怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

12月28日東山公園テニスコートの後は森の熊さんと二人

2019-12-31 07:23:32 | テニス
12時に終わってこの日は森の熊さんと二人。
何処へ行こうかとなったのですが、いつもの「浜木綿」はこの時間は混んでいるだろうな。
2人とも敬老パスを持っているので、妙見町からバスに乗って八事へ行きましょうか。でもバス停で見てみると金山行が出たばかり。
それならば地下鉄で行きましょうかとなったのですが、八事にこだわる必要もないし、八事で昼飲みできるいい店も思いつかなかったので、いっそ大曾根に行って、愛想の悪いお姉さんのお店へ行きましょうとなりました。
途中でダメもとで1059さんに「一緒に昼飲みしませんか」とメールをしてみたのですが、当然ながら断られました。
地下鉄の大曾根からは一番端の出口なのでちょっと歩くのですが、28日もちゃんと営業していた「平蔵」へ。

店に入ると奥は予約席になっていましたが、お客はだれもいない。
そのせいか今回はお姉さんの愛想がいい。他のお客がいないせいなのか、3回目となると顔を覚えてくれて常連見習いになったからなのか。
とにかく生ビールで乾杯。

今年1年お疲れさ様でした。
メニューを見るとこだわりの手作り豆腐というので冷奴を食べてみます。

美味しいですが、豆乳を取り寄せて店で仕込んだとか書いていあるけど正直よく分からない。
さらにこれまたこだわりのもつ煮込みを。

もつ煮込みという名古屋人は赤味噌でと考えてしまうのですが、ここのは東京風か。そう言えば看板に「浅草」と書いてあったけど大将の料理人修行は東京?
ここでビールはなくなったのでハイボールに。

前に食べておいしかったメンチカツを2人前。

1059さんに倣って一人で1人前食べます。これも店で挽いたひき肉ということでこだわっています。確かにふわふわな食感で柔らかくいい感じに柔らかくて美味しいのです。
魚介類も欲しいとなってサバの味噌煮。

ここで飲み物はお勧めのパイナップルサワーに。
これはパイナップルの半分が出てきて自分で絞ってジュースにして炭酸で割ってある焼酎に入れる。

結構ジュースにするのに力と根気がいります。でも半分に切ってあるパイナップルの姿はインスタ映えするとはお姉さんの弁。
飲んでみるとほとんどパイナップルジュースですね。

店で挽いた肉を使った餃子も頂きます。どうもやたらと拘っています。

美味しかったので写真を撮る時には最後の1個に。
〆はどうするかとなって焼きそばに。

お勘定は6190円。森の熊さんの予想は一人2500円でしたが、森の熊さんの予想よりも高かったみたいで一人3100円でした。忘年会が2000円と安かったので感覚が狂ったみたいです。
今回は本当に初めて来た時とは打って変わって最初から最後まで愛想のいいお姉さんでした。
今年はこの記事で最後となります。私のボケ防止の駄文にお付き合いいただきありがとうございました。皆さんよいお年を。
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12月28日東山公園テニスコートは4人

