【春陽地区】sukuradanへ向かう入り口付近。
【霧社事件(wikipediaより引用)】
1930年10月7日、霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(村)の壮丁300人ほどが、まず霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃した。襲撃では日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。
【花岡山】写真中央のこんもりとした山です。
この山には、台湾がまだ日本に統治されていた時代、霧社の原住民出身でありながら日本人警察官として最期まで必死に生き抜いた二人の青年(花岡一郎・花岡二郎)の名前が命名されています。
彼らは、霧社事件が起きた時、日本国の警察官と言う立場であったため、’日本人’と’原住民’と言う葛藤に苦しみ、最期は仲間たちを連れてこの’スクレダンの中で集団自殺をしてしまいました。この責任感ある行動は当時の日本政府にも称賛されました。
以下は彼らが日本への義理立てを示す遺書を残したとされている文章です。
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花岡兩
我等は此の世を去らねばならぬ
蕃人のこうふんは出役が多い為にこんな事件になりました
我等も蕃人達に捕らはれどふする事も出来ません。
昭和五年拾月弐拾七日午前九時
蕃人は各方面に守つて居ますから 郡守以下職員全部公学校方面に死せり
— 花岡二郎
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花岡、責任上考フレバ考フル程コンナ事ヲセネバナラナイ全部此処二居ルノハ家族デス
— 花岡一郎
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場所は霧社から3キロほど進んだ春陽と言うの中です。
興味のある人は訪れて見ては如何でしょうか。
(注意:明るい内に行かれた方がいいでしょうね、自殺現場ですから.....)
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