浅田北戦日誌の日光談「新庄右近将監縣令山内源七郎へ粮穀の談に及ぶ。二官、先に彦根兵来て金穀を募る故に倉廩を開て盡く興ふ。故に今一粒の逐穀無し。此官吏又敵軍の猛威に懼れ金穀を猥りに姦徒に興へ一身の安逸を計る真に悪む可きの小人也。衆大ひに怒り刑せんと云。大鳥圭助堅く止て漸く止む(続
— 入潮 (@irisiomaru) 2019年4月8日 - 19:13
承前) 依て施す可き策無く一と先會城へ軍を退くるに決定す。嗚呼粮米彈薬の闕乏為すに囙て要地をして敵手に陥ら令む、又嘆息と云可き」 食料を敵にくれてやったたぁどういうことだ!死刑だ死刑!と、日光将監と県令に激昂する伝習隊。それを宥め諌める大鳥総督の苦労。
— 入潮 (@irisiomaru) 2019年4月8日 - 19:15
兵糧の無い日光では戦えない。なので旧幕軍は要衝の日光を棄て、会津まで撤退し傭兵になることを選んだ。旧幕兵が出て行ってくれといわれたのも食糧不足から。戊辰の戦火から日光を真に守ったのは、板垣でも大鳥でもない。日光の倉庫から食料強奪していった彦根兵でした、と。
— 入潮 (@irisiomaru) 2019年4月8日 - 19:20
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