歴声庵

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周防大島紀行記 二日目

2006年11月24日 19時40分27秒 | 登城記・史跡訪問
 さて二日目ですが、この日の目標は今回の旅行の最大の目標である、幕長戦争戦争大島口の激戦地であり、四境戦争の戦跡の碑が建つ源明山山頂を目指しました。前日はあれだけの大雨だったので、心配してましたが夜が明けたら一転、本当に気持ちの良い快晴の中で源明山を目指しました。ただ天気自体は良かったのですが、風は前日同様凄かったです。結局三日間とも風は強かったので、海からの風が吹き込む為か大島は一年中風が強いっぽいですね。

 何はともあれ晴れましたので、観光バスに乗って源明山の麓まで移動、ここで幕長戦争大島口の際長州軍の本陣となり、世良修蔵が指揮を取った西蓮寺を訪れました。残念ながら当時の本堂は後年の火災で焼けてしまっていましたが、世良が指揮を取った地に訪れれた事に満足していよいよ源明山山頂を目指しました。
 この源明山はたくさんの登山愛好家さんのサイトに紹介されるくらい、登山愛好家に人気の高い山らしいので、「素人に登れるかな」と心配していましたが、私が山頂を目指したルートは山頂間近まではひたすら緩やかな坂道を登っていくという、本来登山愛好家の方が登るルートではなかったので、さほど苦労せず山頂に到着しました。 
 山頂には話に聞いていた以上に立派な石碑が建っていまして、「緩やかとはいえこんな細い道でよく運べたものだね」と感心しましたが、それ以上に感動したのが山頂からの眺めの良さです。北方こそ源明山と同規模の文殊山・嵩山がそびえるため見渡せませんが、それ以外の東西及び南の方向は大島全土はもちろん海まで見渡せる絶景でした。確かにこれだけ高い山の山頂に大砲を持ち上げれば、麓から攻めかかる松山藩兵が手も足も出なかったのも納得出来ました。

 そんな源明山を下山して、源明峠を歩いて安下庄村を目指しました。途中の山腹からは安下庄村を見下ろして、松山藩兵上陸時に戦闘が行なわれた甲山や、松山藩兵が上陸した三ツ松の位置を確認しながら約一時間半歩いたて安下庄に到着しました。
 安下庄到着後まずは地元の図書館を訪れて、地元の四境戦争について書かれた郷土史を色々コピーしました。これらの地元の郷土史を読んで驚いたのが、どうも大島の初期の防御体制は思っていたより整っていたみたいですね。この辺の史料は後の大島口の戦いの記事を書くのに活かしたいと思います。
 こうして図書館を訪れた後いよいよ安下庄の町に入ったのですが、残念ながら安下庄には幕長戦争関連の史跡はありませんでしたね。松山藩兵が本陣とした快念寺にもとりたて碑が残っていた訳ではありませんでした。

 結局安下庄探索が早く済んだので、昨日周った大島北岸の久賀町にバスに移動し、昨日訪れた史跡を再び訪れました。昨日から一転して晴れたこの日は画像の写りも良く、結局油宇村の浄西寺を除けば、昨日撮影した画像は全て削除しました。そう言う意味でも昨日レンタカーを借りたありがたみは無くなってしまいましたね。