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犬猫と日向ぼっこ

ミックス犬と二匹の猫と一緒に送る毎日の記録と庭の草花の栽培日記。また、旅行先での記録などを綴る。

昨日のブログから

2007-08-01 08:28:10 | 思い出

 

昨日は ネタ切れで休もうかと思っていた。

ふと、前日思ったことを書いてみようと

思って綴ってみた。

夜、毎日 見てくれている友人から

携帯メールで感想が届いた。

「しみじみとした文でよかったよ」と。

 

いつも、私が感じているとおりのことを

感じてくれていて‥‥とても嬉しくなる。

 

昨日のページで、若かりし頃 ボーナスをもらった時

奮発して食事に行ったというところ。

あれは 当時まだ珍しかった

「牛のしゃぶしゃぶ」を食べに広島中心部の

高級牛肉料理店に夫と行った時のこと。

 

仲居さんが手順を言ってくれ

そばで食べ方を教えてくれるのを、二人で緊張して

食べたことを覚えている。

 

32年前くらいかな?

かなり高価な食事だったように覚えている。

 

 

いろいろな思い出、

ポケットの奥に入り込んでしまったような

思い出が 時々 ポロリとこぼれ出ることがある。

 

そんな時 また ポケットに戻し

忘れないように、記憶に留めることにしている。


「一歩踏み出す勇気」を持つ

2007-07-30 15:42:43 | 思い出

 

今日のタイトルは 先週だったか、

NHKのクローズアップ現代で

取り上げた話の中の言葉

 

6月の終わりに、新聞に

「80才の男性が日本一周を自転車でして

ゴール間近に交通事故死」 という記事があった。

そのときは、元気な人がいたもんだな‥と

思って記事を読んだ。

 

事故でなくなられた 原野さんのことが

テレビ番組の中で詳しく取り上げられ

“元気なお年寄り” が

私が思っていた「元気‥」だけでなく

いろんな人の心に元気と感動を与えていた

人だったことを知った。

 

戦争で青春がなかったなかったので、今が

青春だけど、それはまた「生き残った」という

ことを悔やむことでもある‥とか。

亡くなった人たちへ こうして元気でいることを

「申し訳なく思う日々」と  日記に書いてあったようだ。

 

旅の途中で出会って一晩話し込んだ若者からは、

「お願いですから、一歩踏み出す勇気を持ってください。

そうすれば答えは出ますから」と、姿勢を正して

丁寧にお願いされたという話を聞いた。

 

出あった人たちに、いろんなメッセージを残して

旅を続けられたようだ。

 

朝目覚めたら、今日一日が青春」

「いまつらくても、がんばることはあとで善き思い出になる。」

 

など、たくさんの言葉が書かれた ノートが

番組で紹介された。

 

途中 あまりの辛さにリタイアを考えながら続けた

日本一周の旅。

ゴールできなかったけど

出あった多くの人や、出会わなかった人にも

番組をとおして、多くのことを教えてくださった。

 

もう少し時間をとって放送してもらいたかった。

 

 

 写真は、昨夜 蝉を撮ろうと庭に出てみたら

アゲハチョウがお休み中でしたので、代わりに

モデルをお願いしました。


懐かしい 言葉

2007-04-24 14:26:02 | 思い出
ニュースで今日、確か43年ぶりに学力テストが実施されると

言っていた。

いろんな反対でなくなったのだろうが、われわれの時代には

こういった一斉テストがよくあった。

「学力テスト」「知能テスト」さして、中学校あたりに「職業適性検査」

というのもかすかに記憶にあるような~。

うちは学校の放送が聞こえる位置にあるので、今頃テストしているのかな

と思っている。

いつもと違って、子供の声や校内放送が少ないような気がする。


40年以上前、小学生の時、学力・知能の両テストを受けたが

子供心にとても緊張した。

「今からはじめます。鉛筆を持ってください。‥‥」という放送で

始めて、「やめ」という放送で鉛筆を置いた。

自分勝手に騒ぐものもなく、静かにそして緊張してテストを受けた。

特に、「知能テスト」というものは、いっそう緊張して受けたように思う。

懐かしい思い出だ。

今のように教室ごとにテレビがあるわけでなく、教室の照明(蛍光灯)も

ないところが多かった。

廊下には継ぎあて?がしてあるところもあった。

そんな環境で、一クラス50人くらいで勉強していたのに、今の子供より

知っている事はたくさんある。

もちろんパソコンみたいなものは、鉄腕アトムの世界のもののように

思っていた時代だから全くわれわれの方が勝っているとは思わない。


しかし、TVで若いタレントが県名を言われて、その場所が分からなかったり

(そんなんじゃすまないくらい、分からない事をいっている子もいたが)

すると、あの頃 道具はなくてもよく勉強していたんだな

思う。


今日のテストの結果、夏が終わる頃には統計が出るかなあ?




