怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

K市長、どうしてこう振られてしまうのか。

2017-01-30 22:01:34 | Weblog
東洋経済オンラインの安積明子の「千代田区長選、小池マジックの威力は健在か」によるとK市長さん、思いを寄せても、またも振られてしまった模様。
その部分を抜き書きすると
「午前10時に出陣式を行ったのは、石川陣営だ。石川氏の選対事務所の近くの専大前交差点には、グリーンのスタッフジャンバーを着た人たちや小池知事から東京10区を受け継いだ若狭勝衆院議員、河村たかし名古屋市長らが集まった。街宣車の仕様はグリーンに白い文字で、昨年の都知事選で小池知事が用いたのと同じだ。
「小池さんたちと一緒に庶民のための政治に切り替えていかにゃあ」――。街宣車の上でこう述べた河村氏の胸の中には、次期衆院選に備えて新党構想があると言われている。ところが張り切ってアピールするつもりが、その思惑は砕かれたようだ。夕方に予定されていた小池知事が参加する演説会での登壇を断られたからだ。出陣式が終わった後、近くの喫茶店で放心した様子の河村氏の姿を目撃した。」
政治の世界はシビアなので利用価値がないとなるとせっかく名古屋から駆けつけても登壇もできないみたい。
橋下さんにしても小池さんにしても、こちらの思いは人一倍なのになかなか振り向いてくれないみたいです。
それにしても身のほど知らずにちょっかい掛けても、こうまですげなく袖にされるような人はどこかその理由があるのでは。上司を選ぶことはできないのですが、そういう人に使える職員の気持ちは如何ばかりか。
気持ちとしては「男はつらいよ」の寅に振り回されて苦労ばかりするおいちゃん?
森川信の口調で「ばかだね~。頭が痛くなってきたので、俺は横になるよ。まくら、サクラを取ってくれ」
こうやって愚痴ってみると少し気も晴れるかも。
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1月28日鶴舞公園テニスコートは欠席ですが

2017-01-28 17:50:24 | テニス
前日の夜に弱い雨を降らした低気圧が去って、この日は高気圧のど真ん中。
最高気温の予想も13度とこれは3月並みとか。
本当に雲一つない青空です。

でも私は仕事で瑞穂陸上競技場へ。ミニ駅伝大会があるのです。昨年はむちゃくちゃ寒くて立っていると鼻水が垂れてくるので往生したのですが、この日はコート無しでも太陽の光を感じて暖かい。風も微風が心地よい。
それにしても私が欠席の時はどうしてこういい天気ばかりなのでしょうか。たまたま都合がついて出かけると風が強いとか荒れ模様の天気ばかり。これはもう人徳というか、テニスをやめなさいという神の啓示か…なんだかな~
家に帰るとえみちゃんからメールがありました。
「 今日は、天候に恵まれ楽しくテニスができました。冬は天候ですね。
 3月、ウイメンズは外れましたが、シティマラソンのハーフには出る予定ですので、応援よろしく!
 よってテニスはできません。
 ちなみに3月25日「愛知県訪問看護ステーション協議会」の法人化へ移行に伴う臨時総会が予定されていますので欠席です。
 2月も予定がいろいろありますが、2回ぐらいは参加したいと思いますのでよろしく、お願いします。」
まあ、ハーフマラソン頑張ってください。私もその日は動員なのでひょっとしたらスタートで手を振るとわかるかもしれません。でもすごいランナーの数なのでまず無理でしょうけど。
駅伝大会のほうは112チームが参加して毎度ながら結構盛り上がりました。

不肖私はスターターとしてピストルを撃つ役をやったのですが、誰も撃たれた~と突っ込む人はいなくてスムーズにスタート。当たり前か。
12時過ぎに終わってお昼を食べてから足を延ばして知多繁に行ったのですが、八海酒造の甘酒はもはやありませんでした。たまたま行った時に入荷したばかりでないとすぐに蒸発するみたいです。
ちなみにこの日買ったのは「千寿」と「梵」の2本。4合瓶ではすぐに買いに行かなくてはいけないのがたまに傷。
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「住友銀行秘史」国重惇史

