怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

母との面会

2022-04-27 21:48:01 | 介護
母が入所している老人保健施設は原則面会禁止。

さすがに多少の余地は残さなくてはいけないだろうと月2回予約制で玄関風除け室のガラス越しに10分間だけは面会が許されている。
絶対に入所者と外部の人間とは接触させないぞと言う厳戒下の面会です。
入所後しばらくは落ち着かないだろうし、面会して「こんなところに閉じこめて」と怒り出したり泣き言を言われると嫌だったので、予約をしなかったのですが、様子を聞くとそれなりに落ち着いて満足しているみたいなので一度面会してみることに。
予約して指定された時間に行くと玄関風除け室にテーブルがあって、衝立で仕切られた空間で待機するように。

程なく母が車椅子に乗ってきたのですが、予想外に元気で、まだ腰の痛みはあるようですが、本人的にはもう治ったと言い張る。
でも、施設にいることへの苦情とかはなく、食事は出るし、話し相手もいるのでそれなりに満足しているみたいです。泣き言もなく、失礼なことに何しに来たのかと何度も聞いてきます。元気かどうか見に来たというと元気に決まっている、心配しなくもいいと早く帰れとばかり。
まあ、落ち込んでいるわけではないので、ひとまず安心。
母との話は電話でなので、一人一人しかできません。
タイマーが置いてあって、10分でセットします。正確に10分しかできないみたいです。
横には注意事項が貼ってあります。

こちらもタイマーを見ているし、10分で話も途切れてきたところで、係の人が母を部屋に返しに来ます。
とにかく無事面会は終了。
ところで洗濯物を実家で洗濯したり、掃除をしたりしに帰ると、近所の人に会うことも。挨拶すると皆さんに「最近母を見ないけどどうしたの?」と聞かれます。一応圧迫骨折で老健に入所していると答えているのですけど、夕方によく外に出て歩いているのでどこへ行くのと聞いてもまともな答えが返ってこなくて、前の道は車の通りが多いので早く帰るように言っているとか。あまり遠くには行かないけど頻繁に徘徊しているみたいです。いつぞやは夜に閉店の店のシャッターをたたいていたのでどうしたのと聞くと卵を買いたいけど店が閉まっちると言ったとか。卵の在庫は冷蔵庫にちゃんとあるし、シャッターを叩いていた店は卵はもともと売っていない店だったし、唖然。でも皆さん家に帰るまで見ていたとか心配なので家までついて行ったとか親切に見守っていてくれました。下町の人情で母の一人暮らしが支えられていたことが分かります。
因みにその中には同級生も二人いて地元は暖かいと実感しました。
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母の老人保健施設入所

2022-04-26 09:38:09 | 介護
早くも母が老人保健施設に緊急入所して1月余り。
3月中はショートスティの扱いで4月になった時点で老人保健施設に正式入所になりました。
それまでは母のディサービスがある火曜日と金曜日は8時30分には実家に行って、母の出かける支度をして、送り出し、母のいない間に掃除洗濯をするのが、年金暮らしの唯一の仕事。
母が施設に入るとディサービスには行かないので当然ながらその仕事がなくなる。
そうなると毎週のルーテインがなくなってしまい、曜日の感覚がなくなった。
ディサービスの日は朝もサッサと支度して出かける必要があるので、カレンダーに色鉛筆で丸が打ってあってあり、4月のカレンダーには丸が打ってあるのだが、今となっては無用の情報に。
緊張感がなくなったせいか朝起きた時は今日は何曜日か分からないままテレビ番組で曜日を確認する日々となってしまった。
それでも一応火曜日と金曜日は夕方に洗濯物を取りに行って洗濯をすることは残ったので、かろうじてルーティンが残っている。
洗濯している間に、母の身の回りの残っているがらくたでも片付けようと目に付いたところを整理しだしたのですけど、まあ、どうしてこんなものが取ってあるのかと言うようなもののオンパレード。ちびた鉛筆とかメモ紙代わりの広告チラシを切ったものとかゴミとしか思えないものですが、母がいる時に捨てようとすると烈火のごとく怒って喧嘩になっていました。
文句を言われないので、どんどん捨てるのですが、部屋に色濃く残っていた母の気配を消している感もありちょっと切ない。

