怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海

2016-07-29 07:11:44 | 
この本が出たときには「もしドラ」と言われて評判になりベストセラーになった記憶です。奥付を見ても初版から半年で12版と版を重ねていました。
著者は放送作家で、AKB48のプロデュースにも関わっていたという人。業界人がうまく時代を読み込んで書き飛ばした本かと思っていたのですが、読んでみたらこれが結構面白いし、ドラッカーのエッセンスをうまく取り込んでいて経営学の本としてもよくできています。
バカにしていてすいません。

野球部のマネージャーがドラッガーの「マネジメント」を読んでみて、そこに書いてあることを実践していくことで公立のさして強くもないどこにでもあるような野球部を甲子園に引っ張っていく。ありえない設定で絶対に無理なはずなのですが、そこはちゃんとありそうかなと思わせるような工夫がしてあります。
ストーリーとしては「べた」で如何にもとんとん拍子に展開して行くのですが、それなりに涙あり苦悩ありで最後まで読者を一緒に引っ張っていきます。
ところで最初に出てくるのがマネージャーの資質。
*マネージャーが始めから身につけていなくてはならない資質がひとつだけある。それは才能ではない、「真摯さ」である。
う~ん、真摯さ、なんなんだろう…でもわかるような気もする。
組織をマネジメントするためには、まず最初に「組織の定義づけ」から始めないといけないとか。
*「我々の事業は何か」との問いは、ほとんどの場合答えるのが難しい問題である。「我々の事業は何か」との問いは企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。
ここから野球部の定義として「顧客に感動を与えること」が導かれ、目標が甲子園に行くことに決まります。
ここで私の元の職場のことが突然のごとく思い出されてしまったのですが、このところ保育園の待機児童が問題とされ、都知事選挙でも各候補が待機児童ゼロを訴えています。ところで保育園の顧客はだれなんだろう。保育園の顧客は当然ながら子どもです。今の議論は市場の観点ばかりで論じられていて、顧客のことがあまり顧みられていない気がしてならない。今の労働環境や子育て環境の息苦しさを鑑みれば保育園にいろいろ無理をしてもらっても、そこでひとまず矛盾を解決してもらうのが一番なんだろうけど、それが子どもにとって一番いいことなのだろうか。社会の矛盾を全部押し付けて保育園だけで解決するというのは無理があると思います。発言権があるのは親で、保育園を成り立たせている市場ばかり見ているのでは。本当は親の働き方を含めて子どもにとっていい方法を真摯に議論しなくてはいけないはずなのに、労働行政では企業の経営を維持しなくてはいけないことが優先されて踏み込めないままです。こういうこともあって日本人の働き方も含めて少し中長期に解決すべきと訴えたら落選確実ですね。でも票を取るためにひたすら人気取りで待機児童ゼロを訴えているだけ、本当に子どものことを考えているのだろうか、難しい状況を理解しているのだろうかと思うような首長が誰とは言いませんがいるのも事実でしょう。
ちょっと話がそれてしまいましたが安易に保育園を作れば問題が解決すると考えている人が多い風潮には腹立たしい想いですし、真の問題の解決にはならないと思うのです。ちなみに保育園児一人に毎月たしか30万円余りの経費が掛かります。ほとんどが公費負担ですが財源をどうするかの訴えも聞いたことありませんけど、そこをスルーするのは真摯さが足りないのでは。
閑話休題。この本には随所にドラッカーの言葉が引用してありますが、仕事をしていくうえで悩み迷っていたことにズバリ切り込ん来るので結構心に響きます。
*人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。
 しかし人は、これらのことゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みの故であり能力の故である。組織の目的は、人の強みを生産に結び付け、人の弱みを中和することである。
人間は弱いんですよね。弱い私です。でも組織はそんな弱い人間を束ねて各人の能力以上の力を出させていく。その通り!心に刻んでおきましょう。
*成果とは何か理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち間違いや失敗しないものを信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手を付けない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は優れているほど多くの間違いを犯す。優れているほど新しいことを試みる。
おお!何度も失敗してきた私を評価していただいた上司に感謝!そして失敗のない者を評価することのむつかしさは胸に響きます。
高校野球について触れておくと、この本で高校野球のイノベーションたる戦術を提示しているのですが、それが「ノーバント・ノーボール作戦」。送りバントとボール球を打たせる投球術を無くすということです。無駄にアウトを一つやらない、無駄に球数を増やさない。確かに有りですね。炎天下で一人の投手が連投するのは批判の的ですが、東京とか愛知では何回戦も勝ち抜かないといけないので無駄に球数を増やせば投手は持たない。練習方法もこの作戦に特化すればかなりのところまで行けそう。この本では甲子園まで行くんですけど、それは出来すぎ。まあ小説ですから。でもこの本を読んで実践する高校もあったんではないのかな?
読了後「ドラッカー」の本、手始めに「マネジメント」を読んで見ようかと思わされます。
ベストセラーにはそうなるだけのものがありました。
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テニスのバッグを買い換えました。