2017-01-26 07:22:19 | 
今、話題の本です。書評が載ってすぐに図書館で予約したのですが2か月以上待たされました。

1990年バブル経済が絶頂を迎えつつ、いよいよ崩壊の兆しが見えかけてきた頃、住友銀行の業務渉外部部長になった著者は、天皇と言われ君臨していた磯田会長のもとで住友銀行にひずみが生じているのを感じて、日々集めた情報、見聞きしたことを詳細なメモに残していた。
90年ごろから住友銀行のダーティーな仕事を引き受けていたイトマンを舞台にして河村社長、そして希代の詐欺師と言われていた伊藤寿永光や裏社会の怪人物許永中が登場して、磯田会長を取り込み、巨額の融資を引き出していった。イトマンがのめり込んでいった不動産事業は事業化が暗礁に乗り上げていき、不良債権化していく中で
役員の多くもその危なさを感じていたのだが、磯田会長を恐れて誰もまともに取り組もうとしない。
著者はこのままでは住友銀行が大変なことになると磯田体制を終わらせるべく、改革派と思われる役員の連絡役となり、それでも進まないと見るや、旧知の日経新聞の記者に実情を話し、さらにはイトマンの社員に成りすまして内部告発文書を大蔵省、日銀へ送る。この内部告発文書を送るに際してはイトマンの社員の協力を得てイトマンの封筒と便せんを使い、指紋が残らないように手袋をして、さらには投函も知人に頼んで都外から出してもらっている。自分でこういった細心の注意ができるのを誇っているのだが、確かに誰がこの文書を出したかは犯人捜しはいろいろされたのですが、結局不明のまま、著者がこの本を出すまでは分からなかった。さすが東大卒の一選抜エリート銀行員です。やることが緻密でそつない。でも文章のそこかしこにエリート意識プンプンの上から目線が見え隠れしていて、そこはちょっと辟易するかな。
それにしてもこのままでは大変なことになるとわかっていながら、人事権を握る磯田会長をだれも止めることができずに裏ではいろいろ言っても面と向かえばお追従をするだけとは。まあ、何があっても上司の言うことは正しいという取り巻きはどこにでもいるものですし、その体制が強固のうちは何もしないでいるのが無難なんですけどね。
ワンマンな本人の望む以上のことをすれば、愛い奴ということになるので、役員はこぞって追従合戦になって、とどまることを知りません。挙句は磯田会長の娘なり娘婿に対してまで及んでいくのですが、会長自身がそれを由とするともうコンプライアンスなどという世界ではなくなってしまう。娘や娘婿まで伊藤や許に取り込まれてしまっては、身から出た錆とは言っても、もう自分では抜け出すこともできない泥沼です。
状況はどんどん悪化していくのに一向に打開されていない中で著者はその裏工作の輪を広げていく。大蔵省、日銀、マスコミへと情報を流し、内部告発文書を発送していくのですが、当時の金融行政は護送船団方式で小さな金融機関と言えども潰させない中、なかなか動き出しません。マスコミはどうかと言えば例えば日経は内部でいろいろ議論があって腰が引けています。迂闊な記事を出してイトマンを潰してしまってもいいのかと言われると慎重になるか。それどころかイトマンに懐柔されて提灯記事を出したりしています。
大蔵省、日銀が重い腰を上げて検査に入り、マスコミが取り上げるまで磯田体制は続いていき実体のない事業計画に資金はどんどん流失していく。当然ながらそのお金はイトマンから伊藤や許に流れ裏社会に流れていきます。
最後はにっちもさっちもいかなくなり磯田会長は辞任し、伊藤寿永光もイトマン常務を辞任。イトマンの河村社長も取締役会で解任されます。伊藤に許、河村は司直にても入り裁判で有罪判決。でも磯田会長は何の責任も取っていないんですよね。もちろんワンマンを許した取締役たちも。消えた5000億円の責任を一般行員や株主に誰がどう説明できたのやら。
この本は著者に書いた当時のメモとその簡単な背景説明で成り立っているので一次資料としての臨場感がありますが、如何せん住友銀行の中だけでも登場人物が多くてなかなか内部構造が呑み込めません。はっきり言って読むのに苦労します。最初に主な登場人物の一覧があるのですが、何回も見返すことになりました。
基礎知識として多少なりともバブル期の時代状況とこの住友銀行、イトマン事件を知っているほうが理解しやすいかと思います。すばらしい一次資料なのですが、うまく整理して誰かルポライターなりが書いたらもっと読みやすくて面白いものになったと思います。確か高杉良の小説にもこの事件がモデルのものがありましたよね。
著者はこの後同期で最初に取締役になるのですがそこまで。東京の本店に戻ることはありませんでした。本人が書いているように有能なんだけど何をするかわからないところがあって怖くて戻せなかったということなんでしょうか。銀行というのは減点主義の組織で何もしないで上司の顔色を窺っていればバランス感覚があるとか言われて出世する世界とか。
まあ、役所も似たようなところがあって東大卒の一選抜の著者とは比べようがありませんが、余計なことを言って傍流を歩いてきたと思う身としてはある面身につまされます。