何故か封筒とか紙に包んだお金もあちこちにあり、ゴミだと思って紙を捨ててはだめでイチイチ確認しなければいけない。
本人もどこにお金を入れているか覚えていなくて、まるで百舌の早贄状態。
一応ありそうなところは全部チェックして回収し、財布とか現金、通帳は誰もいない実家に置いておけないので、我が家に持って帰りました。
面会は原則禁止なので母の様子はよく分からないのですが、洗濯物を取りに行った時に聞いたところ、まだ腰は痛いのですが、徐々に良くなっているのかすぐに動こうとするので、再発の危険もあって要観察みたいです。
こんなところに閉じこめて早く家に帰ると騒ぐのを恐れていたのですが、意外にもそんなことはなく、会話は成り立たず誰かも分からないのでしょうけど話し相手がいるので、一人暮らしよりはいいと言っているみたいなのでほっとしました。
とにかくおとなしくしていてください。
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母の突然の圧迫骨折

2022-03-31 21:22:45 | 介護
22日火曜日は母のディサービスの日なので、いつものように8時30分に実家へ行きディサービスの支度をして送り出しをしようとインターフォンを押す。
ところが何度押しても返事もなし。
持参の相鍵で開けて声をかけるも寝室からかぼそき声がするのみ。
どうしたのかと寝室に行くと腰が痛くて起き上がれないとのこと。ディサービスなどはとても無理だと言う。ディサービスに行きたくないのでの仮病ではないみたい。
とにかくベッドから起き上がれないかと言っても、とても無理みたいで、突然の寝たきり状態に。
そのうちに送迎の人が来たのですが、当然ながらディサービスは欠席。
トイレにも起き上がれないのだが、トイレには行きたいと言うので椅子を持ってきて、痛い痛いと言って動こうとしない母をかみさんと二人掛で椅子に移動させ、寝室の隣にあるトイレまで引きずって、そこから便座に座らせるのも一苦労なのですが、何とか用を足してまたベッドへ。
食欲はあるみたいでパンと牛乳は寝たまま摂取。飲み物はストローでこぼさないようにしました。
何か原因になる様な事があったのか聞いても不明。もともと要介護2で認知症がかなり進行しているので短期記憶は全くなく、転んだとかなんかあったとしても覚えているとは思えないのだが・・・
そういえば前の週の金曜日も腰が痛いと言っていたけど、その時は自分で歩いて用もたし着替えでき、ディサービスにも行って、行く時に腰が痛いと言っていたと係の人に言っておいたのですが、普通に帰ってきました。まあ、2~3日ゴロゴロ寝ていれば治るんだろうと思っていたのですが、こんなになるとは。
医者に連れて行くのも今の状況では無理なので、この日は寝てもらい様子を見てみようと言うことに。一応湿布薬を貼り痛み止めを飲ませたのですが、お昼ごろには痛み止めが少し効いたのか何とか座位が保てるようになって、またしても椅子に座らせて引きずって、昼食を食べ用もたしました。
こういう状態なので、この日は夜まで私が付き添い、夕食はベッドでおにぎりを食べてもらい、寝てからエアコンをつけて帰りました。
翌朝行ってみると状態は全く改善していない。それどころかベッドの下で布団をかぶって寝ている。
どうしてここで寝ているのか聞いても回答なし。一人でトイレに行こうとしてベッドに戻れなかったのか。
ところがつけていたはずのエアコンが切れていて、それどころかコンセントが抜いてある。下に椅子が移動してあったので、夜中にエアコンを消そうと椅子を移動させてその上に乗って抜いたみたい。そこでベッドには戻れなくなった?朝は起き上がることも出来なかったはずなのに、どうして?それなりに痛み止めが効いて動けたのあろうか。
痛い痛いと言うのでベッドでパンを食べてもらい、椅子に座らせて二人掛でトイレに連れて行って用をたす。
この日は妹にも来てもらい、3人がかりで介護。でも人数がいれば一人でトイレに行けるわけでもなく、痛み止めが効いている時だけは何とか座位が保てるぐらい。
明日になったら改善している可能性も少ないので、こうなるとケアマネさんに相談してすがってみるしかないか。
この日は妹に泊まってもらい、相談の結果、木曜日に整形外科に受診することにし、リフトタクシーの手配をしてもらった。
翌朝も状況は改善していなかったのだが、妹によると夜中に気が付かない間に1人でトイレに行った痕跡があったとか。
リフトタクシーに乗せるのも一苦労で、車いすにも載せられないのでストレッチャーに乗せて車で運ぶのですが、タクシー会社からは運転手だけしか来ないので後は私たち3人を加えて4人でストレチャーに乗せました。実家は一応バリアフリーにしてあるのですが、車いすはともかくストレッチャーが回りこめるような作りになっていないので、回り込むスペースがなくて試行錯誤して大汗をかきました。
整形外科では、まず簡単な問診をしてレントゲン検査。結果は腰椎の圧迫骨折。完全にひしゃげているわけではないけど骨はカーブしているとか言われてもよく分からないのですが、年齢も年齢だから特になんかなくても、こうなる可能性はあるとか。
治療としては安静にするしかないとのことで、ベッドで寝ていてください。認知症なので言っても分からないだろうから痛み止めを飲んで痛みがなくなると動き回るので痛み止めは飲まない方がいい。腰椎ベルトも取ってしまうかもしれないけど一応してみましょう。寝ていると便秘気味になるので軽い下剤は出しておきます。入院するような症状ではないので、あとはケアマネさんと相談してください。
帰りも苦労してリフトタクシーで帰ったのですが、料金は往復18000円。
すがるようにケアマネさんに相談したのですが、最初どうかと言っていたショートスティ施設は座位が保てない人は車いすでの生活ができないので無理とのこと。
こうなると暫く実家に泊まり込むしかないかと覚悟したのですが、ここでケアマネさんから救いの連絡。
いろいろ聞いてみたら老人保健施設で今日からでもショートスティできると。
施設の相談員がすぐに面接に来ると言う。
相談員さんにいろいろ状況を説明して、母の状態も確認してもらい、母をなだめすかして、そのままリクライニング車いすに乗せて施設に無事入所。
緊急の短期入所として、そのまま正式入所で1か月ほどは診てくれると言うことで有り難い。
こういう時期なので面接は原則禁止で月2回だけ時間指定でガラス越しでの面接とか。

痛い時にはせん妄状態な時もあって、自分がどこにいるかもわからず、訳が分からないことを口走っており、さすがに子どもの顔までは忘れていなかったのですが、面接でもして私をこんなところに閉じこめたとか言われた時には耐えられないので、面接は落ち着くまでは遠慮しておこう。
老人保健施設は長期の入所はできないので1月後には、これからどうすればいいのか考えないとけないのですが、ひとまずそれまでは猶予がいただけました。
母が腰痛で起ち上がれなくなってから、私としては怒涛の一週間。時間が濃密に流れ、いろいろ判断も迫られ、精神的にも肉体的にも疲れ果てました。
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母が警察沙汰?

2021-03-20 21:42:36 | 介護
木曜の朝、固定電話が鳴る。
今ではほとんど固定電話は使っていないのだが、架かってくるのは母とかおじとかの親族、あるいはセールスの電話とろくな電話はない。
朝8時過ぎだったので、これは母かと思って出たら正解。
何やら慌てた様子で「お巡りさんが来て何やら言っているが、訳が分からないのですぐに来られないか」???
どこかへ徘徊して迷子にでもなって家に帰られないのか?振り込め詐欺?盗難でもあった?
聞いても全く要領を得ずに、何があったかが分からない。
お巡りさんがそこにいるのなら電話を替われないかとお巡りさんに電話に出てもらいました。
出たのは交通課のお巡りさんで、そこでやっとわかったのですが、実家の前の道路で出合い頭の交通事故があって道をそれた車が実家の雨水排水管を壊したとのこと。

