怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

山本健太郎「政界再編」

2021-10-29 07:16:11 | 
今月末は総選挙の投票日。
勝ちすぎていた安倍自民党が、菅を経て岸田になってどうなるのか。
前回並みの自民党が絶対安定多数とはいかないけれど、どうひっくり返っても政権交代とはなりそうもない。
まあ、そんな季節ものとして読んでみました。

この本で改めて55年体制崩壊後の政党の有為転変を見てみるとそんな政党があったのだと感慨深い。ちゃんと変わらず存在感を保っているのは自民党と共産党だけ。
社会党は自壊してしまい、継承者の社会民主党はこの選挙で議席を獲得できるかどうかの瀬戸際でもはや絶滅危惧種。昔の名古屋人にはおなじみの春日一宏率いる民社党はもはや影も形もない。固い支持層がある公明党さえも新進党に参加したりとフラフラしていた。


新自由クラブ、新生党、新党さきがけ、日本新党、新進党ぐらいはまだ記憶があるけれど、黎明クラブ、新党平和、自由党、改革クラブ、新党友愛、太陽党、フロムファイブ、民政党とか言われるとどういう経緯でメンバーは誰かなのかはまるで記憶にない。
2010年以降でも、新党大地、みどりの風、日本未来の党、次世代の党、結の党、日本のこころを大切にする党、生活の党などなどどれくらい覚えているのか。減税日本などと言うのもありました。どれだけ記憶に残っているでしょうか。
自民党政権が続く中、激しい派閥間の争いが疑似政権交代をもたらしていたのだが、中選挙区での自民党の派閥争いが金権選挙になったことを改革するために政治改革が大きな争点となった。結果、今の小選挙区比例代表制となったのだが、小選挙区で勝つためには小異を捨てて大きくまとまらないと勝てないことに。
主義主張、理念、政策にこだわるとなかなかまとまらないのですが、少数政党はその存在意義をアピールするためにはなかなかこだわりを捨てることはできない。野党の場合は生き残るためには、どうしてもくっついたり離れたりするしかない…
それにしてもこの変遷を見てみると絶えず中心に小沢一郎がいる。もし彼が首相になっていたらどういう政治を行っていたのだろうか。ある時には反自民で主張の違いの多い政党をまとめ上げ政権交代を成し遂げ、ある時には自民党と連立を組み、政策が実現しないと連立を離脱。民主党をまとめ上げ選挙で圧勝し政権交代を実現するのだが、政治手法、意見の違いの中での激しい政争の当事者となって内部は迷走。政権を失うとともに民主党は自壊していった。今は存在感も薄れているのだが、今回の選挙協力ではまだまだ陰で動いていたのだろうか。彼がイマイチこの日本をどうしていきたいのか、どういう政策をしたいのかがよく分からない。
政権を担っている内は求心力が働くので、自民党を離脱するものはおらず、逆に権力にすり寄るものをどんどん引き付けていく。自分の主張するところを何分かの一でも実現するためには、多少のことは目をつぶるなりして政権与党にいるしかないのだから当然なのか。
この本の最後に今の小選挙区制度の下で立憲民主党が政権を担う対象とみなされるには、左寄りのリベラル政党と言うイメージを発展的に脱却し、中道の有権者にどうアプローチしていくのかが問われる。第三極を抑え込みつつ、中道を自ら引き寄せるのが政権交代の必要条件と言うのだが、共産党・社民党との選挙協力のように、今の立憲民主党は左寄りのリベラル政党の方向に純化しつつあるようで、政権交代までたどり着くのは難しい。
でも、安倍政治の極右路線(主張はヨーロッパの極右政党と同類)と主張を共にする身内だけを大事にする政治の私物化と、平気でうそをつく姿勢は気持ちが悪いのですが、どうなることでしょうか。なんとなく岸から池田、佐藤、田中、三木、福田、大平と熾烈な派閥争いの中での疑似政権交代があらまほしく思えてしまいます。
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「教養としてのヤクザ」「職業としてのヤクザ」溝口敦・鈴木智彦

