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ゲストハウス・プリ / Guest House Puli

日月潭、廬山温泉、合歓山(登山)等へ向かう拠点になる町≪埔里≫で生活する日本人オーナーの個人日記。

第二霧社事件の末裔が住む『川中島部落』  

2016年07月31日 | 名所案内
【写真は、日本統治時代の川中島です。】

台湾が日本に統治されていた時代、埔里を起点に霧社方面とは全く方角が違う僻地に隔離状態にされたでした。


【第二霧社事件と川中島遷移 (一部 wikipedia より引用)】

霧社事件に関与したセデック族(大部分は投降)を収容していた強制収容所を、日本人側の原住民たちを使って襲撃した事件。
セデック族の捕虜216人が殺され、生存者は298人となった。襲撃側(日本側の原住民)は死者1名のみ。

1931年4月25日、蜂起に与した後に投降した霧社セデック族生存者をタウツア社(タウツア社は反乱側と対立しており、味方蕃として日本に協力した。)が襲撃した事件。これを第二霧社事件という。


1931年5月6日、最終的に生き残った人々は北港渓中流域の川中島(現在の清流)と呼ばれる地域に強制移住させられた。ここで生存者らは警察からの指導のもとに生活した。
川中島への移住者には当局からの援助があったものの、労働力の不足やマラリアに苦しめられ、移住から2年後には人口が3分の2まで減ったという。ただその後は持ち直した。

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『川中島』を訪れるために、私の宿の常連客になっている人もたくさんいます。








いつもお世話になっている黄さんの工房で。




この機織(はたおり)は黄さんのおばあさんから引き継いでいるそうです。もう100年以上前から使っているそうです。

黄さんの家のペット。



相変わらず言う事を聞きませんね。






昔はどうあれ、歴史は歴史でしかありません。今こので生活している人たちは、皆日本人が大好きな人ばかりです。
埔里の町から直行バスで一時間で行ける山の中にあるです。
私の友人も健在しているので、お時間が合えば是非訪れてもらいたい場所です。
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