2016-07-27 20:56:13 | Weblog
今までテニスに行くときに使っていたディバッグがついに破れてきました。
もともと下の子のおさがりというか稲武のキャンプに持っていってから使っていなかったものを譲り受けて私が使っていたのですが、ついに破れたのです。かれこれ5~6年使っていたので、これはもう減価償却が済んでいるので仕方ないか。
イオンに行ってみてみましたが、やっぱりここはイオンよりもスポーツショップかとスポーツオーソリティで物色。
バッグ売り場はたくさんありすぎて、こういう時は悩むんですよね。値段も3千円くらいから1万円を超えるものまでと何が違うかよくわからないし、ナイキがいいかアディダスがいいかとか悩みだすと切りがない。
確かジャムを売るのに20種類のジャムを並べるよりも売れ筋4~5種類を並べた売り場のほうがたくさん売れるというようなことを読んだことある気がしますが、確かに種類がありすぎると悩むだけです。
ちょうど中学生とお母さんのお客が多くて、会話を聞くともなく聞いていると、これはどうやらもうすぐ稲武に行くので買わなければいけないみたい。
そうかここはキャンプに行くためのバッグか。
私はテニスに行くときに使うのでそれではテニス売り場ではどうか。
テニス売り場にはバッグが3種類おいてあって、あまり悩む余地はない。みんなラケットをちゃんと入れれるます(当たり前か)。
これなら私にも選べます。
結局ヘッドのバッグを買ってきました。ラケットもちゃんと2本を荷物と別のポケットに入れられます。

家に帰ったら、かみさんが値段を見て曰く結構高いのを買ったのね。
ぶちっぶちっ(血管が切れそうになる音です)
今回は15%引きなので6千円を切る値段です。年に50回近く使うので1回あたりにしたらわずかな値段。支払いは当然私の通帳引き落とし。いろいろ悩んで買ったことに水を差された気分で、ぶちっ!
自分は使ったことを見せたことがない(私にはですが)何万円もするバッグを高島屋で買っていました。
それは何なんだ!ぶちっ。
冷たい空気が流れたのですが、そこはスルーして早速荷物を詰め替えます。
一番下には靴が入るポケットもあって、私はボール入れに使うことにしました。

それはさておき次回は新しいバッグのデビューとなります。
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7月23日鶴舞公園テニスコートは法事で欠席

2016-07-25 07:05:55 | テニス
この日は曇りであまり暑くもなくて雨も降らなくて、この時期としてはテニス日和。
でも私は叔父の49日の法事で欠席です。
肘の調子もイマイチでしたのでちょうどいい休養だったか。だいぶ良くなって負荷をかけなければ痛みがなくなりましたので来週はちゃんと出席するつもりなのでよろしくお願いします。
この日の様子はどうだったんでしょうか。できれば状況をコメントしていただけたらと思います。
法事は八事の興正寺が会場でした。義弟に乗せってもらったのですが、豊田市在住であまり名古屋の地理に詳しくなくてナビに従っていきます。興正寺は知っていても駐車場の場所まで知らなかったので、お任せで乗っていたのですがナビは興正寺の山手通り門で案内中止。でもそこからは入れませんし駐車場もない。仕方ないので興正寺の周りを1周。役に立たないナビです。
何とか興正寺の駐車場に無事入ったのですが、法事の会場はどこか?その昔に来た時と比べていろいろな建物が増えてさっぱりわかりません。聞いて聞いて何とかたどり着きました。法事が始まって分かりましたが、法事の後にそのまま納骨をするということで、地下の納骨堂へ。施設は素晴らしいのですが手広く事業をしている感じ。まあ、特にお墓もない人にとっては世話なしの合理的なんですよね。
精進落としでは車の人が多くて、一人で生ビールと日本酒を飲んで酔っ払っていました。
家に帰ってからの結果ではテニスを終えて飲んで帰った時と同じでした。
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井山展望台(稲武野外教育センター)