2021-10-26 17:45:57 | 

暴力団の取材を長く続けていて、意に沿わない記事を書いて脅かされ刺され、なおかつ家族まで被害にあったことのある溝口さんに、これまた以前ヤクザ専門誌編集部にいて編集長も務めたフリーライターの鈴木さんの対談で進める現代ヤクザ講座ですか。
今や「ヤクザ」と言う言葉自体が放送コードに引っかかるみたいで、以前東海テレビが「ヤクザと憲法」を放送した時もおっかなびっくりで、その辺の事情は書籍化されたものをレヴューしています。
思えば高倉健主演の網走番外地シリーズをはじめとしたヤクザ映画とか、仁義なき戦いとかがもてはやされていた時から「山一戦争」の頃までは、映画、雑誌だけでなくテレビでも情報が氾濫していた。男はつらいよの寅さんだってヤクザには違いない。
大きく変わってきたのは、「暴対法」と全国各地で制定された「暴排条例」以後。暴力団を名乗るだけで逮捕される可能性があり、銀行口座も作れず家も借りられない。その辺の裏事情も含めてトリビアな話題を詳しく解説してあります。
まずは「教養としてのヤクザ」
警察の分類では暴力団には3種類に分かれるそうで、博徒・テキ屋・愚連隊だそうです。東のヤクザはテキ屋が多いとか西日本ではテキ屋とヤクザ・暴力団は別の集団として分かれているとか。暴力団と言うと組織化されていて、会社組織のようになっていると思われているのですが、ヤクザひとりひとりは基本的に個人事業主でなんで稼いでもよくて、暴力団と言うのは互助会みたいなものだそうです。本業は名の通り「暴力」で、副業で稼いでいる(シノギ)のですが、それではなんで稼いでいるかと言うと主なものは覚せい剤の密売・賭博・管理売春・みかじめ料の4つ。今は警察がヤクザのシノギを虱潰しに潰しているので、どんどん苦しくなっている。シノギは激しい抗争に打ち勝って恐怖感を植え付けてこそ成り立つのですが、暴対法成立後の今は警察に抑え込まれて力ずくで相手を叩き潰すような抗争は事実上不可能になっているので、迫力がなくなりヤクザの存在価値が低下している。
そんな中で今の六代目のもと山口組は上納金が多額になっているので、神戸ではなく名古屋の弘道会が組長と若頭を独占している体制に不満がたまって分裂騒ぎの原因となっているみたい。でも力ずくでも山口組を再統一することは無理、山口組が弱体化しているということはヤクザ全体が地盤沈下していると言うことですが、そうなると警察も四課はいらないとか言われて痛しかゆし。
ヤクザは逆学歴社会で大学卒の占める割合は7%弱くらいとか。武道格闘技系が人材供給源ですが、その縁から武道格闘技団体の関係者はヤクザとの付き合いは多い。相撲とかボクシングとかは興業での因縁も深いのでトラブル防止も含めて密接になりやすい。でも柔道、県道は警察のシマなのでヤクザは手を出せないみたいです。
そう言うことからか大学関係者との付き合いもあって学長選挙に介入するとか医師は取り込まれやすいとか、今の日大のことそのままです。
政治家との関係では昔はヤクザの組長がそのまま市会議員なり県会議員になったりした例もあったみたいですが、表に出ないにしろ集票マシーンとして機能していることもあるそうです。
続いて「職業としてのヤクザ」
「ヤクザは職業ではない、生き方だ」と言う言葉はヤクザの好む言葉。実際ヤクザは無職で、働かないで食うと言う価値観。あくせく働くのは低くみられる。
実際にやっていることはばくち、覚せい剤、売春、みかじめ料などですが、違法ではあるが需要がある。負のサービス産業であり、違法だからこそリスクを負って提供すれば儲かる。そこでは力がすべてであり、暴力が自分の要求をごり押しするための最強の武器。「喧嘩をすれば金が湧き出す」
山口組三代目組長の田岡は、自分も甲陽運輸とか神戸芸能社をやっており、子分にも正業を持てと言っていた。その頃の山口組の月会費はわずか3千円だったとか。ところが今の六代目山口組の直参相手の上納金は月百万円、それに臨時徴収とか組長司忍の誕生日とかとかあって直参クラスになると上納金だけで年間3千万円必要。組長は子分をシノギにしていた。警察の締め付けが厳しくなっている中、それでは上納金が払えなく手抜けるのも出るよな。
最近は、刑が重くなってきていて若い組員が出世のためにヒットマンを買って出ると言うことがあったのですが、今は無期懲役とか死刑もあり得るとなると一生を棒に振りかねないのでなり手がいない。あえてヒットマンを買って出るのは六十代とか七十代の年寄りが増えているとか。組も財政的に厳しくなってきたので昔のように手厚いフォローは望めない。
抗争の費用として一番大きいのは人件費で、逮捕された組員の裁判費用とか刑務所への面会費用、奥さんとか子供の面倒を見なければいけない。大きな抗争を経験した暴力団トップに聞いたら、抗争の経費は年間5億円と言っていたけど、妥当だそうです。
命をやり取りする世界だからか息子はヤクザにしたくないと言う親分ばかりだったとかで、組長の子どもが跡を継ぐ世襲は少ない。甘やかされて育ってきたのか世襲でうまくいった例は二人とも知らないと言っている。文字通り実力勝負の世界なので北朝鮮みたいにはならない。それでもヤクザの子どもは堅気の世界で生きるにしても、警察官には絶対なれないし、色眼鏡で見られがちで、勢い水商売系が多くなるみたいです。
六代目山口組の司忍組長は昔漁師していたそうですが、名古屋の抗争で12年ほど服役もしており、刑務所にいる間に筋トレに励んで筋肉ムキムキの体になり、78歳にして立派な体と健康を維持していたと言われると今あるのは懲役のおかげ?
ヤクザが引退して老後を平穏に過ごすのは何かとしがらみがあって難しいのが現実みたいですが、今の注目は六代目山口組の司忍組長が、七代目の跡目を高山清司若頭に譲るかです。弘道会の中でも派閥があってこじれると組が割れる可能性もある…
普段はうかがい知れない内部事情もたくさん出て来て、興味津々で読み進めることができました。
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またも腰痛再発、魔女の一撃を食らう