別れは さみしい。

2007-04-03 10:02:42 | 思い出
昨日の夕方 母と同居の兄嫁からがあり「変わるから」と

言って母が出てきた。いつもは携帯でかけてくるのにと思っていると

近所の友達が亡くなったという。それもご主人の留守中にひとりで

亡くなっていたらしい。

歯医者に行くため母を迎えにいったとき、その家の玄関前で

老人車を見かけ、「おばさんもついにあれを使うようになったんじゃね」

と母に言ったばかりだった。

その時はもう、亡くなっていたのだ。

ひとりで電話をかけてこれなかった母は、少し動揺していた。

母だけでなく、いつもおしゃべりしいるばあちゃん仲間はショックだろう。

おばさんが亡くなった事を聞き、昨夜は昔を思い出した。

私と同じ年の娘さんがいたので、小学校低学年の時よく遊びに行っていた。

当時としては珍しくきれいに花壇が整備されていて、チューリップが

植えてあったこと。門のそばにあったヒノキの匂いが漂っていた事。

そして、夕食のカレーをご馳走になったこと。

考えてみれば約50年前のことになる。

私の夫がなくなったとき、「○○ちゃん(私の名前)のご主人の葬儀

行ってあげようよ」といってばあちゃん仲間と一緒に来てくれた。

最近は少し体調を崩していて元気がなかったが、近くのスーパーで

であったときは私に「元気そうじゃね」と、言ってくれた。

順番だから仕方がないといっても、昔のことをあれこれ思い出すと

寂しい。

うちの母をはじめとしたばあちゃん仲間はもっと寂しい事だろう。

今夜 お通夜 、明日 葬儀。

小さかった頃遊び、カレーをご馳走してもらったお家である。

参列させてもらうつもりだ。

あと一回 今日もダブらせて

2007-03-30 09:28:23 | 思い出
今朝も「芋 ‥」を見た。

「わしはずっと、あんたの味方やで」と健次郎さんが言うシーンがあった。

町子さんが「何か言って」と頼んだ時に健次郎さんが言った言葉。

「町子 愛してる」とか言ってという町子さんのリクエストとは

違ったが‥。

私も町子さんと同様「○○、愛しているよ~」という言葉を言って欲しかった。

しかし、「なにか、今から一人で暮らしていく私に言葉を残して‥」

といった私に夫は

「三人(娘たちと私)の事は心配だから、ずっと気にかけておくからね」

といってくれた。

言葉は違っても、健次郎さんの残した言葉と同じだと思った。


夫亡き後、たった5年だけどいろいろあった。

しかし、いつもこの言葉を思い出し「見ていてくれるから‥」と

頑張った。


今日の放送で葬儀の喪主挨拶を町子さんが考える場面があった。

わたしは夫の葬儀の時、ありきたりの葬儀社の見本を使ったものは

したくなかった。

あとから娘に聞いたのだが、夫は誰がこの挨拶をするのか

気になっていたようだ。

娘に「お母さんが言っておきたいことがあるので、挨拶は自分が考えて

するから」といっていたので、そのことを娘は伝えたらしい。

「そうね」と夫は言ったと、そして「安心してたよ」と娘が

葬儀が終わって落ち着いた頃、話してくれた。


夫のストレスの元となった仕事上のことなどを、話さずにいられなかったから

さりげなく入れて挨拶をした。

気丈に挨拶した、しっかりしている‥など後から聞こえた言葉だけど

私はフツーのおばさん。

ただ、夫の事を大切に思い、真面目なものが不利を受けるような職場に

本人に成り代わり“もの申し”たかっただけ。

言ったから変わるわけじゃなくても、言いたかった。


「もう、ええよ~」と夫は言いそうだったが、私にとっては

許す事ができない人たちが何人かいたから。


でもね控えめには言いましたが、夫だったらそうだろうと思って。