怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

池井戸潤「下町ロケット ゴースト・ヤタガラス」

2021-06-25 07:40:05 | 
テレビドラマで大評判だった「下町ロケット」
このシリーズのドラマの原作を読んでいなかったので読んでみました。

2冊に分かれていますが、テレビドラマでもワンクールだったように、一部二部といった感じで一連の物語。
よく「読んでから見るか」「見てから読むか」どちらがいいかと言われていますが、経験上小説よりも素晴らしい出来の映像はあまりありませんでした。
読んでから見るとたいていは自分の思い描いていた人物と微妙にずれがあって、なおかつ映像化が事実上無理な話もあり、なんか違うな~という感覚になることが多々。
それでは見てから読むとどうか。今回はこのケースなのですが、映像化可能な現実世界の制約を受け、ドラマの役者さんのイメージが登場人物に色濃く反映されてしまうため、想像力の羽ばたきを狭めます。
まあ、阿部寛のようなかっこいい社長さんはいないだろうし、経理部長の殿村の立川談春ではバッタ顔ではないでしょう。どちらもドラマでは大好きな登場人物ですけど。天才技術者島津裕もどうしてもイモトアヤコの顔が浮かんできてしまって、適役かもしれませんがなんか違和感もあります。
読んでいくとついついドラマの登場人物が浮かんできて、どうなのか考えてしまいます。
それでもさすがに池井戸さんの人気シリーズだけに、話のテンポもよくグイグイ小説の世界に引き込まれていきます。今回は単純に大企業帝国重工対中小企業佃製作所という図式ではなく、そこにギアゴーストとかダイダロスをはじめとした300社にも上る中小企業が参加した「ダーウィン・プロジェクト」との三つ巴の展開となりなかなか話の落としどころが見えないのも魅力です。
ふたつの話をつなぐギアゴーストの社長が「ゴースト」では佃製作所にある意味おんぶにだっこで助けてもらって、「ヤタガラス」では突然裏切って敵役になるのですけど、この裏切りの展開はちょっと無理があるのでは。そう言うこともありそうと筆力で押し切っていますが、常識人の私にはそれはちょっとないだろうと思えます。
現実の自動運転農機具についてはかなり実用化への試行があるみたいですが、衛星位置情報による自動運転がそんなにも日本の農業を救うのかは?農業分野の生産性を上げるために機械化自動化できることはもっといろいろな分野で取り組むべきことが沢山ある様な気がします。自動運転トラクターは圃場整備されたコメつくりや北海道などの大規模農園では切望されているのでしょうが、圧倒的多数の中小零細農家では鶏を割くのに牛刀になるのでは。
物語の定番ですが最後は社長の北大路欣也が、すべてを飲み込んだいい人になって御英断というのは、水戸黄門の印籠みたいなものでカタルシスに持って行くのにはいいのでしょうけど、ドラマの世界ですよね。敵役の常務とかでも冷酷苛烈なことばかりして出世階段を駆け上ってきたようになっていますが、現実の社内ではそこまで露骨にグループ企業をいじめ、他を蹴落として、部下を切り捨てる冷酷無比な評判が立てば実績によってそこそこの地位には登ってもそれ以上の評価はされないものです。その人の出世を支える部下が付いてくるにはそれなりの人望があり統率力があるのが普通です。この人ならと擦り寄ってくる人が数多いるような人間的魅力はあり、自分にすり寄る人をかわいがっていけば自ずと派閥ができていきます。特に古い体質の大企業ならば社内の人間関係による派閥と言うか政治力がものをいうものです。往々にしてそれがぬるま湯体質を生み、危機に際してはゴーンのようなコストカッターが登場してくるのですが、なかなか存続の危機に近づかないと受け入れられないものです。まあ、人にすり寄るのを潔くと思わず少し外れたところにいた人間の僻んだ見方ですけど。
日本のものづくりの強みである「すり合わせ」は現場と技術者、大企業と下請け企業の一方通行ではない不断のやり取りを行う中で培われてきたもので、よい品質を保つために一緒に努力してきており、厳しくコスト切り下げるだけのものではありません。どことなくステレオタイプに「百姓から搾り取るだけ搾り取る代官」という図式を彷彿させるような形になっているのですが、その方が読者は感情移入出来て最後のカタルシスが盛り上がると言うことか。
う~ん、それにしても池井戸さん、この物語だけでなく「空飛ぶタイア」「半沢直樹」でもそうですが、どんだけ三菱が嫌いなの。まあ、特定企業としてではなく古い体質のエスタブリッシュメントな企業の象徴として敵役としてピッタリなんでしょうけど。
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6月13日鶴舞公園テニスコートの後は1059さんと一緒に

