怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

11月26日の後は4人で「しげ寿司」へ

2016-11-30 07:09:14 | テニス
4人でいつものようにテーブル席につくと大旦那がカレンダーをもってきて、全員に配ってくれました。

最近カレンダーをもらうことがないので有り難い。
でもこれは職場には飾れないかな。
大旦那はたくさん持ってきていつも来る人の分も持って行ってくれと言うのですが、12月にはまだ瑞穂公園テニスコートでのテニスを予定しているのでその時にということにしました。
それでは、まずはビールで乾杯。
とりあえずコハダをいただきましょう。

刺身ではやっぱりこの季節ブリでしょう。

脂がのっています。
焼き物ではお勧めのわかさぎを。
大将曰く水気があると焼くときにどうしても網に引っ付くので少し干してから焼くとうまく焼けるとのこと。

もうひとつ焼き物でカマスの干物を。これは大きい。

食べでがありますので4人で突きます。
ここらあたりで頼んだビールは飲んでしまったので、焼酎に転向。
前回の赤霧島が結構残っています。寒くなったのでお湯割りでいただきましょう。
ちょうどお酒が回った頃にしげすしへ電話がありはげ親父を呼び出し。どうやら施設の熊さんからで、どうしてここが分かったのか?
電話はOBさんの医療機関についてでした。何ならテニスが終わってここへ来て一緒に飲めばいいのに。
その頃最初に頼んでおいたぶりカマの焼いたものが出てきます。

森の熊さんは必ずカマがあるか聞いて頼むのです。
お勧めのメニューを見ると小さな大アサリの酒蒸しがあるのでお願いします。アサリの大きいものではなくて大アサリの小さいものの酒蒸しです。ここらあたりややこしいのですが、食べてみるとこれは食感が確かに大アサリ。いわゆるムラサキ貝ですね。

焼酎をグビグビ飲んで、もう1本おろします。

そうすると大将がサービスでタコとジャコの酢のものを出してくれました。

それならばちょっと贅沢ですが、焼きガキを。生ガキもあったのですが、依然志摩へ行った時に当たった記憶がありますので、ここはやっぱり焼いてもらいます。

焼酎は半分ほど残してここで〆に。
今回はバッテラにしました。

お茶をいただきお勘定を。
会計は12852円。

一人3千円で852円は基金から出しました。
お疲れ様でした。

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11月26日瑞穂公園テニスコート

2016-11-28 22:01:43 | テニス
いい天気です。
昼ぐらいから雲が出てきたのですが、降り出すのは夜遅くとかの予報なのでテニスには支障なし。
ということで13時40分には家を出て瑞穂公園テニスコートまで歩いていきます。
街はすっかり秋の気配で神宮東公園の木々もすっかり色づいています。

風もないのに木の葉がどんどん落ちているのですが、写真ではわからないか…
この日は6番コートで、コートに着くと既にはげ親父、1059さん、森の熊さんといました。
それでは早速乱打をやりましょう。
ちょっと遅れてヤッターマンが到着。さらにえみちゃんも登場。
乱打を入れ替わっていきます。
えみちゃんは静岡のミカンの差し入れをしてくれました。

早速いただきましたが、甘~い!もう少しすっぱくてもいいくらい甘くておいしい。ゴチになりました。
みんな乱打が終わった頃にヨイショが登場。
そういう時は優しい森の熊さんが乱打に付き合ってくれます。
まあ、こちとらはビールを飲みながら休憩ですけどね。
休憩したらじゃんけんして試合に。
最初の試合はえみちゃんと組んでヤッターマン、はげ親父組と対戦。結果としてこの試合はいいところが無しで軽く0:4で完敗。それぞれのゲームではそれなりに粘ったんですが、サスティナビリティが足りないということでしょうか…
季節なのでビールにはちょっと涼しいのですが、それでも運動した後には負けても飲むしかない。
気温は15度でしたが、少し風が出てきたのか座っていると寒い…