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1月21日東山公園テニスコートの後は「浜木綿」ですね

2017-01-23 07:19:33 | テニス
はげ親父にヨイショは早めに帰り、カバちゃんは車。1059さんは何やら用ありとのことでそのまま帰ることに。
そういえば朝テニスコートのロビーに入ると1059夫人に会いました。お久しぶりと挨拶をしているとサングラスをした柄の悪いじいさんがぶつかってくる。ロビーの真ん中で立ち話していたのでいけなかったかと謝ろうとしたら、大先輩のきたさんでした。もう齢70になろうというのに元気そうです。1059夫人に聞くとガンガンにテニスをしているとか。一度ガンガンにやってみたいものです。私も古希までテニスを楽しめればと願っています。
テニスは1059夫人と入れ替わりだったのですが、お昼は一緒に食べることになっているかも。
ということでいつもの浜木綿に行くのは4人だったのですが、今日のカバちゃんはいつもの軽自動車でなかったのでお店まで送ってくれました。ラッキー!
相変わらず浜木綿は混んでいましたが、ちょうど12時ごろに入ったお客が出てくるときなのか会計をする人が多くて、ほどなく席に案内されました。
それでは一息ついてから注文を。
モリタは定番の注文を矢継ぎ早に頼みます。焼き餃子2人前に八事ソーセージと中華パン。もうメニューを見る必要はないのですが、何故かメニューを見ながら注文しています。続いてヤッターマンがこれまた定番の麻婆豆腐に青菜炒め。
え~と飲み物を忘れているのですけど。
生ビールを4つ。
最初に出てきたのはというと、意外なことに青菜炒め。

餃子のたれの用意をしていたのにこちらはまだまだ。
生ビールがやっと出てきます。う~ん、コートで飲んでいないので良く冷えたビールは美味い。ジョッキも冷やしてあるんですけど冬はそこまでしなくてもいいのでは。
次に出てきたのは麻婆豆腐です。

これは「昔ながら」と「名古屋風」とあるのですが、今回は「昔ながら」を頼みました。
森の熊さん大好きの八事ソーセージも出てきました。

そうこうしているとやっと餃子が登場。

先日「孤独のグルメ」を見ていたら酢とラー油に胡椒を入れたたれで餃子を食べると美味しいというので我が家でもやってみたらピリッとして一味違う感じでこれもありかな。ということで今回も酢とラー油に胡椒を入れてみました。

ビールを飲んでしまったので今度は焼酎に。
麦焼酎をボトルでもらってお湯割りにします。

今度は何時になるのか分からないので飲み切らないと。4人で1本なら大丈夫でしょう。
中華パンも来ました。

料理は黒酢酢豚を追加。

この日ははげ親父がいないので鶏料理でもいいだろうというので蒸し鶏サラダを。一応ここらあたりはみんな気を使っているのです。

まあ、しげ寿司ではタケちゃんマンに気を使って青魚は遠慮していますからね。
今回は一人暮らしの森の熊さんが家に帰っても食べなくていいように、結構食べたのですが、最後に八宝菜も注文。

