怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

デービット・アトキンソン「給料の上げ方」

2023-06-29 10:07:59 | 
失われた30年の間日本人の給料はほとんど上がっていない。
アベノミクスなどと浮かれている間に、日本の平均賃金では散々悪口を言っていた韓国の後塵を帰すまでになっている。
これから日本は人口減と高齢化がどんどん進んでいくと言うのに、このまま給料が上がらなければお先真っ暗。
人口減と高齢化が日本経済にどういうひどい影響を及ぼすかについて、アトキンソンさんは数字をあげて表をふんだんに使いながら門外漢にも分かりやすく解説している。

文字も大きく(最近はこのことが読書するに際して重要になった歳になりました)文章も読みやすい。しかし、ポイントポイントには文字がマーカーで書くように色が塗ってあるのですが、自分でマーカーを引くのは理解を深めるための確認作業として成り立つのですが、あらかじめ引いてあるのは便利なんですけどなんだかバカにされているようです。
図表も非常に効果的にまとめられているのですが、統計は加工の仕方によって自分の都合のいい形にもできるので、ちょっと本当かなと思ったら原資料を当たるのも必要なのでしょうけど、研究者でもないのでここは加工された図表を信じておきます。
最初に今の日本経済の立ち位置を分析していますけど、日本の平均賃金は1990年代からほとんど上がっていなくてその賃金水準は低く(oecd加盟国38カ国中24位)、労働生産性は世界36位。賃金が上がらないのに国民負担率は上がり続けている。それは高齢化が進む中で社会保険負担が増え続けているから。つまり日本人の手取り収入は減り続けていると言うこと。高齢者の数は1990年代から30年の間に2000万にいい以上増えています。一方それを支えるはずの生産年齢人口は同時期に1300万人減っています。そしてこれからも高齢者の数は減らず、生産年齢人口は減り続けていきます。
このまま給料が増えない状況が続けば現役世代の負担は増え続けざるを得ず、給料の手取りは減る一方になる。
少子高齢化で人口が減少する悪影響を6つ述べていますが、
1;消費者が減る(供給しても消費者がいない)
2;高齢化によって低所得・低消費者が増える
3;高齢化によて需給ミスマッチが生じる
4;経済の中枢が減りエネルギーが低下する
5;投資が出来なくなる(社会保障費が増え続け経済成長を促進する投資が抑制される)
6;インフラ維持の負担が増大する(一人当たりにかかるインフラの固定費は増大する)
と言うことで、少子高齢化の進展による人口減によって社会保障費の負担が増え、固定費負担も増える一方納税者は減り、手取り収入は激減する、という見たくない未来があぶり出されてしまいます。
この頃岸田政権によって異次元の少子化対策が唱えられ始めましたが、少子化対策が人口減に対して効果を出すのは、仮にすぐに少子化を止めたとしても出生児が出産可能年齢に達する20年後以降のこと。少子化対策は是非とも効果を上げてほしいのですが、人口減が進むこれからの30年をいかに凌いでいくか、あまり明るい展望が抱けません。
そんな状況でアトキンソンさんの処方箋は、人口減は所与としても日本の給料を大きく上げていけば、社会保障費を負担できると言うもの。
ただしアトキンソンさん自身が旧態依然とした仕組みやルールを見直すよう政府にいろいろな提言をし、政府もそれなりに取り組んできているのですが、ステークホルダーが多く最低賃金一つでも抵抗が激しくなかなか進まない。法人税の減税とか投資ン対する補助あるいは減税を行っても、企業は内部留保をため込むばかりで投資とか給与には回ってこない。
ある種のあきらめとともに、日本という国は政府が民間企業を動かす力はかなり弱いと言う結論に達しています。
政府が頼りにならないと言うのならばどうすればいいのか。現状維持では給料が上がらず、生活は今より苦しくなる。
ひとりひとりが自分で考えなくてはいけないのですが、その選択肢は4つ
1;海外移住する
2;給料交渉する
3;転職する
4;起業する
まあ、海外移住できる人は少数派でしょうけど、給料交渉についてはかつての労働組合の力はないのが残念。ふた昔前のマルクス経済学全盛のころは総資本と対峙せよ叫ばれていたのですが、いまや経営者側の人から給与をあげよと言われています。日本経済の成長のためには個別企業の利益確保の行動は総資本としては消費を抑え込むので阻害要因になる。今まで賃金をあげずに内部留保だけため込んできた企業経営者ですが、これから生産年齢人口が減っていく中では、賃上げできないような経営者は見限られて当然。忠誠心などは捨てて給料を上げられないような会社は何時転職してもおかしくなきように思わせないといけない。
第4章では見限るべき社長、ついて行くべき社長についても具体的に述べていますが、それなりに忠誠心を持って一所懸命の精神でしのぎ難きをしのんできた昭和生まれとしては、中々思考が及ばないのですが、起業するような勇気もなく企業横断的な熟練・技術を持たなかったと言われればそれまで。2~3度は真剣に退職しようかと思ったことがあるのですが、やめても展望が開けないので我慢したあのですが、当時は途中退職した人への視線は冷たかったですね。
第4章以降はまだまだ春秋に富む現役世代の人がじっくり読むところです。国民経済的には広い意味での扶養親族になっている身なので、現役世代の人にはしっかり給料を上げて頂いて日本を活性化してほしいものです。
最後に補論として「俗流評論家に騙されるな」を書いてありますが、誰のことを言っているのか考えながら読むのも一興でした。