2016-07-24 10:39:22 | Weblog
先日稲武の野外教育センターへ行ってきました。
実はここは昭和41年に本館ができていて、私は中学2年生の時に翌年行っています。本館は平成7年に改築されているので当然ながら全く建物は覚えていません。
当時は部屋は2段ベッドで10人?部屋だったのですが、ベッドで泊まったのは生涯初めてで、そこだけは記憶に残っています。今は全部畳の和室ですが一人1畳ちょっとです。
1泊は本館で1泊はテント泊まりというのは今も昔も同じ。飯盒炊飯をやってカレーライスを作ったのですが、ご飯は芯があるものになってしまった。
ハイキングコースでは結構山道を登って行ったことは覚えているのですが、展望台までは今回車で連れて行ってくれました。

標高は1100メートル以上なので、本館からは山道を500メートル余り登ることになります。気温は26度。下界より5~6度は低くて湿度も低いのだろう、風が気持ちいい。
頂上では風力発電の風車もありました。これは当時は絶対になかった。

ちょうど中学生が歩いて登ってくるところだったのですが、車で横を通ると挨拶する子もいるけど「いいな~」「ずるい」という声も。まあ、君たちは頑張ってください。でも先生たちは一緒に歩いているのでご苦労さん。中学生を見ながら歩くのは苦労と疲労が人一倍かと思います。

ここは今では豊田市内で、この辺りは紅葉の時もきれいで観光コースとして売り込んで行きたいみたいです。もう少し交通の便がよければいいのですが、有料道路をいろいろ使っても名古屋からたっぷり2時間以上かかりました。
昔ならバスに何時間も乗って乗り物酔いした子が多かったのではと思います。
当時としてはキャンプをするなんて初めてだし楽しくてワクワクしていたはずですが、還暦過ぎてでは、稲武に行ったということは覚えていてもどうだったかはほとんど記憶に残っていないのもなんですね~

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イギリス人アナリストだからわかった日本の「強み」「弱み」デービッド・アトキンソン

