先般情報提供いただいたこの写真の解明、自分の中ではある程度方向性が見えてきてはいるものの、やはりまだ決め手を欠いている。ただ少なくとも、これが「明治初年の砲兵将校たちの記念写真」であるということは、ほぼ確信に近いものを得てます。な… twitter.com/i/web/status/1…
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月20日 - 23:43
小説やドラマなどを楽しむのは結構ですが。お気に入り人物だけを持ち上げる為に、虚構と事実と混同して、実際に最前線で屍山血河の中で死闘繰り広げ奮闘した方々の行為を無かったことにしたり、根拠の無い捏造で人物の人間性を貶めたりしないでいただきたい。
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月17日 - 08:18
後世に事実を書き残す真摯な信頼度高い記録者もそうでない人もいる。当事者の複数記録を比較対照し複数が同じ事を書いていれば、何が事実か法螺かは分かる。背景前後関係からも確からしさは類推できる。どうせ史料は何が正しいか分からないとか仰る人ほど、まともに史料を当っていないのではと思う
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月17日 - 08:39
×史料が無い
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月19日 - 01:54
○歴史エンタメ虚構のお気に入り人物像を都合良く補強できる史料が無い
×史料は当てにならない
○当事者の記録、日記、書簡、公文書など史料を比較し確からしい事実を検証する作業を行っていない
…という場合が多い気がする
平成31年試衛館稲荷初詣のご案内 funnyara.blog69.fc2.com/blog-entry-111…
— 歴史企画研究 (@funnyara5) 2018年12月19日 - 19:46
箱館戦争は土方歳三のみが二股で勝利し、5月11日の箱館の戦いで土方が戦死し降伏した、という見方が多いようですが。新政府軍上陸以降、下図の戦闘があり、松前では遊撃隊や陸軍隊・砲兵隊が勝利、木古内でも地形を活用して大鳥がゲリラ戦指揮し… twitter.com/i/web/status/1…
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月16日 - 23:12
二股以降、七重浜で5月頭に3連戦夜襲、5月11日も大鳥ら伝習隊衝鋒隊彰義隊陸軍隊見国隊他諸隊が夜明けから各地で戦闘。新選組伝習隊守る箱館山後背を衝かれ箱館襲撃されて、ようやく土方が出陣し戦死されています。諸隊隊長が各戦闘で奮戦し、土方が関与した戦闘は限られた一部でした。
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月16日 - 23:18
今日は、鉄砲の弾をたくさんつくりました。
— たまや 3日目西 た16a (@tamaya8901) 2018年12月17日 - 00:37
西南戦争の時、弾薬不足の薩摩軍はこんな方法でも弾丸を製造していました。 pic.twitter.com/Cl5n1FjG4O
なんで分かるかっていうと、鹵獲された現物が西南紀伝という本に載ってる。いっしょに写っている20発型は以前試作しました。 pic.twitter.com/fabhamxMWD
— たまや 3日目西 た16a (@tamaya8901) 2018年12月17日 - 01:02
昨日は、あさくらゆう先生の講演「幕末の鉄砲~実践編」に参加しました。見所はミニエー銃の実銃を分解して頂き、初めて内部の構造を見られたのが大興奮でしたd(*´ω`*)b
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月17日 - 20:49
画像は尾栓の部分、下に敷いた『図解古銃辞典』と比較すれば、大き… twitter.com/i/web/status/1…
これは凄い∑(゚Д゚)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月17日 - 20:51
是非是非、コミケ当日を楽しみにさせて頂きます(* ̄∇ ̄)ノ twitter.com/tamaya8901/sta…
@tamaya8901 なるほど、構造の違いによって、製作の手間も違うのですね( ̄▽ ̄;) でも、いつかスナイドル弾を作成していただけたら、絶対に買います(`・ω・´)b
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月17日 - 21:59
西郷どん最終回、川路利良が桐野利秋を討ち取るという超展開がTLの一部で話題に。もちろん川路は城山総攻撃には参加してませんが、川路が自ら警視旅団を率いて九州に出征し、鹿児島突入を果たしたのは史実です。詳細はこちらの記事で紹介してます… twitter.com/i/web/status/1…
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月17日 - 21:24
シャープス銃弾、なかなかに可愛い。キーホルダーに加工できたらいいかも。ちなみに、素材は錫・銀・銅の合金で有害な鉛は一切使っていません。盲貫銃創を負っても鉛中毒の恐れがない、人体に優しい銃弾です! pic.twitter.com/qrUV03penV