2019-12-30 07:42:12 | テニス
12月25日のテニスクラブ忘年会はヤッターマンが嘉瀬で急遽欠席になりましたが7人で名駅西の「金の蔵」で挙行。しかし時間になってもヨイショは来ないので待つこともなく始めました。しかし10分経っても現れません。ヨイショに電話をしようとしたのですが、誰も知らない。私もメールしかわからなかったので取りあえずメールしたのですが返事なし。そのうちにはげ親父の家に電話があって場所が分からないとのこと。仕方ないのでビックカメラの前で待たせて、私がお迎えに。一応会場のお知らせメールには電話番号も書いてあったのですが、見ていないとのこと。だからスマホを持っていても使いこなせない人は困るのです。でも会場に着くと人一倍おしゃべりしていたので歳をとるとめげないようになります。
この店は12月30日で閉店だそうで、私は株主優待をもう1枚持っていても使えなくなってしまいます。どうしてくれるんだ
それでも久しぶりの猫おじさんも加わり、思い切り飲んで食べて楽しい会となりました。ネパールの美人の店員さんともお話しできて森の熊さんもご満悦。会計も株主優待により1万円分差し引けて15099円とリーズナブル。一人2千円で1099円は基金から出しておきました。
飲み放題ということもあってどんどんビールを注文し、2時間を超えて居座れたので、ビールを飲みすぎてヘロヘロで帰りました。
12月28日の東山公園テニスコートは2019年最後のテニスです。
しかし、カバちゃんは膝の状況が悪いようで「膝の調子が悪くて、病院に行ったら、半月板が損傷して水がたまってました。しぱらくスポーツはだめらしいです。」というメールが。お大事にしてください。ゆうこりんも忙しいのと体調がイマイチで暫くは参加できないみたいです。わがクラブの中年婦人部は壊滅状態です。
28日は朝からいい天気なのですが、1059さんからは卓球の打ち合わせとかで欠席のメール。ヤッターマンからは天気がいいので家の片づけで欠席とのメール。多分タケちゃんマンは東山までたどり着けないので今日は何人集まるか。
気を取り直して9時40分に家を出て池内町のバス停に。空は雲一つない青空です。

バスは結構混んでいて、八事にお墓参りに行くと思し
きお花を持った人もいて、結局5分遅れで妙見町に。
降りていつもの歯医者さんの気温計を見ると8度。天気はいいけど空気は冷えています。
この日のコートは1番コートで10分遅れで到着。森の熊さんえみちゃん、はげ親父と3人で乱打をやっていました。
私も準備運動もそこそこに乱打に入れてもらいます。
雲ひとつない日なので、南側を向くと丁度冬の低い太陽が正面で眩しい。この日はコートの南面か北面かでかなり有利不利が出ます。北風も少し吹いていて、動いていると暑いのですが、休んでいると体が冷える。
一通り乱打をやったら試合にします。4人なのでじゃんけんもなく適当に組み合わせます。
最初は森の熊さんと組んでえみちゃん、はげ親父組と対戦。この試合は勝っていたのに最後のゲームでミスを連発してしまい自滅で落として2:2の引き分け。
次の試合はえみちゃんと組んではげ親父、森の熊さん組と対戦。少しロブを上げると眩しくてボールが見えなくなる北面が圧倒的不利で北面がゲームを落とすという展開だったのですが、最後のゲームではその太陽の有利さを味方に付けられずに落としてしまい1:3に。もっと徹底して中ロブ攻撃をすればよかったか。
次の試合ははげ親父と組んで森の熊さん、えみちゃん組と対戦。この試合は最初2ゲームを連取されたのですが、後半は盛り返して2ゲームを奪取。何とか2:2の引き分けに持ち込みました。
この日は4人だけだし、一回りはしたのでもうやめましょうとなり、コート整備をして終了。
まあ、12時まではちゃんとしたので良しとしましょう。

天気は相変わらずいいのですが、空気は冷たく風も少し吹いている。でも隣のコートの人は半そで姿。年寄にはまねできません。
この日はえみちゃんとはげ親父は帰り、森の熊さんと二人だけですが、お昼を食べに行くことに。
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母の介護認定