ああ、それからサービス券の桃饅頭もお願いしましたが、私が持ってきたサービス券ですが、あんこが苦手なのでこれはパス。私の分と一緒にヤッターマンが包んで家に持って帰りました。
お勘定は一人3500円。いつもより少し食べたかな。
金山行のバスの時間があるので私はあわてて店を出たのです。

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1月21日東山公園テニスコート

2017-01-22 10:43:37 | テニス
低気圧通過後で晴れ
でも低気圧通過後の通例で風が強い。予報では北西の風6メートル。こういう日はテニスにはつらいんですよね。
この日は私のテニス初めの日になるのですが、欠席した日は穏やかな天気の日が多かったみたいですが、この日に限ってというかこんな天気とはなんだかな~
それでもヤッターマンからは風が強いけど参加しますとのメール。私も腰のリハビリを兼ねていきましょう。
右ひじと腰にサポーターを装着して、これで膝にもサポーターだと全身サポーターだらけになってしまうか…
いつものように9時40分に家を出て池内町からバスで妙見町に。この日はほぼ時間通りの運行でしたが、やっぱりほとんどの乗客が敬老パスの人。バスは高齢者の足ですし、それで何とか成り立っているのがよくわかります。
東山公テニスコートにある歯医者さんの温度計を見ると気温6度。日向にいるともう少し暖かいのかな。でも風が強いので体感気温は低い。
この日の2番コートにつくと、はげ親父、1059さん、タケちゃんマン、ヤッターマン、ヨイショ、森の熊さんとみんないました
因みに9日の瑞穂公園テニスコートでは時間が中途半端ということもあって1059さんと森の熊さんの二人だけ。30分ほどでやめて早々にしげ寿司へ行ったとか。カバちゃんは時間を間違えて終わる頃に来たそうですが、時間通りでも3人だけだったということです。規定によってコート代は基金から出しておきます。ところでしげ寿司では焼酎を飲んだそうですが、ボトルをほんの少しだけ残しておいたとか。二人だけだったので新しいボトルは入れずに、それでも少しだけ残しておくとは殊勝な心掛けか。
私も準備運動をしっかりやって入れ替わって乱打に入れてもらいます。
久しぶりというか今年初めてのテニスです。
高気圧の真ん中で空には本当に雲一つなくて抜けるような青空。

でも風は強いんですよね。
乱打を終わって一休みしてじゃんけんして試合に。
最初の試合をやっている時にカバちゃんが登場。8人になりました。
私の最初の試合はヤッターマンと組んで森の熊さん、カバちゃん組と対戦。久しぶりなので恐る恐るですが試合になるとついつい無理をしがちなのであまり無理しないようにそこそこに。それでも相変わらずのヤッターマンの頑張りで2ゲーム先取したのですが、この後は逆に2ゲーム連敗。結局2:2の引き分け。風に悩まされたのですが、動くと体は温まります。晴れているので気温は結構高くて11度はありました。

次の試合は森の熊さんと組んでヤッターマン、カバちゃん組と対戦。この試合はいつもながらミスを重ねカバちゃんの強烈なバックに翻弄されていいところなしの0:4の負け。まあ、リハビリですから…
休憩中には森の熊さん持参の激辛めんたい煎餅をいただきます。

無茶苦茶辛いというほどではないのですが、やっぱり水を飲まないとちょっと辛い。
今度はカバちゃんと組んでヤッターマン、森の熊さん組と対戦。この試合も風に翻弄されてロブを上げたらボールがどんどん流されてどこへ落ちるか予測不可能。それだからということではないのですが長い試合になったのですが、結果は1:3の負け。まあ、こんなもんか。
この日ははげ親父とヨイショは早めに帰って、10分ほど残してこれで終了。
やっぱり腰が少し重いというか張っているかな。
一先ず無事終わることが出来てよかった、よかった。

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「金融政策の誤解」早川英男

2017-01-19 07:10:58 | 
著者は長く日銀の調査部門に在籍し、理事を務めた後2013年4月に富士通総研経済研究所に移っている。
1954年生まれなので私と同い年です。
この本は著者の最初の本だそうですが、いわば日銀内部から見たアベノミクスの金融政策というところか。

