怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

7月28日若宮大通り公園テニスコート

2012-07-30 20:19:32 | テニス
連日暑い日が続いています。
この日も晴れて暑い。
4時から某学区の夏祭りがあって行かなくてはいけません。自転車で行ったのですが、信号で止まる時に日向にいると、待っている間だけでも頭が熱気でふらふらしそう。
4時だとまだまだ暑くてみんな汗だくです。出してくれたお茶のペットボトルはすぐ飲んでしまい、さらにお替り。水分を摂ればそのまま汗になって出そうです。
夏祭りは他の来賓の方もぼちぼち帰ってしまったので、頃合を見て私も5時前に退散。
ここから若宮大通り公園テニスコート間で自転車で行けば5時30分には到着できました。
コートには1059さんにOBさん、森田、タケちゃんマンといて休憩中でした。もうビールが500缶2本350缶3本と飲んであります。
夏祭りの帰りなので着替えは持っていましたが、さすがにラケットは「何しに来た」といわれそうで持っていくことができずに、みんなに借りることに。
OBさんにラケットを借りて1059さんに乱打を付き合ってもらい身体をほぐします。
乱打をそくさくと終えるとすぐにゲームに移り、ラケットはそのままOBさんに借りて、最初は1059さんと組んで森の熊さん、タケちゃんマン組と対戦。
一進一退の展開で何とか2:2に持ち込みました。他人の慣れないラケットでは健闘したほうでしょう。というか、みんなもうビールを飲んでいる中私だけ素面だったからか。
続けて今度はOBさんと組んで森の熊さん、1059さん組と対戦。ラケットは当然お休みのタケちゃんマンに借ります。どうも違うラケットはかなり飛び具合というか感覚が違って打球がオーバーしがち。それでも素面の強みというか相方のOBさんのがんばりというか何とか踏ん張って2:2に持ち込みました
この後は私は2試合続けたのでお休み。
終わるともう6時30分で少し薄暗くなってきたので、もう1試合やろうと思えばできたのでしょうが、ここで終了。まあ1時間はテニスが出来たので良しとしましょう。
コート整備をして帰りました。
この日は自転車だったのでアルコールはダメ。みんなが飲んでいる時にウーロン茶で我慢するのは耐えられないので、おとなしく帰ることに。多分4人はここからいつもの「紫禁城」に行ってしこたま飲んだに違いありません。私の会っていない幻の愛想のいいかわいい子ちゃんはいたのでしょうか。
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携帯のカメラが壊れました

2012-07-28 08:17:55 | Weblog
どうもこのところ携帯でカメラを使うとピントがぜんぜん合わない
いくらなんでもおかしいと棚の奥のほうにあった説明書を探し出して読んでみても、レンズを柔らかい布で拭いてくださいと書いてあるぐらいで対処しようがない。どうしてこんなに分厚い説明書なのに肝心なことは書いてなくて分かりにくいというか役に立たないのでしょうか
言われなくてもレンズくらい拭いているんですが・・・
どこか設定を間違えたかとあれこれいじっても一向に改善しない。しげしげとレンズを見てみるとどうやらレンズのところに線が見えます。て言うことは壊れた?
この携帯に替えてまだ1年くらいなのに・・・
強いショックを与えた記憶はないのですが、何か変なものを撮ったか?
まあこのブログにアップするぐらいであっても支障ないのですが、ないとこのブログがちょっと寂しいか・・・
みんなの酔っ払った姿を撮れなくなります。今まであられもない姿を撮られてきた人にとっては安心でしょうが、やっぱり修理できるか聞いてみるか。無料の携帯なので金をかけるのには抵抗あるんですけどね。
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岩見隆夫「政治家」

2012-07-25 23:32:41 | 
毎週土曜日の「毎日新聞」の2面には岩見隆夫が「近聞遠見」を書いていて欠かさず(webでも読むことができます)読んでいる。もう20年以上連載しているのだが、この本はそこから100編を選んだもの。

