フランスのルペン率いる国民戦線は極右政党と言われているけれど、その移民、難民政策でも国籍条件でも、主張していることは現在の日本よりもよほどマイルドだ。それならば今の日本は極右の国となる。
安倍内閣はアベノミクスという口触りのいい後世へのつけ回しを行いつつ、安保法制、共謀罪、そして本命の憲法改正へと突き進んでいる。
海外のメディアはそんな安倍内閣を「日本会議」という極右ロビー団体に牛耳られていると報じているが、では「日本会議」とは一体何なんだろう。
この本では、その成り立ちから力をつけてきたいきさつを詳しく論じてあるが、キーパーソンは椛島有三。生長の家の学生組織で活動する中で対立する左翼の行動、組織を学びつつ、現在は日本会議の事務総長として実務を取り仕切っている。実務能力抜群の優秀なオルグナイザー。ただし、筆者がいくら取材を申し入れても一切拒否。一度などは突撃取材で直接申し込むも無視。まさに表には出ないで組織を牛耳っている黒幕。
日本会議には生長の家の学生活動家が組織の中核にいるのだが、資金力と組織、大衆動員とでは神社本庁が強力にバックアップしている。さらに復古主義の新興宗教も取り込んでいる。
今や衆参両院から280名もの議員が日本会議国会議員懇談会に名を連ね、安倍内閣では半分以上の閣僚が懇談会のメンバーとなっている。
では日本会議の主張とはと言うと
①天皇、皇室、天皇制の護持とその崇敬
②現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破
③愛国的な教育の推進
④「伝統的」な家族観の固守
⑤「自虐的」な歴史観の否定
に要約される。
正直言って「日本会議」の言う正しい日本の姿というのは戦前の日本ということなのだろうが、あまりにもアナクロニズムというべきか。
たぶん司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描写されている帝国主義列強の圧力の中でまことに小さなはかない国から独立を保ちながら懸命に努力して、列強の仲間入りしていく明治維新から日露戦争までの若々しい日本が理想的な姿。「坂の上の雲」を読むと心情としては分かる気がしますけどね。
でも明治維新からの戦前の日本は日本の歴史から見ると非常に特殊な時代であり、天皇制についても日本古来の伝統を無視して再構築されたものなのでは。明治維新前の天皇は平安時代以降後醍醐天皇などを除いて政治には口を出さずにいるのが伝統だった。
明治憲法は普通選挙も国民投票もない中で決められ当時の国民の総意と言えたのか。列強に追い付けとばかりにプロシアの憲法をまねて薩長政権が国民に押し付けたものという考えもあるでしょう。本当に日本的なものをというのなら聖徳太子の17条の憲法に回帰しなくては。因みに聖徳太子は仏教に深く帰依していましたよね。国家神道も明治時代の創作で、ある意味日本古来の神道の伝統を大きく変えています。鎮守の森の氏神様は南方熊楠が体を張って時の政府方針から森を守ったように国家に統制されたものではないはずです。
渡辺京二の「逝きし世の面影」を読むと江戸時代の人々の文化、家族、生活などは明治以降と大きく違うのだが、どちらが日本古来なのだろう。縄文文化が日本的なのか弥生文化は外来文化ではないか、平城京も平安京も長安をまねたもので当時の日本人にとっては異国情緒漂う都市だった?