2021-06-23 07:18:51 | テニス
終わって、1059さんとお昼を食べに行こうかとなり、今は何処のお店も昼間でもお酒は出さないので、ランチだけ。
とりあえず「気晴亭」にでも行こうかといったのですが、ちょうどお昼時だからか店の前には人がたくさんいて混んでいそう。夜に行けないと言うか早く終わるので昼間にがっつり行く人が多いのか。
それでは店を替えて、鶴舞交差点近辺を彷徨うことに。お酒を飲めないので以前行こうとしてお昼は定食だけだからと諦めた和食の店に行ったのですが、どうもやっている雰囲気では無し。
結局ラーメンでもいいかとなって、目についた「だしから屋」という店へ。

メニューを見るととんこつこってりみたいです。

お酒が出るならトッピングとからあげをつまみにできそうですが、時節柄今は無理。
火山とか言う辛そうなのは翌日の出口方面に問題がありそうだし、まぜそばはあまり好みではない。
1000円の全部のせごりまるラーメンにしました。

ニンニクが効いていて、濃厚こってり。チャーシューに卵にシナ竹に、何やらよく分からない肉のしぐれ?
結構ボリュームはあって満腹に、スープは飲み切れず残してしまいました。
かなりニンニクが効いていたみたいで、夜になってもかみさんから何やら臭いけどお昼に何食べたといわれてしまいした。結構歯はがっちり磨いたつもりだったんですけどダメだったか。
ところで、今度の26日は熱田神宮公園テニスコートが予約してあるのですが、私は母のワクチン接種が午後にあり付き添いに行かざるを得ないので欠席。えみちゃんも最後のお仕事があるとかで欠席。参加者がいないのでキャンセルしようかと思ったらカバちゃんが使うと言うのでお願いしました。
どうも高齢化とともにわがクラブも存亡の危機が迫ってきている今日この頃です。
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6月13日鶴舞公園テニスコート

2021-06-22 17:21:22 | テニス
この日は雲が多いけど梅雨の中休みで雨の心配はなし。

だけど風が強い。
家族はみんな用事があって早々に出かけ、私は洗濯物を干し掃除機をかけてから9時10分に家を出て自転車で鶴舞へ。
東京に行った子どもの自転車で久しぶりの出動なのでギコギコと音を立てながらこいでいきます。
9時30分にはコートに着いたのですが、すでに1059さん、えみちゃん、かばちゃん夫妻が乱打をやっている。
この日タケちゃんマンはアメリカから娘さんが里帰りしていて孫の世話をしなければいけないとかで欠席。我が家では孫の顔を見られる気配さえも全くないので、そういう用事で欠席とは羨ましい限りなんですけど。
自転車で体はあったまっているので軽く準備運動してからカバちゃん夫妻に付き合ってもらい私も乱打を少々。
一休みしてから、じゃんけんして試合に。
じゃんけんの結果5番だったので最初は休み。私の最初の試合はカバちゃんハズと組んで1059、カバちゃん組と対戦。なすすべもなく3ゲーム連取されたのですが、最後のゲームは粘りにねばり最後にかばちゃんハズのスーパーショットでブレークし、何とか1ゲームを取って1:3でした。
続いては1059さんと組んでカバちゃんハズ、えみちゃん組と対戦したのですが、2ゲーム先取したのですが、後半2ゲームで追いつかれて、結局2:2の引き分け。
試合に合間に休んでいるとえみちゃんから家庭菜園でとれたキュウリと大葉のおすそ分け。