たくさんの政治家が出てきて、今思うとちょっとと思うものもあるのだが、政治家の人間臭い体臭を感じることができます。
それにしても何回か出てくるのですが「田中角栄」の魅力的なこと。
その中の2編を紹介すると
92.4.21「角栄氏、砂ぼこりの中を走る」
1974年の参院選の出馬した有田一寿の応援に当時首相の田中角栄が応援に来た。終わって総理らが福岡に帰るヘリコブターを見送るためヘリが置いてある広場に向かったありただが遅れてやっと間に合ったという状況。
総理の乗ったヘリは出発のためエンジンをかけ、砂塵が舞い上がっていた。
「総理ありがとうございました」とフェンスから有田が叫ぶとヘリコブターの入口にいた田中総理がいきなり上着を脱いだワイシャツ姿で、上着を手でつかみながら砂埃の中こちらに走ってくる。有田のところに駆け寄り、鉄条網の間から両手で手を握り
「当選してこいよ。待っているぞ」
とそれだけ言うと、くるりと後ろを向いてまたヘリに向かって走り出した。
田中角栄56歳の夏の話である。「情の世界」を縦横に生きている。小沢一郎にはない世界だ。
もうひとつ
09.11.28「田英夫がもらした秘話」
佐藤政権の末期、通産大臣の田中角栄のところに参院選をトップ当選した田英夫が陳情ごとがあって訪ねた。田中は機嫌よく迎えて「よし、よし、わかった」といって「お~い、次だ」田が腰を浮かしかけたその時、田中の右手がさっと伸びて田のスーツの内ポケットに札束らしきものを突っ込んだ。既に次の陳情客が入りかけて返すに返せない。
「金はあって邪魔にならんよ」と田中の低い声を聞きながら、田は辞去するしかなかった。帰ってみると札束は100万円(1971年頃の100万円は小さい額ではない)だった。
「あの人、すごいねえ。あれは瞬間芸ですよ。後にいやな感じがまったく残らないんだなあ」と田は言った。
何万回か金を渡してきた経験から「カネと人間」の機微を熟知していたから田中はこの話が暴露されない確信があったのだ。
このほかにも田中に関するエピソードはいろいろあるのだが、その弟子ともいえる小沢と比べるとその人間的魅力は圧倒的です。
田中以外にも宮沢とか後藤田とか魅力あるエピソードが満載です。鯨岡と松村謙三との話も他でも読んだことがありますが好きなエピソードです。
新聞のコラムですので読みやすく300ページ以上を一気に読めました。
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7月22日吹上公園テニスコートは中止

2012-07-23 21:42:36 | テニス
天気予報は曇りだったのですが、朝起きると細かい雨が降っている。朝食を摂っている間にやんだみたいなので前日ヤッターマンからメールで鍵の番号を知らせてくれたし、それではと支度をして出かけようとしたら、また雨が降ってきた。
吹上公園テニスコートは交通手段がよくないので自転車で行こうとしていたので、さすがに雨では躊躇われます。
無理して行って誰もいないのもいやなので、どうしようかと一斉メールをしてみました。
1059さんからは様子見しているとのメール。4人揃えば出かけますとのことでした。ヤッターマンはお休みみたいです。森の熊さんは滑るのではということで、もともとハードコート嫌いなので消極的な返事。後の人は返事もくれません。
どうもこれでは4人集まる見込みもないので中止のメールをしました
その後天気予報どおり雨はあがって午後は暑いくらいになりました。神宮東公園でも午後はみんなテニスしていました。
昨日は行けなかったし来週も夏祭りで行けるかどうか。上手く途中退席できればいいのですけどね。
どうも夏休み期間中は野暮用が多くて、たまに行ける時は雨という事で、なかなかテニスも儘なりません
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7月21日若宮大通り公園テニスコート

2012-07-22 18:10:18 | テニス
前日の飲みすぎがたたり朝から頭が重いのですが、天気も雨。結構激しく降っています。
実はこの日は私は盆踊りがあるのですが、7時からなので、天気がよければ自転車で行って5時30分には家に帰れば何とか間に合うと思っていたのですが、雨だと自転車が使えません。若宮大通りテニスコートは高架下なので多少の雨なら支障なくできるのですが、この雨だとどうでしょう。
盆踊りも雨で中止かというと雨だと体育館でやるということなのでこちらはサボれません。
お昼は家族はみんなそれぞれで払っていて、私一人なので前日頂いたお好み焼きとみたらしにインスタントの味噌汁を作って済ませました。う~ん炭水化物過多で栄養バランスは取れていないな。
それでも3時過ぎると頭の痛いのも収まったのですが雨は依然降っています。結局6時ごろにはあがったのですが、若宮大通りテニスコートまで自転車でいく元気もなくテニスはパス。歩いて盆踊り会場まで行きました。
盆踊りは体育の授業でないので体育館でやるのはやっぱりいまいち。第一だんだん暗くなれば踊る勇気も出てくるのですが、当然ながら明るいままなのでこれで踊れというと普段にもまして緊張して手と足が上手く出なくなってしまいます。これも仕事と割り切らないと(そしてビールの酔いでごまかさないと)なかなか出来ません。
ということでまたまた酔払って家に帰るのでした。
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ブラザー夏祭り