2019-12-28 08:20:59 | 介護
父の死後、一人暮らしになった母は認知障害がどんどんひどくなってきている。
しかし、本人はディサービス等は聞くだけで拒否。実は昨年認定調査を受けてめでたく要介護1と認定されたのだが、介護サービスを受けることは断固拒否。いくら説得しても聞かないので更新をあきらめた経緯がある。
しかし、私が引退して多少はフォローできるかと思い今年再度の挑戦。いきいき支援センターへ行って相談して、何とかしましょうとなりました。
まずはインフルエンザの予防接種にかこつけて内科を受診して医師の意見書を無事ゲット、続いての認定調査員の調査ですが、これは母が警戒心あらわで、何で来たのかとか何でそんなことを聞くかと険悪な雰囲気に。いろいろなことをできるかと問われると何でもできると自慢気にこたえるのですが、10年前はともかく現在の実態はまるで出来ていない。頭の中では10年前の自分なのです。
調査員とは母を除いて聞き取り調査を受けたのですが、同居していないので問題行動が週1回か月1回かは正直答えられない。何らかの結果を記載しなくてはいけないのは分かるので、そちらがまとめやすいようにお答えしますよと言いたいのですが、そうも言えずに悩みつつむにゃむにゃ答えました。
とにかく認定調査が済み、いきいきの主任さんのアドバイスもあり、今回は何としても介護サービスを受けるべく、まずはお試しでディサービスを受けることに。ディサービスという言葉には拒否感があるので習字の教室と給食会でお試しなので無料ということで、当日に「前から言っていたようにお迎えが来る」と支度させたら、聞いていないと言いながら(実際初めて言ったのですが)割合素直に支度をしてお迎えの車に乗り込んだので一安心。
行けば行ったで、商売をしていた悲しい性で周りには愛想をふるい、それなりに大事にされるので楽しんできたようです。悪い印象なく終わったのでこれは上手くいくかも。
ところが、配食サービスでは最初の連絡が悪かったせいもあって、訳が分からないままに受け取って、容器を返すことが分からず棚にしまい込むので、私が探して連絡をして時間に返す羽目に。もう1回は家の前に出しておけばいいと言うので出しておいたら、自分で勝手にしまい込んでしまうので喧嘩に。
内容も高齢者向けではありますが値段を考えるとイマイチ。これならイオンで弁当を買ってきてもいいかも。母はご飯は炊けるのでおかずだけでいいんですけどね。

どうも配食サービスは母にとって介護サービスの安否確認という意味では全く機能しなかったみたいで断念。
もう一つのディサービスお試しは実家から歩いて5分の所にあるので、新しい給食会の会場が出来たので行くと言って、私が送り迎え。ここも迎えに行っても機嫌よかったのでクリア。
そうこうしているとやっと介護認定の決定通知。要介護1でした。
ということで早速ケアマネさんとの契約。ケアマネさんはいきいきから紹介された元社協の職員で一人開業した方。一人で合名会社を作っている。これってヨイショと同じですね。

こちらのディサービスの希望を伝えて契約書やらを署名するのですが、母の住所名前と私の住所名前を何回書くのか。契約書に重要事項説明書に個人情報の取扱いに介護保険証の預かりと母と私の住所氏名を書くので嫌になります。ケアマネさんも恐縮していましたが、1回書いたら後は氏名だけにしてもらえるとか工夫の余地があるのではと思うのですが、そういう現場の声というのは取り上げられずに厳密性だけが求められています。政策立案者が当事者にならないと改善の余地はないのでしょう。
とにかく1時間あまりお話しして早速担当者会の手配を頼みました。やっと一つステップが前に進みました。
さすがに年内は無理なので年明け早々になると思います。でもどんなにいいケアプランを作っても実際に母が上手く利用してくれるかどうか。
「哲学者は世界をいろいろ考えた。でも問題なのは世界を替えることなのだ。」
まだまだ悩みは尽きないみたいです。
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「武運長久」の日の丸

2019-12-25 07:51:45 | Weblog
12月24日の中日新聞に沖縄で戦死した方の「武運長久」の日の丸がアメリカから遺族の人に返されたという記事が載っていました。
実は我が家にも「武運長久」の日の丸があります。
しかも先日実家の整理をしていて見つけたばかりです。
実家を建て直す時にかなりのものを捨てたのですが、しぶとく残っていました。
棚を整理している時に、何やら菊の紋章の文箱が出てきたのです。

安っぽい箱だったのですが、何が入っているやら見当つかない。
金目のものはないはずなのですが、古いお札とかコインでも出てくるかも。
開けると古いボロボロの「奉公袋」が。