産地直送、朝採れのキュウリは美味しそうです。
続いての試合はえみちゃんと組んでカバちゃん夫妻と対戦。カバちゃんハズは抜群の身体能力で前衛ではここぞとばかりにボールに飛び掛かってきます。そうなると前衛を抜けるかどうかが勝負の分かれ目になって一進一退の展開。この試合も2:2に引き分けでした。
休んでいるとえみちゃんと1059さんがそれぞれ自分用にと350缶ビールを1本持ってきてそれを3人で分けて酔わない程度に飲みました。暑いのですが、雲も多く、風も吹いていて気持ちよく、ビールが疲れた体に染み入ります。
次の試合はカバちゃんと組んでえみちゃん、1059組と対戦。この試合は私がミスを重ね、そういう時はカバちゃんもつられていいところなしの展開。とにかくサービスリターンを3回連続ネットしているようでは勝てるはずもありません。どこか歯車が狂っていたんでしょうが、0:4の完敗でした。
これで1回りしたのですが、この時点で11時30分。まだ1回試合ができると言うので、長老の1059さんがリタイアし、4人でじゃんけん
結果カバちゃんハズと組んでえみちゃん、かばちゃん組と対戦。取って取られての一進一退の展開となって、2:2に引き分け。
11時50分にコート整備して終了としました。

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本郷和人「ざんねんな日本史」・野間宏「親鸞」・なだいなだ「三言で言えば」

2021-06-18 06:49:19 | 
最近は家に引きこもる日々が多いので、結構BSで歴史番組を見ることが多い。
磯田さんとか千田さんが常連でしょっちゅう見るのですが、本郷和人さんの出演も結構多い。中世が専門みたいですが、とかく面白そうな物語的な議論が多い中で一次資料に基づく文献的裏付けによる知識は傾聴に値するものです。
と言うことでこの「ざんねんな日本史」を読んでみたのですが、ちょっと期待外れかな。

古代から明治までの著名人三十数人の事績を概観して、その後に残念な面を披露しているのですが、売りはその人のあまり知られていない残念な側面。でも歴史マニアと言うほどでもないのですが、それなりに歴史ものを見たり読んだりしているので、あまり目から鱗と言うことはなくて聞いたことのある様な事ばかり。資料的な裏付けはどうなっているかも詳述されていなくて、まあ、歴史こぼれ話的な話のタネを書いたもの?
雑誌の連載だったので一般人向けに歴史に興味を持ってもらおうと軽い気持ちで書いたのでしょうが、ちょっと物足りないのが正直な感想。でも暇つぶしに寝っ転がって読むにはちょうどいいので、これを呼んだ後に同じ趣向の「失敗の日本史」を予約してしまいました。予約待ちがあるのでそれなりに評判よくて需要があると言うことでしょう。
読み直しで少し硬い本をと、野間宏の「親鸞」を読んだのですが、これは硬すぎて難しい。大学時代に読んだ本ですが、当時岩波新書はいくらだったのか。親鸞と言えば「歎異抄」なのですが、これは唯円が親鸞の言葉を書き留めまとめたもの。親鸞自身が心血を注いで書いたのは「教行信証」なのですが、野間宏によると「教行信証」こそ末世の時代生きる一切の人々の救いの可能性を見出すための理論書であり、専修念仏門を弾圧する既存仏教(その理論は興福寺奏状としてまとめられる)に対する反論の書という目的があったということです。そのため親鸞は手に届く限りのあらゆる経典を集めて比較検討している。実際、教行信証の中の多くが経典の引用であり注釈であり、一般人にはまことに読みにくい。前段階としての仏教の素養がないので野間宏の本を読んでもさっぱり理解できない。思うに浄土真宗が信徒を拡大し教団として力を持つためには、「歎異抄」が必要だったろうし、さらに言えば一般大衆にもよくわかる俗な言葉で優しく語りかける蓮如の登場がなければならなかったのだろう。もっとも教団を組織して拡大することが親鸞の願っていたことかどうかはちょっと疑問なのだが。とにかく学生時代ではさっぱりわからないまま読んだのだろうし、今読んでも正直よく分からずに無理無理読んだ気分でした。
もう少し読みやすいのはないだろうかと、もう1冊本棚から取り出して、なだいなだの「三言で言えば」。1970年から1980年に書かれたものをまとめたものですが、文章に当時の時代の雰囲気が出ています。感情に流されることなく、やたらと理屈っぽいし、理屈っぽ過ぎて詭弁を弄しているようなところもあるのですが、この理屈っぽいところに当時は魅了されていて、なだいなだの書いたものはかなり読んだ覚えです。自分の理屈っぽく詭弁を弄するようなところは、なだいなだに青春の一時期心酔し影響を受けた面が大きいかと改めて読み直して思う次第です。これって私の反省すべきいやな面かなと思うとなだいなだは罪作りな人じゃのう。ところで、これは理屈をこねたではないのですが、今回読み直して妙に感心したところは「そもそも人間は生きがいを持っているから生きているのではない。生きる意欲を失い始めた時、生きがいのことを感じ始めるのだ。この点では個人でも社会でも、同じことだ。」と断言してあること。生きがいとは見方の問題で、与えたり奪ったりすることのできるものではないと言う。コロナ禍でなすすべもなく引き籠っていると自分の人生これでいいかと生きがいとか生きる意味とか考える今日この頃なのだが、やっぱり心身ともに弱っているかも。改めて読み直すと今でも通用する箴言がいっぱいある気がします。