2016-07-23 08:13:52 | 
元ゴールドマン・サックス金融調査室長にして現在は京都の町家に住む小西美術工藝社(創業300年の国宝・重要文化財の保守を手掛ける会社です)社長デービッド・アトキンソンの日本論です。
日本人は国際比較を好み海外と比較しての優劣をつけたがる。最近はテレビ番組に多く見られるのですが「やはりすごい日本」というような論調で自画自賛していることが多いのですが、文化、価値観が異なる中での比較というのは難しいものです。
また時代により、経済の状況によって強み、弱みというのは変わり、ある時点では強みであったものが時がたつと弱みになることもあり表裏一体ともいえます。
この本では「強み」とは日本が大きく成長するためにぜひとも伸ばしていきたい点であり「弱み」とは大きなポテンシャルを秘めているにもかかわらず活用されていない点として論じています。
日本は経済大国ですが人口規模も大きい。人口が一億以上で先進国なのは日本とアメリカだけです。そして国民の教育がしっかりなされていて人間としての基礎ができている。これが復興需要と相まって戦後の高度成長をもたらしたのですが、戦前からの比較でみるとある意味当然だったとも言え、労働者の技術力と勤勉さが奇跡をもたらしたものではないのです。
ところで日本の一人当たりの生産性は世界で28位。この効率性の悪さはどうしてでしょう。きわめてレベルの高い日本の「よく働く」労働者はGDPから見ると賢くは働いていない?日本社会における仕事の進め方の効率が良くないみたいです。
その原因はというと日本の経営者にある!著者のアナリスト時代の経験では日本の経営者はあまりにも経営者にとって固執すべき「数字」におおらかというか興味がなくてプロセスを重視しすぎている。もっと「数字」に基づいた科学的な経営ができる人が必要!そうすればまだ様々な力を引き出して成長することが可能なのです。
う~ん、これにはいろいろな反論が予想されますけど国全体として生産性が低いという結果をどう判断するかです。
ところで日本の「効率が良くない」という問題をたどっていくと、かなりの部分「面倒くさい」という言葉に帰結するとか。面倒を解決するのが仕事のはずなのに「面倒」を事前に避けるために自分の意見を殺し正論を潰している。戦後右肩上がりの成長を続けていく中では「面倒くさい文化」というものは日本の「強み」だったのですが、高度成長のベースになっていた人口という強みを失った今は「面倒くさい」では済まなくなっている。
日本は外から入ってきたものを自己流にアレンジするのがうまいと言われていますが、これはどこの国でもやっていること。日本の文化的な強みは様々な文化を取り入れるだけでなく古い文化も残していくこと。文化をアレンジするのではなく「足し算」することが得意なのです。そう言えば神道も仏教もキリスト教も共存しています。よく言われるようにクリスマスを祝い成人式は振袖で結婚式は神道、葬式は仏教で初詣に神社へ行くことに何の違和感も感じていません。料理もレストランだけでなく家庭でも世界各国料理を食べています。これは世界的に見ても非常に珍しい現象であり、こうした古いものを残していることは世界の中で観光需要が大きな伸びしろを持っていることから非常に大きな強みになりうるのです。
最近に本を訪れる旅行者が大きく伸びて今年は年間2千万人を超えそうと言われていますがタイ、マレーシアで2千5百万人以上の観光客が来ています。お金でみれば外国人観光収入は先進国で比べても対GDPではいまだ微々たるもの。今の状況は観光発展途上国なのです。日本を訪れる観光客は中国、台湾、韓国からが多いのですが、世界の中で一人当たり観光支出額が多いのは、オーストラリア、ドイツ、カナダ、イギリス、フランスとか。爆買いの中国は第10位。韓国、台湾はトップ10に入っていません。もっとお金を落とす観光客を呼び込まなければいけません。どうするか?「古いものが残っている」という世界にもまれな強みを生かすのです。「文化財観光」や「文化体験」をできるようにしていくのです。
ところで日本人は単一民族で協調性があり自己表現が乏しいと言われていますが、著者によれば欧米に比べて個人主義が強い印象。それは街並みを見ればよく分かります。街並みをきれいにするよりも自分の土地を守るほうが重要で、自分の庭はきれいにしますが同じ街の周りの家との調和はあまり気にしません。そう言われればそうかもしれませんね。みんな自分の好みである人は和風、ある人は西洋風と勝手に家を建てています。建築協定という手法はあってもなかなか実効性がある規制にはなっていません。
日本はこれから人口は減っていきますがまだまだ成長できるポテンシャルは持っていて、潜在能力に比べると「もったいない」状態みたいです。
同じ著者で以前レビューした「新・観光立国論」という本も出ています。内容はかぶっていることも多いのですが、どちらか1冊と言われたら「新・観光立国」かな。
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7月16日若宮大通公園テニスコートCの後は「紫禁城」

2016-07-19 07:06:09 | テニス
終って早めに帰ったタケちゃんマンを除いて5人でいつものように鶴舞へ。
この日は千回行った蕎麦屋にしようかそれとも紫禁城にしようかと議論があったのですが、結局紫禁城に。
結構混んでいました。でも店長のリュウちゃんが一人で忙しく動いているだけ。店長と言っても従業員は誰もいないのでは人件費を浮かせるための名ばかり店長ですね。
ひとまず座って生ビールでかんぱ~い。
いつものようにヨイショは瓶ビールです。
まずは餃子を2人前。

ここの餃子は正直言って私は好みではありません。
一つが大きくて皮がべったとしている。餃子の皮はパリッとしていなくては。
続いてトマトの卵炒め。

どうも私の苦手なものばかりが続きます。
それならば今度は私の好みでシュウマイを。

1人前3個なのですが、リュウちゃんが人数分の5個にサービスしてくれました。
やっぱりここの餃子よりおいしい。
ここでビールがなくなったのでお替りのOBさんを除いてお酒にします。

お酒は八海山です。リュウちゃんがちゃんと表面張力するまで注いでくれます。
こぼさない様に口をグラスの持っていき啜ってから升を動かさないと。
それでは、海鮮XOジャン炒めを。