何が入っているかと思ったら、なんと「武運長久」の日の丸が。

父は召集されて陸軍に入隊し、益子近くの航空基地に配属され、通信兵として百式偵察機に搭乗しています。偵察飛行にも何回か出撃しているのですが、一度も敵と遭遇することなく帰ってきたとか。機体の整備不良で伊勢湾に不時着したこともあったとか。
その面では武運の「武」は全くなかったのですが、90歳の天寿を全うしたので運はよかったみたいです。偵察飛行では敵と遭遇すれば、偵察任務は全うするのですが、ほぼ撃墜されるので生還は絶望的だったみたいで、上官からお前は運がいいとほめられた?とか。
ところで父が徴用されたのはもはや敗色濃厚で、生きて帰ることはないと思われていたのですが、日章旗に名前を連ねているのは親戚とか町内の人ばかりで女性の名前はありません。女が名前を書いたりすると戦場に向かう兵士が女々しい気持ちになるからご法度だったんでしょうか。祖父は小さく名前が書いてありますが、長男を送り出す祖母の気持ちは如何ばかりだったのかと思います。名前を書くことさえ許されない中で何を祈っていたのか。
もう少し早く見つけていれば父の七周忌の法事の時にみんなに見せられたのですが、惜しいことをしました。
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12月21日瑞穂公園テニスコート

2019-12-23 17:23:37 | テニス
このところ毎日が日曜日の生活で、午前中はいつもパソコンを相手にいろいろな記事を読んだり、部屋の中でごそごそ体操をしたりして時間が過ぎています。自宅に一人でいるといつでも好きな時にトイレに行けるので、どうも少しお腹に貯まるとすぐにトイレに行きたくなってしまいます。別に空を飛ぶ鳥ではないので多少まとめて毎日定時に行けばいいのですが、自分で自分に「お前は鳥か、空を飛ぶのではないだろう」と突っ込みを入れながら少しでももよおすと我慢することなく行ってしまいます。
ところがこの日は本当にお腹が張って食欲がない。何回かトイレに行って、下痢という訳でもないのですが、とりあえず整腸剤を飲んでおきます。
朝昼と薬を飲んで13時50分には家を出て神宮東公園のバス停へ。
バス停から見ると住宅展示場はすっかり更地になっていて、熱田区役所と文化小劇場がよく見えます。

熱田神宮の森には少しだけ銀杏の黄葉が残っていました。
バスは定刻通り来て瑞穂運動場西へ14時15分過ぎに到着。
そこから歩いて瑞穂公園テニスコートへ。ちょうど時間通りの14時30分にコートに到着。
この日は4番コートでした。

コートに行くとえみちゃん、タケちゃんマン、森の熊さん、ヤッターマン、はげ親父に1059さんと盛況です。
早くも乱打を始めています。
私も準備運動をして早速入れてもらいます。
この日は曇りで太陽がまぶしくなく風もあまりないのでそこそこのテニス日和。
いつになくタケちゃんマンが早く来ているのですが、ラケットだけ持ってそのまま来たとかで靴はテニスシューズではない茶色のウオーキングシューズ。名城庭球場なら確実に注意を受けます。瑞穂公園テニスコートでもいけないんですけど人工芝なのでまあ、いいか。
一通りやって休憩したら、じゃんけんして試合に。
最初は森の熊さんと組んでヤッターマン、1059組と対戦。ヤッターマンは右に左に動き回り本当に穴がない。こちらが決まったと思って気を抜いても返してくるので対応できずにミスを重ねてしまい、いいところなしの0:4で完敗
順番が1番だったので続けて試合に。
今度はえみちゃんと組んではげ親父、タケちゃんマン組と対戦。一進一退の展開で押され気味だったのですが、最後のゲームではげ親父のサーブが全く入らずダブルフォールトが3回。おかげでこのゲームを取って2:2の引き分けに。
休んでいる時に工事現場を見ると1週間でまた高くなっているような。