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6月12日の終わった後と13日東山公園テニスコートは雨。

2021-06-14 21:27:14 | テニス
12日は終わった後、タケちゃんマンの持参したお酒を飲んでしまわないとと言うので、二人で公園のベンチへ。
前回公園で飲んだ場所の自販機の裏のベンチは道路から丸見えなので、今回は少し端のベンチで道路を背にして飲みます。

距離をおいて座り、飲んでいたのですが、いつもながらタケちゃんマンは活舌が悪く聞き取りにくい。
何でも話しを聞くと居酒屋起業計画を目論むも、チーママのリクルートが上手くいかないとか。儲けを期待しない生き甲斐つくりなのでしょうけど、世の中そんなに簡単に起業できるものではないのでしょう。ましてや人を雇うなどと言うのは大変なことだと思います。それでもそのアンビシャスなチャレンジ精神には驚嘆します。
ぼそぼそ話している場所が場所なので、座っていると短パンのむき出しの足に蚊が襲来してきて、何か所も刺されてしまいます。

血を吸って動きの鈍くなった蚊を、4匹撃墜しました。あ~痒い。
今の時節柄、終わってから居酒屋へ飲みに行くこともできないので、帰ったら夕食は食べると言って出てきたので、あまり飲んで帰るのはまずいと思っていたのですが、ちびりちびりと日本酒を飲んでいけば、1時間ほどで4合瓶は空いてしまい終了。そこそこで止めることのできない馬鹿です。
向こう側で猫があきれたように見ていました。

翌13日の日曜は14時30分から東山公園テニスコートなのですが、相変わらずの梅雨空。
予報を見ると9時過ぎごろから雨が降り出し、ちょうど14時ごろは雨の予報。 

実際に降り出したのは10時過ぎでしたが、レーダーを見ると14時の予報は雲に覆われている。

でも雲は15時ごろには過ぎ去って、そこからは晴れ間も出ると言う予報です。
ちょっと悩ましいのですが、昨日テニスをやったこともあってここはもう中止にするか。
12時ごろには結構激しく降ってきて、まあ、キャンセルしても怒られないかと管理事務所に電話。キャンセルするにはこの日の名義のはげ親父の利用者番号と生年月日が必要でしたが、ちゃんと答えて無事キャンセル。LINEでみんなに連絡しておきました。
でも実際は予報通り15時前には雨は上がって、やる気があればできたかも。梅雨時の判断は悩ましいものです。
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6月12日熱田神宮公園テニスコート

2021-06-13 17:14:08 | テニス
週末の天気は梅雨らしくはっきりしない。
土曜日も朝起きると曇り空。

それでも予報は午後には晴れ間もと言うことなので、何とかテニスはできそう。
そういう時にはげ親父からは、転倒、胸部強打、肋骨にひびで暫くのリタイアの連絡があり。ただでさえ最近はメンバーが少ない時にまたもや長期離脱者が出ることに。
これはもう「泣きっ面に蜂」でしょうか。
はげ親父は酔って自転車で転倒し、頭部挫傷、顔面強打、鎖骨骨折の前科が何回かあるのでまたしても酔って転んだかと思いきや酔っていないとのこと。
どうも庭木の剪定中に転倒したみたいです。左肩はあがらず胸部をガードルで固定したみたいですが、肋骨の場合は胸を固定するだけみたいです。みんな心配して高齢者だから気を付けるようにと温かいLINEがありました。
それにしてもこういうのをどう表現したらいいのか
「猿も木から落ちる」
「弘法も筆の誤り」
「年寄りの冷や水」
「おごれる平氏久しからず」
う~ん、どれもちょっとしっくりこない…
やっぱり「二度あることは三度ある」かな。
それでもこの日はえみちゃんとタケちゃんマンにカバちゃん夫妻が来るので何とか5人は集まりました。
駐車場が混んでいたのかカバちゃん夫妻は少し遅れてきたのですが、早速5人で乱打をやります。
この頃には晴れ間ものぞいてきました。