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6月25日熱田神宮公園テニスコート

2023-06-27 11:52:52 | テニス
梅雨の晴れ間ですが、最高気温は30度を超える予想で晴れているのですが、梅雨時ですので薄いけど雲はやっぱり多い。
まあ、これでガンガンに晴れわたっていると気温も上がり暑さで体がもたなかったでしょうけど。

12時30分に家を出て45分には管理事務所に着いて受付。
コートの前でストレッチしつつ待っていると1059さんと1059さんにラケットを譲ってもらった飲めない飲むが登場。そのうちにタケちゃんマンとちょっと見小野ヤスシさんも来ました。
そうこうしているとはげ親父も来てこの日は6人
最初にボレーとストロークに分かれて乱打を一回り。
一休みしたらじゃんけんして早速試合です。
まずは1059さんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、タケちゃんマン組と対戦。相変わらずクレーコートはイレギュラーが多くて苦労しますが、それも味方につけて4:0で完勝。最初はビールを飲んでいないしね。
試合の合間には早速ビールが出て来てのどを潤します。

この日は500缶1本に350缶2本でした。
次の試合も1059さんと組んではげ親父、飲めない飲む組と対戦。10年以上のブランクの飲めない飲むですが口だけは全開。いろいろ言われるとこちらも釣られてしまいチャンスボールをミスの連続。最初2ゲーム連取したのですが、後半2ゲームは自滅という状態で落として2:2の引き分け。心を惑わされないように平常心を保たないと。
休憩している時にいろいろ駄弁るのですが、飲めない飲むは引っ越していてタケちゃんマンの家のご近所と言うことが判明。車で来ている飲めない飲むが帰りは送っていくと申し出るのですが、どうも過去の古傷をいろいろ言われるのが嫌みたいで地下鉄で帰るとかたくなに断っていました。帰りの車中でずっと飲めない飲むのとっ散らかった話を聞かされるのはたまらないと思ったのでしょうか。まあ、古傷が多いからね。
休憩時間が長くてこの日最後の試合ははげ親父と組んでちょっと見小野ヤスシさん、飲めない飲む組と対戦。飲めない飲むは10年ぶりとは言えたまにうまく当たると鋭い球が来る。でもラリーを続けると途中でアッパースイングでオーバーしてしまう。と言うことは苛立たずに決めようとせず粘り強くラリーを続ければいい。ゲームはそこそこ伯仲しましたが結果は4:0で勝利。苛立たずに辛抱辛抱でした。
まあ、飲めない飲むは今日のところは無理をして怪我をしないようにだけすればいいので、これから頑張ってください。その昔何年振りかで来た人が上手かったころの自分を思いだしてきて調子がよくなったので思わず無理したのかアキレス腱を切ってしまいそのまま救急車で入院したことがありました。自分が調子いいと思った時こそ気を付けないといけないのですが、これは私も自戒しておきます。
コート整備をして終わってから、この日は15時終了なので飲みに行く時間でもなくまっすぐ帰宅しました。飲めない飲むはちょっと見小野ヤスシさんを誘ってコーヒーを飲みに行ったみたいですが、ビールを飲んでいた身としては今更コーヒーは遠慮しておきます。
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日本空調サービス株主総会