2012-07-21 10:17:46 | Weblog
7月20日ブラザーの夏祭りに行ってきました。
天気がいまいちでお昼頃は激しい雨
それでも夕方になると何とか小降りになり、支障なく人も集まってきます。
ブラザー瑞穂工場の中庭であるのですが、屋根付のステージができていて前の席もテントの下で多少の雨は関係なく飲み食いできました。
一応来賓ということで、社長さんとも挨拶できました。社長さんは思った以上に大きい人で、アメリカ暮らしが長かったのか肉を喰らう西洋人ぽい腰回りでした。
ビールも串かつとかたこ焼きとかつまみもどんどん出てきて、ステージはほとんど見ることなく酩酊してしまいました。
ここにはひげおじさんも来ていたのですが、この日はひげおじさんのライブがとある店であるそうで飲むだけ飲んだら途中退席。帰り際に少しお話しましたが、この時点で5杯飲んでいたとか。確か五木寛之の小説のどこかであったと思うのですが、ラリっての演奏は本人の感覚は別にして決していい演奏ではないとか。まあ程度問題で精神を上手くリリースしたほうがいい場合もあるとも思いますが。完全試合男の今井勇太郎は試合前少しお酒を飲んで登板したとか。
その後もビールを飲み、何故か〆張鶴をペットボトルに入れて持参してきた人もいて冷で頂く羽目に。一緒に蛍烏賊の沖漬けまで出てきてこれはもう飲むしかない。
かなり出来上がったところでタヒチアンダンスがでてきて、これは「11PM」なら一人ぐらい胸当て?を飛ばす人が出てくるのでは?としゃべって顰蹙を買ってしまいました。最後は真打の沢田知可子が出てきてそれはそれで結構盛り上がりましたが、これは社長さんの好み?
だんながキーボードについて何曲か歌うんですが「会いたい」しか知らないのがいまいち。でもさすがに座持ちは上手く最後の曲はみんな一緒に歌ったりして大盛り上がり。
ブラザーの地域貢献をかねているのでしょうが、世界のブラザーの力は夏祭りでも垣間見ることができました。
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7月16日鶴舞公園テニスコートその後に

2012-07-19 21:56:10 | テニス
11時30分に終わると当然のごとくみんなで「紫禁城」へ。12時前なので空いていて真ん中のテーブルをどかっと8人占拠します。
まずは生と思ったらタケちゃんマンはいきなり富の宝山のロック。どうやらコートでしこたまビールを飲んだのでもうビールはいいみたいでした。猫背気味のウッチーは例によってウーロン茶。
この日もうわさのかわい子さんはいなくて、愛想のいい包店長と愛想のないかわいさもない子(何故か誰も名前を聞きません)の対応でした。
ひとまず餃子を3、甘エビのからあげ2、海鮮サラダ2、海鮮おこげも2と頼んでビールと焼酎をお替り。はげ親父も焼酎に切り替えていきます。
おこげは、初めて頼み美味しかったのですが、結構おなかが膨れてしまいます。
ここで私もビールはおなかが膨れるので、これからはお酒と久保田の千寿をお願いします。それをみたタケちゃんマンは対抗して八海山を注文。負けじとはげ親父が越の寒梅を注文。グラスからあふれて枡のふちを表面張力でかろうじて保つように入れてくれるとなんだかうれしい。でもなかなか表面張力まで行かないんですよね。
ここで猫背気味のウッチーがいつものトマトの卵炒め2を注文。慎重にトマトをよけて食べたのですが、この日は少し塩が効きすぎ。もっと酒を飲ませようという陰謀か。
それの答えてビールを追加する人は追加して、はげ親父とタケちゃんマンは立山を追加。私はそのおこぼれをと枡に残った分を頂きました。
この日は森の熊さんが最近よく行く店の話で盛り上がりました。仕事帰りの藤が丘から歩いてすぐの「BBQ」というお店で、当然ながら仕事から直行すると誰もいない。9時近くから混んでくる店みたいですが、開店直後は有線でしょうが70年代フォークががんがんかかっていて貸しきり状態とか。森の熊さんオススメの店なので、今度一社公園テニスコートでも当たったらみんなで行きましょう。
締めでは焼きビーフン2を頼んで、これも塩辛かったのですが終了。
16100円で一人2千円、足らない100円は基金から出しました。
この日は歩いて帰ったので、一日の歩数は2万歩になりました。お疲れ~
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7月16日鶴舞公園テニスコート

