「第二次長州征伐」でもなく、「四境戦争」でもなく、「幕長戦争」と語られたのが嬉しい(^^;) さて、果たして世良修蔵の活躍は描かれるでしょうか…。 #花燃ゆ
丙寅丸の攻撃が成功した理由として、幕府艦隊がボイラーの火を落としていたのがあります。燃料を燃やして水を熱して、その蒸気で駆動部を作動させるのがボイラー駆動でした。当時の燃料では一旦火を消すと、蒸気を発生させるまで時間がかかるので、幕府艦隊も航行出来ませんでした。 #花燃ゆ
なお、幕府艦隊は、この丙寅丸の攻撃を薩摩艦隊によるものと判断したらしく、薩摩艦隊の来襲を恐れて、大島久賀村沖から撤退してしまいます。そして、その隙を突いて世良修蔵率いる野戦軍が、大島に逆上陸して大島の戦いになるのですが…、名前が語られませんでしたね(涙) #花燃ゆ
う~ん、世良修蔵の名前は出ませんでしたが、第二奇兵隊の名前が出ただけでも喜ぶべきでしょうか。正直、高杉の活躍だけで大島口幕長戦争は終わりかと覚悟していましたからね。 #花燃ゆ
おおっ、大村益次郎が登場した。喋りませんでしたけれどもね(汗) 後に戊辰戦争が描かれる展開があったら、大村も活躍するのでしょうか? #花燃ゆ
高杉の活躍により、勝利した感のある大島口幕長戦争ですが、実際には、あの後に、世良修蔵が率いる野戦軍が、大島で幕府軍と戦いました。手前味噌になりますが、詳しくはこちらを(^^;)www7a.biglobe.ne.jp/~soutokufu/bos…
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とかく小説やドラマなどでは、「無学の粗暴な暴れ者」と描かれがちな世良修蔵が、実際には高い学識を持ち、優れた野戦軍司令官だっと言うのが、一人でも多くの方に伝われば嬉しいです。
よし!、大島口幕長戦争のWeb記事のリニューアルも終わったので、次は今回の大河では消化不良だった、小倉口幕長戦争の続きに戻りたいと思います。小倉口幕長戦争を描きながら、狸山峠攻防戦も、高津尾高地の決戦も描かないとはもどかしかったので、自分で書きたいと思います(^^;)
大河本編後の紀行で紹介されていた、浄西寺の石垣に今も残る、幕府艦隊による砲弾跡はこちらになります。#花燃ゆ pic.twitter.com/PhlTDh8T7s
多くの方にリツイートして頂いて、本当にありがたいです。これが世良修蔵の名誉回復に、少しでも貢献出来れば嬉しいと、心から思っています。8年前に大島に行った際に、台風に当たって酷い目にあった苦労も報われました!(^^;)
@678mpth 世良が生きて維新を迎えていたら、きっと海軍創設に関わっていただろうとの妄想は、今でもしてしまいます。
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