2023-06-24 18:22:56 | Weblog
株主総会の季節です。
コロナ禍前は、総会に出席すると記念品が出たり飲み物サービスがあったりで、社長の顔を実際に見て人となりを判断することが出来るので、都合がつけば行っていました。
日本空調サービスの株主総会では総会後に株主との懇親会と称して飲食サービスまであったので、喜んでいったのですが、総会よりも飲食サービス目当ての人が多数参加してあっという間に食べ物がなくなり阿鼻叫喚の取り合いとなりちょっと懲りた記憶でした。でもコロナ禍もあってそういう類のものはなくなり、株主総会も土産飲食の提供はありませんとなりました。
こうなると面白くもない株主総会へ行くモーチベーションが急速に下がってしまうのですが、暇人だし、社長さんがどういう人かが分かるので日本空調サービスの株主総会へ今年は行ってきました。

会場はヒルトンホテルで10時開会です。
ヒルトンホテルに行くのは久しぶりで、あまり普段のTシャツ短パン、スニーカーではいけないだろうと30度超えの予報だったのでジャケットまでは来ませんでしたが一応ちゃんとした服装で行きます。
受付をすると当然ながら土産はないのですが小さなお茶のペットボトルはいただけました。

伊右衛門の195mlのペットボトルは初めてみましたが、わざわざこんな小さなものにしなくてもよくある350でいいのでは。多分値段はあまり変わらないのでは?
会場はヒルトン5階の銀扇の間ですが、株主側の席は椅子が間隔を空けて並んでいるだけ。

ざっと見ると6列の15席ぐらいなので満員で90人ぐらいなのですが、参加者は5~60人くらい。
定刻通り社長が議長となって総会が始まります。説明はビデオも交えて淡々と進みます。
日本空調サービスという会社は、自前の設備を持つわけでなく、事業所、工場とか病院などの設備の運転管理を受託するのが主な業務。したがって社員の技術と能力が大切で育成と能力開発に力を注ぎ「人財」として大切にしていく姿勢が伝わります。給料もベースアップと昇給で6%余りあげているとかでこれには共感出来ます。それにしても説明はビデオの他は資料にありますからとスルーするのではなくもう少し詳しくしてもいいのでは。
今の社長さんはどちらかというとあまりはったりのない謹厳実直な印象で面白みに欠けますけどその姿勢の表れかも、でも社内では信頼されているんでしょう。
質疑応答ではこのご時世で女性登用についてが出ました。役員に女性は社外取締役一人だけ。もともと技術系の会社なので従業員も男性比率が高い。役員になるまでの女性キャリアの蓄積がないので仕方ないのですが、社外取締役の女性を増やすとか監査役にも女性を加えるとかもう少し工夫する余地はあるかも。海外展開については中国東南アジアに小会社があるのですが、コロナ禍で如何ともし難かったのがやっと回復してきたとか。この説明ももう少し数字をあげて具体的に説明してほしかったのですが、具体性がない。
総会はほぼ40分で終了でしたが、希望を言えば株主側の席にそでテーブルとかテーブルを用意してほしかった。株主側は録音録画はお断りと言いつつメモをするにもテーブルなしではいたってやりにくい。会場の広さと並んでいる椅子から考えてテーブルぐらいは十分入ると思いますけど。今はネットでも議決権は行使できるし、わざわざ来なくていいよ。まあ、余計なことは考えないで議案に賛成してくださいと言うことか。他の会社でも一緒なのか?都合がつけば他の会社の総会にも行ってみたいものですが、総会屋になるつもりはありません。人生の暇つぶしですね。
因みに日本空調サービスでは後日株主対象の会社説明会をウエッブで行うと言うことでそこではもう少し詳しい説明とやりとりが出来るかも。
帰りに久し振りに伏見界隈を散策できましたが、サラリーマンの街だけあってお昼の定食を出す店が多くて選択に迷います。
予定のない午前半日のいい暇つぶしにはなりました。
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益田ミリ「東京あたふた族」・東海林さだお「町中華のまるかじり」

2023-06-22 20:31:58 | 
梅雨のうっとしい日が続いています。
雨の中出かけていくのも躊躇われ、所在のない時間をつぶすには、東海林さだおとか、益田ミリの本でも読むと何となくほっこりした時間を過ごすことが出来ます。

益田ミリの「東京あたふた族」は、3部構成。最初は上京したころの日々のエッセイです。ОL生活で貯めた200万円ほどを持って、イラストレーターになろうと誰も知り合いのいない東京で一人暮らし。今までの人生で1か月以上名古屋市を出たことがないというドメスティックにしか生きていない私にとっては無謀ともいえる行為。
当時無職の若い女性の一人暮らしは住むアパート探しも大変で断られてばかりだったのですが、いい不動産屋のおかみさんに出会って何とか見つかります。住むところが出来てもしばらくは東京で一人ぼーっとする生活を楽しむだけ。大変な覚悟をして上京してきたはずなのに、どうも緩い展開です。
それでも半年ほどプータロー生活をするとさすがに貯金の切り崩しでは心もとなく、バイトを始めイラストを売り込みに出版会社巡り。東海林さだおの青春記にも漫画を売り込みに出版社を回る話が出てきますが、とにかく担当の人に合って話を聞いてもらうのに勇気を振り絞らなくてはいけないし、持って行っても置いてくるだけでなかなか連絡も来ない。漫画家なりイラストレータを目指す同じような人は五万といて、その中で世に出て食べていけるようになるのはほんの一握り。私だと2~3回いい反応がなければそこですぐめげてしばらく引き籠りになりそうです。はるか昔の就職時の会社訪問の記憶がよみがえってきますが、当時はオイルショック後の就職氷河期で内定取り消しなども取りざたされていて、面接を受けても受けても連続で落ちると言うのは思い出したくもない記憶です。益田ミリは担当者の目に留まるようにあの手この手を考えてめげずに回っているうちに少しづつ仕事が入ってくるのですが、こうなると本人の努力もですが才能を認める担当者の眼力というのがいかに重要かと言うことですね。
第2章はコロナ前とコロナ禍の2019年から2022年までのエッセイで、第3章は同じ頃の長めのエッセイですが、読んでいると亡くなった父のことが時折出て来て、以前「永遠のお出かけ」でも書きましたが、父に対してアンビバレントな気持ちがありつつ、さりげないエピソードにそれでも深い愛情が見えてきます。自分には読む人の心に触れるような父に対するエピソードは何もないし何も書けないだろうなと思うと、ちょっと残念ですし、益田ミリの感性と才能に嫉妬してしまいます。
もう1冊はおなじみの東海林さだおの丸かじりシリーズの最新版。週刊朝日は今月で廃刊となるので東海林さんの丸かじりシリーズはどうなるのか。年齢も年齢なのでもう連載はやめるとなるとこのシリーズもあと1冊だけ?
この「町中華の丸かじり」は2019年9月から2020年11月までの連載分ですが、まさにコロナ禍が始まって猖獗を極めた頃。東海林さんの目に映ったコロナ禍の様子がよく分かります。記憶したくない過去で思い出したくもないかもしれませんが、当時の混乱ぶりと政府の行き当たりばったりのその場しのぎが直接的に表現されていなくても背景に映し出されています。小池都知事もよく登場しているのですけど、イラストを見ていると東海林さんの苛立ちがよく分かります。ちょっとびっくりしたのは「国難!ガリガリ君総理誕生す」、ここには総理大臣は誰でもできるんだと言う強烈な皮肉が入っている。あまり政治的な話は直接的には書かないのに、安倍総理については、
経綸、識見いっさいなし、そういうものは役人に書かせて透明なプロンプターに映してそれを棒読みすればよい。
棒読みをいかにも読んでいないように見せかける技術さえ習得すればよい。
あとは自宅のソファでお茶を飲みながら愛犬を撫でていればよい。
と書いている。ちょっと東海林さんのいら立ちが半端なく、このエッセイは激しくうなずくとともに思わず2度読みしてしまいました。
東海林さん85歳になっても健在です。
コロナ禍では二人とも外へ出かけることも出来ず、人とあって談笑することも出来ない。エッセイのネタにも困ると思うのですが、日常のさりげないこととか普段使いのものを視点を変えてちゃんと読ませるエッセイにしているテクニックはプロです。
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6月18日鶴舞公園テニスコートの後は6人

2023-06-21 09:01:23 | テニス
6人でいつもの紫禁城へ行きます。
先週から少し模様替えをしたようで、椅子がシートになっていました。
車で来ているちょっと見小野ヤスシさんはランチを注文。

私達はそれにはお構いなく生ビールとハイボールで乾杯。

つまみはまずはベジファーストでキュウリと大葉の和え物。

続いて麻婆豆腐。超麻婆豆腐というのもありましたが、出口方面に問題があるので私には激辛はとんでもない。

これは普通の方です。
酔うほどに人の悪口で盛り上がるのですが、この日の主役は飲めない飲む、久し振りの登場だけに話は昔の話がどんどん出て来て、ちょっと顔を出しただけで主役になってこれだけ話題を提供してくれるのはなかなかのものと改めて認識した次第。
ここらで揚げ物をと言うことでゲソのから揚げ。

ここでお替りですが、私はコートでビールを飲んできたので「千寿」にします。

みんなは生ビールをお替りですが、はげ親父は千寿に。
揚げ物をもう1品のホルモンチップ

後は何かよく分からないけど何だったのか?多分私の頼んだ甘エビのから揚げだと思うのですけど…

もう1品は鶏肉のカシューナッツ炒め

どうもビジュアル的に茶色いものが多くて写真だけ見ると何を食べているかが定かに分からない。
ここで〆代わりに瓶ビールを2本。

コートから飲んでいるのでかなり出来上がってきて、ここらでお勘定。

お会計は15188円でした。
ランチのちょっと見小野ヤスシさんは1000円で残りの人は3千円。おつりは基金に入れておきました。
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6月18日鶴舞公園テニスコート

2023-06-20 16:08:20 | テニス
梅雨の中休みで暑くなりそうな日の予報でしたが、結構雲が空を覆っている。
8時45分に家を出て雁道バス停へ。バスは待つほどもなく来て9時15分には鶴舞公園へ。

コートにはすでにはげ親父、ヤッターマン、えみちゃん、ノリ平さん、ちょっと見小野ヤスシさんが乱打をやっている。
コートサイドには1059さんもいて、この日久し振りにテニスを再開しようかという飲めない飲むがあいさつ代わりにきています。次回には来ると言いつつ挨拶だけで帰る飲めない飲むでしたが思えば長い中断(何年振りか?)でしたが、過去の思い出で体が動くと思っていると思わぬ怪我をする可能性があります。調子いい時ほど慎重にしてほしいものですが、テンションが高くなるとなかなか自制できないものです。その辺のところは人格温厚なちょっと見小野ヤスシさんに任せます。
準備運動をしてから私も乱打に入れてもらいます。
一通りやったら一休みしてじゃんけん。珍しくすぐに勝負がついて試合になります。
最初は、えみちゃんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、のり平組と対戦。ここは最初の試合というのでビールも飲んでいなくて3:1で勝利。
コートサイドで休んでいると早くもやぶ蚊が寄ってくるので蚊取り線香を焚きます。

次の試合ははげ親父と組んでえみちゃん、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。一進一退の攻防となって、結局2:2の引き分け。天気はずっと薄曇りで日が差さないので、蒸し暑いですが眩しくもなくテニスにはちょうどいい。そうなると試合後はビールでしょうか。

私も持ってきたのですが、ヤッターマンもはげ親父もえみちゃんもノリ平さんも持ってきていてすぐに空き缶が並びます。
う~ん、体に悪い。これで誰か熱中症にでもなって倒れたらバカとしか言われないのですが、今のところ倒れた人はいない…過去に暑さで嘔吐した人が二人ほどいたかな…
試合は進んで次はヤッターマンと組んではげ親父、えみちゃん組と対戦。ビールを飲んでも体は動き回るヤッターマンが圧倒して3:1で勝利でした。
次はもう一度はげ親父と組んでヤッターマン、1059組と対戦。今度は逆になって酔っ払いコンビはヤッターマンに圧倒されてしまい、それでもデュースまでは行ったゲームはあるのですが、最後の決め手がなくて結局0:4の完敗でした。
最後の試合はノリ平さんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、えみちゃん組と対戦。ここはお互いに疲れて来てミスを連発するのですが、我慢比べで3:1で何とか勝利。
5試合やったのでもうこの日は終了、コート整備をして帰ります。
終わって、珍しくえみちゃんや昼飯を食べると言うちょっと見小野ヤスシさんも含めて6人でいつもの紫禁城へ行きます。
通りすがりに新しい施設の前を通るとイチゴパンの店の前には行列です。