2012-07-17 21:40:06 | テニス
晴れているけど朝から暑い。
8時15分には家を出て歩いて鶴舞公園テニスコートへ。
コートに着く頃には汗が噴出しています。コートには既に森の熊さん、はげ親父、1059さん、ヤッターマン、タケちゃんマンとオールスターがいます。どうも歳をとるに従ってみんな朝が早くなるみたいで、歳の順に到着したとか。
まあ日が高くなる前にさっさと乱打をしましょう。
しばらく乱打をやって休憩。もう梅雨明けみたいなので蚊取り線香を焚いてビールを早速飲んでいきます。新し物好きの人が早速ジャパンゴールドを買ってきてました。蚊はあんまりいないけど、つまみのにおいに釣られてかアリがすぐに集まってきます。
まあ一休みしたのでじゃんけんしてゲーム。手元の熱中症警報機では気温32度で湿度60%。厳重警戒です。

まあ無理をせずにそこそこがんばりましょう。
コート上は当然ながら日陰がなくて立っているだけで汗がどんどん出て水分が飛んで干物になりそう。
ということで誰と組んで誰と対戦したかという記憶がもはや曖昧模糊としています。最初は確かタケちゃんマンと組んではげ親父、ヤッターマンと対戦して1:3で沈んだと思います。続いては同じくタケちゃんマンと組んで森の熊さん、1059組との対戦でこれは0:4の完敗だったと思います。
まあ暑いからゲームの合間には水道の蛇口のところに行って、顔を洗い腕を洗ってクールダウンします。ビールもどんどん入っていくので、これは運動してはいかんやろ。
10時10分頃になると猫背気味のウッチーが登場。どうも今日はバスの時間でないので地下鉄で来たみたいです。それでもコートに来ただけで体力を消耗してしまったみたいです。
遅れてOBさんも10時30分頃に到着。なんでも車屋さんに行ってきたみたいです。これで8人になりました。
2人を入れてゲームを再開していきます。
ここでは1059さんと組んでタケちゃんマン、OBさん組との対戦だったと思いますが、ここでも1:3で負け。
猫背気味のウッチーは1回ゲームに出たらもう十分という感じで日陰で寝ています
それでももう1回だけはつき合わせ猫背気味のウッチー、タケちゃんマン組と私と森の熊さん組が対戦。これはちんたらした感じになってしまいましたが2:2の引き分け。
結局11時30分前には終了しました。誰も倒れなくてよかった、よかった。
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7月14日若宮大通り公園テニスコート

2012-07-15 09:19:54 | テニス
九州では大雨で、東海地方も断続的に激しい雨の時も。それでもこの日は曇っているけど雨は降っていません。だけど蒸し暑い。
前日新規の人たちと飲んで、いつもながら風呂にも入らずそのまま寝てしまいました。どうも最初無理な姿勢でソファーで寝て、その後も布団と壁の間で寝ている感じだったのがいけないのか、肩から背中が寝違いしたのか非常に痛い。50肩の痛さとは違うのですが痛い。でもテニスはできるか。
この日は薄暮なので日中は何もせず家でごろごろした後3時45分に家を出ます。
歩いていったらそれだけで汗まみれ。新堀川沿いを行けばよかったのに1本入ったほうが早いかと思ったのが過ち。結局大回りしてしまいました。
コートに着くと既にヤッターマン、タケちゃんマン、はげ親父、1059さん、OBさん、森の熊さんといて乱打をやっていました。この日は若宮大通りテニスコート3面あって私たちだけしかいません。やっぱり暑いからかな~。持参の熱中症警報計(単に気温と湿度をあらわすだけです)では32度で湿度50%と警報レベルでした
そこそこ乱打をやってすぐにじゃんけんしてゲームに。
この日は肩が痛いからか実力からか最初の2試合は0:4の完封負け。この日はこのまま1ゲームも勝てずに終わるかとも思っていたのですが、意外やはげ親父と組んでヤッターマン、タケちゃんマン組と対戦したら3:1で勝ってしまいました。どうもこの頃になるとタケちゃんマンがビールの酔いも回ってきたのか疲れが出てきたのか動きが悪くなってきたのが勝因でしょう。
最後は1059さんと組んではげ親父、OBさん組と対戦しましたが、これは一進一退、もつれてジュースになるゲームが多く結果は2:2の引き分け。
大汗をかいたので終わって身体を拭き着替えて鶴舞へ。先を行く森の熊さんたちは何処へ行くかというといつもの「紫禁城」。何でも先週行った時愛想がよくてかわいい子がいたとかで迷うことなくの入店でした。
しかし、しかし、お目当ての子はいない。店は土曜日の午後ということでなのか結構混んでいました。冷房の効きがいまいちとかで空いていたいつもの隅のコーナーへ陣取ってまずはビール。やっぱり生はいいよね。
かわいい子はいませんでしたが、太めだけど愛想のいい店長(包さん)はいて、枝豆に渡りがにのから揚げ(出てきたら小さい蟹でからごと食べます)

