怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

河野一隆「王墓の謎」

2024-09-03 16:59:30 | 
8月25日の中日新聞の書評にも小さく載っていましたが、以前何かの書評で読んで予約していた本です。

王墓というとピラミッドとか仁徳天皇陵(大仙古墳)を始めとする巨大古墳とか始皇帝陵などが思い浮かびますが、その成立の秘密を国際比較しつつ謎解きしたものです。
一般的なイメージでは巨大な王墓は権力の象徴で、その建設に多くの人民を徴発し奴隷のようにこき使った専制君主が造営したもの。
しかし、日本での古墳時代は「謎の4世紀」とも言われ不明なことが多い。そして古墳時代が終わる7世紀には飛鳥に都が出来て国家体制が整い、国際舞台でも活躍するようになる。古墳時代よりもその後の方が専制君主の権力は弱くなったのか。普通に考えて飛鳥時代の方が体制が整い国家権力は強化されたと思う。
同じ様にピラミッド時代が終わったエジプトでも国家権力体制は整備され王の存在感は増していた。
どうも王墓は権力の象徴という考えの呪縛されていて、王墓の対する捉え方が間違っているのではないか。世界各地の巨大王墓は国づくりのために政治組織が再編され社会が流動化した時期に集中している。
著者は時代の転換期につき物の社会不安が顕在化した時、人々の要請に応えて王墓が誕生したとの仮説を提出。
当時の王は神聖性をまとわせるために社会が必要とし、殺されるために選出された人間であり、生贄のように神へ贈与された弱い王=神聖王という。専制君主とは正反対の存在であった。
王墓は自らの権力や権威を人々に見せつけると言う意味以上に、他と優美さや勇壮さを競い合い、それを継続していくことに維持される関係性が社会の分断を防止すると言う役割を果たしていた。王と神との協力関係を特定個人に固定せず、権力の集中を阻害する社会システムとして機能させていたと言うのだ。
そう言われると巨大古墳を造成した仁徳天皇は何をしたのかというと各地の豪族を切り従え強大な国家を作り上げたと言う話はあまり聞いていないし、民の竈云々という話しか知りません。でもそうなると律令制が整うまでの古墳時代の大王というのは弱い神聖王?強大な権力を握っていた訳でなくて人々の厄災をすべて取り込んで死んでいく神聖なる方?国府宮の裸祭りの神男みたいな存在?有力氏族との厳しい権力闘争に打ち勝って大王となると考えていたのでイメージが湧いてきません。古代史理解も大きく変わるのでしょうか。
ところで王墓には高価な副葬品がつきもので、めぼしい王墓は盗掘の餌食になっているのですが、素人考えとしては三種の神器ではないですが、一緒に埋葬するのではなくて代々引き継ぐのが普通では。武器などは埋葬してしまうと戦力低下でしょう。
ここで出されるのが「威信財」という考え。社会内を生産・流通・消費されながら循環する高い価値が付加された財を言います。豪華な副葬品は首長が自らの権力に任せて高価な品を独占して墓に埋めたわけではなく、富の集中による社会の分断を回避するために繰り返された威信財の贈与や交換を、神への贈与という形で終わらせる帰結点と捉える。特定個人に富を集中させないシステムだと。神聖王と一緒に埋葬してしまうことで富の不均衡を一度リセットしてしまうと言うのです。
ここで提示された仮説は、王墓=権力の象徴ではなく王の専制君主制化を抑制するシステムというもの。
ところが、王の神格化を強めれば強めるほど人々は王墓を重視しなくなり、神殿に直接礼拝することを重視するようにあり、神殿へと中心が移っていく。いつしか王と人々の距離が広がり神格化した王個人は剥き出しの権力を誇示する強い王となる。王墓の造営は王個人の私的な営為と為し、葬送儀礼は形がい化する。ここに至って王墓は縮小・解体への道をたどる。
どうもハリウッド映画の影響なのか強い権力を持ったファラオが人々を強制労働させて巨大なピラミッドを作ったイメージが強すぎて、なかなか腹にすとんと落ちないのですが、神聖王と威信財経済が王墓を誕生させ、それは大災害の記憶という原罪意識に駆り立てられた社会が過酷な造墓労働に自らを投じることになったと言う説はそれなりに説得力があります。
もっとも結構難しい議論も多々あり理解がついて行かなかったのも事実。この議論を踏まえ、もう少し日本の古墳について詳細に述べていただけるとよかったのですが、イマイチ?の連続で、空白の4世紀をとらえ直すとどう解釈できるのか。
それにしても用語の含めて難しかったのが印象。このレヴューもかなりいい加減な私の理解で、とっ散らかって書いたのですが、多少とも興味があれば自分で読んでみてください。
第9章でまとめと要約がありますので、時間がない人はそこだけでも立ち読みしてみたら。
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9月1日熱田神宮公園テニスコートはグランド状態不良で中止