彼のアベノミクス特にその金融政策に対する評価としては、2013年の異次元緩和、黒田総裁のいわゆる「黒田バズーカ」は、円高株安に苦しんでいた日本経済へのショック療法としては非常に効果があったのだが、あくまでも短期決戦の施策。2年間で2%の物価上昇を実現すると言っていたのにずるずると目標年を引き延ばし、第2弾ともいうべき「ハロウイン緩和」、そしてマイナス金利と導入と続くのだがうまくいっていないというか出口戦略を考えると大きな禍根を残すものになっている。
そもそも日銀内部、そして経済学者の間でもマネタリーベースを大きくすることでデフレから脱却できるなどというのはほとんど信じられていない。理論的には効果がないとされており、だからこそ非伝統的金融政策と言われている。ある面、マネタリベースを大きくすると気合を入れれば期待に応えて経済が動くなんて言うのはほとんどブードゥー経済学の世界。
ではなぜ最初の黒田バズーカはうまくいったのか。
ある面では非常いいタイミングだったことがある。行き過ぎた円高はまさに修正されようとしており日本経済も底を打っていた。さらにこれまた理論的には否定されているソロス・チャートだが、市場ではそれを信じて取引が行う人が多いとすると短期的にはソロス・チャートに従って行動することが合理的となり効果が出てくる。まさに円安株高が実現したのです。
しかしこれは中央銀行にとってはギャンブルに近い施策。長く続けていくと出口戦略をどうするのか、中央銀行のバランスシートはどんどん拡大して将来的には巨額の国民負担が生じる可能性もあると日銀の実務に通じた議論は説得力がある。
加えて今行っているマネタリーベースの拡大とマイナス金利はその効果から見てアクセルとブレーキを同時に踏むようなもの。マネタリーベースの拡大政策を転換すべき時期に来ていると主張している。
この本では「リフレ派」の主張を徹底的に否定しているのだが、そこには日銀マンとして今まで携わってきた金融政策への矜持が感じられる。しかし、政策審議委員には政府の意向だろうがリフレ派が多数になってきている。日銀の職員たちは歯噛みしているのではないだろうか。この本にはそんな日銀職員の思いも込められているような気がする。
ところで日本経済の一番の問題点は潜在成長率の低さ。これから高齢化が進むのでなかなか妙薬が見つからないのだが、だからと言って気合さえあれば潜在成長率が高まるというものでもない。徒に期待を先行させて過大な物価目標を置きマネタリーベースを拡大しても成長率は上がらない。潜在成長率をどうすれば上げられるかということは大きな課題なのですが、短期的には大きく改善することは不可能と思われる以上、現実を直視して政策を展開していかないと将来に禍根を残してしまいます。第5章でこのまま突き進んでいけばどうなるのかを詳しく分析してあるのですが、その時一体だれが責任を取るのでしょうか。
この本は結構高い価格(2800円)で論理は明快ですけど多少知識がないとちんぷんかんぷんかも。難しいところをスルーして結論だけをつまみ食いして行ってもいいんでしょうけどそれだと買うのはもったいないので図書館で借りればいいかな。こんな専門的な本でも予約が結構入っているので今のアベノミクス、リフレ派にいかがわしさを感じている人が多いということでしょうか。
アベノミクスは消費税増税も先送りして、少しでも苦しいことに手を付けることなく日本経済の持続可能性をつなぐ転換への持ち時間をどんどん減らしていっています。
それがポピュリズムに流されている今の政治の世界の王道なのでしょうか。それでもまだトランプよりもましということか…
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記憶の封印が解かれる時