2021-10-24 07:36:23 | Weblog
特にこれといったイベントはなかったのですが、木曜の午後に起ち上がろうとすると腰に違和感が。
何だろうと思っていたら、その後どんどん痛みが強くなってくる。
1~2年に1回は腰を痛めて、呻吟することがあるので、ここはひどくなる前に早めの対処。
暫くはお蔵入りだったバンテリンを引っ張り出し、以前膝を痛めた時に使った残りの湿布を出してきて腰に貼付。

それでも悪くなっていく時は如何とも痛みを止めようがない。
それにしても、やっぱり疲れがたまっていたのか…
水曜から急に寒くなって、そんな日でも日課の散歩をして鼻水を垂らしたりしていた。毎朝トイレに行った後食事前に測っている血圧も寒くなると同時にあがって、木曜は140:90と普段から比べるとかなり高い。こういう時は低くなるまで何回も測ってみるのだが、この日は低くならない。いつも風邪をひくときには予兆としてよく腰が痛くなるのだが、今回の腰痛はちょっと違う感じ。なんだかんだと体調不良が最も弱い腰に来たのか。
とにかくシップを貼ってバンテリンを装着してひたすら安静。でも金曜は母のディサービスの送迎をしなければいけなくて、実家まで普段の倍の時間をかけていき母を送り出す。そんなことには全く気が付かない母には訳もなく怒り心頭なのだが、如何ともし難い。そのせいか椅子から立ち上がりちょっと腰をひねった時には、まさに魔女の一撃を食らう!その後2撃、3撃も…
立っていられない痛みだけど座ることも痛くてできずに暫くフリーズするしかない。
こういう時に困るのがトイレに行くとき。中腰になれないので、まず便器のふたをあけられない。孫の手で引っ掛けて開けるか、腰を伸ばしたまま膝の屈伸をして手を伸ばし開ける。座るのは一瞬の気合で何とかなるのだが、尾籠な話で恐縮なのですが、腰をひねれないのでお尻をなかなか拭けない。他人の手を借りることはできないので、いろいろ手を変え方向を変えて紙を長めに伸ばして何とか対応。昔最上級機にはついていた機能なのですが時間がかかると言うことなのでしょう、いつの間にか消えてしまった、乾燥機能が付いたものがこういう時にはぜひ欲しい。そう言えば実家のトイレはセンサーで蓋が開くのですが、普段は必要ない機能と思っていたが、こういう時にはありがたみが分かります。これは必要な機能です。
経験則では日にち薬で暫く安静にしていれば、徐々に回復するはず。
幸いのことに今週の土曜日はメンバーが集まらずテニスはキャンセルしてあるので、ソファーに居座り本でも読んで、のんびりと土日を過ごせばいいか。
今これを書いているのは日曜日ですが、安静の成果なのか状況はだいぶ好転。もともと今回は立っていれば痛みはなかったし、何とか歩くこともできたので、症状としては軽い範疇。今はトイレのふたも開けることができます。なぜか血圧も125:80と正常値になっています。まずは一安心。
気が付かないうちに体が悲鳴を上げていたのか、身体の声を注意深く聞いて養生していかなければと改めて思う次第。
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縣 秀彦「地球外生命体」・長沼毅、井田茂「地球外生命」

2021-10-22 20:38:50 | 
私たちはこの広い宇宙で唯一の存在なのか?
近年観測体制が飛躍的に向上して、今まで観測できなかった太陽系外の惑星の存在が分かるようになってきた。1995年以降系外惑星が次々と発見され2014年現在で1800個を超えている。それにしても初めて確認されたのが1995年と言うと私が40歳のころ。学生時代の知識は全く役に立たない訳です。
太陽系でも火星、そして木星の衛星であるエウロバ、ガニメデ、土星の衛星タイタンとエンケラドスには、生命に必要な3条件である液体の水、有機物、熱源が揃っているものもある。高度に進化した知的生命体はあり得ないにしても、地球の生命体とは全く違った生命体の存在の可能性は否定できない。
縣さんは国立天文台勤務の天文学者。

ビックバンによる宇宙誕生以来138億年、天の川銀河は120億年前に出来、太陽系が出来て46億年、地球に生命が誕生して以来38~40億年、まさに天文学的数字が並びますが、私たち人類が誕生して以来の年数は、宇宙的に見ればほんの一瞬。ましてや人類が星の外部と交信できるような知性を持ったのはほんのここ100年ちょっと。あと何年人類が繫栄しているか分からないですが、人類が何時の日にか滅びるまでの時間は宇宙の時間と比べればほんの瞬きする間でしかないだろう。同じ時代に知的生命体と出会う確率はほとんどないかも。
それでも系外惑星が次々と見つかっていくと、いわゆる生命を宿しえるハピタブルゾーンに存在する惑星はそんなにまれな存在ではないとわかってきた。天の川銀河だけで一千億個を超える恒星があり、少なからない恒星に惑星が存在し、中には太陽との距離が地球のように生命存在に丁度良くて(ハピタブルゾーンに含まれている)、大きさも地球と同じ程度の岩石惑星も一定の確率で存在するのだろう。
そこからどうやって生命が誕生したかは、偶然の賜物かこれまた奇跡的な確率の結果なのだろうが、地球だけが奇跡の星とは言い難いのではと思える。生命のもととなる有機物は多分地球だけで生成されたわけでなく小惑星なり彗星の中で出来たものが地球に降り注いでもたらされたかも。生命さえも宇宙から来たのではという説もあるのですが、これは今のところ単なる仮説の域を出ず証明されていない。しかし地球が誕生して5~6億年で、原始地球の過酷な環境下で有機物ができ、そこから生命が誕生したと言うのは時間的に短すぎると言われると、宇宙飛来説にも一定の説得力を感じてしまう。
時間軸の問題で我々が知的生命体と実際にコンタクトを取るのは難しいかもしれないが、何らかの地球外生命体を見つけるかもしれないのは大いにあり得るみたいです。
地球外生命を探すために今ではいろいろなプロジェクトが動き出していて、惑星探査も進んでいる。ハヤブサもその一翼を担っています。
宇宙の成り立ちから最新の研究までが分かりやすく書いてあり、知的好奇心を満足させる本でした。
あまり面白いので似たような新書をもう1冊。

この本は生物学者それも極限生物とか微生物が専門の長沼毅と天文学者で惑星形成論が専門の井戸茂の共著。内容としては被るところが多いのですが、微妙に観点とか論点とかが異なっていて、縣さんの本がいい意味での予備知識となって興味持って読むことができました。
ちなみに天文学者は条件さえそろえば生命は発生すると考え、確率から考えると地球外生命は存在すると信じがちで、生物学者は生命の発生と進化は奇跡の連続で地球外生命に懐疑的とか。
確かに約6千万年前に小惑星が地球に衝突しなければ、恐竜が絶滅することはなく哺乳類にとってかわられることもなかったかも。そうなると恐竜はどういう形に進化していったのだろう…知的に進化した恐竜が出てくるのだろうか?今の人類が誕生した進化の道筋は天変地異による大きな環境変動などの偶然に左右されたことの結果とすると、やっぱり我々人類は唯一無二の存在なのか。
我々はこの宇宙で孤独な存在なのか、興味は尽きません。
一緒に写っているのは今野敏のサーベル警視庁シリーズの「帝都争乱」。シリーズ2冊目ですが、今回は日露戦争終結時の講和条約に対する不満からの日比谷焼き討ち事件が舞台。日露戦争で我慢を強いられた民衆の不満が爆発した事件ですが、その裏には桂首相と山形有朋、伊藤博文の暗闘と玄洋社と黒龍会が絡んだという筋立て。警視庁の鳥居部長以下警官たちが振り回され何とか乗り切っていくのだが、裏主人公は女学校の用務員こと新鮮組だった斎藤一。確か浅田次郎の「一刀齊夢録」でも主人公でしたが、戊辰戦争後警視庁に勤め西南戦争にも従軍し、明治半ばまで存命だったのは事実だったみたいですが、想像力が膨らむ存在です。
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10月16日熱田神宮公園テニスコートの後は二人だけ。

2021-10-20 07:03:58 | テニス
終わっていつものように飲みに行くのですが、この日は夜から雨と言う予報もあって、えみちゃんは新守山に自転車を置いてあるとかで雨の降りだす前に帰るので直帰。はげ親父は午前中にかみさんが自転車に乗ってトラックと接触して救急搬送されたそうで、大したケガはなかったみたいでよかったのですが、家の中がドタバタしていて夕飯を作らなければいけないので、これまた直帰。
と言うことでこの日はタケちゃんマンと二人だけ。
何処へ行くかとなったのですが、地下鉄の駅に近い先週も行った「おやじダイニング」に行くことに。

17時30分前なので予約なしでもすぐに席に案内されました。
コートでビールを飲んで、なおかつ濁り酒まで飲んでいるので、ここはとりあえずのビールではなくていきなりですがお酒に。
選んだお酒は獺祭。

最初1杯680円と言うので、安いと思ったのですが、女の子の勘違いで800円でした。まあ、そうでしょうね。
獺祭とくればまずは刺身の盛り合わせでしょう。

2人前と言っても、結構いろいろな種類が並んで量も多い。さすが日間賀の漁師の息子が経営者です。
刺身の種類は最初に説明してくれたのですが、鮪にカツオに鯛にサーモン…あとはよく覚えていない。
この日ははげ親父がいないので遠慮なく鶏のから揚げを注文。

たれがかかっていて鶏南蛮風。揚げたての熱々で美味しい。
ここでお酒がなくなったので、追加するのですが、意外なことにタケちゃんマンが注文したのはハイボール。

それならば私も付き合いましょう。
糖質制限などをいまさら気にしているのでしょうか。
それに合わせてカマンベールのあられ揚げを。少し甘いジュレをつけて食べるのですが、イチジクだったかザクロだったかのジュレのような記憶ですが、残念ながら詳細は忘れました。

これは揚がりすぎでもう少しカマンベールのとろ~り感があるとよかったのですが…
そろそろ〆にないかと思ったのですが、この日は前回注文したピザがメニューにない。なくても注文すれば出てきたかもしれませんが、それならばチャーハンではと言うとタケちゃんマンの同意が得られない。まあ、そこそこ食べたしもういいか。
お勘定をすると5860円。一人3千円でおつりは基金に入れておきました。
結構いい気分で家に帰ったのですが、19時前でちょうど夕飯を食べるところ。
〆を食べていないので、もう少し食べたい気分で一緒におかずをつまみながら、仕上げのスコッチを飲んでしまいました。

最近年老いてめっきり酒に弱くなった身としては、仕上げは飲みすぎだったのか。翌朝頭が重い久し振りの二日酔い気味の寝起きでした。
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10月16日熱田神宮公園テニスコート

2021-10-18 17:43:07 | テニス
天気予報に反して朝は晴れている。

この日の予報は曇りで夜には雨のはず。実は今週は16日と17日連続で熱田神宮公園テニスコートが予約してあって、みんな高齢者なので2日連続は難しいのでどちらか1日にしよう悩んだ末天気予報を見て土曜日にした次第。土曜の夜に前線が通過して雨が降り出し日曜は午前中雨で昼から上がる予報。でも日曜日は前線通過後の常で風が強く気温もぐんと下がるとかでテニスには不向きと判断して、何とか土曜の15時から17時までは天気がもつことを祈ります。
午前中に時間予報を確認したのですが、何とかなりそうです。

と言うことで根拠ある楽観に基づき14時30分過ぎに家を出て14時50分には管理事務所で受け付け手続き。
コートにはすでにはげ親父とタケちゃんマンがいました。程なくえみちゃんも来て、カバちゃん夫妻は都合が悪いとかで、この日は4人。
天気は15時過ぎても結構晴れている。

時間になったら4人でたっぷり乱打をします。
一休みすると試合前からビールが出てきます。

のどの渇きを癒したら、試合にしましょう。4人だけで組み合わせも限られているのでじゃんけんもするまでもなく、まずはえみちゃんと組んでタケちゃんマン・はげ親父組と対戦。タケちゃんマンは最初はパワー全開でツボにはまると鋭いショットを連発。たちまち2ゲームを先取されたのですが、タケちゃんマンのパワー減衰は早くてだんだん正確性がかけてくる。徐々に疲れに付け込んで挽回して、結果2:2の引き分け。
休憩時間は柿の種をつまみにビール。

次の試合はタケちゃんマンと組んでえみちゃん・はげ親父組と対戦。この試合はタケちゃんマンの頭の上をボールが越せるのかどうかが勝負の分かれ目となって、タケちゃんマンが届いてスマッシュできればこちらのポイントですが、頭を越せば走りこんでも追いつけずに相手のポイント。そんなこんなで1ゲームを取るのはやっとで1:3でした。
ここでタケちゃんマンはおもむろに日本酒を取り出します。