一通り乱打をやって一休みしたらじゃんけんして試合にします。
最初の試合はカバちゃんと組んでえみちゃん、かばちゃんハズ組と対戦。結構南風が出て来て、ボールが流され、さらにクレーコートの凸凹によるイレギュラーもあり微妙に勝負の綾となります。
そんなこんなで一進一退の展開で、2:2の引き分けに。
合間はえみちゃんが持ってきた500缶ビールを頂きます。
実はタケちゃんマンは日本酒の4合瓶を持参してきて、持って帰るのは重いのでこれも飲みましょうと言うのですが、さすがに試合の合間に日本酒を飲んでいたのでは体が動かなくなり戦意喪失するので、まずはビールだけに。

次の試合は、かばちゃんハズと組んでタケちゃんマン、カバちゃん組と対戦。この試合も一進一退で相譲らず。
結果は2:2の引き分けです。
コートの横ではちょうど紫陽花が満開で、梅雨時の風情があります。

ビールは飲んでしまったので、持って帰れないと言う日本酒を少しいただいて次の試合に。
今度は酔っ払いコンビのタケちゃんマンと組んで、えみちゃん、かばちゃん組と対戦。
この試合はなぜか運が味方したのか、ほろ酔い加減が良かったのか、4ゲーム連取の完勝。
こう言うこともあるのですね。
じゃんけんによる順番が2番だった私はここで抜けて、あとの人たちで最後の試合に。
16時50分に終了してコート整備をして管理事務所に鍵を返し、梅雨空でしたが今日は何とかテニスが出来てよかった、よかった。
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何とかワクチン接種一回目完了。

2021-06-11 20:55:38 | Weblog
以前にも書きましたが、ワクチン接種クーポン券が来て、コールセンターは当然つながらず、分かりにくかったけどネットで何とか母と私の予約は完了。
そもそもは最初にIDとパスワードを登録してログインのお手順のはずが、いきなりログインしなければいけないのに戸惑うのだが、要はIDは接種クーポン券番号、パスワードは西暦の生年月日と言うことでした。でもそれならIDなどと書かずに接種クーポン券番号、パスワードと書かずに西暦生年月日と書いておけばいいのだが、どうも配慮が足りない。

後で考えれば、隣の区の会場でもよかったので、どうせ母について行かなければいけないのなら私も母と一緒の日に予約すればよかった。
予約日は6月10日の15時15分から30分。あまり早く行っても待たされるだけなので15時15分丁度に区役所へ。
母の時は会場は小学校の体育館で、体育館の外で待っている人が沢山いたのですが、区役所の入り口からそれらしき人がたくさんいるかと思いきやいない。
入口の予定表にしょぼい案内があるだけ。

それでもエレベーターで上がっていくと講堂の入り口に人が並んでいる。張り紙には15時30分までの受付をしていますとか。周りの人の話すのを聞いていると16時からの人とかもいて、30分以上待つ人はここでなく下で待って時間に来てくださいと案内していました。母の時は待つところがあってきちんと15分ごとに呼び出していたのですが、会場によってはいろいろのやり方があるみたいです。
とにかく受付をすると15時15分から30分の予定の人では私はどうやら最後の一人でした。
おかげで番号も若くてすぐに会場入場。

記入チェック、予診、問診とスムーズに行き、接種。思ったより上で打つので目一杯袖をまくるのですが、こんなことならTシャツだけにすればよかった。
痛いと言うほどもなく完了。
ここから15分は椅子に座って15分の健康観察。

母の時は私と弟二人がかりで拉致するように連れて行ったのですが、同じように介護の人を一人二人引き連れてぶつぶつ言っている人もいる。ただ待っているだけだと母は落ち着かずに絶えずどうでもいいことを話し、こちらは適当にスルーしつつ相手していたのだですが、同じように宥めたり話し相手をしたりと苦労している人もいて大変です。
時間が来ても何事もなく、15時46分に一応接種完了。ほぼ30分で出来ました。
ところで予想されていたことですが、だんだん接種した肩が痛くなる。左に打ったのですが、夜寝る時に左肩を下にすると痛いので寝れない。高々1㏄の注射薬の注入でこれだけ痛くなるのか。
朝起きても肩が痛い。動かして上にあげようとするとイテテて…
でも体温を測ると36度2分で熱はなく、倦怠感とか頭痛は特にない。