加害者は保険に入っているので修理をするのに保険会社に連絡先を教えていいかとのこと。母では全く理解できずに当事者能力がないので私の連絡先を教えておきました。
その日は所用があって現場を見に行けなかったのですが、お昼には保険会社から連絡があって、修繕費用は保険で全額見るので現場写真と見積もりを送ってほしい。修繕会社はこちらの指定のところでもいいし、心当たりがなければ保険会社で手配するとのこと。
実家の建設を頼んだ近所の建設会社に頼むことにして手配をしたら早速現場を見て来てくれました。
私はその日所用があって現場を見に行けなかったのですが、雨水排水管が折れていて地面の下の受け口も壊れているので、折れた排水管を交換するだけでなく地面を掘るのでちょっとした工事になるとか。
まあ、どうせ保険会社が払うので、しっかりやってください。建設会社から保険会社に連絡を入れてもらいます。
翌日見てみたらエアコンの室外機のすぐ横で、壁も室外機が壊れていなかったのが不幸中の幸い。
それにしても建設会社の人が見に来た時も母はそんな事故が何時あったのか分からないみたいで、どこが壊れたの?と聞いてきたとか。
建設会社の人には母の状態が分かってしまいましたが、隠しようもなく要介護2でそこそこ進んでいますとカミングアウト。
私が翌日行った時には、事故があったことも警官が来たことも忘れていて、そんなことを何で知っているのかと聞いてきたので、なんだかな~


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びっくりしてから、どうやって?

2020-12-27 18:46:12 | 介護
最近は夜明けが7時近くで、いつも新聞を読みながら東の空が明るくなるのを見ています。

雲の状態にもよるのですが、真っ赤に染まって見とれる時も。
残念ながら、建物に阻まれ日の出は見られないのですが、赤く染まる雲は不気味でもあり、美しい。
閑話休題。
火曜日と金曜日は母のディサービスの日なので、朝8時15分ごろには家を出て実家へ行きます。
先日、呼び鈴を押しても出ないので、鍵を開けてみるとどこかへ行ったのか靴がない。いよいよ徘徊が始まったかもと慌てて近所を探したのですが、母は独りで行ける範囲は限られているので遠くへは行っていないはず。ところが見当たらない。
警察へ連絡…その前に近所の人に聞くか…そんな考えが浮かんできたのですが、ふと見ると隣の喫茶店でコーヒーを飲む後姿が。慌てて店内に入って母にディサービスの日だから早く戻って支度をするように促す。敵は今日はディサービスかねと言いつつ悠然とモーニングの茹で卵を食べている。腹が立ちつつもグッとこらえて家に戻し支度をさせます。
無事ディサービスに送り出し、母のいない間に掃除、洗濯。
ところが洗濯をすると母のパジャマに焼け焦げた穴が何か所も。


びっくりして、火を使いそうな台所と仏間を見に行ったのですが、一応オール電化で直火は使わないし、焦げたようなところはない。仏壇のろうそくは電気ですし、火を使うのは線香だけなのですが、わざとする以外にあれほど大きな穴が空くとは思えない。
寝室を見てみたら、毛布もシーツも焦げた形跡はない。ただ、母はいまだに電気あんかを愛用しているのですが、年代物でコードも経年劣化が進み、配線がむき出しで焦げたようなところも。原因はこれぐらいか。

ディサービスが終わって母に聞いても「知らん」「忘れた」というばかりで、まともな答えがかえってこない。
とりあえず電気あんかは回収して廃棄。
エアコンを使えばいいのですが、リモコンの操作もまともにできないので、いつもああだこうだと言って使おうとしない。
仕方ないので後日コジマのワゴンセールで新しい電気あんかを購入して持って行きました。
ところがその後またしてもディサービスの日にパジャマを洗濯しようとしたら穴が空いている。