2024-09-01 14:22:59 | テニス
この1週間はなかなか進まない台風に翻弄さrていました。
すでに千週の日曜日から台風の影響が出ていて、終了時間前に雨が降り出してやむなく撤収したことはブログに書いた通りです。
ところがその台風はいまだ潮岬のあたりをうろつき東海地方上陸かという状態。
それでも朝起きて空を見ると雲は多いものの切れ間からは青空も見える。

来るのかい、来んのかい、はっきりして欲しい。
どうも来ることは来るみたいですが、例によって遅れ気味で、雨も雲の流れ次第で断続的?

結局午前中は曇りのままで雨は降らないみたい。
それならばしばらく引き籠り生活だったので熱田神宮公園に散歩に行くことに。
ついでにテニスコートの様子を見てみるとさすがにこのところの連日の雨のせいで、コートの真ん中に大きな水たまりがある。

これはさすがに15時からでも無理でしょう。
その旨をLINEで連絡したのですが、後からこの日の名義のはげ親父に管理事務所からもグランド状態不良のため使えませんとの連絡があったそうです。そうだよね。
それでも午後になっても一向に雨は降りださず、日が差してきた。
いつもウエザーニュースを見ているのですが、局所的短時間ではあてにならないことが多い。一応14時現在では16時ごろから雨となっているのですけど。
仕方がないので空いた時間つぶしに本でも読むか。
矢部太郎の「大家さんと僕 それから」が借りられたので丁度いい。

文庫本にもなった「大家さんと僕」の続編ですが、矢部と大家さんの生活も8年で終止符を打つことに。大家さんも95前後のはずなので仕方ないのですが、お互いに幸せな時間を過ごせたことが伝わってきます。微妙なところで思いはすれ違うのですが、上品なお嬢様育ちのまま旅立った大家さんです。ボケて攻撃的になったり問題行動を起こすことなく頭はしっかりしていたのが羨ましい。もっともそう言うことがあっても書かれることはないでしょうけど。最後は骨折して自宅で暮らせず、入院したりリハビリに励んでいたみたいですが、歳をとってからの転んでの打撲とか骨折は命取り。私の父もそれで動けなくなって結局復活できませんでした。
最初に書いてあるようにあくまでここに書いてあることはフィクションで、大家さん自身は矢部によってより魅力的に面白くデフォルメされた存在です。
最初の「大家さんと僕」が出版された時、自分のことが書いてあるのを大家さんはどう思ったのか。とても喜んだみたいで、うれしくて本を自分の知り合いたちに贈っています(あて名書きとか発送は矢部に頼んでいたのですが)。自分の生きていた証がちゃんと形として残ることは私には何もないだけに望外の幸せだと思います。
因みに本のファンレターも大家さんあてのものが結構あって、自分が書いた本なのにと矢部は嫉妬しています。
最後に大家さんが亡くなり、矢部も住んでいた家を出る時の寂静感は言い難いものです。
すぐに読めるので読了しても台風はまだ来ません。
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奥田昌子「日本人の遺伝子からみた病気になりにくい体質のつくりかた」