全く副反応がないと本当に中和抗体ができたのか不安なので、肩が痛いぐらいの反応は丁度良かったかも。
それでも肩が腫れているわけではないのですが、接種部位は直径1センチほどのしこりが出来ていて、昼過ぎても痛いので早く「痛いの痛いの飛んでけ~」
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「China2049」マイケル・ピルズベリー

2021-06-10 14:16:57 | 
中国4000年の歴史。
その中で19世紀から20世紀にかけての100年は屈辱の黒歴史。
1949年建国の中華人民共和国の隠れたミッションはその屈辱を晴らしたうえでの世界帝国中国の復活。

著者のマイケル・ピルズベリーはアメリカのCIAにも勤めていた中国ウオッチャー。1971年の米中国交回復以来アメリカの対中国政策に深く関与していたのだが、その中国政策は中国の隠れたミッションを見誤って、アメリカの地位を脅かす存在にまでしてしまったと率直に反省している。
アメリカから見て当時の中国は脆弱で、「中国の発展を助けて、技術、資金、軍事援助を行っていけばやがては民主的で平和な大国になる。しかし大国になっても地域支配、世界支配を目論んだりしない」という美しい仮説に立っていたのだが、実際は他国の覇権に反対しつつ、長い間隠していたのだが自らが覇権を持とうとしていた。
中国は長い歴史の中で、春秋戦国時代、三国志時代などで権謀術数、策略を駆使して覇権を取ってきたことが、一般教養の知識として蓄積されている。歴史の浅いアメリカ人には理解しがたかったのだろうが、100年単位(世界覇権100年戦略)で、アメリカに替わって世界の覇権を獲り、世界の軍事、経済、政治のリーダーになると言う中華人民の夢を実現しようとしてきた。
毛沢東が長征に持って行った本が「資治通鑑」であり、史記とかの記述は知識人の一般教養であり、孫氏の兵法なども広く知られている中で、有職故事に通じているのは中国人にとっては当たり前。日本人にとっても四字熟語として知っていることわざは数多です。そのような有職故事に基づいて表現される策略について著者も含めたアメリカの中国ウオッチャーはほとんど理解していなかったというのは驚きです。底流に前100年の欧米列強に食い物にされたきた中華民族の怨念があり、いつの日か中国共産党の下でアメリカに替わって世界のリーダーになるなどという考えがあるなどと言うのは想定外だったのでしょう。アメリカのいわゆる「中国専門家」の大半は、中国語をかたことくらいしか話すことができず、中国語が分からない人の前でしゃべれるふりをするのがせいぜいだったと書かれているとむべなるかなとしか言いようがない。
もっとも国交回復時には、中国の経済的実力は発展途上国そのものであって国力が伴わずひたすら牙を隠してきたのだが。当時は中ソ対立が顕在化してきた時であり、アメリカも中国もソ連に対抗するために協力するのは、winwinの関係となる。中国の方から密かにアメリカにすり寄ったようですが、国内向けにはアメリカから申し出があったとなっている。アメリカはソ連への抑止力として中国に惜しみなく軍事技術援助を行い、経済的にも世界貿易体制に組み込んでいく中で投資資金援助を行い、まったく警戒することなく中国の台頭を助けてきたのです。西側諸国は中国に機密情報や技術、軍事のノウハウ、専門家の助言をふんだんに提供し、世界銀行は中国がアメリカに追いつく方法を助言し、金融的支援をし、なおかつ中国は提供されなかったものは盗み取っていた。
ただ、ひとつ言わせてもらえば、アメリカをはじめとする西側諸国は中国を世界貿易体制に組み込んで貿易と投資によって膨大な利益を得てきており、何も善意だけで援助していたわけではないのですけど。今や中国は世界の工場として世界経済に大きな地位を占めていて、経済的にはアメリカとずぶずぶの関係と言ってもいい。
西側にとって誤算だったのは、中国が経済的に発展するとともに経済の自由化、法による支配、政治の民主化が進むと信じていたのだが、民主化は一向に進まず共産党独裁体制は揺らいでいないこと。それどころか習近平になって共産党独裁専制体制が強固になってきている。
さらに最近はちょっと下火になったのですが、国有企業の非効率と膨大な不良債務、少数民族問題、官僚主義の無能と腐敗などで中国崩壊説が盛んに言われていたのだが、それらの桎梏を飲み込みながらもいまだにGDPは伸びていてアメリカを追い抜く日も近いと言われている。
ここに至って、中国はその2049年への野望を隠さずに来ており、アメリカの覇権の鼎の軽重を問おうとしている。アメリカも自らの覇権を脅かす存在としてようやく認識しだし、ペンス副大統領の歴史的な演説以来その中国政策を大きく転換してきている。
これからは何やら春秋戦国時代のように誰が覇者になるかで権謀術策が飛び交うのだろうが、日本の立ち位置はどうすればいいのか。アメリカのほぼ属国である以上アメリカの世界戦略に従わざるを得ないのだが、尖閣問題もあり望まないのに最前線に立たされる恐れもあり、経済的には大きく投資していて貿易相手国としても大きな位置を占めているので悩ましいところです。
訳文は読みやすいし360ページほどの本ですが、苦労なく読めましたが、中国とどう付き合っていくのか考えさせられます。