さすがに4合瓶ではなくて300ml瓶でしたが、国盛の濁り酒。
酸味のある酒を飲み干して最後の試合をはげ親父と組んでタケちゃんマン・えみちゃん組と対戦に。
この試合の頃にはタケちゃんマンのパワーもそろそろ限界で、何とか日本酒で補給している状態なのか、ミスが増えて4:0で勝利。その時点でまだ15分以上あったので、リベンジでもう2ゲームすることに。返り討ちにして6ゲーム連取を目論んでいたのですが、そうはうまくいかずに、ここは1:1の引き分け。
秋の日は早いので日もかなり傾いてきました。

コート整備をして17時ちょうどに終了です。
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浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」は映画も小説も堪能

2021-10-14 07:05:45 | 映画
NHKのBSで、「鉄道員(ぽっぽや)」をやってました。

実はこの映画、封切りの時に見ていて、暗い映画館のシートで泣けた泣けた。
その後何度かテレビで放送した時があったのですが、民放だとCМが入りかつ家族のいる前で泣くのも憚られ、子どもが騒いでいる中、風呂へ入れとか布団を敷けとか雑音が行きかうところで見る気も減退して、気合を入れてしっかり見たことはない。
今回は昼間で一人で見ることができたので、思う存分堪能して観ることができました。
そしてやっぱり泣けました。
映画はCМ抜きで一人で静かに見るものだと改めて確認した次第。
高倉健の顎付近のしわを見ると年齢は隠しようがなく、若い頃の回想はちょっと無理があるけど、さすが健さんは格好いい。
石炭産業の衰退と相次ぎ坑内事故、鉄路が永遠に続くと思われていた時代から衰退し次第にローカル線が廃線となっていき、マル生運動と厳しい労働争議、そういった時代背景を肌感覚でわかるのは私たちぐらいが最後の世代かも。マル生が生産性向上運動の経営側の略称なんて今では分からんでしょうし、そこから国労、動労の組織存亡をかけた労働争議と順法闘争なんて言うのは、今は昔としか言いようがない。
そんな中でも、一つ一つの駅務手順を全く手抜きすることなくまじめに職務を遂行する駅員一人しかいない駅の駅長佐藤乙松役の高倉健。鉄道業務に誇りと愛着を持ち、子どもが病気でも仕事を抜けることなく、妻の臨終にも間に合わない。家族のことは「私」のことで、駅の仕事は鉄道員としての「公」のこと。鉄道員としてはまず「公」を最優先しなければいけない。こういう人の働きで、世界一と言う正確かつ安心安全な日本の鉄道網が成り立っていたんだ。不器用な生き方ですけど不器用だからこそ、その姿には泣けてきます。
もっとも、今や「公」の仕事はない身としては、「私」の見たくない現実に向き合いたくないので「公」に逃げ込んでいるという側面もあったのか…否が応でも母の認知症に対応しなければいけなくなった身としては、どこか仕事にでも逃げ込みたくなる時もあるのは正直な感覚なんですけど、自らのゲスさにちょっと恥じ入ります。
ところでこの映画の原作は浅田次郎の短編集「鉄道員」の中の「鉄道員」です。これも読んだことがあるのですが、映画を見た勢いでもう一度小説も読んでみました。
40ページほどの短編ですが、改めて読んでみるとちょっと驚いたのですが、セリフなどが結構そのまま忠実に映画に使われています。

もっとも短編小説なのでこれを2時間の映画にするために原作にないことを加えたり小さなエピソードを膨らましたり。志村けんの出番は映画で付け加えたところですし、その子どものことも原作にはない。それでも結構原作に忠実に原作を映画化していると言っていいでしょう。
因みに最後のクレジット迄しっかり見たのですが、どこに出っていたのか分からなかったのですが、板東英二とか田中要次とかの名前がいろいろ出ていたので、金と手間をかけて俳優も贅沢に使っていることが分かり、さすが映画と感心しました
映画も小説もそれぞれ独立して楽しめますし、観てから読んでも読んでから観ても十分満足できます。
もっとも私的には小説では「鉄道員」収録の「うらぼんえ」が一番好きだったんですけど。鯔背で孫への強い思いと愛情の深さで冥界から出てくる祖父の姿にはこれまた泣けてきます。
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10月10日熱田神宮公園テニスコートの後は神宮西へ

