帰宅後『イヴらじ』第8回を早速聴く。わ~いメールが採用された~(^^;)。それにしてもお悩み相談コーナーに対しての、楠原さんの答えに目から鱗が落ちました。まさか、そのような返答が来るとは(^^;)。そのような訳で資料館が作れるように頑張りましょう。
そのような訳で、「餅は餅屋」と言う事で昨日の夜から、栃木県の旧道を調べているサイトを色々見てみました。どうやら塩原街道(尾頭道)は会津中街道の山田宿から分岐して、箒川に沿って北上、関谷宿に入って西に曲がるのですが、以降は現国道400号に被る感じですかね。
一方で関谷宿から東の現国道400号は、大田原道に被る感じですね。つまり関谷宿は塩原街道と大田原道が合流する交通の要所だったと。塩原村に出兵した草風隊が、更に関谷宿まで進出したのは、この交通の要所を押さえる為だったのですね。
ところで会津田島宿で再編成した会幕連合軍が、どこに出兵したかを街道で記述すると、第一大隊が会津中街道の三斗小屋宿に、第二・第三大隊は会津西街道の藤原宿へ、第四大隊の草風隊は塩原街道の塩原村(後に関谷宿)へ、そして第四大隊の純義隊は奥州街道の白河城(宿)方面に出兵したとなりますね。
@itaru_ohyama あの公民館(?)横の杉並木道でしょうか?。あの杉並木道はどこに繋がっているのかな~と、今現在色んな旧道サイトを見ていたところです。そうなると関谷宿は塩原道・大田原道、更に那須高原方面への道が合流するとなると、脇往還ながらもかなりの交通の要所になりますね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます