地下鉄の乗っている時、ふと視線を感じて目を上げると誰かがこちらを見ている視線とぶつかる、そんなことありますよね。
視線を感じるってどうして分るんでしょうか。
福岡伸一の「世界は分けてもわからない」を読んでいたら、なるほど、納得の説明でした。
目が光るってありますよね。魚類に代表されるいくつかの生物には眼底の網膜のいっそう下部に反射板という特殊な構造体を持っている。網膜を通った光が反射板に跳ね返され裏側から網膜に入る。網膜に入る光が増幅されるのだ。反射した光はすべて網膜に吸収されるわけではなく、再び目から外に飛び出す。目が光のである。そして外に出る光の反射の方向は、その目が見ている方向、つまり視線の方向である。
人間だって目が光る。猫の目ほどはっきりわかるわけではないが、写真を取る時フラッシュをたくと赤眼になる、赤眼の赤は、眼球の血管網の赤なのだ。人の目は外界の光を捉えて、弱いながら常に光を反射していると考えられる。そのような反射光に対してことさら私たちの目は感受性が強いのでは。だから視線を感じると言うことが起きるのでしょう。
ウ~ン、なんか視線を感じると言うことがどうしてなのかすとんと腹に落ちませんか。
この本はいろいろなエピソードが語られていて、知的好奇心が刺激されます。ちょっと難しいところもあるのですが、そんなところは読み飛ばしても十分面白さは伝わってきます。後半のがん細胞発生のメカニズムの解明への実験の記述は、まさに事実は小説よりも奇なりということでしょうか。最先端の実験の気の遠くなるような忍耐と体力。膨大なルーティン作業。とても常人には出来ないことです。でもそうした試行錯誤の中で一つづつ進歩していくのでしょう。
暇つぶしにはちょっと重いかもしれませんが、講談社現代新書で780円(税別)はお値打ちです(もっとも私は図書館で借りましたけど)。
視線を感じるってどうして分るんでしょうか。
福岡伸一の「世界は分けてもわからない」を読んでいたら、なるほど、納得の説明でした。
目が光るってありますよね。魚類に代表されるいくつかの生物には眼底の網膜のいっそう下部に反射板という特殊な構造体を持っている。網膜を通った光が反射板に跳ね返され裏側から網膜に入る。網膜に入る光が増幅されるのだ。反射した光はすべて網膜に吸収されるわけではなく、再び目から外に飛び出す。目が光のである。そして外に出る光の反射の方向は、その目が見ている方向、つまり視線の方向である。
人間だって目が光る。猫の目ほどはっきりわかるわけではないが、写真を取る時フラッシュをたくと赤眼になる、赤眼の赤は、眼球の血管網の赤なのだ。人の目は外界の光を捉えて、弱いながら常に光を反射していると考えられる。そのような反射光に対してことさら私たちの目は感受性が強いのでは。だから視線を感じると言うことが起きるのでしょう。
ウ~ン、なんか視線を感じると言うことがどうしてなのかすとんと腹に落ちませんか。
この本はいろいろなエピソードが語られていて、知的好奇心が刺激されます。ちょっと難しいところもあるのですが、そんなところは読み飛ばしても十分面白さは伝わってきます。後半のがん細胞発生のメカニズムの解明への実験の記述は、まさに事実は小説よりも奇なりということでしょうか。最先端の実験の気の遠くなるような忍耐と体力。膨大なルーティン作業。とても常人には出来ないことです。でもそうした試行錯誤の中で一つづつ進歩していくのでしょう。
暇つぶしにはちょっと重いかもしれませんが、講談社現代新書で780円(税別)はお値打ちです(もっとも私は図書館で借りましたけど)。