鉄骨の組み上げは早いので見る見るうちに高くなっていきます。
次の試合はタケちゃんマンと組んで森の熊さん、えみちゃん組と対戦。タケちゃんマンは滑舌はともかくテニスに関してはかなり回復したみたいで、頑張って最後まで粘って何とか2:2の引き分けに持ち込みました。
最後の試合は一度森の熊さんと組んでまだ、えみちゃん組と対戦。さすがにヤッターマンの動きも少し疲れてきたのか、えみちゃんの持久戦にも辛抱、辛抱で、結構長い試合になりましたが、やっとの思いの2:2の引き分け。
この時点で16時15分過ぎになりボールも見難くなってきたので終了。
コート整備をして帰ります。
私は薬を飲んできた身で、行きたい気持ちはあるのですが、行けばビール1杯で済まない自分が想像できるのでこの日はまっすぐ帰ることに。
お疲れさまでした。
家に帰って早速消炎鎮痛剤を左手首と両足に塗って一休み。
この日は休肝日となりました。
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「カツベン」

2019-12-21 10:03:21 | 映画
年末でも特に変わらない日々を送っているので、暇ができて映画を見に行くことに。
お昼を早めに食べて、ミッドランドで12時55分開始の「カツベン」へ。

30分前について席を確保したのですが、余裕でした。でもミッドランドのシンフォニー豊田ビルは待合がないので30分時間をつぶす場所がない。仕方がないので地下街をぐるっと回ってキルザタイム。
席に着くと平日の昼下がりというので高齢者が多い。隣りの人も私よりだいぶ上みたいで、映画が始まると最初は白黒の画面だったのですが、これは白黒の映画かと呟いていました。そんな訳はないでしょう。
で肝腎の映画なんですけど、映画の黎明期に活躍した活動弁士の世界を描いたもので、未知のことばかりで面白く見ることができました。映画で出てくる無声映画は全部今回作り込んで再現したとか。
でも周防監督作品ということで期待値が高かったので、そこまでではなかったかな。
話の展開が狭い地域の物語で、ちょっと不自然ですし、刑事さんはルパン3世の銭形刑事みたいに一人で動き回るのもなんだかな~。ピストルの弾丸は何発あるのか、最後はすごいピストルの腕を見せているのに、もっと前になんで撃ちあいにならないのか。
細かいところは結構突っ込みどころがあるのですが、暗い映画館で作品に浸っていると気にならずに楽しめるんですけど、見終わって振り返るとう~ん、と思うことなくはなし。
終わって明るくなると果たして観客は7割ぐらいの入りですけど多くは高齢者でした。
何と高校の同級生もいて、私も含めて平日の昼間に暇な人ばかりでした。
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12月14日瑞穂公園テニスコートの後は地下鉄に乗って

2019-12-18 16:52:51 | テニス
終わってタケちゃんマンを除いた男4人で行こうとしたのですが、えみちゃんに車に乗せて行ってもらおうとしたのですが、私たちが駐車場出口に着くとえみちゃんはすごい勢いで出てきてコートの方へ。
結局えみちゃんはコートの横で待っていて私たちと入れ違い。車の送迎はあきらめて瑞穂運動場西まで歩いて行きそこから地下鉄で新瑞橋へ行くことに。4人とも敬老パスを持っているので1駅といえども乗ります。
新瑞橋では「浜木綿」へ行ったのですが、17時前といえども予約が一杯の為満席で待たされてしまいました。まあ、19時までということで程なく席に案内されたのですが、その後にもお客はどんどん入って来て待っている人たちも。繁昌していますね。
席に着けばとりあえず生ビール。

これまた取りあえず何も考えずに餃子を2人前。

ニンニク入りでお願いします。
ここの餃子は日本人好みですよね。
浜木綿では森の熊さんさんが必ず頼む青菜炒めも。

八事店では「八事ソーセージ」の名前でしたが、ここでは「台湾腸詰」の名前ですが、これも森の熊さんのお得意。

ぶれない森田です。
ここで焼酎のお湯割りに。

私と森の熊さんは麦焼酎、はげ親父は芋焼酎のお湯割りです。
どうも焼酎ぽくないグラスです。
つまみに四川省豆腐の小菜を。

紫禁城では干し豆腐サラダといっているのですが、紫禁城と比べるとずいぶん上品です。
量はあまりないので後でもう一つ追加しました。
この日の話題はもっぱらタケちゃんマンのベトナムその後について。なんでもベトナムから帰る時に旅行社との行き違いか飛行機の便が違っていてチケットを自分で取り直さなくては行けなくて20万円したとか。どうやら向こうから帰る便がハノイ0時30分発で日をまたいでいるので一日違っていたからみたいですが、20万円はちょっと盛りすぎでは?帰ってからの音信不通はそれやこれやで家庭争議があったのではと他人のうわさはお酒のいいつまみです。
ここで焼酎から瓶ビールへ。