これで2着パジャマをダメにしたのですが、今度はどうして?
新しい電気あんかは設定温度50度で、低温やけどに注意とのこと。低温やけど防止のためタオルで包んで使ってもいいというのに焦げ穴ができるのは考えられない。
では一体どうして?
念のため電気あんかは家に持って帰り何時間かパジャマで包んだのですが、焦げるわけがない。一晩私が使ってみたのですが、問題ない。
では、どうして焦げ穴が?
寝室を見渡すと古いスランドライトとアイロン…アイロンもかなりの年代物でコードも危うい。スタンドライトの白熱灯を疑ったのですが、電球は切れていてコンセントも抜かれている。スタンドにパジャマをかけて熱を持ち、結果電球が切れた?
焦げた穴はアイロンで空けた穴とも見えないのですが、ひとまず回収。
原因定かではないので、気持ちが悪いのですが、そこから何日かは焦げ跡はなく、現在に至っています。
パジャマを着る本人が分からないというので如何ともしがたい。
穴が空いたパジャマを捨てるというと継ぎを充てればいいと激しく抵抗するし、なんだかなあ~


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母と一緒にインフルエンザ予防接種

2020-10-21 21:17:32 | 介護
ディサービスに通っている母は現下のコロナ騒ぎにも我関せずというか危機感ゼロなのですが、ディサービスに通っているので他の人に迷惑をかけてはいけないので、とにかくインフルエンザの予防接種ぐらいはしておかないと。
加えて介護保険の更新時期で医師の意見書を書いてもらわないといけないのだが、根っからの医者嫌いで、「医者も商売だからやたらと継続受診を言い薬をたくさん出そうとする。もう歳なので受診する必要はない」というのが口癖でこの1年受診したことがない。これも11月の更新時期までに受診しなくてはいけない。
まともに話しても拒否感ばかりなのですが、私と一緒にインフルエンザの予防接種を受けようということで何とか説得。
近所の医院に予約の電話を入れるとまず聞かれたのが私と母の年齢。10月中は高齢者優先と言うことで確認したみたいです。
予約した時間に何とかごまかしながら医院に連れて行くことに成功。もっとも出かけるよと言ってからそんなことが必要かと何回も言い、着替えをして、儀式のような外出前の確認があり、30分以上かかって、こちとらは爆発しそうなのを懸命に抑えてでしたけどね。
受診は1年ぶりと言うことで母はレントゲン写真を撮り、骨密度を図り、血液を採り、心電図を測り、認知症の検査と一通りいろいろやります。
検査をしている間、母は馬鹿なことを話し続け、壁越しに聞きつつ血圧を測ると聞いているだけでイライラしてストレスをためたのか145/92とかなり上がっていました。
当日分かる検査は特に異常もなく無事インフルエンザの予防接種を受け、続いて私も受けました。

これでインフルエンザ対策はちょっと安心。医師には勧められたのですが、続けて肺炎球菌の予防接種も受けた方がいいのか。
今年はコロナ対策もあって高齢者のインフルエンザ予防接種は無料。どれだけの効果があるのかは分かりませんが、その点では予防接種を受けるモチベーションにもなりますし、去年だと母は無料ですが、私は1500円だったので、ちょっと助かります。
血液検査の結果は後日なのですが、そこには母は必要ないと言うことで私が聞きに行くことにしました。
因みに医院で測った血圧が高かったので、これはまずいと家に帰ってから確認のためにもう一度測ったのですが、121/82と正常。やっぱりこれは白衣性高血圧と言うより母を連れて行くのがかなりのストレスだったと言うことだったんでしょう。
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母の病気