今の出生率が続いて行けば3737年12月には日本の子どもはゼロになるという。日本という国は消滅していく。それを阻止するのに伝統的家族観への回帰が有効だろうか。今生涯未婚率がどんどん増えているけど伝統的家族観が結婚への桎梏になっているんではないだろうか。フランスでは出生率が回復したと言われているが、かの国では半分以上は非嫡出子。戦前とは違う新しい家族観こそ求められているんじゃないか…
ところで安倍政権と日本会議の関係についていえば稲田朋美(インタビュー当時は自民党政調会長)に言わせると主張の親和性は高いけどそんなに濃密な関係ではないと。改憲を目指す日本会議にとっては安倍首相は最強のカードなのだが、都議の古賀によると「安倍さんだってそんなに深いもの(政治思想)はないですよ。それを日本会議がある程度はリードしてる部分はあると思います。原理的なことを日本会議がきちんと主張してくれていますから」でも深いものがないだけに日本会議の目指すところに突き進んでくれるのには最良のパートナー。
望んだのかどうかわからないが右派とケミストリーがあってうまく取り込まれたということ。日本会議が安倍政権を牛耳っていると言われる所以でしょう。
でも現在の日本社会が「日本会議的なもの」を許容するようになってきているのは事実であり、それを気付かないままに進んでいる現状には恐ろしさを感じるところです。
安倍内閣はアベノミクスという口触りのいい後世へのつけ回しを行いつつ、安保法制、共謀罪、そして本命の憲法改正へと突き進んでいる。
海外のメディアはそんな安倍内閣を「日本会議」という極右ロビー団体に牛耳られていると報じているが、では「日本会議」とは一体何なんだろう。
この本では、その成り立ちから力をつけてきたいきさつを詳しく論じてあるが、キーパーソンは椛島有三。生長の家の学生組織で活動する中で対立する左翼の行動、組織を学びつつ、現在は日本会議の事務総長として実務を取り仕切っている。実務能力抜群の優秀なオルグナイザー。ただし、筆者がいくら取材を申し入れても一切拒否。一度などは突撃取材で直接申し込むも無視。まさに表には出ないで組織を牛耳っている黒幕。
日本会議には生長の家の学生活動家が組織の中核にいるのだが、資金力と組織、大衆動員とでは神社本庁が強力にバックアップしている。さらに復古主義の新興宗教も取り込んでいる。
今や衆参両院から280名もの議員が日本会議国会議員懇談会に名を連ね、安倍内閣では半分以上の閣僚が懇談会のメンバーとなっている。
では日本会議の主張とはと言うと
①天皇、皇室、天皇制の護持とその崇敬
②現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破
③愛国的な教育の推進
④「伝統的」な家族観の固守
⑤「自虐的」な歴史観の否定
に要約される。
正直言って「日本会議」の言う正しい日本の姿というのは戦前の日本ということなのだろうが、あまりにもアナクロニズムというべきか。
たぶん司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描写されている帝国主義列強の圧力の中でまことに小さなはかない国から独立を保ちながら懸命に努力して、列強の仲間入りしていく明治維新から日露戦争までの若々しい日本が理想的な姿。「坂の上の雲」を読むと心情としては分かる気がしますけどね。
でも明治維新からの戦前の日本は日本の歴史から見ると非常に特殊な時代であり、天皇制についても日本古来の伝統を無視して再構築されたものなのでは。明治維新前の天皇は平安時代以降後醍醐天皇などを除いて政治には口を出さずにいるのが伝統だった。
明治憲法は普通選挙も国民投票もない中で決められ当時の国民の総意と言えたのか。列強に追い付けとばかりにプロシアの憲法をまねて薩長政権が国民に押し付けたものという考えもあるでしょう。本当に日本的なものをというのなら聖徳太子の17条の憲法に回帰しなくては。因みに聖徳太子は仏教に深く帰依していましたよね。国家神道も明治時代の創作で、ある意味日本古来の神道の伝統を大きく変えています。鎮守の森の氏神様は南方熊楠が体を張って時の政府方針から森を守ったように国家に統制されたものではないはずです。
渡辺京二の「逝きし世の面影」を読むと江戸時代の人々の文化、家族、生活などは明治以降と大きく違うのだが、どちらが日本古来なのだろう。縄文文化が日本的なのか弥生文化は外来文化ではないか、平城京も平安京も長安をまねたもので当時の日本人にとっては異国情緒漂う都市だった?
今の出生率が続いて行けば3737年12月には日本の子どもはゼロになるという。日本という国は消滅していく。それを阻止するのに伝統的家族観への回帰が有効だろうか。今生涯未婚率がどんどん増えているけど伝統的家族観が結婚への桎梏になっているんではないだろうか。フランスでは出生率が回復したと言われているが、かの国では半分以上は非嫡出子。戦前とは違う新しい家族観こそ求められているんじゃないか…
ところで安倍政権と日本会議の関係についていえば稲田朋美(インタビュー当時は自民党政調会長)に言わせると主張の親和性は高いけどそんなに濃密な関係ではないと。改憲を目指す日本会議にとっては安倍首相は最強のカードなのだが、都議の古賀によると「安倍さんだってそんなに深いもの(政治思想)はないですよ。それを日本会議がある程度はリードしてる部分はあると思います。原理的なことを日本会議がきちんと主張してくれていますから」でも深いものがないだけに日本会議の目指すところに突き進んでくれるのには最良のパートナー。
望んだのかどうかわからないが右派とケミストリーがあってうまく取り込まれたということ。日本会議が安倍政権を牛耳っていると言われる所以でしょう。
でも現在の日本社会が「日本会議的なもの」を許容するようになってきているのは事実であり、それを気付かないままに進んでいる現状には恐ろしさを感じるところです。