白河周辺の二つの雷神山について。(東)雷神山と(西)雷神山と呼称していましたが、地図をよく見ると(北)雷神山と(南)雷神山と呼び分けた方が的確かと思い、今後は(北)雷神山と(南)雷神山と呼称したいと思います。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年5月8日 - 23:22
ただ、この北雷神山、江戸時代に雷神山と呼ばれた記述が見つからないのですよね~。でも白河城から北に出て、奥州街道と白河街道が分岐する、女石を見下ろす交通の要所に位置すると再確認。それこそ真田幸歓が白河城攻略の為に、占領した山ってここじゃないかしら…?
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年5月8日 - 23:26
どうも今まで山の名前に注目してなかったので、気付きませんでしたが、案外この北雷神山は新政府軍と同盟軍が何度も戦った場所かもしれません。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年5月8日 - 23:28
そんなわけで山の名前と、いつ頃からその名で呼ばれていたかを知る為に、日本山名辞典を注文した私(^^;)
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