2024-08-30 17:10:32 | 
長い題名です。
遺伝について分かりやすく書いてあって、知的好奇心を満たされた本です。

ゲノムと遺伝子とDNAとよく聞きますけど、みんな同じ事を言ってるのかと違いがよく理解できていませんでした。
ゲノムとは体の設計図と言えるもので細胞のほぼすべて(例外は赤血球)に1セットずつ入っている。遺伝子はゲノムの設計図の中にある「文」でたんぱく質を作ると言う指令を出すもの。DNAは文字が並んだもので、二重らせんと塩基配列は高校の生物で習ったような。
塩基配列の様々な変化を遺伝子変異と言い、集団の中で100人に1人以上の割合で現れた遺伝子変異のことを遺伝子多型といい親から子に受け継がれる。たった1個の塩基の違いで体質の違いを生むことがあり、これを1塩基多型(SNP)と呼ぶ。犬のゲノムは犬種を問わず同じなのですが、SNPの違いによるそうです。
因みに遺伝子のゲノム全体に占める割合は約1・5%。でも残りの98・5%はごみDNAと言われていましたが、遺伝子の活動をコントロールしており、たんぱく質を作らせていないけど他の形で大切な働きをしている。1個の細胞に含まれるゲノム1セット分のDNAをすべてつなぎ合わせると2メートル近い長さになる。
近年ゲノム解析が急速に進んできたが、人と人との間の差はわずか0.1%。重要なのは、ゲノムのどこが違うか。
ところで一卵性双生児は全く同じゲノムなのですが、同じ病気になるとは限らない。遺伝子にはそれぞれにスイッチがついていて、いつオンオフになるのかによって遺伝子の働きが変わってくる。スイッチの状態が違うと体の特性も異なる。こうして遺伝子の働きが変わることは「エピジェネティクス変異」と呼びます。
病気のなりやすさは41ページ図1ー4にあるように①親から受け継いだ遺伝子多型とエピジェネディクス変異に加えて②生後に起きた遺伝子変異と③生後に起きたエピジェネティクス変異によって引き起こされる。
日本人は長い間に受け継がれてきた遺伝子多型とエピジェネティクス変異により「酒に弱くなる方向に進化」している。へえ?ですがそれは稲作文化の仕業。詳しくは読んでみてください。他にもいろいろな例が紹介されていますけど、それぞれの気候風土に即した感染症の脅威などから如何に体を防御するのかで体質は違う方向へ進化し、人種とか民族の違いが出来てきたみたいです。
生後成長していく過程での遺伝子変異とエピジェネティクス変異によっても病気のなりやすさも異なってきますが、そこには生活習慣とか栄養状況、ストレスとかも大きく関わってきます。一卵性双生児でも揃って同じ病気になる確率が40%を超えていたのはバセドウ病と自己免疫性甲状腺疾患と気管支喘息だけ。ゲノムだけではすべては分からない!
遺伝だけで100%決まる病気はごくわずかで、大部分の病気は遺伝による「なりやすさ」を下地にして、生活習慣と環境による遺伝子の変化が加わることで発生するのです。
日本人の遺伝的体質から考えて、酒は1日エチルアルコール20グラム、禁煙して、運動は週23メッツ・時、食物繊維と魚をたくさん食べて脂肪を摂りすぎない。日本人の栄養摂取バランスが最も優れていたのは1980年前後の食事とか。その頃私はまだまだ30歳前なので毎日仕事が終わるとつるんで飲み歩くヤクザな日々で、栄養摂取バランスはめちゃめちゃだったけど…
遺伝子関係なくよく言われていることばかりですけど、わかっちゃいるけどやめられないのをどうしたもんじゃろの~
ところで遺伝子のスイッチは不可逆的でいったんスイッチが入ると後でスイッチを切り替えることは出来ないのですが、IPS細胞は、特殊な処理を施すことによって遺伝子のスイッチを解除して、様々な組織や臓器に変化しうる多能性を与えたものです。
とにかく新書1冊に詰まった情報量は多くてスカスカ頭の私には要約しきれませんけど、興味を持った方は是非一度読んでみてください。
一緒に写っているのは池井戸潤の「民王」。異常な暑い日が続いてエアコンの効いた部屋で時間つぶしに読むには最適です。
設定は荒唐無稽ですが、漢字の読めない麻生総理とか泥酔会見の中川大臣を彷彿させられて、そう言えば昔そんなことがあったよねと笑ってしまいました。もう少し現実味のある設定に出来るともっとよかったんですけど、ちょっと無理か…
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矢部太郎「大家さんと僕」