ここでさらにお酒のお替り。
今度は久保田の千寿にします。

本場中国では餃子は一般的には水餃子と言われています。焼き餃子は日本で発達したものなので中国人コックにとっては苦手なのでは。
それでは水餃子は美味しいのでは。

やっぱりこれは美味しい。ちゃんと皮にマッチしています。
お酒がなくなってきたので今度は全員瓶ビールにします。
もう一品八宝菜を。

ビールを追加しつつ、〆はやっぱり焼きそばでしょう。

お勘定は15320円。一人3000円で足らない分は基金から出しておきました。
コートでも飲んでいたので結構酔っぱらってしまい、記憶は飛び飛びでヘロヘロになって家に帰りました。
やっぱり5試合もやったので結構負担がかかったのですが肘と肩が痛いままそのまま倒れるように寝たのでした。
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7月16日若宮大通公園テニスコートC

2016-07-18 13:55:03 | テニス
朝から雲が多い
まあ、若宮大通公園テニスコートは高架下なので多少の雨は関係ないけどね。
ところがお昼近くなるとどんどん雲が厚くなってきて、いつの間にか雨が降ってきました。
そのうちに吹き降りになって、慌ててベランダの洗濯物を避難させることに。

テニスコートに行くのに傘をさしていくのはなんだかな~
でも雨はほどなく止んで晴れ間も。よかった。
この日は薄暮なので3時45分に家を出て歩いていくことに。
コートにはちょうど4時30分に着いたのですが、OBさん、はげ親父、タケちゃんマンがコートの外で前の組が終わるのを待っていました。
先回はタケちゃんマンは少し飲んでも体調が戻らず帰ってしまったのですけど、どうも熱中症だったみたいです。まあ、体調悪いのに涼しいところでビールを飲めば治るという考えが間違っていたということですね。
ほどなくコートが空いて早速乱打を始めます。
そのうちにヤッターマンも到着。さらに遅れて栄から歩いてきて疲れたというヨイショが到着。
私は肘の具合はいまだよくないというか、痛みがあるので乱打も早々に切り上げてビールを飲むことに。
気温は30度を超えて湿度もそこそこ高いのでビールが美味い。

でも西日は雲に隠れているので、コート上で西を向くとまぶしくてボールが見えないということはありません。まあ、むちゃくちゃ暑いわけでもなくビールを飲みながらテニスをするにはちょうどいい天気でした。

一休みしてからじゃんけんして試合にします。
最初はヤッターマンと組んではげ親父、タケちゃんマン組と対戦。試合の前にタケちゃんマンがぼそぼそ言うので何かと思えば「勝ち残り」の確認。連続しての試合は嫌なのであえて確認したのでしょうが、ということはすでに気分で負けている!
ところが試合結果は敵も味方も予想外の0:4の完敗。勝負ところでミスが連続したということなんでしょうが、あえて言えばサイコロの目がすべてうまいこと向こう有利に出たということか…
続いてもう一度ヤッターマンと組んでOBさん、ヨイショ組との対戦では悪いところをそれなりに修正して3:1でした。
この日はタケちゃんマンは食事をしないで帰るということで、それならばビールを飲んでもいいそうで、休憩時間は4人で酒盛り状態に。

一休みしたら試合再開です。
次はOBさんと組んではげ親父、ヤッターマン組と対戦。一進一退の展開で最後粘って何とか2:2の引き分けに。
そろそろ肘に負荷がかかってきて痛みが強くなってくる。おかげでサーブをまともに打てません。まあ、普段でもめったに入らないサーブですからあんまり変わらないか。
続いても小畑と組んでタケちゃんマン、ヨイショ組と対戦。何故かビールを飲んで調子がいいタケちゃんマンと右へ左へと翻弄させられるヨイショにかなわず1:3の惜敗。やっぱり私はまともにサーブ入らなかったからな~
この時点で6時30分過ぎ。雲が多くて日差しが隠れているのでちょっとボールが見難くなってきました。もう帰ろうかという声もあったのですが、もう1試合というのでヨイショと組んではげ親父、ヤッターマン組と対戦することに。ここは勝負をかけたヨイショの頑張りで2:1となり、ここでサスペンデント。単に私のサーブを回避したからなのですが、最後は勝って終ることが出来ました。