2017-01-16 21:54:17 | Weblog
私は大学2年の時に高校時代の友人と一緒に三重県の新鹿海岸というところへキャンプに行き、友人が溺死(正確には心臓まひという病名はないのですが当時はそういわれていた)した経験がある。
一緒にキャンプに行くぐらいなので親しい友人でその日のことは今でも克明に覚えている。友人は一人息子で両親の嘆きと悲しみはいかばかりであったか。そのことについて一生私は背負っていると思っているし、友人のことも忘れないと思いつつ生きてきた。
ところで先日高校時代の友人というか、還暦過ぎるとこういう会が結構増えるんですが、生徒会の執行部の同窓会があって、私も会計を務めていた(もっとも立候補ではなくて誰もやる人がなくて代議員会でババ抜きのようにお鉢が回ってきたのでやむなく受けたのですが)ので、何十年ぶりに再会する人もいて参加しました。
今となっては恥ずかしくなるような高校時代の馬鹿話をしていたのですが、実は亡くなった友人も同じ時に書記をしていました。
ところが私はそのことを全く覚えていなかったのです。友人とはクラスも一緒で結構気が合って生徒会の時期を含めて高校3年間を通じて青春の濃密な時間を過ごしていたはずなのですが、彼とキャンプに行く前のことはほとんど覚えていなかったのです。
これはどういうことなんだ!
あんな悲しいことがあって、だからこそ悲しい記憶以外は覚えていてはいけないとばかりに、その前の彼との濃密な時間を過ごした記憶を封印してしまったのか。
もともと記憶というものは脳の中にハードディスクがある訳でもなく、細胞レベルでは脳細胞は絶えず新しいものに入れ替わっている中で、神経細胞の回路としてあるもの。容易に書き換えられるし不都合なものは封印もできる。
意識としては忘れないと思っていても、意識の奥にある「心」が彼との楽しい記憶を封印したんだろう。でも河合隼雄流に言えば意識のさらに奥には「魂」があって魂に触れる何かの鍵で封印が説かれてしまうことがあるのかも。
その場は馬鹿話で終わってしまったのですが、家に帰って布団に入ると説かれた封印から解放された記憶が頭の中に渦巻いていた。
結局横になっても眠れない夜を過ごし、夢うつつの中で何度も目が覚めてしまった。心がざわざわと騒いでいた。
でも封印してはいけないと思う。
もう一度彼との親しかった濃密の時間をしっかり記憶に刻んでいこう。
「死者を死者と思うなかれ。生者あらん限り死者は生きん」ゴッホの手紙より
彼は心の中でちゃんとまだ生きている。
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1月14日東山公園テニスコートは大雪

2017-01-14 13:37:00 | テニス
週末の土曜日曜は全国的に大雪との予報でしたが、ずばり。
名古屋でも朝から雪が降ってきました。

これは朝9時ごろの窓からの雪景色。
都会ではちょっとの積雪で都市機能がマヒすることもあって「大雪警報」の発令。
時折やむときもあるのですが、ほぼ断続的に降り続けています。
病院勤務の時にはこういう日は妙に整形外科の医師が張り切ってベッドを空けておけと下知。予想通り必ず転んで骨折する人が何人か救急車で運ばれてきたんですよね。
14時30分から東山でテニスの予定でしたが、当然これではコートも利用不可。当然すぎてか、みんなから問い合わせのメールもありません。
これを打っているのは2時ですが、いまだ窓の外では雪が舞っています。それでも積もってはいないんですが、まだ地表の気温が高いということか。明日の朝は最低気温も低そうですし、凍り付いているかも。
私としては折角腰の痛みが取れてきたので、そろそろテニス初めに行こうと思っていたのですが、そういう時に限ってこんな天気。いまだに今年に入って1回もテニスをやっていません。1月でのこれまでの3回のテニスでは天気も良かったんですけど、これはもうテニスをやるなということなのでしょうか
まあ、よく体を休めなさいという天の声ということにしておきましょうか。
でも昨年は見事年間50回テニスをできたのですが、今年はこれでは早々ともう無理みたいです。
なんだかな~
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「唐牛伝」佐野真一

2017-01-13 21:22:42 | 
昔、快男子あり。
函館生まれの庶子で母親思い。
60年安保を前にして北大の2年生ながら全学連の委員長に。
羽田空港事件では検挙されても警察官を引きずりながら走り出し、国会前では装甲車によじ登り演説後そのまま国会突入を目指し機動隊のただなかに飛び込む。
周りの者を魅了する人間的魅力にあふれ、石原裕次郎より格好いいと言われ、大酒飲みで、女好き。理屈よりも率先して行動していく。
当時の左翼の連中がどちらかというと暗い人間が多い中、その生き様は明るい。ブント自体があけっぴろげで非合法活動を牽引しながらその体質は明るい。日共の陰湿さも内ゲバに明け暮れた宗派の悲惨も感じられない。パッと輝いてすぐに消えてしまった。
「アカルイモノハ、ミナ、ホロビル」(太宰治;右大臣実朝)
この本は戦後日本最大の政治闘争となった60年安保闘争で光り輝いたブント全学連の唐牛を中心とした多彩な登場人物のその時だけではなくて、その後を丹念に描いていく。
その作業は遅れてきた青年の佐野真一のセンチメンタルジャーニーか。