2024-08-28 07:51:22 | 
カラテカの矢部太郎というと小柄でやせ細っていて、以前〇〇だけで1週間とかの番組にちょくちょく出ていたので記憶があります。
カラテカの漫才は見た記憶はほとんどなく、いじられキャラで話も下手な印象でした。
カラテカで言えば、相方の入江の方が話も出来、起業もして活躍していましたが、活躍しすぎて闇営業の元締めとして有名になってしまいましたけど。
そんなさえない矢部の書いたこの本ですが結構売れて評判になりました。

そのせいか今の大河ドラマ「光る君へ」にも出ています。
諸般の事情により転居する必要があり、不動産屋さんに紹介された家。新宿区の外れの一軒家。1階には大家さんのおばあさん(87歳)が一人で住み、以前亡くなった兄が住んでいた2階に矢部が入居。高齢の大家さんがまさかの時にはよろしくというミッション付きです。
それでも相性が良かったのか大家さんと矢部とは、えも言われない関係性が出来てきます。
大家さんは短い結婚はしているのですが、いわゆるいいところのお嬢様育ち。3食自炊して規則正しい生活をしていますが、ある意味歳を重ねても世間知らずのお嬢様です。買い物はタクシーに乗って伊勢丹で、食事は京王プラザホテル。兄の月命日にはウナギ弁当を出してくれます。
当然ながら芸人の世界は全く知らない。テレビでもバラエティ番組は見たこともないのでしょう。矢田がいつもどんなことをしているかは無知。役者のようなものと言う理解です。
波長が合わないことが多いのですが、いつの間にか、いつも大家さんのことを考えているような矢部になっています。家族ではないのですけど、疑似家族と言うかお互いにお互いのことを気にかけている間柄になっていくのです。
まあ、家賃は滞納したり、食事はおごってもらったりと、うまいこと甘えてはいるんですけどね。
でもたまたま矢部のような人でよかったのですが、性格粗暴で弱みに付け込むような人が入居していたらどうなっていたのか。不動産屋さんもそこら辺の人を見る目はあったと言うことか。
矢部と大家さんとのそんなどうってことのない日常をあまり上手でもない漫画で綴ったものですが、なんかほのぼのとしてしまうんです。
芸人でありながら人を押しのけて目立とうと言うところがなく、なんでこの世界に入ったのかと疑問に思う矢部ですが、それだからこそ大家さんと上手く行くのか、この本を読むと癒される気分になります。
続編も出ているので読みたくなりました。予約しておこう。
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8月25日熱田神宮公園テニスコートはいきなりの雨

2024-08-26 20:24:38 | テニス
大気の状況が不安定の日々が続いています。
昨夜も夜中に結構降りました。
とりあえず朝起きて外を見れば雨が降ったあとはあっても晴れている。
しかし、この日の熱田神宮公園テニスコートはクレーコートなので場合によっては使用不可かも。
そこははげ親父が管理事務所に問い合わせてくれましたが、11時からなら大丈夫とのこと。この日は15時からなのでノープロブレム。
それでもこの天気だといつ雨が降り出すか分かりません。