この勢いが果たしていつまで持つのかですけどね。
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千田嘉博「城郭考古学の冒険」

2023-06-14 16:58:05 | 
今は空前のお城ブームで、BSでは日本の名城とかの番組が盛んに放送されている。
そんな時に必ず出演しているのが奈良大学教授の千田さん。お城と言えばこの人という感が強いのですが、いつもニコニコしてフットワーク軽くお城を歩き回り、そのキャラもあってご活躍、人気です。

ちなみにですが、千田さん大学卒業して名古屋市教育委員会に就職。見晴台遺跡で発掘調査の仕事をしていました。考古学はもっぱら資料のない時代の遺跡発掘がほとんどで、中世のお城などは考古学の対象とされないと言う考えで、千田さんが城の発掘に興味があるのには異端視されていたとか。敗戦によって軍事研究はタブー視されていたので、戦国時代と言えども戦いの拠点である城の発掘調査、研究は触れにくく、それなりに文献もあるので文献研究で十分と言うこともあったのでしょう。
でも文献資料があるにしても、公式文書は勝者の歴史であり、書かれていない重要なことも多く、なおかつ後世の脚色も多くてどこまで信じていいのか。それを考古学の手法で発掘調査して文献と突合していけば、真実の歴史が解明できるはずです。
千田さんはパイオニアとして城の発掘調査研究に取り組み、今日のお城ブームの礎を築いて行きました。
ところでお城と言っても古くは、吉野ケ里遺跡も堀と柵を備えた一種のお城ですし、古代の岡山の鬼ノ城とか宮城の多賀城も館を柵と堀で囲んだお城です。でも普通わたしたちがお城というと戦国時代末期からのもので、お城を見に行くと言うと天主・天守に登って満足しています。天主は信長が安土城築城に際して初めて作ったもので、お城としての本当に重要なところは領国統治・防御拠点としての縄張りであり、防御施設としての堀であり土塁とか石垣。
とは言っても江戸時代からの現存天守は12しかなくて、お城で一番目立つシンボルでもあるので行けば天守に登らなければ許さないからねとなるんですけど…
でも石垣は戦国時代からの積み方から織豊時代、江戸時代へと進化していくところが城によっては同時に見れますし、分かりやすいので覚えておく価値ありです。最近では金沢城へ行って来た時に石垣の右と左で時代の変遷が分かって感心した次第。もっとも石垣も大々的に取り入れられたのは信長の城以降で、それまでは主に土塁。関東などは石が調達しにくかったのか戦国期後半でも土塁です。
千田さんは最初に城の変遷の歴史を概括して、その鑑賞術を伝授。だんだんマニアックになってきます。
戦国時代、日本全国には地域、築城主体の差によってさまざまな城郭があって発展の可能性があったのだが、いま私たちの思い描く城は織豊系城郭がほとんど。近世城郭は構造の階層性と求心性が見られる。そうやって思うとなんだかんだと言えども織田信長は中世から近世への扉をこじ開けていったと思う。
そこでまずは城から見た織田信長を論述しているのですが、信長の城と言えば、清州城から小牧山城、岐阜城へと拠点を移し、最後は安土城を築城する。
小牧山城では城下町を持つ山城で山麓から山腹迄駆け上る直線大手道を持ち山腹からはそれまで尾張地方にはなかった高さ3~4メートルの堅固な石垣を積み重ねていった。石垣は今も小牧市が発掘調査していますが、実際に見ることが出来ます。のちに家康が小牧長久手の戦いの時に改修して防衛力強化を図っていますが、石垣は信長時代のものです。
岐阜城では山上に復元天守があるのですが、信長時代の石垣も残っています。さらに最近の発掘調査で大規模な山麓御殿があったことが分かってきました。山麓の御殿は公的な正式対面の御殿であり、山上の御殿は信長と家族が日常的に居住していた。それにしてもあの山の上に暮らしていたと言うのは足腰丈夫な人でも大変だったのでは。
安土城は今は石垣だけしか残っていませんが、発掘調査によって信長の意思の集大成だったことが分かってきています。その石垣は当時の最先端の技術を結集して、城郭の中心部を10メートルを超える高さで囲っている。安土城の家臣屋敷の配置からは信長との関係性が現れている。
城から見た明智光秀では、坂本城、亀山城、福知山城を取り上げている。そこにも縄張りを見ると光秀の家臣の関係が分かるのだが信長とは目指すものが違うことが分かるとか。残念ながら私は何れも行った事がありません。
城から見た松永久秀では、信貴山城と多聞城を取り上げている。この城郭構造を見てみると梟雄というイメージとは違って松永久秀は家臣に君臨したのではなく、家臣たちと連合的な性格を築いていたのが見えてくる。
城から見た豊臣秀吉では、大阪城と聚楽第を取り上げているのですが、聚楽第の調査からは秀次事件の真相が分かって来るみたいです。
城から見た徳川家康では、名古屋城の馬出しについて詳細に述べています。名古屋城の馬出し?名古屋城は何回も行っているしある時期は昼休みの散歩コースだったのですが、どこに馬出しにあったのか思い浮かばない。全体が広すぎて歩いている分には城の縄張りが分からないままだったんですね。その他岡崎城、浜松城、江戸城、駿府城と馬出市の変遷とともに家康の城を分析しています。
いろいろ全国各地の城が出て来て、私が行った事のある城も多いのですが、縄張りを詳しく見るわけでなく天守に登って満足していました。
因みに千田さんは観光優先で歴史、考古学的成果を無視した史実と違った城の復元には当然ながら批判的です。ただし完全復元と言っても今は軍事拠点を復元するのではなく文化財として整備するのであって、国民に文化と歴史を体感してもらうための復元整備。健常者に限定するのではなくバリアフリーを目指して整備していくべきと言っている。某市長は理解していないだろうな。
今度はこの本を熟読して縄張り、石垣、堀などと確認しながらじっくり城歩きをしてみたいものですが、実際にはすぐ諦めてしまいそう。
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鈴木邦男・白井聡「憂国論」