— たまや 3日目西 た16a (@tamaya8901) 2018年12月17日 - 22:05
@923oukarou ありがとうございます。積雪量が関東民でも走行出来るくらいなら、来年の1月か2月にでも、またお伺いさせて頂きたいと思います。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月16日 - 09:30
詳細はまだ把握していませんが、資史料を読むと、奥羽戊辰戦争で街道に垂直方向に土壁を築いて、関所を設けた様な記述を見掛けます。遺構を見つけていないので、これが胸壁とどの様に違うかが、まだよく判っていません。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月16日 - 09:34
会津戦争の記述で、「壁を破った」等の記述を見掛けますが、今まではこれを胸壁と思っていたいたものの、案外街道遮断の土壁の事なのかなと。ちなみに、郡山市史には、この土壁のイラスト(?)が掲載されています。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月16日 - 09:36
西郷どんの超高速西南戦争が物足りなかった方にご紹介。戦役のながれの理解の助けになる…かしら('ω')
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月12日 - 22:09
blog.goo.ne.jp/sakura-oka/e/7…
附録史料は創作用のネタとしても一次史料としても大変有用な、大鳥圭介本人の手記・談話・論考で、自筆や明治大正の雑誌に掲載され現在は書籍などは入手難な資料を主にまとめています。もし附録史料のみお求めの方もおられましたらお声かけくださいませ。
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月14日 - 23:58
先々週に福島県の国見町へ、陣地遺構の下見に行った際に、今回も桜華楼さんでお食事。ついつい毎回炒飯を頼んでしまうので、中々メニューのコンプリートが出来ません(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月15日 - 12:55
国見町へは来年も通うと思うので、来年こそはコンプリートを目指したいと… twitter.com/i/web/status/1…
@irisiomaru 是非、お伺いしたいと思います(`・ω・´) 当日は入潮さんも、いらっしゃるのでしょうか?
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月15日 - 16:23
またもや料理の画像で申し訳ありませんが、先月米沢へ行った際に、旅館すみれで食べた米沢牛のステーキとにぎり、そして上杉城史宛で食べた米沢牛のビーフシチュー。かれこれ米沢には二十年近く訪れているのに、米沢牛を食べたのは今回が初めてだっ… twitter.com/i/web/status/1…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月15日 - 20:49
@irisiomaru 戊辰戦争期の野戦陣地について書いた際、以前入潮さんに教えて頂いた事を参考にさせて頂いたので、是非抜き刷りをお渡ししたいと思っていたので、お会い出来たら幸いです。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月15日 - 20:51
篠原の赤マント、歴史ファンにはけっこう認知されてますよね(´ω`) 翔ぶが如くあたりの影響かしら。 pic.twitter.com/FWSBqfsNDa
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月14日 - 20:15
大鳥圭介創作アンソロ如楓会memorial、12月29日土曜のC95西1ほ-19aで頒布予定。2009年からの如楓会寄稿作品の一部を収録。本体202頁+附録史料44頁。内、本体の内50頁以上+附録の15頁程が書下ろし。他、如楓会以… twitter.com/i/web/status/1…
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月14日 - 23:51
「世を開く道しるべとならん-明治を創った男・大鳥圭介」図録。複雑な人生遍歴の圭介の要点を分かりやすく簡潔にまとめて下さり、文句の付け所のない素晴らしい。説明が一遍の伝記です。工業新報や工部大学校の写真など貴重な収集史料が豊富。お求… twitter.com/i/web/status/1…
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月11日 - 19:37
「世を開く道しるべとならん 国づくりは人づくり―日本の近代化の陰にはこの男がいた!」town.kamigori.hyogo.jp/cms-sypher/www…
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月8日 - 22:17
上郡町郷土資料館特別展。明日12月9日最終日。まだの方でご都合つくお近くの方はぜひー!