次の試合は森の熊さんと組んでヨイショ、1059組と対戦。相変わらず森の熊さんとヨイショは人のスキを突く球を打ち込んでくるという性格の悪さが満開でしたが、最近は森の熊さんの体調がいいみたいで、そのせいか最後はおしきって3:1で勝利。
次はじゃんけんの順番で2試合連続だったのですが、ヨイショと組んで森の熊さん、えみちゃん組と対戦。ここは膝の具合にイマイチ不安が残るのでしょうが、体が温まってきたのか動きを取り戻したヨイショの活躍があって3:1で粘り勝ち。
でもヨイショは大事を取って早めにバスで帰るというのでこの試合が最後です。
最後の試合ははげ親父と組んでヤッターマン、えみちゃん組と対戦。どうも最後にはげ親父と組んでいい結果が出たことがないと思うのですが、ここは謙虚に1ゲーム取れたらと試合に挑みます。結果は何とか1ゲームは取ってノルマ達成ですが、そこまでの1:3の負け。
10分前でしたが、コート整備をして終了にします。
えみちゃんと1059さんはこの日はここで帰るというので、3人でいつものしげすしへ行くことに。
ところで着替えをしようとクラブハウスに戻ると施設の熊さんに遭遇。どうやら16時30分からのテニスのようです。ちょうどいいとばかりにはげ親父がOBさんがどこにかかればいいかと相談します。やたらと検査を受けて絶えず結果を気にしているOBさんを見かねての相談です。今日もOBさんは欠席しているのですが、激しい運動は控えるようにとか言われているとか。はげ親父曰く、OBさんのいつものテニスは激しい運動というほどでもないんじゃないの。
まあ、それはそれとして早くしげすしへ行きましょう。
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「格差大国アメリカを追う日本のゆくえ」中原圭介

2016-11-26 07:54:17 | 

題名だけで何を言わんか分ってしまいそうですが、本の紹介はいつも長たらっしくグダグダ書いてあってスルーするという声を聞くのでごく簡単に。

国家の盛衰を左右するのは礎を担う中間層が意識をもって社会を支えているかによるということを、ギリシャ、ローマ、中国(唐)の歴史を俯瞰することで論証している。
翻ってアメリカはどうかというと空前の株高好況の下、上位5%とそれ以外の格差はどんどん拡大してしまい中間層は没落してきている。このような格差拡大に対して行き過ぎた資本主義批判として「ウオール街を占拠せよ」などの運動が起こってきた。
そして大統領選挙におけるサンダース現象とついにはトランプの勝利!次の文章はこの本の最後に書いてあるところですが、非常に今の状況の暗喩となっています。でもそれがアメリカの民主主義の健全さの証と言えるのか…
「現在のアメリカでは、もともと弱者よりであったはずの民主党ですら、大企業とその株主である富裕層に近づいており、そうした行動への失望がオバマ大統領や民主党の支持率を引き下げています。
その結果として、共和党優勢の政治状況が続いていますが、長い目で見れば、アメリカの政治家がヒスパニック系などの品構想やその予備軍からの支持を必要とすることは明らかでしょう。
1930年代の世界恐慌をきっかけに、フランクリン・ルーズベルト大統領の政策にケインズ経済学が取り入れられ、それが1960年代まで続いたように、アメリカの民主主義が健全である限り、現在の富裕層偏重の政策や社会システムはやがて変更を余儀なくされるでしょう。」
あえて言えば世界恐慌に際してドイツでは世界一民主的なワイマール憲法の下ヒットラーが台頭してきたのですが、トランプはどうなんでしょうか。
格差を拡大して中間層を没落させたアメリカこそ「失われた40年」であり、日本の「失われた20年」は経済成長率を犠牲にして、雇用と社会の安定を守ったのであり、失われたのではないというのは小気味の良い啖呵です。2015年4月出版ですが、トランプ現象を考えるにもその底流にあるものをあぶりだしているようで示唆に富んでいます。
簡単に結論のさわりだけを紹介しましたが、詳しくは本を読んでください。250ページほどで図表も適当に入っていて読みやすい文章です。アベノミクスのいかがわしさを感じている人は一読をお勧めします。
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11月19日木が崎公園テニスコート

2016-11-23 07:48:24 | テニス
先週は予約が取れなくてお休みだったので2週間ぶりのテニスです。
天気は晴れて風もなく、テニス日和
8時20分に家を出てそくそく歩いて金山へ。
8時41分の列車に乗って大曾根へ。ここからさらに木が崎公園まで歩きます。
テニスコートに着くとタケちゃんマンの車が停まっている。今日はタケちゃんマンは飲みに行かないか。実は私も野暮用で早めに家に帰らないといけないので飲めないんですけどね。
コートではヤッターマン、はげ親父、森の熊さん、タケちゃんマンが乱打をやっています。
準備運動をしつつ待っていると4人ともあがりに。それでは相手がいないのですが…みんなもう結構やっていて、早くもビールモードみたいです。
見かねて一番遅くに来たタケちゃんマンが乱打に付き合ってくれました。
ひと汗かいたら休憩。
暖かいので半そで短パンで十分でした。気温を見ると21度。