2020-03-11 21:27:31 | 介護
ディサービスを始めてから2月過ぎ、最初はディサービスという言葉に拒否感が強いのでごまかしていたのですが、このところディサービスがあるから行くよと言ってもなんとなく納得している雰囲気になってきました。
ようやく慣れてきたかと思ったら、先日はディサービスという言葉を聞いたら、「なんでそんなところに行くの、行きたくない」と言い出し、「今まで行った事はない」と言います。
それでも迎えの車が時間に来るというと渋々ながら着替えを始めます。行ったことが無いというのでディサービスで写した写真を見せるのですが、「覚えがない」と言い、都合の悪いことは見ざる、聞かざる。
それでもお迎えの人が来ると外面はいいので、にこやかに出かけました。帰る時も「またね」と言いつつ、家に入ると家が一番いい、もう行くつもりはないと言います。記録を読むとディサービスでは楽しんでいるん様子なんですけど…
ディサービスは2か所行っていて、もう1か所は利用者も含めて買い物、料理をするので、給食会のお手伝いということでディサービスという言葉は使わないようにしています。ところで、利用した日のお昼にそこの看護師さんから電話。入浴したときに介助をしたのですが、子宮脱があるとのこと。かなり大きいので一度医者に受診したほうがいいとのこと。
帰宅した時に、こういう電話があったので婦人科に受診しようといったのですが、看護師さんに言われたことはまったく覚えがなく、歳を取ると誰でもなるし、受診する必要もないし、いやだとなり、口論。
間が悪いのか、いいのか、母は歯も抜けたとかで歯医者にもかからなくてはいけない。ところで健康保険証がどこにあるのかわからなくなってケンカしながら心当たりを家探し。やっと見つけ出して、まずは歯医者を予約。これからは健康保険証とか診察券とかの類は取り上げて私が保管することに。

翌日、これはもうぶっつけで無理やりにも拉致して婦人科受診させようということになって、ネットで見つけた近場の婦人科へ受診させようと二人で行って散々ごねる母を車に乗せて何とか婦人科を受診しました。
診察の結果、かなりひどい子宮脱ということでしたが、本人的には自覚症状なしで、病識はなし。年をとると誰でもあることと言って平然としています。
医師はリングを装着することを勧めましたが必要ないと拒否。ひどくなれば受診するというのですが、医師は何もしなければひどくなって手術するしかないとのことでした。それでももう年なので手術も必要ないしするつもりもないと断言。
もしリング装着なら来週来てくださいということで終わりましたが、リングを装着すると毎月1回装着に受診する必要もあるとの説明。しかし、基本的に母は医者の金もうけでいろいろやりたがるのだという認識で、まったく治療の必要性を認めていません。
手術になると大変なのでリングを付けたらというのですが、帰りの車中でも必要ないと言い張るのでブチ切れて喧嘩になってしまいました。
結局、婦人科に受診しても現状把握だけで終わりました。
リングを入れて少しでも良くなればとも思っているのですが、病識がない母と毎回毎回喧嘩して受診させるのはこちらが参ってしまいますので、ちょっと様子見しかないかな。一応妹と弟にもメールしましたが如何ともしがたいみたいです。
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2月11日鶴舞公園テニスコートの前にディサービスの送り込み

2020-02-13 10:25:21 | 介護
この日は鶴舞公園テニスコートで午前中テニス。
いい天気ですが、火曜日なので母のディサービスがあり、送り込まなくてはいけない。
9時にはお迎えの車が来るのですが、支度をさせないといけないので8時15分過ぎには家を出て実家へ。
実家に行くと全く行く予定はしていなくて、「今日はどこへ行くの?」ディサービスという言葉は使いたくないので、「給食会のお手伝いに行く」と答えて早く支度をするようにとせかす。今回行くディサービスは隔週火曜日なのですが、利用者で一緒に買い物したり昼食を作ったりするのがプログラムなので、給食会のお手伝いというとそれなりに納得しているみたい。
私が言うと「なんでいかなくてはいけないのか」などとどうしても喧嘩になるのですが、かみさんが言うと仕方ないと思うのか遠慮があっていい顔をしたいのか、支度を始める。
多分ディサービスということは聞くことはあると思うのですが、ディサービスという言葉に対するアレルギーも最近はなくなってきたのか、行けば行ったであまり嫌な記憶がなくて楽しんできたからか割合素直に支度をするのが救い。
あれを着る、これを着るというのをみっともないものにしないように適当にあしらって、何とか準備完了にしたところで迎えの車が来て無事送り出すことができました
母がいると「余計なことはしなくてはいい」と言うので、いない間に掃除、洗濯をするのですが、この日はテニスがあるので母を送り出したら後はかみさんにお任せしてテニスに行きます。
雁道のバス停まで歩いていくのですが、商店街ももはや瀕死の状態。商売をたたんだ店ばかり増えているのですが、更地になって売り先も決まらずそのままのところもあちこちに。
その中である一角が大規模に取り壊しています。

ほぼ1ブロックなのですが、取り壊したらなんか建つのでしょうか?