農業のみでは国は発展できない。産業化近代化が必要だが経験がない。そこで工場の生産から運営、労働条件迄しらみ潰しに調べた。民間では投資もできない工場を運営し育て民間に手渡した。大鳥圭介が工業の第一世代を作った。政策面実務面の両方から実現させられる稀有な人間だった。
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年12月8日 - 21:56
鉛のかちあい弾は、素材が柔らかいから一体化しちゃうんだな
— 優花里・良輝パパ@明智=小早川=淀藩(同じ一族だお)さん (@KeisarSan) 2018年12月9日 - 21:55
A教授が記念館にあった弾丸を調査したら全部セメダインでくっついていたそうですw twitter.com/yaman5142/stat…
エンフィールド銃のパトロン作ってる。 pic.twitter.com/ok97GPMAXI
— たまや 3日目西 た16a (@tamaya8901) 2018年12月1日 - 15:50
今のところ1発試作しただけだが、31日までに果たして何発製造できるか。シャープスの弾丸もレプリカ作成に成功したら作るかもしれない。 pic.twitter.com/I23y1ilUyX
— たまや 3日目西 た16a (@tamaya8901) 2018年12月4日 - 23:42
桐野利秋は私学校と距離があった…というのは、意外と知られていないですよね。桐野作人氏によれば、本校はもとより、吉野開墾社との関わりも実際にはほとんどないとか。せっかくなのでこういう実像を描写してほしかったんだけど、結局は西郷の忠犬というステレオタイプなキャラづけだったのが残念。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年11月25日 - 21:14
警視隊の戦線投入の背景には「平民出身の鎮台兵が弱かったから士族出身の警察官があてにされた」という要素がないわけではありませんが、少なくとも主たる理由ではないというべきですね。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年11月29日 - 12:49
そもそも当時の警視局(「警視庁」ではない!)は、全国の不穏情勢に対応するための内務省直轄の国家機関で、1コ鎮台に匹敵する規模の人員(もちろん軍事教練実施済み)と装備(スナイドル銃も配備)を有する、まさに「治安の尖兵」たる存在。これ… twitter.com/i/web/status/1…
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年11月29日 - 12:49
ご紹介ありがとうございます。この講座では実際にゲベール銃の本物(生きている銃)を受講者各位に構えていただく予定です。なお、古式銃は現代銃と違い、他人に持たせても銃刀法違反にはなりません。makoto.shinsenhino.com/archives/news/… #ゲベール銃 #幕末 #日野新選組同好会
— 歴史企画研究 (@funnyara5) 2018年12月3日 - 06:27
この週末は、福島県の郡山と三春の二ヶ所で開催されている戊辰戦争の企画展示を見てきました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月3日 - 22:10
三春の方は「三春藩の選択」とのタイトルだったので三春藩が恭順する際の文書を期待しましたが、実際には河野広中関連が殆どでしたね( ̄▽ ̄;) pic.twitter.com/XTRK289ruh
他の展示も古文書が殆どで、銃砲弾や軍服と言った展示は無かったので、他の充実した展示と比べると、物足りなさを感じました( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月3日 - 22:15
何より、せっかくの機会なので、「三春藩の裏切りのせいで負けた」という、会津観光史学の嘘を、史料に基づ… twitter.com/i/web/status/1…
続いて、郡山市の展示。郡山は二本松藩領ですが、二本松市が二本松少年隊を前面に出した展示だったのに対して、郡山は戊辰戦争に巻き込まれた民衆を重視した展示だったのが印象的でした。余談ですが、郡山の展示は無料ですが、同じく無料のリーフレ… twitter.com/i/web/status/1…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月3日 - 22:25