ちょっと湿度が高いかな。
ヨイショとえみちゃんは欠席のメールがありましたし、OBさんは庭師が来るので欠席とか。石川橋の豪邸は維持管理が大変みたいです。
ということでちょっと寂しいけどこの日は5人です。
一休みしたらじゃんけんして試合に。
最初はヤッターマンと組んで森の熊さん、タケちゃんマン組と対戦。これは一進一退の展開で2:2の引き分けに。まあ最初はこんなもんでしょう。
次の試合は森の熊さんと組んでヤッターマン、はげ親父組と対戦。この試合も一進一退だったんですが、最後のゲームを粘れずに落としてしまい、結局1:3の負け。肝心な時にミスをするのは実力不足なんでしょうね。
この後ははげ親父と組んでタケちゃんマン、ヤッターマン組と対戦。この試合は最初のゲームがデュースの連続の長い試合だったんですが、最後はいつものようにミスを重ねて落としてしまうと、その勢い?で4ゲームとも落とすという0:4の完敗。なんだかな~
ここで家の所用でタケちゃんマンは帰ることに。どうも娘さんが結婚したばかりでいろいろ忙しいみたいです。
ここで4人になってしまったのですが、今度ははげ親父と組んで森の熊さん、ヤッターマン組と対戦。強力コンビに対することになってまずは1ゲームを取ろうとしたんですが、結局は実力通りの0:4の完敗。予想通りとはいえ、ぐやじ~い
このままではいけないともう一度同じメンバーで試合に。
気持ちは1ゲーム取るまでやるぞと挑んだのですが、最初のゲームをあっさりと奪取。目標を簡単に達成したのでこの勢いでもう一ゲーム…とは簡単には行かず2ゲームは連続落としてしまう。しかし、ここで最後のゲームで踏ん張ってというか向こうが勝手にミスしてくれて勝利。2:2の引き分けに持ち込むことが出来ました。
この時点で11時になったので私も所用で帰らなくては。3人になるのでみんなも帰ることにして終了。隣のコートの人たちが8人いたので、帰るのでコートを使いますかと聞くと使うということなのでコート整備をお願いして帰りました。
いつものように大曾根まで歩いて3人はこれまたいつものように嘉文へ行きました。12時前なのでまだ空いているでしょう。
金山へ着くと何やら南口でイベントをやっていたのですが、スルーして早く家に帰らなくては…

テニスに行って終ってからビールを飲まないとなんだか物足りないような日となりました。

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さわかみファンド感謝会に参加しました。

2016-11-21 23:05:05 | Weblog
もういつのころに何を考えてさわかみファンドの積み立てをしたのかよく覚えていないのですが、さわかみファンドから出資者への感謝会があるというので参加してきました。

15分前に会場に着いて席に座ると社員の方が近づいてきて話しかけてくる。時間があるのでしばらく話し相手をしてくれるみたい。
聞くとこの感謝会は2005年にさわかみファンドを購入し今まで持ち続けている人が対象とか。この日は100人ほどが参加予定です。
そうか2005年というと局の某課長だった時。確か東京の研修で今井澄さんの講演があって株式投資に興味を持ち毎月3万円を積み立てるようになったんだ。依頼100月、原資として300万円になった時に一応積み立てを中止してそのままにしてあったんだった。
途中リーマンショックがあって元本割れになった時もあったのですが、損切りをする勇気もなくだらだらと積み立てていったものです。当時は今と違って50万円以上の解約には信託留保財産があったこともありましたからね。
ちなみに今では300万円が450万円以上になっています。でも逆トランプショックで今は調子いいからなんですけど、どうなることやら。
会では最初に澤上龍社長のあいさつがありましたが、創業者のお父さんは来ていないみたい。ちょっと残念。

でも雰囲気はよく似ています。
会では今までの歩みと今後の運用方針の説明がありました。まあ、宣伝ですけど。
後半は軽食、アルコール付きの交流会。でも時間が2時からでお昼は結構がっちり食べてきたのでお腹は空いてなくて、テーブルでビールを飲みながら運用部長さんとお話ししていました。運用部長さんは以前は証券会社勤務ということでお話を聞くと、証券会社は東証なりと直結の回線があるので個人ではどうやってもデイトレードでは会社に勝てないとか。個人は決算期がないので時間にとらわれず将来的に伸びそうな会社を選ぶ長期投資しかないでしょうと。
ちなみに飲み物はビールにウイスキーに焼酎、お酒と豊富にありましたが、食べ物はおつまみ程度に巻き寿司とサンドウィッチぐらい。ビールを飲んだ後ホワイトホースのハイボールを頼んだら作る人が社員の素人だったため極濃いものとなっていい気持ちになってしまいました。
運用部長さん相手にいろいろ話したんですが、さすが証券屋出身で口八丁でああ言えばこう言うでした。
1時間ほどの交流会で帰りに小雑誌をいただきお開き。

さわかみファンドの理念と運用方針には賛同しますが、信託報酬をもう少し安くしてくれるといいんですけど。
でも10年持っていた人にこうやって感謝会をやってくれるのはさわかみファンドくらいかな。
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広島2日目最後

2016-11-19 09:04:01 | Weblog
広島へ戻ってくると既に暗くなっている。
帰りの新幹線は20時30分過ぎなのでまだまだ時間はある。
私はそういう類はほとんど興味ないのですが、一応土産を選んで夕食を食べればちょうどいい時間になるか。
土産は駅で選ぶとして、夕飯はどこへ行くか…
ここからまた市電に乗ってアーケード街まで行くのはさすがにもういいかとなるので、これまた駅前で済ませることに。
あれこれ迷ったのですが、駅ビルの飲食店街の一番端の「魚喜」にしました。
ここは入って見まわして思ったのですが、以前は回転すしだったのではないかというような作りです。
とにかく注文を。
ほろ酔い晩酌セットというのがあって突き出しに刺身かすしというので、ひとまずこれにします。
店内は土曜日の夕方というのに他にお客はほとんどいなくて大丈夫かと心配になるのですが、対応した店員さんは大学生のアルバイトなんでしょうが非常に愛想がいいのでまあいいか。
思えば松江で入った店の店員の対応は最低でした。
旅先でふらりと入った店で愛想がいい対応されるとうれしいものです。
生ビールを飲んでいるうちに突き出しが出てくる。

タイのあら煮と枝豆とイワシの南蛮ですか。そこそこ美味しい。
刺身はいろいろある中で2種類選べて、リストには400円と500円のものがあるのですが、どちらからでもいいと言うので当然500円のほうから選びます。

ヒラメとたいとシマアジとカンパチですがわかるでしょうか。
刺身が出てきたので日本酒の冷にします。
折角広島に来たのでカキフライを。一緒に揚げ出し豆腐もお願いします。

日本酒も飲んでしまったら麦焼酎のお湯割りに。
〆は鮨を適当に選んだのですが、1貫づつ頼めるのでみんな違うものと6種類を6貫とネギトロ巻きと鉄火巻きのはず。でも何を頼んだかは記憶のかなたに飛んでしまいました。
みそ汁は赤みそだったのですが、赤だしとは違う。

何みそと店員さんに聞いたのですが、アルバイトの若い子では当然分からず、厨房からわざわざ料理人が出てきてこれを使ってますとラベルを見せてもらいましたが、麦みそと米みそのミックスでした。全く面倒くさい客です。
会計は二人で6千円ちょっとでした。
まだまだ時間があるので土産を物色して、私は獺祭の大吟醸を2本買いました。これは磨き五分なので1本1620円。これなら2本買っても大丈夫ですけど重い。

さすが地元だけあって獺祭も各種普通に新幹線の土産物売り場に並んでいます。本当はマッサンの実家の竹鶴も買いたかったのですが、これは並んでいなかった。残念。
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広島2日目は岩国・宮島へ(続き)

2016-11-17 21:11:05 | Weblog
やっと宮島口の駅について船に乗るため埠頭へ。歩いても5分とかかりません。
でも駅から埠頭までは人、人、人。どうなることやらでしたが、JR西日本と宮島何とか海運と2系統あってピストン輸送しているのでほどなく乗船できました。JRの船に乗ったのですが、航路の関係でこちらの船は鳥居を正面に見つつ進んでいきます。ちょうど干潮で鳥居の下まで干上がっていて人が一杯でした。
船から降りても人、人、人。
厳島神社へ行く道は原宿の竹下通りもかくあらんという感じ。日本人の団体客とか外国人の団体客が小旗を持つ添乗員の後をぞろぞろ歩いていて歩きにくいこと。
そんな人ごみの中ですが鹿が歩いています。ここの鹿は奈良と違って人に媚を売るところもなく、鹿煎餅も売っていないからか餌を催促することもない。
もっとも紅葉谷公園で休んでいたらオスの古手が近寄ってきていきなり腕に頭を擦り付けてきてびっくりしましたが、なんということもなくそのまま立ち去っていきました。

単に頭がかゆかっただけ?
時刻は1時を過ぎていて、お腹も空いてきたので、ここに来た以上あなごでしょう。
店により2500円から1000円ちょっとまであって、どこがいいやら、まあ、アナゴの量によるんでしょうけど。どこの店でも行列が出来ていて悩ましかったのですが、あまり混んでいなくて安い店で、まあ、いいか。
待っている人が一人だっただけの店に入ってほどなく食べることが出来ました。

アナゴ定食1400円で美味しかったのですが、情緒は望むべきもなかったです。
商店街を抜けて、やっと鳥居が見えるところに。
それではせっかくなので鳥居の下まで歩いていきましょう。地面は濡れていますが、足がとられることもない。

すぐ下で見ると地面に埋め込まれている訳でないことが分かります。
鳥居の樹が天然木でできていてまっすぐでなくて微妙に曲がっています。

ここから厳島神社に参拝。
人に押されるようにしての参拝で粛然とした雰囲気は皆無。

欲を言えば満潮で海に浮かぶ社殿となればよかったんですが、干潮で地面が見えています。しかも地面にはしおれた海藻がへばりついていて雰囲気はないんだよね。

ここから紅葉谷公園を抜けて弥山のロープウエイに。
実は過日「ブラタモリ」で宮島をやっていて、高いところが苦手のタモリを無理やりロープウエイに乗せて山道を頂上まで連れて行っているんですけど弥山の頂上は結構見どころ満載。

これはロープウエイに乗るしかないだろうなんですけど、厳島神社があれだけ混んでいるとロープウエイは超満員かも。下から見た限りでは紅葉にはまだ少し早いのですが土曜日のいい天気なのでみんな来るよね。
悪い予感はズバリ当たって乗り場に着くと大混雑で整理券を配っていて45分待ちとか。さらに上にあがってもただいま下りは30分待ちと言うアナウンス。

頂上への山道も結構狭くてこれだけの人がいると登るも下るも進退窮まり身動き取れないかも。
ということで今回は弥山は断念。
またの機会ということで今度はシーズンオフの平日に挑戦したいと思います。
仕方ないからここから埠頭まで下りていくんですが、今度は人込みを避けて大回りで下りていきます。
途中で五重塔のところを抜けて行って、

人込みを避けて一本山側の道の町屋通りでアンティークなこじゃれた喫茶店で一休み。
帰りの船はJRではない方へ乗りました。さらに続きます。


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広島2日目は岩国・宮島へ

2016-11-15 21:32:02 | Weblog
朝起きてホテルの窓から見るとちょうど広島城が正面に。

手前に見える丸い建物は広島美術館です。ここは一度行ったことがりありますが、広島銀行のコレクションを主体にした展示だったと思いますが、ゴッホとか結構有名な絵画があり一見の価値があります。今回は行きませんでしたけどね。
左手奥は広島市民球場跡で今は更地です。右手側は広島市民病院、まあどちらも観光地ではないでし、知る必要もない情報か。

やっぱり天守は水をたたえたお堀に囲まれていると映えますね。
朝食は前日コンビニで買ってきたパンとヨーグルトにジュースとコーヒーを部屋で食べて、しばらくはだらだらと過ごす。9時過ぎにホテルをチェックアウトして毎度ながら路面電車で広島駅へ。
広島駅から新幹線で岩国へ。1駅で15分ちょっとなんですけど新岩国に停まるこだまは1時間に2本?ちょうど行った後だったのか30分待つ結果になりました。ちゃんと調べてからホテルを出ればよかった…待っている間、新幹線の待合で見ていると日本人、外国人問わず団体の観光客がどんどん下りてくる。ここからバスでそれぞれの観光地へ行くのでしょうが、おかげでトイレはすごい行列になっていました。
錦帯橋までは新岩国の駅からバスなのですが、こだまに連絡しているのでしょう、バス停で5分も待つうちにバスが来ます。
それにしても新岩国の駅前はここが新幹線の駅かというように何もない。岐阜羽島といい勝負か…観光地が控えているので確か乗降客の数では羽島より上だったはずですけど…
バスに乗ること15分ちょっと、山道を抜けて川沿いを走るといきなり錦帯橋が見えてきます。