札幌の黒ラベルですね。
酢豚をつまみにして飲みます。

瓶ビールは追加、追加で結局4本飲みました。
〆はチャーハンに。これは大森を頼んだのですが、注文が上手く通らずに普通のチャーハンが出てきました。
でもビールを結構飲んでしまったので、これでよかったかも。
お勘定は11671円で一人2600円、足らずまいは基金から出しました。実は最後の追加ビールの伝票が席に回ってきてなくて11000円だったのでほぼ2600円で端数を基金から出よかったのですが、勘定を払う時にいきなりビール追加分が上乗せされたので1271円基金から出すことに。帰りは店のバス停前からバスで帰ったのですが、数分遅れてきたので待つほどもなく乗ることができました。ラッキー!

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12月14日瑞穂公園テニスコート

2019-12-16 15:41:09 | テニス
朝からいい天気
南向きの部屋で陽光を浴びていると暖かくて、ソファーで本を読むつもりがついウトウト。
ところがお昼過ぎから雲が空を覆いだしてきた。
この日は14時30分からなので公園を抜けて神宮東公園14時6分発のバスで瑞穂運動場西へ。
公園の木々はすっかり葉を落しています。

太陽が雲に隠れていると寒々しい感じとなります。
バスは5分ほど遅れて瑞穂運動場西へ。そこから歩いてテニスコートまで10分ちょっと。
コートでは森の熊さん、1059、はげ親父、えみちゃんと乱打をやっています。
私も軽く準備運動をして入れてもらい5人で乱打を回すことに。
5人で一回りしてそろそろ終わろうという時に久しぶりにタケちゃんマンが登場。2カ月以上のブランクで、ベトナムに行ったきり連絡がないので、そのまま永住してしまったのか、何やらいかがわしいことをやって拘束されたのでは、病気で倒れたのでは、もしかしての死亡説まであって、いいことは何も言われてなかったのですが、無事復帰してきました。でも泌尿器系の方は缶ビール1本で尿閉になりそうとかで相変わらずみたいですが、それは脳梗塞とは全く違うみたいなので節制することです。
それでは軽く乱打をやって早速じゃんけんして試合にしましょう。
最初の試合は、はげ親父と組んで森の熊さん、タケちゃんマン組と対戦。お久しぶりのタケちゃんマンでしたがテニスではあまりブランクを感じさせず一進一退の攻防となって2:2の引き分け。
日が傾いてくると風が少し出てきました。休んでいると上着を羽織らないと。
隣の体育館の工事はようやく鉄骨が組みあがりつつあります。

休んでいる時にケアマネの資格を持っているはげ親父に先日の認定調査のことでいろいろ質問、同居していないので色々聞かれても分からないのにどう答えればいいのか?調査員も結果を報告しなければいけないので聞かざるを得ないみたいで、まあ、いい加減に答えても確かめようもないか。
次の試合はもう一度はげ親父と組んで1059、えみちゃん組と対戦。この試合も一進一退の攻防となって結局2:2の引き分け。
ここで組み替えて今度は1059さんと組んではげ親父、森の熊さん組と対戦。いまだに左手首の痛みがあって、どうも握力がないので強いボールを打とうとするとミスってばかりでしたが、何とか2:2の引き分けに持ち込めました。
最後の試合は1059さんと組んでタケちゃんマン、えみちゃん組との対戦。長いゲームが続いたのですが、右に左に走りまくるえみちゃんにだんだん苛立ってきてこちらが自滅。2ゲームを連取されて、次にゲームは取り返したのですが、最後の長いゲームはこちらの粘りが足らずにミスで落として結局1:3の負け。フルマラソンを走っていたえみちゃんと比べくもないが、やっぱり基礎体力が不足しているのか。
16時30分近くになるともはや日没近くとなり照明に灯が点りますが、これにて終了。
コート整備して帰ります。お疲れさまでした。