商店街の役員の方に聞いたことがあるのですが、何も聞いていないとか。商店でも増えると多少は賑やかになっていいのですが、理事長さん曰く初期投資が回収できないので無理でしょう。マンションにでもなるのではという答え。
でも結構広いので住民が増えるだけでも活性化になるのでは。
雁道交差点で信号待ちしているとちょうどバスが通り過ぎていく。マーフィーの法則ですね。
祝日なので10分間隔。おまけに遅れてくる。
まあ、そんなもんです。
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母のディサービス

2020-01-31 13:09:05 | 介護
新年になって、いよいよ母をディサービスに送り出すことに。
ディサービスという言葉に対して拒否感が強いので、1か所は習字をやるから習字の練習だよとごまかして、もう1か所は買い物とか調理にもできるだけ参加させるということなので給食会のお手伝いということにしました。
最初の日は、朝お迎えの30分前に行って、前日に話したように(実際には話していないのですが覚えていないので)今日は習字の練習日でお迎えが来るので早く支度をしなさいと言って、出かけるまでに着替えたり髪をといたりに30分以上かかるので考える余裕を与えずにせかして送り出しました。
出かける前にはさんざんブーを垂れていたのですが、行けば行ったで調子よく結構楽しんできたみたいで、送迎の職員に楽しかったですと愛想を振って帰ってきました。
でも何をしてきたと聞いても「忘れた」としか言わないし、今度はと聞いても「もう行かなくてもいい」という返事。
もう1か所のディサービスは自宅から歩いて10分もかからないほどなのですが、私が送り込むよりは迎えに来てもらうほうがすんなり行くかとお迎えに来てもらうことに。給食会のお手伝いということにしたのですが、私が区のやる事に協力しなければと言ったせいか「私がいい顔をするために何で行かなくてはいけないのか」とのたまうのでブチ切れそうに。ここで喧嘩をするといけないのでグッとこらえて送り出したのですが、お迎えに来た職員にはいい顔をしてさっさと車に乗り込むので余計腹が立つ。
ディサービスに行っている間は、鬼のいる間にこちらは掃除をして洗濯をしてとヘルパー役をしているのですが、帰ってきてもそのことはまったく気にしていないというか気が付いていないので、なんだかな~
それでも今のところ1月は毎週金曜日と隔週火曜日に休むことなくディサービスに行っているので一安心。この日も無事送り出すことができました。

でも私はディのお迎えの30分前に行って支度をさせ、午前中に掃除洗濯をして、帰りもその時間には家で待っていることにしているので、結構拘束時間が増えたみたいです。加えて朝食、夕食の食材の買い出しには週2回ほど一緒に行かざるを得ないので、楽隠居のはずが週4日は拘束されて自由時間はそんなにはないというのは大きな誤算。それぐらいの縛りがあったほうがいいという意見もありそうですが、孫の世話とか楽しげなことだといいのですが、これからどんどん悪化するしかないぼけ老人とは10分も話していると喧嘩になってしまう日々です。
母の今の人生とは何なんだろうと思う時もありますが、買い物に連れて行った時などついでにイートインコーナーでコーヒーを飲むのですが、コーヒーを飲みながら買ってきたシュークリームを幸せそうに食べて(母はまったく気にしていませんが脱税行為です)いる姿を見ていると「男はつらいよ」の次の場面を思い出して生きているんだからと納得しています。
満男「人間は、何のために生きているのかなあ」
寅「え?うーん、何と言うかな、ほら。ああ、生まれてきてよかったなって思うことが、何遍かあるじゃない。ねえ、そのために人間、生きてんじゃないのか」
こうやってぼやきを書いて何とか精神の安定を保っている今日この頃です。
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母の介護認定