安保闘争の中で全学連が右翼の田中清玄から資金提供を受けるいきさつも、そこから山口組三代目の田岡組長とも知己になり、世話になっていく姿も描かれている。そして資金カンパに躊躇する左翼知識人の姿も…
安保闘争が終息した後、当時のブントの執行部のメンバーは、書記長の島成郎は精神科医となり沖縄で地域医療に携わっていく。理論面を支えていた青木昌彦は近代経済学者としてアメリカに行きノーベル経済学賞に最も近い候補とまで言われた。北大の同級生で青木に誘われ近代経済学に転向し保守の論客となる西部邁もいる。もちろん、運動を続け革共同を結成して中核派になる北小路敏とか清水丈夫などもいる。このほか、紆余曲折を経ていろいろな方面で活躍する名前を見出だすのはある種の感慨を覚えます。
しかし、唐牛は運動に携わり傷つき倒れていった多くの仲間に責任をとるかの如く、堅気の世界に背を向けて日の当たらぬやくざな道を歩んでいく。敗軍の将の矜持だったのか。
田中清玄のいわば食客となっていたり、太平洋単独航海をした堀江謙一と組んでヨット会社を作ったり、新橋で居酒屋を営んだり。
その後離婚、再婚を経て与論島に移住。さらに北海道紋別で漁師になる。
唐牛はどうも庶子の負い目をずっと胸に抱えていて子供は作ってはいけないと思い込んでいたみたい。妻には子供は作らないと宣言していたとか。
う~ん、どうして南の島から北の果てへ行くのか…その軌跡は歌謡曲の世界みたいな…
その後、函館で母を看取ってから千葉県でコンピューターのセールスに。今までの来歴を見るとそんなことが出来るのかと思うのですが、ちゃんとネクタイを締めて成績優秀のセールスマンだったとか。リーダーシップがあり人間的魅力もあるので、その気さえあればどこへ行ってもその世界で通用するということなのでしょう。
そこから徳田虎雄に出会い徳洲会の仕事を手伝う。病院建設の地元対策から金が飛び交う徳田虎雄の選挙運動まで関わっていく。
その後がんを発症して1984年3月死去。享年47歳。
それにしても60年安保とは何だったんだろう。
あの時の安保条約改定は旧安保条約と比べて決して間違っていない。アメリカとの関係ではそれ以上のものを望む可能性は乏しかっただろう。あの時にデモに加わった人たちの何人が条約の意味を理解していたのだろうか。ブント自体がどれほどの展望を持ち着地点をどこに持っていこうとしたのかもよくわからない。国民の多くは戦前東条内閣の一員として開戦に導き、戦争犯罪人となった岸が総理大臣としてこれからの大事な日本の針路を決めていくのが、そしてもう一度戦争をできる国にしていこうとすることが我慢ならなかったのでは。
安倍晋三が子どもの頃の話だがテレビを見て「アンポハンタイ」と叫んで飛び回っていたら母親に「アンポサンセイ」と言いなさいと言われたとか。私も商店街を県大の学生が「アンポハンタイ」とデモしているのを手を叩いて見ていたら親父が苦い顔をしていたことを覚えています。
今と思えばあの膨大なエネルギーの発露は敗戦後日本が独立国として自立するための陣痛か。
岸は自衛隊出動を検討し、自衛隊も実際に武器を準備して待機していたとか。騒乱状態の中で自衛隊が出動していればどうなっていたのだろう。
仮に安保闘争がなく、すんなり条約が通っていれば岸は居座り改憲再軍備への道を突き進んでいっていたのか。
孫の安倍が岸のできなかったことをやる気満々ですが、それは彼なりのリベンジ?
この本は鈴木邦男のブログに紹介されていたので読んでみたのですが、400ページほどのハードカバーを一気に読むことが出来ました。
続きで本棚から立花隆の「中核VS革マル」を出して読ん見ようか。
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「君に友だちはいらない」瀧本哲史