早速錦帯橋を渡ります。橋を渡るのに300円要ります。
橋の上から見ると魚の泳ぐところが見えたりしてきれいな水です。和船が周遊していたりしてのどかですけど船はそこらあたりをぐるぐるしているだけで面白味はないかな。乗りたいほどでもないですね。弁当を食べながら地酒を飲む会もあるそうです。地酒と言っても獺祭とか七賢とかの超有名銘柄ですけど。

岩国の見どころは錦帯橋を中心にした狭い範囲。橋を渡って城下の武家屋敷などを見てからお城へ行くぐらい。
でも岩国城は山の上なのでロープウエイに乗ってから少し歩いていきます。

ロープウエイの待ち時間はなかったのですが、これから宮島へ行って弥山のロープウエイにも乗りたいし、今回はまあいいか。
橋の近くのお店で100種類のソフトクリームとかを売っていたので、王道のバニラを食べて一休み。どうもここらはレンコンが名物のようで同じ店で売っているのですが、そんなもんをお土産で買うか?
ちょうど岩国駅直行のバスが12時過ぎに出るので、岩国はこれにて終了。今度は在来線の岩国駅に出て山陽線で宮島口に。
岩国には米軍基地があるせいか、列車には結構アメリカ兵らしき人が多い。これから広島にでも遊びに行くのでしょうか。
宮島へ続きます。



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広島・呉・岩国・宮島旅行1日目は呉・広島

2016-11-13 17:01:00 | Weblog
金曜日・土曜日と広島へ行って行きました。
天気は運よく2日とも高気圧に覆われて晴れ
金曜日はゆっくりと11時30分名古屋発ののぞみ。
お昼は名古屋駅で買ったひつまぶし巻き。

ちゃんとちゃんとウナギも入っていて美味しい。
広島へ着くとすぐに呉線の快速に乗り換えて呉へ15時過ぎには着きました。
そこから大和ミュージアムに行こうとするのですが、駅は山側が玄関。駅前に出てぐるっと回りこんだのですが、ちゃんと駅から回り込むように連絡通路が出来ていました。

でもちょっと分かりにくいというか、上を見ないと見逃してしまいます。
大和ミュージアムは売り物の戦艦大和の巨大模型がやっぱり迫力あります。

明治の初めまでは呉はさびれた漁村だったのですが、海軍工廠が出来てからは開発が進み人口もどんどん増えます。日本海軍の名だたる軍艦はほとんどここ呉で造船されていました。結果、戦前は人口40万人だったとか。
当然ながら徹底的な空襲を受けたのですが、復興した現在も造船の街です。
窓から見える港の風景にも巨大なクレーンが見えています。

軍艦の模型だけでなくゼロ戦も展示してありましたが、これは琵琶湖の底に沈んでいたものを復元したものとか。当時世界最高水準の戦闘機だったのですが、間近で見ると頼りないほどちゃっちい。なんかペラペラの機体の感じです。

運動性能を確保するために余分な部品を極力削ってしまい、そのためパイロットを守るべき防御は無視されていた。厳しい訓練によって養成されたパイロットの安全を犠牲にする設計思想には、人材と熟練を軽視する日本軍の体質がうかがえます。

戦艦大和はその力を存分に発揮したことはなく、時代遅れの最新鋭艦として活躍する場所がないまま最後は海軍のメンツで特攻攻撃を挙行して沈没。同じく展示されている回天とかを見るにつけ、本当に効果を測定して作戦を立てていたのだろうか、愚行の博覧会です。
1時間ちょっと見てから隣の海上自衛隊呉史料館「海のクジラ館」へ。

ここは海上自衛隊のいわば宣伝なので入場無料。
退役した嘱託のような自衛官の方が親切に説明してくれます。
潜水艦の中にも入れるのですが、想像通り居室とか狭いですね。閉所恐怖症の人は絶対に潜水艦乗りにはなれません。
艦長室でも本当に狭い。