果たして13時30分過ぎにははげ親父から家を出ようとしたら雨のメール。飲めない飲むも天白区は大雨だけど大丈夫?のメール。
でも熱田区は全く雨は降っておらず、雲の動きをみても外れている。その旨をメールして15時は降っていないことを祈って決行することにします。夕立に遭う可能性もあるのでラケットは予備の古いものにし、バッグも予備のものにして傘を持参します。
しかし1059さんは千種区は雨が降っているので欠席しますとの連絡。
雨が降り出す様子もないので14時30分に家を出て熱田神宮公園へ歩いて行きます。丁度はげ親父が管理事務所から出てくるところで飲めない飲むもいました。
時間にはちょっと見小野ヤスシさんが来てこの日は4人だけ。
天気は雲があっても晴れ間も多くて雨の降る気配はなし。


早速ボレーとストロークに分かれて乱打をします。
明け方の雨でコートは締まっていて、水を撒く必要はない。
一休みしたら試合にしますが、4人だけなのでじゃんけんする必要もなく適当に組み合わせます。
最初ははげ親父と組んで飲めない飲む、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。なぜか飲めない飲むのサーブがさえていてファーストサーブがビシビシ入ってきます。縺れるゲームばかりでしたがそれでも4:0の完封勝ち。年の功と言ったところでしょうか。
休憩になるとはげ親父がビールを出してきて勝利の乾杯。

次の試合は飲めない飲むと組んではげ親父、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。1試合だけかと思ったら飲めない飲むの好調は続きサーブだけではなくストロークでもいつもは3回目にはミスするはずがミスせずに、その分ちょっと見小野ヤスシさんがミスをして、これまた4:0の完封勝ち。
あまり好調だと好事魔が多しと怪我をするのでは?
次の試合は最後の組み合わせでちょっと見小野ヤスシさんと組んではげ親父、飲めない飲む組と対戦。
ところが丁度この頃から黒い雲が上空を覆いだします。

ポツポツ降り出してきたので、早く試合を進めましょう。
一進一退の展開で2:1で勝っていたのですが、雨はどんどん大粒になってたまらず中断。
パゴーラの下で雨宿りするのですが、隙間があるので雨だれが落ちてくる。
コートにもみるみる水がたまってきてもうこれはだめだ。

残念ながら16時30分前でこの日は終了。
持参してきた傘が役に立ちましたが、それまでにずぶ濡れ。でも家に帰りつく頃には雨はほとんどやんでいました。
帰宅してすぐに全部着替えしましたが、この日は夕飯はいらないと言って出てきたので、一息ついてからイオンにいって総菜を買ってくることに。
まあ、テニスが出来ただけでもよかったと言うことで、こんな日もあるさ。

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逢坂剛「さらばスペインの日々」

2024-08-25 14:11:09 | 
先日このブログにもアップした「暗殺者の森」の続きがどうしても読みたくなって、イベリアシリーズの完結編の「さらばスペインの日々」を読みました。