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「江戸という幻景」渡辺京二

2016-07-16 08:53:13 | 
エコロジーの観点から今、江戸時代の再評価が言われている。国内の流通は盛んだったにしろ、鎖国を続け、当然ながら石油も石炭もないクローズドマーケットで平和を謳歌しつつ文化を爛熟させていった江戸時代。ではその江戸時代の人々の暮らしはいったいどうだったんだろうか。百姓は生かさず殺さずで抑圧されていたのか、武士は威張って切り捨て御免で無理を通していたのか、時代劇や小説に書かれていることが事実だったんだろうか。
この本は江戸時代のいろいろな文献を引用しつつ江戸という時代の風貌を描写している。そこに見えるのは近代とは違った豊穣さを持った、だからこそ明治維新以後の急速な近代化の中で失われてしまった二度と引き返せない世界でした。
実はこの本を読む前に以前同じ作者で評判になった「逝きし世の面影」を読んでいるのですが、なんせそれは500ページばかりある大部の本。図書館で借りて2週間の間に読むのがやっとでとてもレビューを書くところまでいきませんでした。
ここで簡単に触れておくと「逝きし世の面影」は幕末そして明治維新後に日本を訪れた西洋人が書いた紀行文、日記などをもとに現代のそれと全く異なる日本の文化、風俗を描き出しているものですが、目から鱗というか知的興奮に満ちた本でした。明治になって近代化とともに急速に失われていくものでしたが、日本人の心の底に通奏低音としては残っているのではないでしょうか。

詳細は自分で一度読んでいただくことをお勧めしますが、いやぁ、面白かったですね。大部の本ですが読みとおす気力がありそうなら一度挑戦してください。500ページでもまだ書き足りなかったのか「日本近世の起源」という本を出しているのですがこれはまだ読んでいません。
で、「江戸という幻影」ですが、これは江戸時代の比較的著名な随筆や紀行文をもとに明治になって滅び去った江戸という時代の幻影を描いているのです。引用されている本には根岸鎮衛の「耳袋」、これは確か宮部みゆきの江戸の町を舞台にした人情時代物にも出ていたと思います。確か「本所深川ふしぎ草紙」だったかな?朝日文左衛門のご存知「元禄御畳奉行日記」、川路聖謨の諸日記、海舟の父の勝小吉の「夢酔独語」などなど多数です。もっとも江戸時代のこの類は山ほどあるので都合のいいものだけを取り出したともいえないこともないのでしょうが、それは研究者ではないのでわかりません。

そこに描かれているのは情愛深く、ことに触れて赤児のような純真極まりない感情を流露する人々である。旅人には優しく、無一文で旅する人にも道中で人々は声をかけ喜捨を施している。旅先での病人を見つけると何かと世話を焼き、そのままにはしておかなかった。ちなみに関所も江戸後期になるとよほど緩やかになるみたいで宿屋でお金を出せば手形を買えるとか抜け道が公然とあるとかで苦労することなくクリアーできたみたいです。
女性だけの旅行も特に不自由なくできたようで、お伊勢参りは隆盛していて、女性の3人連れで九州から日光まで何か月もかけて旅行した記録もあります。これは田辺聖子も本にして紹介していたかな。
その時代の死生観についていえば、平均寿命が30歳そこそこということもあるのでしょうが、「死」に対してはあっけらかんとしていて、従容として死を迎えるのが普通だったみたいです。江戸の町人といえども、なぜ死なねばならぬとこだわるのは野暮の骨頂で、さばさばとした覚悟を粋としていました。ましてや武士では死すべき時に死なぬのを取り返しつかぬ恥としていました。だからこそ年端のいかぬ少年が何の気負いもなく腹を切っている。そこには当時の人々の死生観が共通の気分としてあるのでしょう。
夫婦関係でいえば、当時の離婚率は高いのですが、一方的な追い出し離婚は当時まれで、嫁の飛出し離婚も少なくなく、一般にみられるのは関係者が寄り合って協議した末の熟談離婚とか。うまくゆかなければ直ちに離婚して、何度でもやり直せばいいという婚姻常識だとすると家業の経営という要請が背景にあるだけに現実的である面すこしわびしいものがあります。幕末に本を訪れた西洋人は、日本の女は真の意味での愛を知らないと感じたそうですが、夫婦間の恋愛については一生愛を誓うというキリスト教的な意味では、なかったかも。
庶民の暮らしはまさに宵越しのお金は持たないではないけれど手に職を一つ習い覚えれば暮らしに必要なものが著しく簡素かつ少数で価格も低廉ということで何とかなった…
日本全国を旅した記録を見てみると、どんな辺鄙な場所に行っても貧しいとしか映らない暮らしの中に様々な年中行事があり、その中に生きる楽しみがあった。
身分制度の中で息も詰まる生活かというとそうでもなくて、江戸時代も爛熟してくると町人はあまり武士に恐れ入ってはいない様子が見て取れる。無礼打ちなどめったになく、我慢の限界で無礼打ちしたとしても、それはそれで後始末は厄介なので、町人がしつこく武士を挑発する場面もあったようです。勝小吉などは武士の子と言えども近所の町人の子供と派手に喧嘩している。最も勝小吉は祖父が御家人株を買って武士となったものなので、その頃はいたって武士と町人の間の垣根は低かったということですね。
時代劇では北町奉行所とかで大岡越前が名裁きをするとなっていますが、当時の裁判は厳しいもので、その厳しさはあらゆる階級に対して平等であったそうです。いろいろな訴訟の記録を見ると百姓が一方的に厳しい判決を受けているわけではなく、藩主や家老も厳しい処罰を受けている。わいろを受け取った者も処分を受けている。吉原で接待を受け1両1分を受け取った与力は死罪って命の値段が軽いですが、厳しいですね。
でも厳しいだけではなくて民事についてはその時代の正義観念と人情の兼ね合いを図って、すこぶる自由裁量の余地があったみたいです。一刀両断で判決するのではなくて当事者同士の落としどころを辛抱強く探ってもいます。ここらあたりが落語や講談の大岡裁きとかになるのでしょうが、事実はどの程度だったかにしろ、そういう記録が残っているのは、それも良しという時代の雰囲気はあったということなんでしょう。
なんとも魅力的な江戸時代の人々の姿です。でも読むのでしたら「逝きし世の面影」から挑戦することをお勧めします。
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「臆病者のための億万長者入門」 橘 玲