篠原国幹といえば、高瀬の激戦中に無断撤退して薩軍の敗因を作ったという悪名で知られているけど、以前もつぶやいたとおり、どうもこの逸話には疑念があるのよね。こころみに戦記稿、西南戦史、記伝、血涙史といった主要な戦記を見てみても、どこにもそんな記述はないんですよ。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月3日 - 22:14
いずれの記録においても、両軍は夕刻まで一進一退の激戦を繰り広げていたことになってるし、記伝なんかはご丁寧に、篠原隊が村田隊や桐野隊と足並みを揃えて撤退したことをはっきり明記してるわけで、「篠原隊が弾薬不足で無断撤退」という話には首をかしげざるを得ない。まじでソースが知りたいです。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月3日 - 22:15
高瀬の敗戦の責任をどうしても薩軍の誰かに押しつけるなら、それはやはり稲荷山を奪りそこねた桐野になるんじゃないの? 稲荷山の重要性は、いずれの戦記も口を揃えて強調してるわけだし。ま、そもそもああいう安直な「戦犯探し」自体がじつにエンタメ史観的思考で、好きになれないけども。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月3日 - 22:20
@funnyara5 二本松藩領と守山藩領ですね。安積疎水のおかげで、旧二本松藩領の僻地が、城下よりも発達してしまいましたが( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月3日 - 22:56
英雄たちの選択スペシャル「決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実」
— 優花里・良輝パパ@明智=小早川=淀藩(同じ一族だお)さん (@KeisarSan) 2018年11月28日 - 11:55
www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-…
#西郷どん
元帥服w
英雄たちの選択では『元帥陸軍大将』です
間違っても大将制服は着ませんw
写真の服は明… twitter.com/i/web/status/1…
英雄たちの選択スペシャル「決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実」
— 優花里・良輝パパ@明智=小早川=淀藩(同じ一族だお)さん (@KeisarSan) 2018年11月28日 - 11:43
www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-…
#西郷どん
英雄たちの選択に向けて作った衣裳で一番の変わり種w
軍夫用浅黄法被ww pic.twitter.com/BGfw4AL3rd
浅黄色ってどんな色?
— 優花里・良輝パパ@明智=小早川=淀藩(同じ一族だお)さん (@KeisarSan) 2018年11月28日 - 12:12
今回の撮影でエキストラの衣裳は藍染め生地を使用したため下に着た白シャツに色移りしました
その結果、一度染めの色が見事に出来たんですわ
この水色が浅黄色になりますww pic.twitter.com/CmtBE0trUh
「近代国家の成立と西南戦争」で鈴木淳が、私学校派が主導権を握っていた鹿児島県は西南戦争までそれを実施しなかった。としているが、明治7年11月は前年の鹿児島兵営焼失に伴い徴兵差止。8年には実施、加世田から同年入営(歩兵第13聯隊)の… twitter.com/i/web/status/1…
— マンチカン 帝國 (@maEmpire) 2018年11月27日 - 17:48
@maEmpire 「薩摩と戦った農民兵-加世田・唐仁原袈裟次郎の軍隊手帳-」(『敬天愛人第21号』2003年) 内容は同手帳の翻刻。袈裟次郎は8年4月入隊、11月二等卒、9年10月一等卒、西南戦争に際しては4月20日竹宮の戦闘で… twitter.com/i/web/status/1…
— マンチカン 帝國 (@maEmpire) 2018年11月27日 - 18:41
www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-…
— 優花里・良輝パパ@明智=小早川=淀藩(同じ一族だお)さん (@KeisarSan) 2018年11月26日 - 19:01
英雄たちの選択スペシャル「決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実」
映像の一部が公開されたぜ
大河ドラマにない鎮台兵と警視庁抜刀隊!