ドイツが降伏し、やがて日本も降伏。
交戦国ではなかったスペインでもその影響は受けるのだが、おなじみの陸軍参謀本部付情報将校でスペインとペルー国籍を持つ北都昭平にМI6第5課員のヴァジニア・クレイトンはどうなるのか。
さらには聯盟通信ベルリン支局長の尾形正義は無事帰国できるのか。ドイツ・アブヴェア元長官のカナリスは本当に処刑されたのか?
完結編にふさわしく今までの登場人物のその後を回収しています。
話の中心はヴァジニアがイギリスに帰国してソ連と通じていたのではないかと疑っているМI6第9課長のキム・フィルビーとの対決。でもヴァジニアはフィルビーの疑いについては状況証拠しか掴んでおらず追い詰めることが出来ない。このあたりのヴァジニアの行動はいかにも脇が甘い。戦時下の権謀術策の交叉するスペイン、ドイツで活躍した腕利きの情報員とは到底思えない。
ヴァジニアを助けるべくイギリスにわたる北都の行動も無鉄砲と言うかあま~い。二人とも命がいくつあっても足りないでしょう。
その間にいろいろな人の援助を受けて、敵か味方も分からない登場人物が入ってきたりして、話が二転三転しつつ進んでいくですが、読むのを止めることが出来ない一気の展開はさすがです。
結局北都とヴァジニアはスペインへの逃避行は失敗し、北都はアメリカОSSによって拘束され日本人戦犯としてスペインから日本へ強制送還される。ヴァジニアはイギリスで日本人諜報員との親密な関係を疑われ逮捕され取り調べを受けることになる。
強制送還される北都はスペイン在留邦人やヨーロッパの他の国の在留邦人とともに地中海からスエズ運河を抜けてマニラまで乗船。ひどい待遇のボロ船の航海の様子が詳細に書いてありますが、敗戦国の悲哀がよく分かります。
ところでこの本は完結篇らしく登場人物のそれぞれに話のおちをつけていますが、最後に作者自身のエピローグで、この足かけ16年の歳月をかけたイベリアシリーズの7作トータル4千ページに及ぶ創作の種明かしをしています。
きっかけはアメリカの公文書館が解禁した「マジック・サマリー」これは日本の外務省と在外公館の間に交わされた、暗号による外交通信を傍受、解読、集積した最高度の機密文書。そこには遠いヨーロッパにあっても様々な形で戦っていた日本人の姿があった。
当時スペインはドイツと英米の情報員が呉越同舟の状況で情報戦にしのぎを削っていたのだが、そこに日本の情報員が一枚加わればヨーロッパの戦争を違った視点で見ることが出来るのでは?試みは大成功でこの長編シリーズをハラハラドキドキ読むことが出来ました。
最後はお決まりの大団円ですけど、それでないと終われません。
このシリーズでは第二次世界大戦の勃発前夜から終戦までほぼ史実に沿っているのですが、主人公の北都昭平、ヴァジニア・クレイトンは諜報員の世界は公にならないものなので作者の創作。聯盟通信の尾形正義はモデルはいるのでしょうけどこれも創作。
当然ながら実在の人物も実名で多数登場する。ドイツ国防軍のカナリス提督も実在しているのだが、替え玉処刑で密かに逃亡しているかもというのはフィクション。スペイン公使の須磨弥吉郎やドイツ大使の大島弘は当然ながら実在の人物。須磨は積極的に情報活動を行い「東情報」を送信しているのがこれはほぼ完ぺきに解読されている。もっともその情報はほとんど役に立たないものでしたが。
キム・フィルビーも実在の人物でソビエトのエージェントと働きつつ英国情報部に潜り込みМI6で働いていたが、能力と人柄に疑問を持つものはおらず敬愛されていたが、冷戦時ソ連のスパイではないかとの疑いがあり、1963年には追い詰められてモスクワ逃亡、ソ連へ亡命している。今では考えられないけど当時は共産主義にシンパシーを持つものは多く、その影響下にあったものが多かった。
今ではほとんど生きていないが執筆時はまだ存命だったこともあり、実在の人物だが仮名で登場した人もいる。二重スパイのガルボ、須磨公使のために情報活動を行ったスペイン人スパイのジェロニモなど。
それにしてもこのシリーズ執筆のために膨大な資料を渉猟し、当時の関係者と面談している。現代史だけにあまり荒唐無稽な話にすることは出来ず、史実に沿って巧妙にフィクションを交えて大作を仕上げています。歴史の流れのおさらいのつもりで時間が許すなら第1作の「イベリアの雷鳴」から読み返してみましょうか。
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徳鮓の店主はクセ強い!