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6月6日鶴舞公園テニスコート

2021-06-07 16:32:29 | テニス
この日は朝起きると雨。
細かい雨ですけど駐車場はぬれている。

雨雲は低く垂れこめて雨粒は見えるか見えないかですけど歩道橋を歩いている人は傘をさしている。

せっかくの鶴舞公園テニスコートなのですが、雨・・・
まあ、昼からは晴れてくると言う予報なので9時過ぎれば上がって来るかという根拠なき楽観で支度を始めます。
一応レーダー画像を見てい見ると10時から11時は雲に覆われている。

それでもえみちゃんからは一応コートに行きますとのメールがあり、9時過ぎには雨の上がるのを待って待機中とのこと。
久しぶりだから行ってみるかと自転車で出かけたのですが、結構降っている。雲も厚くてこのまま自転車で行けば着くまでにびしょ濡れになりそう。この天気なので1059さんは早々と諦めましたとメールがあり、ゆうこりんも久しぶりなのでと言いつつ断念、カバちゃんも断念と相次いで欠席のメールです。
と言うことで私も途中まで出かけたのですが、あえなく断念。諦めましたとメールして家でゴロゴロしていたのですが、10時過ぎると雲が薄くなり雨も上がってきた。
もうあきらめて誰もいないかと思ったらはげ親父から雨が上がったので早く来いとのメール。3人はいるのであと一人と言うことみたいです。
もう一度空気を入れなおして支度をし自転車を出して鶴舞公園へ。
10時40分にはコートに着いたのですが、えみちゃん、はげ親父、タケちゃんマンと3人がゲームをやっていた。普段は朝が弱くて11時過ぎにならないと来ないタケちゃんマンがいるのでちょっとびっくり。なんでもこの日は調子よく起きれたとかで頑張って来たとか。はげ親父は昨日ワクチン接種をしたみたいですが、腕が少し痛いぐらいで目立った副反応はなかったみたいで、無事テニスが出来ます。
自転車で来たので準備運動は済んだことにしてさっそくゲームに入れてもらいます。
雨でコートファイスがぬれているかと思いきやそんなこともなく、最初は練習がてらえみちゃんと組んで軽く1ゲーム。
4面あるコートは隣と我々の2面だけの利用です。

この天気なので普通諦めるよね。
3人で試合をしていたので疲れたと言っていますが、こちらはせっかく来たのだし4人になったので早速ダブルスの試合にしましょう。
最初はタケちゃんマンと組んでえみちゃん、はげ親父組と対戦。
この試合はデュースが続く長い試合になったのですが、珍しいことにデュースを全部取って3ゲーム連取。その勢いで最後のゲームも勝ちきって4:0の完勝でした。やっぱりみんな疲れていたのか。
この頃には晴れ間も出て来て、湿気も高いので暑くなってきました。

次ははげ親父と組んでタケちゃんマン、えみちゃん組と対戦。この試合も調子よく2ゲーム連取したのですが、暑いしデュースで長引くのは疲れるのでデュース1本勝負に。そうしたらその1本を落として、次のゲームも完敗して結局2:2の引き分け。う~ん、勝利の女神に逃げ足は速い。
試合が終わった時点で11時40分だったのですが、この日は雨模様の天気の中テニスできただけで幸せと言うことでコート整備して終了。
お疲れさまでした。
鶴舞公園では日曜と言うこともあってキッチンカーも出ているのですが、お客は天気もあってパラパラ。

それでもポケモン・ゴーをやっている人たちなのか、スマホを見ている人がたくさんいて、それなりに密の空間も。

まあ、屋外だし騒いでいるわけでもないのでいいか。
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新田次郎「怒る富士」

