厳しいこと言いますが、「賊軍」というレッテルが悔しいからと、勝者や歴史に、別のレッテル(しかも印象論と感情論にまみれた)を貼り付けているだけの内容ですね。、「敗者に都合の良い歴史観」という、批判の対象である「勝者の歴史」の裏返しに… twitter.com/i/web/status/9…
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2018年3月22日 - 12:21
「敗者の歴史」をやるのなら、「負けた理由の徹底的な究明」こそが、過去から未来へと繋がる、その地域だけでなく普遍性を持った人々の資産となるわけで、それをすっ飛ばして敗者を正当化するのは、有る種の救済には成るかも知れませんが、結局は前を向けない。過去に囚われている事でしか無い。
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2018年3月22日 - 12:34
直江兼続絡みでしょうか? 実は私、兼続と言う人間がよく判らないのですよね。政治参謀としては優秀だったのでしょうが、軍事参謀としての役目をやらされてしまったのが、関ヶ原での対最上戦だったのかなと。何はともあれ、乃至さんの新作を楽しみ… twitter.com/i/web/status/9…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年3月22日 - 21:52
これは興味深いです。町の中を結構歩きましたが、遺構らしき物を見掛けなかったので気付きませんでした。駅舎跡くらい残っていても良さそうですが…。 twitter.com/tamaya8901/sta…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年3月22日 - 21:55
本年(2018年、第52回)の軍事史学会年次大会で個人研究発表をします。「元治甲子戦争における新選組の軍事行動」です。5月26日(初日)午後3時35分~4時5分(予定)です。場所は日本大学法学部本館(千代田区神田三崎町)です。mhsj.org
— 中村武生 (@busyo3) 2018年3月22日 - 22:08
戊辰戦争で帰る場所を失った桑名藩主松平定敬 それでも殿様は箱館まで戦い続けた business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16…
— 四季しのぶ (@shikishinobu) 2018年3月22日 - 21:35
定敬公に徹底抗戦の意志があったかは疑問。失礼ながら「戦い続けた」というより「逃げ続けた」という方がしっくりきます。
@nqhcw708 @b27e66 @tamaya8901 ありがとうございます。路面電車だったのですね。磯前神社の前は通らず、北側の山中を通っていますが、言われてみればキャンプ場の前を通る道がありましたね。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年3月22日 - 23:24