2023-06-12 07:07:16 | 
本年1月に残念なことに亡くなられた鈴木邦男さん。2019年ごろから体調を崩されて活動は休止状態だったのですが、本格復帰することはありませんでした。
この本は2017年刊なので、まだまだ元気に活動していた頃に「永続敗戦論」で売り出した白井聡さんとの対談をまとめたもの。

もっぱら白井さんが時代状況を説明してそのうえで鈴木さんに当時の右翼の内実を聞いている。
かなりぶしつけな質問もあるのだが、そこは白井さん曰く「近くにいる人に不思議なくつろぎと安心感を与える大木のような」の鈴木さん、率直に真摯に答えている。
最初のテーマは、三島由紀夫と野村秋介。因みに白井さんは1977年生まれなので三島事件が起こった後に生まれている。
鈴木さんは三島事件に大きな衝撃を受け一水会を起ち上げているのだが、読んでいる三島と野村に対する深いリスペクトが分かる。三島も野村も自衛隊総監も朝日新聞社社長も殺していないのでテロではなくて自分の死をもって主張を訴えたと言う理解。
三島については文学者としての三島と楯の会の三島は明確に区分されいて、楯の会には三島の本など読んだことないものばかりを選抜している。三島には仮面の告白的指向は色濃くあるのだが楯の会にそんなことを持ち込まれた無茶苦茶になると言うのはよく分かる。政治運動としての楯の会は持田に変わり主導権を握った森田必勝に引きずられた面があるとか。文学者としての三島は、若い時から自殺願望的なところがあり何物にもとらわれない自由な発想がある。美輪明宏との関係性からもうかがえる。それでも鈴木さんには三島の同性愛的指向は見たくない現実なのだろう、その面については否定的ですが、なだいなだが紹介した三島の検視報告を見ていたはずでは。
野村秋介については事件の時はともかくほとんど印象が残っていなかったのですが、あの事件は死に場所を求めていた野村がいいタイミングで死をかけた主張をしたと言うことなのでしょうか。野村としては朝日新聞は個人的に知り合いの記者も多く一番取材を受けていたので、不倶戴天の敵ではなくある意味一番評価していたからこそだった…
三島と野村、二人ともテロについては肯定していたのだがテロリストにはならなかった。相手を殺したらただの人殺しになってしまうことを分かっていたのだと言うのが鈴木さんの見立て。
次に戦後の右翼、民族派の運動史・思想史に話は行くのだが、右翼というのは警察の分類用語で戦前戦中には自分たちは中道だと思っていた。60年安保闘争の頃に共産主義の浸透を恐れ対抗するためにヤクザやテキヤを政治結社として組織され、俺たちは右翼だと名乗るようになった。右翼を名乗ることによって公安警察には優遇され、警察の管轄が防犯担当から公安担当に替わることによってある意味庇護を受け優遇される。街宣車で大音量で更新し交通違反をしても見て見ぬふりをする。右翼は内部情報を提供し公安と一体となっていく。新右翼として旧来の右翼から決別した鈴木さんはその分公安にマークされ続けただけに公安の手口の話は具体的です。一時は赤報隊の事件での容疑者と思われたらしくアパートに放火されたこともあるのですが、その時公安は見張っていたはずなのに犯人を捕まえもせず見逃している。鈴木が焦って赤報隊と連絡を取るのではという狙いで仕掛けたと言うのですが、真相が解明されることはありません。でも公安なら何でもやりそうな闇がありそうですけど。
今いろいろ言われている日本会議については、左翼の運動を参考にして活動しているのだが、鈴木さんとは因縁浅からぬ人たちが中心メンバー。ある意味民族派学生のスターだった鈴木さんへのやっかみが原動力で、全国学協委員長追い落としから今までの保守が出来なかった運動を進め勝利してきている。ただ、白井さんは日本会議の人は暗くて陰湿だと言う印象と言っている。それは鈴木さんがカリスマ性をもって目立っていたからと言われると鈴木さんとしては苦笑するしかない。
この後議論は天皇の生前退位憲法改正、日本の行く先にまで進むのですが、白井さんの誘導に乗って鈴木さんの本音が出ています。ここから先は自分で読んでみてください。