2021-06-04 06:48:12 | 
長い軟禁生活で図書館から借りてきた本は読み終えて手持ちぶたさに。
仕方ないので本棚から1冊。
今回は新田次郎の「怒る富士」

新田次郎全集の21。昭和51年1月第20回配本ですが、昭和の本は活字が小さい。定価は何と980円です。
2段組で390ページなので、情報量が多いので読者としてはお得なんですが、今となっては目が疲れて休み休み。

それでも一度読んでいることもあり、思い出しつつ一気に読む終えました。
江戸時代、徳川綱吉が将軍の宝永4年に富士山が突然噴火。噴石降灰はふもとの村々を覆う。
「怒る富士」と言う題名から噴火当時の阿鼻叫喚、その中でのスペクタルかと思いきや、この物語は灰に埋まった駿東郡59か村の災害復旧に取り組む関東郡代の伊奈半左エ門と当時の幕閣の大老柳沢吉安、勘定奉行萩原重秀、間部詮房、新井白石、成り上がりの先制をよしとしない家柄のよい世襲の老中たちらの権力闘争を描いている。
被災して食うや食わずの生活を強いられても、藩主は農民のことなど一顧だにせず、この災害を自己保身と政争の具としてしか考えていない。藩の手を離れた被災地は幕府の直轄での災害復旧となり、土木工事の実務にたけた伊奈半左エ門にその仕事が命じられる。だが駿東59村は復旧の見通し立たずとして亡所に。亡所になってもそこに住む人は若者はともかく老人子供は他所に行くこともかなわずそこで生きていくしかない。
しかし当時の幕府の財政は貯えを使い果たし、内情は火の車。能吏の勘定奉行萩原重秀の手腕によって辛うじて回っている状態。とても膨大な量の降灰を取り除き、その間の農民に生きていける食料を提供することはかなわない。暴発寸前になるのだが、伊奈の奔走で何とか当座をしのぎしつつ手当をするのだが、将軍綱吉の末期で力の衰えた柳沢・萩原への反発や財政ひっ迫を顧みることない将軍の奢侈で、全国から徴収した富士山焼けの救恤金として48万両余りを集めているのだが、実際に被災地のために使われたのは3年分で16万両ほど。残りは将軍の綱吉から家宣への代替わりに伴う大奥の改築に、神社仏閣での法要に、そして韓使への饗応にと使われていく。
仮に全額が被災地の対策に使われていたのなら、降灰を除去する間農民は安心して生活でき、河川の灰をさらえ堤防を強固にすることができたのだろう。だがすべてが大幅に値切られ工事も中途半端に行われ大雨で堤防は決壊してさらなる大被害に見舞われる。
現地で農民の苦しむ姿を見て何とか手を尽くしていく半左エ門だが、東奔西走しても悉く政治の壁に阻まれる。結果最後は禁じ手にも手を出し、詰め腹を切らされて切腹。
今この物語を読むと被災地と中央の温度差と言うか、被災現場で苦しむ人々を見ようとせず政争に明け暮れている姿は現代でも変わらずあるのではと思えます。現場で何とかしようと苦闘する人が報われないのは伊奈半左エ門だけではない。
亡所とされた駿東59村の姿は、フクシマの帰宅困難地域と重なる。現場での果てしない苦闘を無視して、「undaer the contoral」と自信満々に高言し、今となってはどうなったのかと言いたい「復興五輪」を公言したのだが、その言葉に被災地へのどれだけの思いが寄せられていたのか。そう言えば今でも復興特別税がかかっているのだが、これってどう使われているのか。山焼け救恤金のようなことはないにしろ屁理屈をつけて被災地とは何やらあまり関係ないことにも使われていたのでは。
傲慢な人間に富士が怒って噴火したかもしれないが、その後には民のことに目を向けない自己保身と権力欲に取りつかれ、権力闘争の好機としているような為政者に対する作者の怒りが噴火している。現代の日本にも同じような構造が続いていることが読後感にカタルシスではなく悲しみをもたらすが、被災した農民の命を救おうとして最後は一命を投げ出した伊奈半左エ門の生き方には粛然とせざるを得ない。
為政者としてどこに思想の根拠をおくのかが問われているのは江戸時代だけではなく現代にも当てはまる。今読んでも読みごたえがあり全く古びていないのですが、字が小さいのが苦しい。

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