歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

6月25日(木)のつぶやき

2015年06月26日 01時04分42秒 | twitterまとめ

さあ、今日は母成峠へのリベンジ訪問です!(^^)。


母成峠の駐車場に到着。これより入山、伝習第二大隊、同第一大隊、そして新選組が布陣した勝岩を目指します!。


勝岩より、駐車場に帰還。大鳥、土方、斉藤達が布陣したと言われる、勝岩付近に行けたのは嬉しいものの、実際に地形を見て、新たな疑問点が出てきました。この疑問点については長くなりそうなので、帰宅してから書きます。


猪苗代城址を経て、十六橋を訪問。そして、これより大鳥圭介と斉藤一の別離の地となった、米沢街道塩川宿へ出発~。


最後の目的地となる、阿弥陀寺へ移動開始。


母成峠より帰還しました。早速、実際に母成峠を訪問して、生じた疑問点を書かせて頂きます。長くなると思いますが、ご容赦下さい。
大鳥圭介の『南柯紀行』によれば、勝岩の上に伝習第二大隊、その勝岩の麓に伝習第一大隊と新選組が布陣したと書かれています(続く)。

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(承前)しかし、実際に勝岩を訪れてみると、その麓には勝岩から流れ落ちた滝で沢になっており、とても軍勢を布陣出来る地形ではありませんでした。また、勝岩自体も、母成峠東端の山と、対岸の和尚山に挟まれた谷底に位置して、こちらも軍勢を布陣させるのに適当な地形とは思えませんでした(続く)。

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(承前)むしろ、勝岩の上、それも上流に近い緩やかな谷底部に伝習第一と新選組が布陣して、母成峠東端の山に伝習第二が布陣したと考える方が、和尚山方面から迂回してくる新政府軍を、谷越しに迎撃するのに適したと思うのです。ましてや、軍略家の大鳥がそこを考えない筈が無いと(続く)。

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(承前)そこで思ったのが、大鳥が『南柯紀行』に書いた「勝岩」と、現代人の私達が「勝岩」と認識している場所は異なるのではないか?。もし大鳥が書いた「勝岩」が、母成峠東端の山だとしたら、今まで語られていた母成峠の戦いと、実際の母成峠の戦いは異なっているのではないかと…(続く)。

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(承前)今回は間に合いませんが、いずれにしろ母成峠の戦いについては、追加調査の必要性を感じました。何はともあれ、これだけ有名な戦いにも関わらず、母成峠の戦いのフィールドワークは、ビックリするほど進んでいないと実感した撮影旅行でした。

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う~ん、工事で使う安全帯を購入しようか、真面目に検討中。今日、母成峠東端の山から、谷底を撮影しようとしたのですが、命が惜しくて良い画像が撮影出来ませんでした。安全帯を木でロックすれば、もう少しアグレッシブ撮影が出来たと思うので、真面目に検討中です…。