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水木しげる「ゲゲゲの人生 わが道を行く」で幸せとは何かを考える

2019-12-14 08:11:01 | 
水木しげるの前半生はかなり悲惨です。
小学校は1年遅れで入学して、成績は落ちこぼれ。遅刻の常習で運動神経はよかったみたいですが、算数は0点ばかり。兄弟は中学に進学しているのに一人だけ高等小学校へ。今ならば学習障害とかのレッテルが張られてしまいそうです。
それでも絵を描くのは好きでうまい。高等小学校の先生に見出だされて個展まで開いています。
就職しても失敗ばかりで長く続きません。これはもうまともに働くのは無理だろうと絵の専門学校に入学するのですが、デザイン中心の為そこも中退。
こんな具合なので徴兵されて兵隊になると全くの落ちこぼれで、殴られてばかりで、どんどん危険な最前線に送られてしまう。
でも運がいいというか、生命力があるというか最前線で一人だけ生き延び、米軍の爆撃で左腕を失うも現地の人たちと仲良くなって終戦時には現地除隊してのこれとまで言われる。日本兵でそこまで現地の人たちと溶け込んだのは他にいたのだろうか。当時の日本人離れした愛嬌というか差別のない感覚がにじみ出ていたんだろうか。兵隊時代については「総員玉砕せよ」という名作がありますので是非ご一読を。

命からがら復員して来ても闇屋をやったり輪タクを経営したりアパートを経営したりといろいろやっているのですが、何時もお金に不自由してとても成功したとは言えない状況。
縁があって、紙芝居の作家になってそこそこは稼ぐのですが、紙芝居は斜陽産業。やがて貸本の作家になるのですが、忙しいのですが仕事に追われるばかりで金は稼げない。
その頃に心配した両親に無理やり見合いさせて5日間で結婚というのですが、昔はよく分からないままにすぐ結婚というのもよくあったみたい。まあ、水木しげる夫妻もほとんど仲人口に乗せられてで奥様にしてみれば騙されたみたいな話ですけど、たぶん山あり谷ありだったんでしょうけど仲良くそれなりに50年ほど連れ添っているのですから、当時の時代背景からはシステムとしても見合い結婚というのは優れモノだったかも。結婚生活については朝ドラの「ゲゲゲの女房」に詳しいですし、見ていない人は原作を読んでください。
とにかく43歳ぐらいに少年マガジンの連載を得て初めて生活がまともの成り立つのですが、それまでの仕事を失う恐怖感と飢餓感から来た仕事は断れないので無茶苦茶忙しい日々を送る羽目に。テレビくんとかゲゲゲの鬼太郎、河童の三平が少年マガジンに連載されているのは同時代としてワクワクして読んでいた気がします。でも締め切り地獄に陥り寝る暇もない日々でも漫画を描き続けられたのは好きだったからとしか言いようがない。
幼少期から基本飽きっぽい怠け者だったのに絵を描いている時には集中して何時間でも飽きなかったのは好きだったからですが、それもある種の才能。
それでもそんな忙しい時に偶然昔の上官に会い南洋の島に実に26年ぶりに訪れて、改めて人生の幸せとは何かを考えます。
好きなことだけをやって面白おかしく生きるのが幸せ何だろうと、ここから仕事をセーブするようになります。努力したら努力しただけ、神様は幸せを与えてくれるわけでもないので、努力と同じくらい諦めることも肝心、でもこれは人一倍努力した天才だから言えることかも。
水木は「なまけ者になりなさい」といっているのですが、奥様が見て結婚してから横から見ていた水木は決してなまけ者ではなく死にものぐらいで漫画を描いていた。齢80歳くらいから好きなことだけをやればいいと自分でも悟るのですが、一般人にはたどり着けないでしょう。
ところでこの本では水木自身による作品のポイントを書いています。
ゲゲゲの鬼太郎はメジャーになるにしたがって怪奇なイメージから正義の味方になってくるのですが、それでは作品に面白味をなくしていく。そこで汚い役、悪い役、ずるい役をねずみ男が一身に引き受けてストーリに深みを与えて面白くしています。物語としては鬼太郎の成功はねずみ男の成功なのです。
サクサク読める本なのですが、水木さんの人生を通して幸せとは何だろうということを考えさせられます。南の島の現地の人のように一日3時間ほど働いて後はのんびり楽しく暮らすというのが理想の生活なのか。やりたいこと好きなこともあきらめてきりきり胃の痛くなるような仕事をシャカリキにやって上昇志向一途な生き方は幸せとはいいがたいというのは、引退した今でこそ共感するこの頃です。

