@take_nakanishi 解説ありがとうございます。島津に降参した以上は、筑後を割譲したと思っていたのですが、筑後は保ったままだったのですね。大友に東筑後を侵食されたと言えども、別の大名家に従属した大名家が、肥前の大半と筑後半国を所有していたと言うのは不思議な感じです。
この時の鍋島家の知行地ってどれくらいだったのでしょう。ひょっとしたら関ヶ原の時点では、鍋島家の知行地よりも竜造寺家の知行地の方が多かったのでしょうか。 @take_nakanishi 佐賀小城の二郡約13万石は政家高房父子の賄・隠居領と馬廻衆の知行に宛行られました。
@itaru_ohyama @take_nakanishi もはやお二人の話についていけない私が居ます(汗)。お二人の話を聞いていると、二次大戦に関しては完全なライトファンですね。ライトファンなので、違和感なく『ガルパン』の世界観を受け入れる事が出来たような気もしますが(^^;
録画した大河を視聴終了。今回の鳥羽伏見の戦い後編の描写は概ね満足ですが、唯一不満なのが津藩の扱い。津藩(藤堂藩)は裏切り者ではありません。実は津藩兵が山崎に布陣していたのは、鳥羽伏見の戦いとは関係なく、安政年間からずっと山崎の責問の守衛を任されていて、鳥羽伏見に至った感じです
むしろ津藩自体は徳川家の為に尽力しており、王政復古後も徳川と新政府の間を取り持とうと尽力しています。山崎に布陣していた部隊も、王政復古後に長州藩兵が京都に入ろうと山崎を通った際に、攻撃すべきかとも進言しているのですが、それを却下したのは他でもない徳川家だったりします。
5日に新政府から恭順せよと公家が来た際も、「恩義ある徳川をだまし討ちは出来ない」と、同夜に宣戦布告の書状を持たせて使者を送ったのですが、旧幕府軍副総督の塚原昌義が行方不明だった為、結局渡せずに翌6日の砲撃は後世裏切りと呼ばれる事になるのです。嗚呼(涙)。
結局、藩祖である藤堂高虎の悪評のとばっちりを、鳥羽伏見の戦いでの津藩は受けてしまった気がするのですよね。あ、ちなみに今回の大河を見て弁護をしたかったのは津藩だけですので、淀藩の扱いに関しては別に不満はないです(^^;)。
録画した大河を視聴終了。今回の鳥羽伏見の戦い後編の描写は概ね満足ですが、唯一不満なのが津藩の扱い。津藩(藤堂藩)は裏切り者ではありません。実は津藩兵が山崎に布陣していたのは、鳥羽伏見の戦いとは関係なく、安政年間からずっと山崎の関所の守衛を任されていて、鳥羽伏見に至った感じです。
5月第4週の声優ラジオ感想 その1 blog.goo.ne.jp/kidouhan/e/9e5…
@take_nakanishi 鍋島直茂が主家である竜造寺家を超える所領を得たのは、秀吉の裁量とは知らなかったので驚きました。一般的に直茂が竜造寺家を乗っ取ったと言われていますが、実際には秀吉の差し金だったのですね。
@take_nakanishi そして秀吉の差し金と言っても、関ヶ原時の鍋島家の竜造寺家に対しての優位は絶対的な物では無かったのですね。文字通り二重権力構造だったように見えますが、あの関ヶ原で鍋島家と竜造寺家が足並みを揃えて分裂をしなかった事に、直茂の手腕の凄さを感じてしまいます
@pacific_18 予約ありがとうございます。これで澤ちゃんの宿に泊まれるのですね。丸山荘みたいに、夜に宿内で澤ちゃんと記念撮影をするのが楽しみです(^^;)。
ちなみに今日は、昼間は船橋のマリンフェスタに行って、清水愛さんの一日艦長の雄姿を見てきて、夜は伊藤静さんのライブに行ってきました。お洒落な感じのジャズライブだったので楽しかったです。
どんどん大洗での過ごし方が充実していきますね(^^;)。 @pacific_18 昼食はそど子とナオミの店ですかね。夜はオレンジペコの店で一杯かな