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6月11日鶴舞公園テニスコートはまたも雨

2023-06-11 10:25:24 | テニス
梅雨入りして連日曇りか雨の日が続きます。
台風も発生して先週は2号が接近して梅雨前線を刺激。おかげで当日には雨が上がったのですが熱田神宮公園はクレーコートなのでとてもテニスをできる状況ではなかった。
そして今週も同じように台風3号が接近中で梅雨前線を刺激している。
この日は鶴舞公園テニスコートが2面当選していて参加者もそこそこ予定していたのに、朝から雨。またも天に見放された~
朝から起きてベランダだから外を見ても雲は低く結構降っていて止みそうもない。

時間ごとの天気予報を見てみても昼から多少小降りになるかもしれないけれどずっと雨。

雲の動きで13時を見てみても雨。足元が悪そうで散歩に出ていくことも躊躇われます。

こうなると1日何をして過ごそうか。
ハードディスクに撮りためた映画でも見るか。何時か見るだろうと思ってみていないものが結構溜まっているんですよね。
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鮎の干物つくり

2023-06-10 07:30:45 | Weblog
先日は西京漬けをしましたが、今回は鮎が半額だったので干物にしました。

まあ、養殖ものですけど干物にすれば美味しく食べられます。
鮎の場合は背開きにします。
背中にエイヤっ!と包丁を入れて背骨に沿って開いて行きます。身が開いたら力を入れて頭をぶち割って背開き完成。頭をぶち割るのは力もコツもいるので、頭はそのまま切り落としてもいいのですが、頭があったほうが格好いいかなと思うだけで、味には何の影響もありません。強いて言えば干すときに頭を洗濯はさみに挟むのでいいかなというくらい。

まな板の下に紙を1枚しいておくとまな板が汚れずに後片付けが楽です。と言ってもどうしてもまな板は汚れますけど。
鮎のはらわたは取っといて後で煮つけにすれば美味しく食べられるような気もしますが、3匹分では大した量も出ず作っても内蔵系は誰も食べようとしないので捨ててしまいます。
塩水は水500㏄に塩大匙1杯に酒も大匙1杯。
この漬け汁に30分ほど漬けます。
川魚なので漬け時間は30分で十分ですね。
後はベランダで干して一晩。

干す前にペーパータオルで水気を取っておくといいかも。
一晩でいい具合に乾きました。
干し終わったら包丁をちゃんと研いでおきましょう。

習慣にすればあまり面倒には思わなくなります。
夕食に焼いて頂きましたが、美味しい。

でも少し頼りない気もして酒の肴とかご飯のおかずにはもう少し塩をきかせた方がいいかも。
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