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桐谷さんには遠く及ばないけどプチ優待生活

2019-12-12 07:55:05 | Weblog
私の父はしがない自転車屋を営んで生涯を終えた。
私は長男だったけど跡を継ぐこともなく、地方公務員となり、したがって贈答の類はない世界だった。
また、結婚するときには仲人などという者はおかず、(一度ぐらいはやりたいとも思わなくはなかったが)仲人を頼まれたこともないので、これまた手土産を手に何年かはごあいさつにしなくてはいけないなどということもなかった。
そのため世間では年末になるとお歳暮などということがあり、何やら高級品が行きかうといううわさを聞いても全く無縁な日々を過ごしていた。
何もないなどというのも世間から取り残されているようで少し寂しかったのだが、ここで株主優待などというのが注目されてきて、投資としては優待狙いなどというのは邪道なのだが、優待狙いで何銘柄かを取得するようになった。
お陰で師走には優待品が贈られてきて、それはそれでちょっとうれしい。

まずは株価は半額ぐらいになってしまった「三光マーケティングフーズ」
ここは夜のお店の割引率が何と50%(金土は45%)で上限は1万円という優待券が6枚も来る。上手く使えばかなりお値打ちです。ところが名古屋には金の蔵が2店舗あるだけだったのに、2店舗ともこの年末で閉店。12月中に3枚使う予定ですが、これから使えないではないの。業績も赤字が続いていてこのままではどうなるのか。居酒屋業態ははやりすたりが早くて、上手くいっていても飽きられるのも早く、すぐに撤退となります。日の出の勢いだった「いきなりステーキ」も最近は急減速で赤字転落かなどと言われています。
それでもお店で使わなければ6枚で優待品のお米と交換できます。

南魚沼産のコシヒカリで4キロ。しかも精米したてのものは送られてきて、早速炊いてみたらやっぱりご飯が美味しい。
続いて「ダイコク電機」
名古屋の会社で名証のセミナーで社長さんが講演したこともあって購入したのですが、ここも株価はさえません。
でもここの優待は所有株数によるポイント制でいろいろ選べる。
今年はまずは宮崎牛のすき焼き肉。

約600グラムですが、正月に家族で食べるには十分。
もう1品は鮭のかす漬けとかみそ漬けが8切れのセット。

こちらは正月まではもたないかも。
さらに水産物を扱う会社で「魚喜」
ここは何とか赤字は抜け出したけど依然無配当の会社ですが、優待品はよくて株価はそれでもっている…

優待品はカズノコです。
もう1社は「魚力」
以前は丸栄の鮮魚売り場に出ていたんですけど、今は名古屋には拠点はないかな。
優待品は明太子

桐谷さんには遠く及ばないのですが、我が家で消費する分にはこれ位あれば、何となく正月が来そうな雰囲気になります。
因みにおせち料理は「グルメ杵屋」の優待券で注文してあり31日に届くはずです。
優待はよくても株価はさえない会社も多くて、優待狙いは株式投資の邪道だと思うのですが、そうは言ってもちょっとした楽しみで、ついつい持ち続けています。
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