2024-08-24 10:03:34 | Weblog
昨日中京テレビの夕方情報番組「キャッチ!」で鶴舞公園の高架下を特集をしていました。
見てみると遼河はるひと中京テレビのアナウンサーが高架下の店を食べ歩く。

そこになんとテニスの後にいつも行く「徳鮓」が出てきました。
カウンター越しに遼河さんと大将が親しげに話しています。テレビカメラを全く気にすることなく堂々としています。

私たちが行くといつも何かサービス品を持ってきてくれて、ひとくさり話していく御年82歳の大将です。

番組ではクセ強店主と紹介されていましたが、話好きで雰囲気はそのままです。
私たちは値段も考えいつも代わり映えせず「焼きアナゴ」と「げそ焼き」をつまみに飲んでいますが、この日の料理は?
先ず出てきたのは「鱧の梅肉添え」
大将曰くわざわざ京都に行かなくても美味しいのが食べられる。
記憶ではお品書きには載っていなかったような?何時もある訳ではないだろうからちょっとお高いですが今度聞いてみようか。
もう1品は焼き蛤。

これは美味しそう。ビールが進みそうです。
でも蛤1個400円。これもちょっとお高い。これもメニューに載っていなかったような?
さすがにテレビに出る時は少しいいものが出てきます。
遼河さんはアナゴも大好きと言っていたのですが、ロケはこの後うなぎ屋へ行くのでそれはパスと言うかそのことを知っていた大将がまた今度に食べに来てくださいと言っていました。
こんな風にテレビに出ると人気が出て私たちが行っても満員で入れないとなると困るのですけど、またよろしくお願いします。

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益田ミリ「今日の人生2世界がどんなに変わっても」

2024-08-23 10:33:42 | 
「みんなのミシママガジン」連載の「今日の人生」の2017年3月から2020年9月分を抜粋再構成したものに書き下ろしを加えたものです。

丁度新型コロナウイルス緊急事態宣言が発令された時期です。
いつの間にかマスク姿の人も減り普通に社会は動いているみたいですが、もうはるか昔のことと思えるのですが、まだ5年前のこと。
みんなマスク姿で、人とはなるべく会わないようにして、お店に入っても席を離して座っていたんですよね。
その頃のどうなっていくのか分からない何となく不安な社会の心象風景が描きだされています。
この連載4コマだったりページをまたいだりと全く自由な構成。
相変わらずの旅好きで、コロナ禍の中でもあちこちに行っています。因みに書下ろしはポーランド旅行記です。
滋賀県長浜では日本一の万華鏡に行って来たみたいですが、そんなの長浜にあったのか?機会があれば行ってみたいものですが、結構しょぼかったりして。
全体に何と言うこともない日常の描写ですがほっこりします。私の一番は電車の中の親子。

子どもと一緒にあちこち行ったけど、今聞いてみるとほとんど何も覚えていない。あんなに笑っていたり泣いていたりとして、馬鹿親としてはなんてかわいいかと思っていたのですが、覚えていない。
でも、「今日のことを、この子は覚えていないのだろうけど、なにかは残っているんだと思った今日の人生」というフレーズには泣けました。
何かは残っているんだろうと信じたい親バカでした。
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8月19日鶴舞公園テニスコートの後は7人全員で

2024-08-22 07:41:12 | テニス
終わってこの日の7人全員は三々五々ガード下の「徳鮓」へ行きます。

席は予約してあったので一番隅の2テーブルで、他のお客に迷惑にならない席です。何時も酒を飲んで大声で話すので静かにお昼を食べる人には迷惑かけていたかも。どうもすいません。
取り合えず飲めない飲むとちょっと見小野ヤスシさんを除いた5人は生ビールで乾杯。

