど、

「本人に話したので、もう言う事はない。なにを聞きたいのか‥」

と、震えながら医師の前に座った私たち三人に、めんどうな患者にあった

といわんばかり足を組んで向かいあっ医師。

もちろん、私の出会ったいやな“奴”の№1でもあります。

腕はいいのかもしれないけど、腕を発揮してもらう前に

「言葉の毒」で、わたしたちより、夫は先に倒れてしまった。


千の風になった夫は、「もう、ええよ。気持ちを楽に持って生きんさい」と

言ってるようにも思うのですが‥。




思い出に浸る時間

2007-03-02 19:52:40 | 思い出
毎週金曜は(時々、曜日変更があるが)ボランティアで

広島まで出かけている。

通勤時間から少し外れた遅い電車で出かけ、帰りもお勤めの人が

帰ってくるのよりも早くに帰る。

今日もそんな電車の窓からボーと外を眺めていると、過ぎ去った

日々が次々浮かんでくる。


電車の中のポスターに、久しぶりに「フルムーン」という文字を

見つけた。少しはなれたところから見たので、写っている男女が

誰なのか、どこの海岸なのかよく分からない。

ただ、見えるのは「フルムーン」の文字だけ。

私にまだ縁がない頃、早く言えば若かった頃は

加山雄三のお父さん(なんとか謙‥わすれた)と高峰三枝子さんが

でていた。そして、百恵ちゃんの「いい日旅立ち」だったか?

バックに流れてテレビのCMになっていた。

その当時には、

“退職したら、こんなCMのような旅行に行こう! いや、二人で

のんびり青春18切符を使って行ってもいいな”

なとどと夢を膨らましていた。

今のような状況になるとは、それこそ“夢”にも思わなかった。


そんな事を思いながら時間を過ごした電車を降り、市内中心部の

会場まで バスに乗り換える。


ここでもまた、思い出にふける。

「ここから バスに乗り換えるのが一番早い」と、

毎日 そのあたりまで通勤していた夫が教えてくれた経路だから。

しかし、あの頃と違って地下街にお店がたくさんでき、デパートも

かなり変わった。

いつも、そのあたりを通りながら、今生きていたらどういうかなあ

と思う。

子供が小さかった頃 誕生日にはこのデパートでケーキを

買ってきてくれた。独身の頃、残業の時 夜食を買いに

行っていたと話していた。

夫が勤めていたビルの横を通りながら、(そこは私も仕事で

たまに出かけたところだが)勤務場所が会ったあたりの窓を

見たりする。

週一回のこの日は寂しいけど、懐かしくもある日だ。










昔の遊び

2007-01-22 09:24:53 | 思い出
毎日 毎日 殺人 偽造(捏造)よくもまあと言うくらいでてくる。

そのたびにテレビからは頭を下げる会社幹部の姿‥。

昨夜も 例の「納豆ダイエット」で番組が変わりNHKでもないのに

厳粛なムードでお詫びの放送に帰られていた。

私も、この番組を見て少し試してみた。といっても根気がないから

何日かと言う単位で。

やっぱり  と言う感じ。まあ、お通じはよくなることは確かだけどね。


話し変わって、どうしてこの話になったか覚えていないけど

下の娘と子供のおもちゃの話になった。

娘に 「お母さんの子供の頃はね、おもちゃも自分で作っていたよ。

着せ替え人形なんかをね。」と昔話に火がついた。

 着せ替え人形

紙に書かれた人形を切り抜いて、同じ紙に切り抜いた人形にあう

他の服があり、それを着せ替えたりして遊んだ。(これは買ったもの)

その人形の家なんかは、かわいい菓子箱などをとっておいて、それを部屋と

すること。遊びに行く時は一式を風呂敷に包んで行った。

 他にはカレンダーの裏に自分の食べたいものを絵に描いて

 (たとえば オムライス ジュース ぜんざい など)

 今のように洋食は豊富に食べれなかったのでレパートリーは少なかった。

 ハンバーグなんて知らなかった。

 それを使ってお店屋さんごっこをした。

 ままごと遊びも、雑草を古くなったかみそりでかまぼこ板の上で切り

 ご飯を作ったりして遊んだ、コザの上でね。

 モノがない中で、想像力を働かせて遊んでいたが楽しかった。