2019-12-28 08:20:59 | 介護
父の死後、一人暮らしになった母は認知障害がどんどんひどくなってきている。
しかし、本人はディサービス等は聞くだけで拒否。実は昨年認定調査を受けてめでたく要介護1と認定されたのだが、介護サービスを受けることは断固拒否。いくら説得しても聞かないので更新をあきらめた経緯がある。
しかし、私が引退して多少はフォローできるかと思い今年再度の挑戦。いきいき支援センターへ行って相談して、何とかしましょうとなりました。
まずはインフルエンザの予防接種にかこつけて内科を受診して医師の意見書を無事ゲット、続いての認定調査員の調査ですが、これは母が警戒心あらわで、何で来たのかとか何でそんなことを聞くかと険悪な雰囲気に。いろいろなことをできるかと問われると何でもできると自慢気にこたえるのですが、10年前はともかく現在の実態はまるで出来ていない。頭の中では10年前の自分なのです。
調査員とは母を除いて聞き取り調査を受けたのですが、同居していないので問題行動が週1回か月1回かは正直答えられない。何らかの結果を記載しなくてはいけないのは分かるので、そちらがまとめやすいようにお答えしますよと言いたいのですが、そうも言えずに悩みつつむにゃむにゃ答えました。
とにかく認定調査が済み、いきいきの主任さんのアドバイスもあり、今回は何としても介護サービスを受けるべく、まずはお試しでディサービスを受けることに。ディサービスという言葉には拒否感があるので習字の教室と給食会でお試しなので無料ということで、当日に「前から言っていたようにお迎えが来る」と支度させたら、聞いていないと言いながら(実際初めて言ったのですが)割合素直に支度をしてお迎えの車に乗り込んだので一安心。
行けば行ったで、商売をしていた悲しい性で周りには愛想をふるい、それなりに大事にされるので楽しんできたようです。悪い印象なく終わったのでこれは上手くいくかも。
ところが、配食サービスでは最初の連絡が悪かったせいもあって、訳が分からないままに受け取って、容器を返すことが分からず棚にしまい込むので、私が探して連絡をして時間に返す羽目に。もう1回は家の前に出しておけばいいと言うので出しておいたら、自分で勝手にしまい込んでしまうので喧嘩に。
内容も高齢者向けではありますが値段を考えるとイマイチ。これならイオンで弁当を買ってきてもいいかも。母はご飯は炊けるのでおかずだけでいいんですけどね。

どうも配食サービスは母にとって介護サービスの安否確認という意味では全く機能しなかったみたいで断念。
もう一つのディサービスお試しは実家から歩いて5分の所にあるので、新しい給食会の会場が出来たので行くと言って、私が送り迎え。ここも迎えに行っても機嫌よかったのでクリア。
そうこうしているとやっと介護認定の決定通知。要介護1でした。
ということで早速ケアマネさんとの契約。ケアマネさんはいきいきから紹介された元社協の職員で一人開業した方。一人で合名会社を作っている。これってヨイショと同じですね。

こちらのディサービスの希望を伝えて契約書やらを署名するのですが、母の住所名前と私の住所名前を何回書くのか。契約書に重要事項説明書に個人情報の取扱いに介護保険証の預かりと母と私の住所氏名を書くので嫌になります。ケアマネさんも恐縮していましたが、1回書いたら後は氏名だけにしてもらえるとか工夫の余地があるのではと思うのですが、そういう現場の声というのは取り上げられずに厳密性だけが求められています。政策立案者が当事者にならないと改善の余地はないのでしょう。
とにかく1時間あまりお話しして早速担当者会の手配を頼みました。やっと一つステップが前に進みました。
さすがに年内は無理なので年明け早々になると思います。でもどんなにいいケアプランを作っても実際に母が上手く利用してくれるかどうか。
「哲学者は世界をいろいろ考えた。でも問題なのは世界を替えることなのだ。」
まだまだ悩みは尽きないみたいです。
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