、黒胡椒のホルモン炒め、餃子と注文します。ビールをお替り。タケちゃんマンとはげ親父は紹興酒のロック。私はこの後ハイボール。
そのうちにこれまたタケちゃんマンが久保田の千寿を頼み、これは一升瓶からグラスにあふれるように注ぐので、みんなも注文します。

最後に〆の焼きそばを頼んで終了。ポイントカードがあるので2千円割り引いて一人2100円でした。
帰りはさすがに歩いて帰る気力はなくバスで帰りました。
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「当事者の時代」

2012-07-14 06:53:06 | 
「当事者」の時代
う~ん、新書版で468ページ。まずはそのぶ厚さにたじろぎます。題名も何を言いたいのかよくわかりません。

それでも何回か書評でも取り上げられていて、図書館の予約も結構入っています。
読んでみると著者が新聞記者上がりということもあって意外に読みやすく、一気にとは行きませんが読み終えることができました。
時代に当事者として向き合うことの困難性とそれでも向き合うことの必要性を述べています。
最初は新聞記者の経験から夜回りと記者会見の二重の共同体について述べていて、最近批判厳しい記者クラブの裏にある警察・官僚とマスコミとの複雑な関係性を明らかにしている。
しかしそういう関係を持ちながらメディアは「市民目線」「市民感覚」という立ち位置で報道している。
なぜこれが矛盾なく両立するのか。
マスメディアが依拠する庶民は幻想の存在である。そしてその幻想の存在は常にマイノリティである市民運動によって代弁されている。
いったい何故アウトサイダーたるマイノリティを代弁しているのか。
ここから戦後日本の日本人論となるのですが、50代以上の70年安保を多少なりとも経験した人にはすっと腹に落ちる議論が展開されていきます。
戦後日本には「加害者としての日本人」という視点は60年代まで存在しなかった。戦争では軍部に多くの日本人はだまされた無辜の庶民であり、そこにあるのは被害者だけであった。。
そこに加害者としての日本人の視点が入るのは大学闘争特にエリートとして社会を支えて行く東大での自己批判からであった。
それは「自己否定」であり「大学解体」であるのだが、自己否定の先に自分自身がどう当事者として向き合うのかということはきわめて困難な課題であった。
その困難性を現実とはかけ離れた先鋭化していくことによって解決しようとするのだが行き着く先は連合赤軍・・・
一方、小田実はべ平連運動を通じて「被害者であることによって加害者になってしまった」という視点を出してくる。そして津村喬は「われらが内なる差別」によって
マイノリティの視点を提供した。そのことによって当事者としての立ち位置の重要性を問題提起した。
しかし、それは結果としてその困難性からマイノリティに憑依する「神の視点」への道を開いた。連合赤軍事件以後、ひとつの突破口としての大田竜、竹中労、平岡正明の3バカゲバリスタ(世界革命浪人)の辺境革命論、インサイダーからアウトサイダーになることにより自分たち被害者以外はすべて加害者として断罪してしまう気持ちのよさ。
大田竜の「辺境最深部に退却せよ」のあの突き抜けた明快さはそういうことだったんだ。
残念ながら、そこには今を生き、生活している当事者としての意識も存在もなく、当然ながら現実離れしたものとなってしまった。
それでもマイノリティからの体制への断罪は一定の小気味よさがある中で、いまだにメディアの空間ではマイノリティ憑依というアウトサイドの視点と夜回り共同体というインサイドからの視点に乖離している。基本的にはインサイダーとして体制補完しながらもアウトサイダーの位置から批判している。でもネットの世界からどんどん情報が発信される中、今やメディアのそんな立ち位置が問われている。
困難な立ち位置になるが当事者としての立ち位置を取り戻す必要がある。
といっても当事者としての立ち位置というのは自分に刃が帰ってくるだけに困難な道ですね。
日々のマスコミ報道に流されないようにするためには大切な視点だと思うのですが・・・どうも上手く要約出来ませんでした。
よう分からんかったという人、私の要約が悪いので一読の価値はあると思います。
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