2021-10-13 07:11:23 | テニス
いまだに暑い日々で半そで短パン姿なのですが、季節は確実に進み陽が落ちるのは早くなって、17時にテニスを終わる頃には日が陰ってきています。
終わって飲み屋を探して彷徨う4人ですが、この日はいつもの西高蔵方面ではなく神宮西方面に行きます。
目指すは「おやじダイニングしょうぶ」、ここは神宮西駅すぐ近く。えみちゃんが私は親父ではないと言う親父ギャグを言いつつ入ります。

17時30分前なので当然ながら席は空いている。お好きなところへどうぞ。
席につけばとりあえず生ビールなのですが、コートで飲んできたこともあって、私はハイボール(糖質制限を気にしています)にタケちゃんマンはいきなりの八海山でした。

乾杯して一息つくのですが、開店間もなくなのでか、料理の出てくるのが遅い。
最初に出てきたのが揚げ春巻き。

遅い分熱々で美味しかったですけど。
次に出てきたのがサーモンの何とか。

なんか凝った名前がついていたような気がしますが、正式な料理名は忘れました。
この店は日間賀島かどこかの漁師さんの出だそうで、料理は海鮮主体。
次はアボガドのサラダ

何処が海鮮なんやと言われそうですが…一応イクラが少しのっていて、焼きのりがついていて、サラダをそれにのせて食べる点では海鮮です。まあ、美味しかったですけどね。
お酒をお替りしようとなって日本酒のメニューを見て注文するのですが、緊急事態宣言解除後間もないこともあって在庫がほとんどないとか。千寿は?ありません。これならありますと持ってきたのは新潟のよく知らないお酒。まあそれにするしかないか。

ならばなみなみと注いでください。
えみちゃんのおかあさんも認知が結構進んでいているのですが、要介護2とか。その点では私と話が合うのですが、主たる介護者が近くに住んでいる妹さんと言うことで気楽です。それでも同類相哀れむです。
次は自家製クリームチーズ。

何処が自家製なのかと突っ込みたいのですが、誰も聞いてくれそうもないので美味しく頂きました。でもクリームチーズを自家製という訳ではないでしょう。
ここで注文を忘れていたほど待たされた海鮮生春巻きが登場。

最後に締めでチャーハンかピザでもとなって、私はチャーハンがよさげでしたが、みんなはピザと言うのでピザに。何なら両方頼めばとも思ったのですが、両方食べれるほどの食欲は残っていませんでした。

と言うことでピザを食べてお勘定。
〆て9940円でしたので一人2500円。
私はそこから歩いて家に帰りましたが、家に着いてもまだ家族が丁度夕飯を食べ終えたところでした。

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10月10日熱田神宮公園テニスコート

2021-10-12 06:55:18 | テニス
カレンダーを見るとこの日は3連休の真ん中になるのですが、11日のスポーツの日はオリンピックの開催のため移動しているので11日は祝日ではない。カレンダーの印刷には間に合わなかったみたいですが、これもオリンピックの迷惑な余波。
ところで10月10日はその昔東京オリンピックの開会式があった日で、晴れの特異日。確か小学校の給食でみんな体力をつけましょうと初めて茹で卵が付いた記憶なんですが。
そう言うことでこの日は雲はありますが、晴れ。風速4メートルと少し南風が強いかな。

14時30分には支度をして家を出て熱田神宮公園へ歩いて行きます。
50分にコートに着くと早くもはげ親父がいます。タケちゃんマンも公園で一緒になりました。
暫くするとえみちゃんが登場。この日は1059さんはどうかと噂をしていると5分遅れで登場です。
それでは5人集まったのでボレーとストロークに分かれて練習を始めましょう。
一回りやって一休みしていると30分遅れでカバちゃんが登場
それではじゃんけんして試合にしましょう。私は最後の6番目に決定。
最初の試合はタケちゃんマン、カバちゃん組対はげ親父、えみちゃん組でしたが、最初の試合と言うことでサーブもストロークもさえたタケちゃんマンの活躍もあってタケちゃんマン・カバちゃん組が勝って勝ち残り。私と1059組と対戦します。
ところがタケちゃんマンは早くもばねが切れかかったのか、長いゲームになるとミスも出て、何と4:0で勝利。
では早速はげ親父持参のビールでもいただきましょう。

一応私はつまみの柿の種とあられだけ持ってきました。
タケちゃんマンはビールではなくて焼酎ハイボールとザクロサワーというリキュール持参でした。

それではお酒も入ったし試合を続けましょう。
もう一度1059さんと組んではげ親父、えみちゃん組と対戦。実はこの組み合わせで先週は0:4の完封負けの後1:3さらに0:2とコテンパンに負けています。この日は是非ともリベンジしなければと挑んだのですが、デュースの続く長いゲームを制して何と4:0での完封勝ち。先週の屈辱を晴らしました。クレーコートのイレギュラーとか風の影響が運よく味方したかもしれません。
もっともはげ親父はこの日テニスに来る前に昼間から生ビールをガンガン飲んできたそうで、コートに来てもさらに飲んでいるので動きが悪いのは当然でしょうか。
最後は残り15分になって、はげ親父と組んでカバちゃん、えみちゃん組と対戦。長いゲームになって2ゲームで1:1となったところで時間切れ。
そろそろ薄暗くなってきています。