2016-07-14 07:22:37 | 
あたかもすぐに億万長者になれるための入門書のような題名ですが、そうは行きません。
内容は金融の常識を示す資産運用の指南書です。その意味では依然紹介したことのある山崎元の本と同趣向で内容もほぼかぶっています。でもそこは橘玲の独特の皮肉がこもった文章で、どちらがいいかと言ったらもう趣味の問題ですかね。
銀行とか証券会社が勧める金融商品は、売るほうにうまみがあるから勧めるもの。いろいろ難しいことを説明するのですが、要はその分手数料が高い。当たり前のことですが相手の立場に立って考えれば何故この商品を勧めるかがわかります。自分だけが特別なお客で特別な優遇を受けられるとか特別な幸運に恵まれるというのは、ちょっと考えればあり得ない話と分かります。自分は理解力があり客観的に判断できるからと思っている人が荒唐無稽な詐欺に引っかかるのです。
因みに宝くじは経費率5割といわれ「愚か者に課せられた税金」と言ってよく、生命保険は手数料たる付加保険料を開示してない業界(ライフネット証券が初めて開示した)なのですが、その手数料(宝くじより高いものも)を知るととても割に合わないだとわかります。
「誰も未来を知ることができない」というのは金融界でも同じで、市場の変動は複雑系のネットワークで、これから起こることの予測は原理的に不可能。だからこそ高給を貰う証券アナリストの成績はランダムに予測するサルに勝てない…アクティブファンドの平均的な投資成績はインデックスファンドに劣るというのは、山崎元も書いているのですが、金融界の常識というか不都合な真実なのです。さらに言えば運用成績の良かったファンドは翌年に下落することが多くて逆に運用成績の悪かったファンドは翌年には上昇するとか。長期的には凡庸な成績に回帰するだけなのですが、結果が出ないのにあたかも成績がいいような能書きで高い手数料を取っているので運用成績は悪くなるはずです。
では臆病者にとっての最適な投資戦略とは?というと長期的には市場は拡大し経済成長がプラスになると考えれば、これまた山崎元も書いているようにインデックスファンドで分散投資することです。株式市場が暴落した時から始めるとよくてドルコスト平均法で行けば高い利回りが得られるはず。まあ、ドルコスト平均法についていえば異論(山崎元は推奨していません)もあるんですが、人間は損すると得する時より3倍苦痛という不合理なバイアス(損得の非対称性)がかかるので、失敗しないためには毎月なり定額投資するのがいいみたい。
為替についていえば、一時ミセスワタナベと言われFX取引で億儲けたとかという話が流布していましたが、為替取引はゼロサムゲーム。得をした人がいれば損をした人もいる。レバレッジをかけて何億も損をした人の話はあるはずだけども聞こえてこないもの。運よくビギナーズラックで儲けたとしても長期的にはどうなったか?儲けたらそのお金を握って即為替市場から退場することのできる人はほとんどいないでしょう。
どうやらFX取引には手を出さないほうがいいみたいです。
では、不動産投資はどうか?
不動産にはいろいろなリスク(津波などの天災、隣にやくざが事務所を建てる、地盤沈下するなどなど)がどうしても生じることがある。個人で不動産を所有しているとそのリスクは原則すべて自己責任になる。個人はリスク耐性が低いだけにマイホームは賃貸したほうが合理的。リスクがあるからこそ不動産会社は土地があればマンションにしたり分譲住宅にしたりして個人に転売してノーリスクで儲けたほうがいい商売になるというものです。
資産運用としての不動産でいえば、これからの日本の人口が減っていくのは確実で、地方では空き家が問題になっていることからも、長期的な値上がりは考えにくい。その市場は相対取引が多く不動産業者の裁量が大きく手数料も割高、情報も広く公開されているわけではないインサイダーマーケット。もし不動産で資産運用しようと思うのならオープンマーケットのREITにすべきでしょう。
でも資産運用だけではなくて一国一城の主になりたいという願望で家を買ってしまうんですよね。生物にとって生き延びるために「なわばり」を死守することを延々と続けてきた進化論的な強固な理由があるといわれるとさもありなんですか。
最後にアベノミクスと日本の未来を描いていますが、楽観シナリオなら年金受給権と不動産価格は維持できるので臆病者としてはお金は普通預金に預けておけばいい。仮に円安とインフレが進行して国家債務の膨張が止まらず国債デフォルトという最悪のシナリオになったとしても、ある日突然日本国が破たんするわけでないから、その間に普通預金を外貨預金なりに預け替えればいい。あらかじめ
座ぐらい作っておいてもいいのでしょうか。
人的資産は暴落するわけではないので、できるだけ「活用=働けるだけ働くし」つつ、うまそうな話を直感で決めるのはプロのカモになるだけなので、「遅い思考」が必要。ま、当たり前ですけどね。
新書本で250ページほどの本ですから資産運用を考えている人にはお勧めです。
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期日前選挙に行ってきました。

