ご存知のベストセラー。
図書館の予約も何百と入っていて借りるのにだいぶ待ちました。
アドラーの心理学というのは全く知識がなかったのですが、この本によるとアルフレッド・アドラーは、フロイト・ユングと並ぶ「心理学の三大巨頭」とか。
この本はそのアドラーの思想を、青年と哲学者の対話という形をとってまとめたものです。アドラー版ソクラテスとの対話ということでしょう。
アドラーはもともとはフロイトの主催した精神分析協会の中核メンバーだったのですが、学説上の対立から袂を分かち独自の理論に基づいた個人心理学を提唱したとか。
読んでみると文章はわかりやすく、哲学者に反発する青年の姿がよりその思想を具体的にしています。
アドラー心理学はトラウマを明確に否定しています。
トラウマに代表されるフロイト的な原因論ではなく、目的論に立脚して考えろと言っています。ヒトは過去の原因に突き動かされる存在ではなく、何かしら目的を達成するために動いている。過去にとらわれるのではなくて「今の自分」を受け入れ、結果がどうあれ前に踏み出す勇気を持つこと。
人間は孤独を感じるのにも他者を必要とするように、一人では生きていない。社会の中で生きていて悩んでいるのだが、アドラー曰く「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とのこと。我々を苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなくて「主観的な解釈」であり、健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく「理想の自分」との比較の中で生まれるもの。対人関係の軸に競争があると、人は対人関係からの悩みから逃れられず、不幸から逃れることができない。他者を敵と思うのではなく仲間と思うことで一歩踏み出す。
我々は同じではないけれど対等であり、誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いて行けばよい。
そこで、一人の個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるを得ない対人関係:人生のタスクを向き合うことで達成する目標として
行動面の目標では
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
行動を支える心理面の目標として
①私には能力があるという意識
②人々は私の仲間であるという意識
う~ん、読んでいて何となくわかるのですが、上手くごまかされている気もする。哲学者に楯突く青年の言葉の方が実感としてよくわかる…対人関係の悩みって向こうから一方的に飛び込んでくるのもあるし、理屈は分かっていてもそう簡単には割り切れない。だから悩むんですよね。
アドラー心理学では、我々は「他者の期待を満たすために生きているのではない」のであり、承認欲求を否定します。「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離し(課題の分離)、他者の課題を切り捨てよ!他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない、これが対人関係の悩みを一気に解消する方法だと。
人に援助するには叱ってもいけない、ほめてもいけない。課題を分離したまま、自分での解決を援助していく。こうした横の関係に基づく援助を「勇気づけ」という。我々は何かの能力が足りないのではなくて、ただ勇気が足りないだけなんだと。
そうは言ってもどんどんボケてくる親を面倒見ていくには、それはあなたの課題だと言えないでしょう。ちょっと問題が違うか…
そして対人関係の最終目的地は共同体感覚。
因果律にとらわれた人生ではなくて、今この瞬間を充実して生きる。人生に目的地などなく今ここにスポットライトを当てて真剣に生きなさい。
これって確か名越康文が「心がふっと軽くなる瞬間の心理学」で同じことを言っていたような気が。名越さんだと「一寸先は闇、だから今を生きよう」となるんですけど。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ私によってしか変わり得ない。
読んでいくと「金言」が満載で、我が身を振り返りつつ、何となく勇気を与えられて、ベストセラーになるのも無べなるかな。でも、即このように考えて実践しろといわれてもう~んとなるし、ちょっとごまかされている感も残るかな。
ところでこの本の題名の「嫌われる勇気」というのは、他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれない。師阿波sになる有機には「嫌われる勇気」も含まれる。というところからつけられていますが、これは章立てにもなっていないし、小見出しにもなっていません。この本の題名としてはもっとふさわしいものがあったのではと思うのですが、ちょっとインパクトがあってあえてつけたんでしょうね。じゃあ、どういう題名がふさわしいかと言われると何も出てこないのでごめんなさいです。
図書館の予約も何百と入っていて借りるのにだいぶ待ちました。
アドラーの心理学というのは全く知識がなかったのですが、この本によるとアルフレッド・アドラーは、フロイト・ユングと並ぶ「心理学の三大巨頭」とか。
この本はそのアドラーの思想を、青年と哲学者の対話という形をとってまとめたものです。アドラー版ソクラテスとの対話ということでしょう。
アドラーはもともとはフロイトの主催した精神分析協会の中核メンバーだったのですが、学説上の対立から袂を分かち独自の理論に基づいた個人心理学を提唱したとか。
読んでみると文章はわかりやすく、哲学者に反発する青年の姿がよりその思想を具体的にしています。
アドラー心理学はトラウマを明確に否定しています。
トラウマに代表されるフロイト的な原因論ではなく、目的論に立脚して考えろと言っています。ヒトは過去の原因に突き動かされる存在ではなく、何かしら目的を達成するために動いている。過去にとらわれるのではなくて「今の自分」を受け入れ、結果がどうあれ前に踏み出す勇気を持つこと。
人間は孤独を感じるのにも他者を必要とするように、一人では生きていない。社会の中で生きていて悩んでいるのだが、アドラー曰く「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とのこと。我々を苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなくて「主観的な解釈」であり、健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく「理想の自分」との比較の中で生まれるもの。対人関係の軸に競争があると、人は対人関係からの悩みから逃れられず、不幸から逃れることができない。他者を敵と思うのではなく仲間と思うことで一歩踏み出す。
我々は同じではないけれど対等であり、誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いて行けばよい。
そこで、一人の個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるを得ない対人関係:人生のタスクを向き合うことで達成する目標として
行動面の目標では
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
行動を支える心理面の目標として
①私には能力があるという意識
②人々は私の仲間であるという意識
う~ん、読んでいて何となくわかるのですが、上手くごまかされている気もする。哲学者に楯突く青年の言葉の方が実感としてよくわかる…対人関係の悩みって向こうから一方的に飛び込んでくるのもあるし、理屈は分かっていてもそう簡単には割り切れない。だから悩むんですよね。
アドラー心理学では、我々は「他者の期待を満たすために生きているのではない」のであり、承認欲求を否定します。「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離し(課題の分離)、他者の課題を切り捨てよ!他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない、これが対人関係の悩みを一気に解消する方法だと。
人に援助するには叱ってもいけない、ほめてもいけない。課題を分離したまま、自分での解決を援助していく。こうした横の関係に基づく援助を「勇気づけ」という。我々は何かの能力が足りないのではなくて、ただ勇気が足りないだけなんだと。
そうは言ってもどんどんボケてくる親を面倒見ていくには、それはあなたの課題だと言えないでしょう。ちょっと問題が違うか…
そして対人関係の最終目的地は共同体感覚。
因果律にとらわれた人生ではなくて、今この瞬間を充実して生きる。人生に目的地などなく今ここにスポットライトを当てて真剣に生きなさい。
これって確か名越康文が「心がふっと軽くなる瞬間の心理学」で同じことを言っていたような気が。名越さんだと「一寸先は闇、だから今を生きよう」となるんですけど。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ私によってしか変わり得ない。
読んでいくと「金言」が満載で、我が身を振り返りつつ、何となく勇気を与えられて、ベストセラーになるのも無べなるかな。でも、即このように考えて実践しろといわれてもう~んとなるし、ちょっとごまかされている感も残るかな。
ところでこの本の題名の「嫌われる勇気」というのは、他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれない。師阿波sになる有機には「嫌われる勇気」も含まれる。というところからつけられていますが、これは章立てにもなっていないし、小見出しにもなっていません。この本の題名としてはもっとふさわしいものがあったのではと思うのですが、ちょっとインパクトがあってあえてつけたんでしょうね。じゃあ、どういう題名がふさわしいかと言われると何も出てこないのでごめんなさいです。