コート整備をして終了。さすがにはげ親父はこの日はそのまま帰ると言うので、1059さん、タケちゃんマン、えみちゃんと4人で飲みに行くことに。
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「人口と日本経済」吉川 洋

2021-10-10 10:33:38 | 
少子高齢化が世界に例を見ないスピードで進み、すでに人口減少しつつある日本。
このままいくと2100年には日本の人口は5000万人になりピークの3分の1に。もはや日本人は絶滅危惧種になっているかも…
当然ながら経済としても先行きは暗いと言わざるをえず、成長は見込めず、縮小再生産への道をまっしぐら…
でも、人口が減ると経済は成長は見込めないのだろうか。
経済成長の要因は人口だけではないと人口と日本経済について論じたのがこの本。

人口論と言えばマルサスですが、彼の論を簡単に言えば「食料が十分にあれば人口は等比数列的に増えるが、食糧生産は等差数列的にしか増えない。」従って人口を抑制しなければいけない。貧しい人への所得の再分配は彼らの生活状態を長期的には改善しない、貧困と悪徳によって人口抑制する方がいい。改めてみてみると現代ではなかなか受け入れることのできない議論です。ここではマルサスの論を踏まえてケインズがどう評していたのか、そして私は知らなかったのですが、スウェーデンの経済学者ヴィクセル、ミュルダールの人口論を紹介しています。マルサスの予想に反して豊かになると人口は減ってきて子育て支援が必要と言う議論になっています。
因みにダーウィンはマルサスの人口論に触発されて進化論を構想したとか。これは初めて知りました。
ところで人口減少へと進む日本は、経済成長など見込めず経済は縮小していかざるを得ない。高齢化が進めば社会保障にかかる経費はどんどん増えざるを得ず、国の債務は増えていくばかりで財政破綻は免れない。
どうも日本経済の先行きは悲観的になっていくしかない。
しかし、明治以降の人口と経済成長を見てみるとほとんど相関がない。GDPは指数関数的に増大しているのに人口の伸びは大きく乖離している。戦後1950年から実質GDPはほぼ10倍になっているのに人口は2倍になるかならないか。
経済成長をもたらしているのは労働生産性であり、大きな労働生産性の向上をもたらしたのはイノベーション。もっとも戦争で生産資本が灰燼に帰し、資本増強によるイノベーションのネタは山ほどあり労働生産性は飛躍的に向上したと言うこと。加えてベビーブームで最も需要が増大する年齢層が軌を一にして増えていくことによって、需要と供給の好循環が起きていて、イノベーションがイノベーションを呼んでいた。
とは言っても結論的に言えば、先進国の経済成長は、人の数で決まるものではなく、イノベーションによって引き起こされる!
日本は世界一の高齢化した長寿大国になっているけど、そこにむしろ新しい需要があってイノベーションの余地があると考えればペシミズムに陥ることなく、成長することができるはず。長寿はまさに経済成長の最大の成果であり、そこをうまく活かせば世界に先駆けたモデルを作ることができるかも。
なかなかデフレから脱却できずに、もはや国内需要の増大が見込めない中、明るい未来を示しています。
高齢化に対応した医療、福祉のシステムなどにAIとかロボット技術とかを導入してイノベーションをもたらすことができれば、担い手不足のネックを解消して生産性を向上できれば素晴らしいのですが、医療福祉分野は社会保険制度の下で成り立っていて、よっぽど腰を据えて取り組まないと政府の統制下にあるので柔軟な対応が難しい。医療福祉分野以外では、どうしても需要は先細りとなりがち。自分自身を考えても高齢者になると、夜毎遊びに歩くことなどまっぴらだし、食べれる量も減る。いろいろなことが億劫になってしまうし、正直お金を使うことも減ってきた。国内需要を増やすのは難しいのではと言うのが実感なんですけど。
そんなこんななんですけど、これからの日本経済が破綻せずに成長するためには、不断のイノベーションを実現することが大切であり、それをどう具体化していくのか。所得倍増を言うのはいいですが、いかに具体的なイノベーションを実現する道筋を示すのが大きな課題だと思います。
新書ですが、人口と経済について網羅的に解説してあり、知的刺激を受けました。

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