2016-07-10 09:48:17 | Weblog
土曜日は雨でテニスは中止。
でも4時過ぎには雨もほぼあがってきました。
日曜日にはかみさんの伯父のお見舞いに行かなくてはいけない。朝一番とか帰ってきてからなら投票できる時間はあるのですが、ちょっとあわただしいのでかみさんと一緒に期日前投票に行くことに。
歩いていくと学区の投票所よりは少し遠いのですが、一日家に閉じこもっているだけだったのでちょうどいい散歩になりました。

区役所に行って3階へ。
「選挙のお知らせ」の裏面に宣誓書が印刷されているのであらかじめ書き込んでいけば、スムーズに受付できます。いつの間にかコンピューターで名簿確認して生年月日を尋ねられることもありませんでした。宣誓書に書くからなのか?
選挙区、比例区と順番に投票しますが、開票事務に携わったことのある身としては、比例区はマークシートにすべきでは。非拘束名簿という方式はそれはそれでいいのですが、開票事務は本当に大変。確定させるには大変な労力と時間がかかります。同姓とか似た名前の人がたくさん立候補しているので、疑問票が結構出てきますし、それを割り振るのは大変としか言えません。結果、ほぼ開票事務は終わっていても確定ができずに、かといって確定するまでは帰るわけにもいかず無為に時間だけ過ぎていく。翌日も普通の勤務なんですけどね。ほとんど寝ることができないので参議院選挙は翌日開票にして欲しいくらいです。
でもマークシート方式だと年寄りが無理とかになって、だめだろうな。

投票時間は延長されているし、開票事務に従事している人の苦労も少し考えてほしいものです。誰も言わないから変わらないのですけど・・・
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