操舵室は計器が一杯並んでいて何が何やら。外を見ながら操縦という訳ではないのでよくどこを進んでいるのかわかるものです。

まあ、仮に外が見えても視界は悪いのでほとんど役に立たないでしょうけど。
結構意外だったのは食事の種類も多くてそれなりに豪華だったということ。

係りの人にいいもの食べていますね、料理する人は大変ではと聞いたら、食べることしか楽しみはないし、料理人はプロですからという答えでした。う~ん、さすが。
水兵服を試着できるコーナーもあり、これも無料。お土産は艦内で出るカレーがたくさん並んでいました。これはそこそこの値段でしたけどね。
呉から広島へ帰るのですが帰りは快速がなくて各駅停車なので45分ほどかかりました。
広島駅前からは路面電車で紙屋町へ。市内は一律160円なのですが、信号のたびに停まり駅間も短いので、これだと自転車のほうが早いのでは。
ホテルで荷物を置いてまだ夕食までには時間があるので暗くなったのですが平和公園まで行っていきました。


アーケード街をぶらぶら散策してからホテルに帰って、この日は33階のレストランで食事。
オードブル盛り合わせはどれも美味しい。

さすがホテル。量は少ないのですが、洗練された味です。
サラダにはサンマが入っていたのですが、全く臭みはなく美味しい。

スパークリングワインに白、赤ワインを飲んでいい気分になってきます。
それにしても周りのテーブルを見ると女子会が多いこと。
最後は牛ヒレカツサンドなのですが、肉が柔らかくてさすが。

たまにはこういうのもいいか、でも1年に1回で十分かなという夕食でした。


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古代史の謎は「海路」で解ける」長野正孝

2016-11-11 08:58:56 | 
邪馬台国から倭の五王、そして継体天皇ぐらいまでの古代史については百花繚乱というか諸説さまざまあって何が正しいかよくわからないまま、古代史の学者、考古学者だけでなくいろいろな人が自分の地形とか植物とかの専門分野から推論を出してしています。
長野正孝さんも専門学者ではなく元国土交通省の港湾技術研究所の部長さんですが、船と航路からアプローチしている視点は新鮮です。
日本と朝鮮半島は古代から頻繁な往来があったのですが、その時にはどんな船を使いどんな航路で行っていたのでしょうか。
邪馬台国の頃は日本にあったのは小さな刳り船で、動力は基本は人力で漕ぐ。となると見える範囲の島伝いに行くしかなく、人間が漕げる範囲は距離にして2~30キロがやっと。その範囲で水と食料と体力を補給できる港が整備されていないといけない。簡単な帆はあったにしても風待ち、天気待ちで気候のいい時を選んで行くしかない。
そう考えると、日本国内の水運は日本海側が中心となる。冬は天候が悪くてとても駄目でも夏は穏やかで海岸沿いに2~30キロ行けば休める港がある。今でも地名に津とか泊とかいう地名が散見されている。
日本海側と比べると瀬戸内海は潮流が速くて瀬戸と名のつくところが多い。昔は今のような広島や岡山に平野はなく港となるような場所はなかったので手漕ぎでは航行が不可能だったはず。
となると神武天皇の東征は不可能だった…
瀬戸内海が航路して整備されるのは雄略天皇が啓開(初めて聞きましたが障害物を取り除く港を作り補給できるようにして航路として整備すること)してからとか。
どうやら著者のイメージでは最初は九州倭国が朝鮮、中国と交流していて、そこから日本海沿いに伝わり、5世紀には敦賀を中心にした敦賀・湖北王国に応神帝が君臨していた。
雄略帝になると瀬戸内海を九州からと難波からと両面から徐々に制覇していった。
継体帝の時に近畿水回廊を整備して瀬戸内と結びついて、ここで大和王朝と結びついたということ。ここまでは歴代天皇は大和とは無縁ということとなり、こうなると日本の天皇の起源は継体帝となるのか。
船の構造の変遷から航路の整備の状況まで技術的に俯瞰してあって、その面では非常に斬新な議論になっています。
ただ、考古学知見とうまく整合するのか、文献的にはどうなのか、異論も多いだろうし、一つの見方としか言えないのでしょうが、考えを広めるためには一読の価値ありです。
話が前後して整理されていないと思うところもあり、これぐらいは常識と思っているのでしょうが、歴代の天皇が記してある年表とか、地名がわかるようにもう少し古代の地図とかを大きく載せていただくとよりわかりやすくなったのではないでしょうか。学術書ではなくて新書で一般向けに書いたのでしょうからね。
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