つまみは定番ですが焼きアナゴ

それからげそ焼き。

飲めない飲むとちょっと見小野ヤスシさんはランチのにぎりです。

ランチではしじみのお味噌汁にフルーツが付きます。
生ビールはすぐになくなるので今度は瓶ビール3本。

いつも同じつまみではなくてたまにはお寿司屋さんなので刺身を食べたい。
それならば白身の刺身に烏賊の刺身。


ビールはすぐになくなるのでもう2本ください。こういう時に大きな声を出して注文するのは酔っていなくても声は大きい飲めない飲むの仕事。今では立派にそういう雑用が出来るようになりました。
喋っていた内容は全く覚えがないのですが、それなりに話は途切れることなく弾んだのですが、そこに大将が登場。
いつものようにサービスだと言って持ってきてくれました。

鯛の皮目を炙ったもの?ものを見てもよく分からないのですが、脂がのって美味しい。酒のつまみにぴったりですが酒を飲まない飲めない飲むも食べていました。
それならばさらにビール1本追加。
そろそろ仕上げに太巻きを頼んだのですが、そこにまたまた大将登場。
今度は小鯵の握り寿司を出してくれました。

にぎりに出来るように小鯵を捌くのが大変ですねと言うと大将は自慢げに「仕事だで」とのたまう。仕事はまだまだきちんとしなければいけないと自慢げでした。
太巻きも出て来てお腹いっぱいになります。

いつもながらの1時間ほどの昼飲みでした。
お勘定は15500円で一人2200円。100円は基金から出しておきました。
次の鶴舞のテニスは9日なので飲めない飲むが早速予約を入れていました。
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8月19日鶴舞公園テニスコート

2024-08-21 15:42:14 | テニス
連日の猛暑で、25日連続の最高気温35度を超える猛暑日。
でも19日は漸く最高気温予想が34度。なんとか体温よりは低い気温になりそう。

久し振りに熱中症警戒アラートが発令されません。
天気は凶悪ギラギラ太陽は出ていなくて曇りです。
かみさんが仕事なので朝部屋の掃除をしてから大急ぎで支度をして9時前に家を出ます。雁道バス停を15分のバスに乗って鶴舞公園へ。

公園に着くとまずは9月30日のコート使用料を支払いに行ってからコートへ。
既に1059さん、はげ親父、えみちゃん、飲めない飲む、ちょっと見小野ヤスシさんにヤッターマンがいます。この日は7人です。
早速ボレーとストロークに分かれて乱打を始めます。

一回りしたら休憩にしますが、日は照っていなくても蒸し暑いので汗まみれになります。
一休みしたらじゃんけんして試合にします。
最初の試合ははげ親父と組んで飲めない飲む、ヤッターマン組と対戦。この試合は最初だからでしょうが飲めない飲むのサーブがよく決まってキープ。ヤッターマンのサーブにも歯が立たず、結局1:3の負け。こういうゲームの時もある…
休憩中は毎度ながらビールが出てくる。

なぜかえみちゃんの持参はノンアルコールビールです。
つまみにあられの小袋とかつまみではないですがこんにゃくゼリーを食べて塩分水分補給。

次の試合はヤッターマンと組んで1059、はげ親父組と対戦。この試合は私が足を引っ張らなければ完勝だったのですが、例によってミスを重ねてそれでも1ゲーム落しただけで3:1で勝利。
となりのコートでは私が以前勤務していた某病院の元外科部長さんが10時30分には上がってビールを飲んでいるので少しだけ挨拶。早いあがりですが、二人だけで2時間やったと言うのでご苦労様です。因みに週2回はまだ診察しているとか。
試合は進み、今度は1059さんと組んではげ親父、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。デュースまで縺れるゲームの続く一進一退の展開でしたが、最後のゲームを取って何とか2:2の引き分けに持ち込みました。
この時点で11時30分過ぎなので終了にして、いつものお寿司屋さんへ行きます。飲めない飲むは前回かなり席が埋まっていたとかで電話番号を登録していて今から行くので席の確保お願いしますと言ったら前回既に日程を伝えてあって確保してありますとのこと。
それではコート整備を済ませ着替える人は着替えて順次行きましょう。

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