2017-01-11 07:05:00 | 
なんとも逆説的な題名ですが、表題の下に書いてある英文の題名「the best team approach to change the world」のほうが内容を素直に表していますね。

瀧本哲史は一応京都大の客員准教授ですが、本業はエンジェル投資家。本を出すときに准教授を名乗ったほうが通りがいいというか知らない人には権威がありそうなのでこう名乗っています。でもこの本で紹介されている数々の実例と考え方はエンジェル投資家としての経験から導き出されたものがほとんどです。
彼の何冊かの著書は、以前にもこのブログで紹介していますが、グローバル資本主義が進展する中、製品のコモディティ化を進めるとともに人材のコモディティ化も進めている現代社会を乗り切るための方法を示している。
この本では、こうした時代に機能する「武器としてのチーム」作っていく方法を述べている。黒澤明監督の「七人の侍」のようなスーパーチームはどうしたら作ることができるのだろうか。
著者の本業はエンジェル投資家。そこでは海のものとも山のものともわからない「事業アイデア」と「創業者」しかいないような初期ステージのベンチャー企業に投資することになるのだが、そこは千三つの世界。その時には、その会社に集まっている人々のポテンシャルティを見て、そのチームが将来成功するかどうかに賭けるしかない。
新しいことをやっていくには、新しい価値観も、新しいパラダイムも一人だけの力では世の中に広めていくのは難しい。自分とビジョンを共有し、その実現に向けて行動する仲間を見つけていくことが大切になる。やりたい仕事、属したい組織がなければ自分で作るしかない、ではどうやって!
それは「ワンピース」的な麦わらの一味というようなファンタジーの中のチーム(それはどんな時にも仲間割れせずに運命を共にするという強い関係)ではなく、当初の目的を達成して互いに必要とする時期が終われば離れるもの。いたってクールなものです。
前例がない課題に取り組むための良いチームとは
1少人数である
2メンバーが互いに補完的なスキルを有する
3共通の目的とその達成に責任を持つ
4問題解決のためのアプローチの方法を共有している
5メンバーの相互責任がある
それにしても私の狭い知見だけでも、ここで反面教師として紹介されているような年次、経験、ランク、バランスで選んで集団責任という無責任の中、仕事をしたふりだけのチームのなんと多いことか。
チームの仲間には、SNSで友達の数を競ったり、ラインの既読に一喜一憂したり、居酒屋で愚痴を言いあう「友だち」はいらない。ビジョンを共有して目標に突き進む仲間を選らばなくてはいけません。
最初のビジョンは大きければ大きいほどいい。容易に達成可能な目標ならだれにでも思いつくが、それでは注目を浴びず、人は集まらない。
ちょっと不可能かと思えるような大きなことに挑戦する冒険者となってビジョンとストーリーを語ろう。
それは多くの人が共感できる普遍的なものでなければならない。ただし途中途中の目的地はどんどん変えていけばいい。
その過程は神話における「英雄の旅」の物語に似ている。
天命→旅の始まり→境界線→メンター→悪魔→変容→課題完了→故郷へ帰る
目標達成まで波乱万丈でも多才な良き仲間がいればチームとして達成できる。なあなあ的なゲマインシャフト的な集団を、目的がきちんとあるゲゼルシャフト的な集団へと転換していき、自分自身の物語の脚本を書き演じろ!
これから起業しようとする人、何かをやろうとする人にとって、どういうアプローチで仲間を集めてチームにしていくのか、豊富な具体例を挙げつつ説得力を持って論じています。60歳を過ぎて何かをやろうという志もない私にでも気合を入れられた気持ちにさせられました。
勇者にはなれそうにもありませんが、志が一致するような若い人がいれば及ばずながらでも参加して猫の手ぐらいの手助けはしたいものです。英雄の旅についていく脇役ぐらいにはなれそうな気もします。
青雲の志を抱いている成人のお祝いに差し上げたいような本です。
コメント (2)
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