鎮台兵の制帽の形状をよく見てくださいな… twitter.com/i/web/status/1…
【マスキングテープ】12/29コミケ発行予定の「和泉守兼定」「近藤稽古着(どくろ)」のマステ入稿しました! 各15mm×10m・600円となります。 ※兼定Ver.は初版と仕様&価格が変わりました。※近藤稽古着どくろ柄は小島資料館… twitter.com/i/web/status/1…
— 麻城蓮@コミケ12/29(土):西ほ24a (@asagi37108) 2018年11月26日 - 21:21
昨日の補足。山崎村の戦いで伊庭八郎が率いたのは、凡そ150~160人(第三軍は予備なので除く)、これに対して小田原藩兵は正確な人数は判りませんが、恐らく800~100人くらいかと。五倍以上の相手の攻撃を、切り通しの地形を活かして防… twitter.com/i/web/status/1…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 11:05
繰り返しになりますが、しかし伊庭にとって不幸だったのは、五倍以上の小田原藩兵の攻撃を防いだと思ったら、同じく五倍近い約800人の鳥取・長州・津・岡山の四藩兵を、歴戦の河田左久馬が率いて攻撃を仕掛けてきたのですから、地の利を得ていたと言えども、伊庭に防ぐ事は出来ませんでした(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 11:09
余談ですが、河田率いる小田原藩、及び遊撃隊討伐の軍勢が派遣されたのは、上野戦争の勝利により新政府軍に戦力の余裕が出来たからです。上野戦争で彰義隊を殲滅した新政府軍は、これを期に江戸周辺の反新政府勢力を駆逐しようと考えます。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 11:12
そこで箱根の遊撃隊と、それに同調した小田原藩兵、そして飯能の振武軍の討伐を決定。この指揮官にそれまでの戦いと上野戦争で戦果を挙げた、河田左久馬(鳥取藩士、東山道軍内参謀)と渡辺清(大村藩士、東海道軍参謀添役)の両名を抜擢し河田を箱根に、渡辺を飯能に向かわせます。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 11:17
両名とも見事遊撃隊と振武軍を撃破し、これで新政府軍は江戸周辺を完全に掌握します。そこで新政府軍は江戸周辺の掌握で得た余剰兵力を、白河に増援を送る一方で、新たに一軍を編成して海路平潟へ向かわせます。そしてこの平潟軍の参謀には、先の戦いで戦果を挙げた河田と渡辺が抜擢されました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 11:22
河田と渡辺、そしてもう一人の参謀の木梨精一郎(長州)に率いられた平潟口軍は、6月16日に平潟に上陸、そのまま浜通りを北上し、白河で新政府軍(白河口軍)と対峙していた奥羽列藩同盟軍の側面を脅かす事になります。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 11:26
この平潟口軍の進出を知った、白河口軍参謀の板垣退助は、別働隊を率いて棚倉城を攻撃。その後も北上を続けて、7月27日には奥州街道本宮宿を占領して、これにより須賀川宿に健在だった同盟軍も、補給線と後方連絡線を断たれて瓦解します。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 11:31
その後、白河口軍と平潟軍の一部(渡辺指揮)は、母成峠を経て鶴ヶ城城下に突入し、遂に会津藩を降します。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 11:34
一方平潟口軍の残り(河田指揮)は更に浜通りを北上し、最終的には仙台藩を降しますが、その間に磐城で戦ったのが遊撃隊。こうして磐城の地で、伊庭と河田は再び激突する事になったのです…。
申し訳ありません。磐城で遊撃隊を率いていたのは人見だったかもしれないので、現在確認中ですm(_)m
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 12:08
訂正します。磐城で遊撃隊を率いていたのは人見でした。ですので磐城の地で河田と遊撃隊は再び激突しましたが、その時に遊撃隊を率いていたのは人見でした。謝罪訂正させて頂きます。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月25日 - 12:30
箱根町立郷土資料館へ向けて出発。帰りは箱根戦古戦場の周辺を回って、鳥取、長州、津、岡山、小田原の五藩兵を率いて遊撃隊と戦った、河田左久馬を偲んで帰りたいと思います。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 10:28
