先日発売された『長篠合戦と武田勝頼』の続編と言うべきでしょうか、二冊セットで読んだ方が読んだ方が、長篠合戦についての理解がより深まると思います。
『長篠合戦と武田勝頼』では、直接長篠合戦に関わる部分では「戦国時代の騎馬隊の有無について」「織田勢の鉄砲三段撃ちについて」が印象的でしたが、今回は織田・徳川勢と武田勢の火縄銃・弾丸・火薬等の調達方法と、同じく両軍の鉄砲隊の編成方法についての考察が印象的でした。
私も武田氏が火縄銃を軽視したとまでは言わないものの、鉄砲隊の編成にはさほど熱心ではなかったと思っていました。しかし平山氏は本書で史料を駆使して、織田氏も武田氏も旗下の武将や国人衆から鉄砲衆を摘出して、臨時編成の鉄砲隊を主力とした編成で、両者の鉄砲隊には質的にはそれほどの差はなかったとの指摘は衝撃的でした。私も織田氏の鉄砲隊については、長篠設楽ヶ原で前田利家や佐々成政が鉄砲奉行を勤めたと言う話から、織田氏の鉄砲隊は信長直属の馬廻り主体だと思っていたのですが、旗下の武将や国人衆から抽出した鉄砲隊で編成していたとの指摘は驚きでした。
ではそのように鉄砲隊の編成方法にさほど差がないのに、何故設楽ヶ原ではあれほどの差が出たかと言うと、純粋に織田勢の鉄砲隊の数が多いのと、運用方法に差があったは勿論でしょうが、多量の弾丸・火薬を用意出来た織田氏の補給・調達の優位を指摘してくれたのは衝撃でした。どうしても過去の長篠合戦についての論争というか、そもそも戦国時代の研究は、「どう言う布陣だったのか」とか「どのような動きをしたのか」の言う戦術的な物が話題になりがちだったと思います。それを長篠合戦の勝敗を分けたのを「物流の差」と指摘したのは慧眼だと思います
本書では、この「物量の差」に注視した記述がされており、火縄銃を入手したものの、それを運用するのに必要な弾丸や火薬の入手に武田氏が苦しんだ記述がされ、非常に興味深かったです。特に鉛弾原料の鉛の調達に苦しんだ武田氏が、領内の銅銭を集めて鋳つぶして銅弾を作ったとの話は特に印象的でしたね。一方で物流の発展した畿内を掌握している織田氏は、比較的容易に銃や弾丸を調達出来たのを考えると、平山氏が指摘した、「長篠合戦での両軍の明暗は、やはり双方の装備量(物量)の差、それは鉄砲・玉薬・弾丸の生産・流通経路へのアクセス度の格差に由来すると結論づけることが出来よう」と言うように、両者の勝敗は地政学的な意味でも決まっていたのかもしれませんね。
次に印象的だったのは、兵農分離についての話です。兵農分離と言えば、信長の天下統一への要因の一つで、学校の教科書にも載っている、言わば共通の一般常識だと思いますが、この信長の兵農分離の根拠史料が、『信長公記』一つだけと言うのが驚きました。信長の兵農分離の特徴とされている、城下町に家臣を居住させると言う政策も、武田氏始め多くの戦国大名が実施しており、決して信長だけが革新的ではなかったとの指摘も印象的でした。そして「兵農分離とは、統一権力が実施した政策ではなく、戦国終焉という社会的状況がもたらした結果に過ぎない」との指摘は、本書で一番印象的な言葉です。何より常識と思っている事にも、根拠史料を当たらないといけないと教訓を頂きました。
以上のように、私が本書で特に印象的だったのは上記の「両軍の鉄砲・弾丸・火薬の調達について」と「兵農分離について」の二つですが、他にも現在の長篠合戦の通説になりつつある、「織田・徳川連合軍が戦場に築いた陣城について」や、「当時の合戦方法」、「撤退時に多くの戦死者を出した、武田氏の精神的風潮」、「甲斐や信濃は馬産地だったのか」など、興味深い記述が掲載されていますので、冒頭に書いたように『長篠合戦と武田勝頼』と合わせて通読するのをお勧めします。
何はともあれ、長篠合戦を「信長の物量が武田氏を圧倒した」と指摘した平山氏の考察は、今後の長篠合戦研究の指標になるのではないでしょうか。
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