箱根町立郷土資料館に到着〜(・ω・)ノ pic.twitter.com/ApBeXopWvG
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 12:58
www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-…
— 優花里・良輝パパ@明智=小早川=淀藩(同じ一族だお)さん (@KeisarSan) 2018年11月24日 - 15:39
英雄たちの選択
写真や映像が出ないので、私がバラまこう
士官の被服
兵隊は写真の実物から採寸して再現
警視庁の警部服はフランスの型紙をベースに作成
レギンスは実物採寸でボタン配列も実… twitter.com/i/web/status/1…
シャープス銃の実包が沼だということに気づいた pic.twitter.com/wj9hCk6APY
— たまや 3日目西 た16a (@tamaya8901) 2018年11月24日 - 15:02
改めて、本日は箱根町立郷土資料館の、戊辰箱根戦争の企画展示を見てきました。ミニエー弾や四斤砲弾の展示もあったものの、全体的には古文書や古写真の展示がメインでした。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 18:37
戦場となった山崎村周辺は、現在は当時の地形が失われているので、当時… twitter.com/i/web/status/1…
また学芸員さんから色々教えて頂き、当時の山崎村には切り通しがあり、文献にも出て来る、遊撃隊が砲台を築いた高地というのは、この切り通しの上だろうとのご指摘は、ありがたかったです。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 18:42
郷土資料館を出た後、旧山崎村に寄りましたが、現在残る… twitter.com/i/web/status/1…
旧東海道から見て、右の高地がさっきの画像です。ただし、箱根新道の開通により、切り通しは崩されたとの事なので、実際にはさっきの画像のもっと左側に(この画像で言えば正面)、砲台は築かれたと思われます。 pic.twitter.com/tc3DqhgLtu
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 18:45
今回の展示を見て、実際に山崎の切り通しを見て思ったのは、遊撃隊を率いた伊庭の意図は、切り通しの上に砲を置く事により、隘路で新政府軍を防ぐ間に、後続を待つだったのではないかと。ただし、あくまで戦術的な目標、戦略的な目標は不明です(そもそも戦略目標があったかが怪しい)。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 18:51
この切り通しという隘路で、新政府軍先鋒の小田原藩兵の攻撃は防いだので、伊庭の意図は成功しつつありました。しかし、新政府軍を率いる河田左久馬が、小田原藩兵は駄目だと後退させて、鳥取・長州・津・岡山の四藩兵を投入した事により、山崎の切… twitter.com/i/web/status/1…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 18:55
戊辰箱根戦争と言うと、伊庭八郎が左手を負傷した三枚橋が有名ですが、実際の戦いで攻防戦の場となったのは、山崎村の切り通しの隘路で、三杯橋の時点では、湯本村に遊撃隊の陣地があったと言えども、実際には新政府軍の残敵掃討だったと思われます。 pic.twitter.com/KSXcTe8DRf
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 19:00
この山崎の切り通しの隘路を利用して、新政府軍を防ごうと伊庭が考えたのであれば、伊庭は単なる剣士ではないと思えた山崎訪問でした。ただ、惜しむらくは切り通しの隘路を守るには、大砲一門だけでは少なすぎましたね( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 19:08
四斤砲が三門もあれば、有効的な防戦が出来たと思いますが
また、伊庭が不運だったのは、相手の指揮官が甲州勝沼や野州、そして上野で戦った実戦経験の豊富な河田左久馬だった事。まずは降服したばかりの小田原藩兵を遊撃隊にぶつけて、その後に主力の四藩兵を小田原藩兵との戦いで疲弊した遊撃隊にぶつけたのは流石かと。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年11月24日 - 19:12