怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

10月25日26日金沢富山にGO TO トラベル3

2020-10-30 19:35:50 | Weblog
チェックアウトしても10時なので、ここからもう少し観光に。
帰りの新幹線は14時17分なので13時過ぎまでは大丈夫。
観光案内マップにある岩瀬・水橋めぐりが半日コースなのでここに行ってみます。
富山駅からライトレールに乗って岩瀬浜に行きます。

岩瀬浜行は1時間に4本あります。この路線はNHKのBSの鉄道旅でやっていて機会があれば乗りたかった路線、均一料金で一乗車210円です。
富山駅を発車して暫くは一般道と同じ軌道ですが、その間は確実に自転車の方が速い。まあ、北国なので冬は自転車はきついですけど。
そのうちに専用軌道を走るのですが、当然ながら単線。月曜の10時過ぎなのに結構オジサンのお客が多い、と思っていたらみんな競輪場の駅で降りました。なるほど。
岩瀬浜の駅で降りると近くにカナル会館と言う観光施設が運河沿いにあるのですが、土産も食事も駅前で済ませようと思っているのでパス。運河沿いに富山港へ歩いて行きます。
10分ほど歩くと富山港展望台につきます。無料の展望台は基本的に登ってみるのですが、ここはエレベータなぞはなくて階段で20メートル登らなければいけない。

結構息が切れてしまいました。富山港は一望できたのですけどね。

ここから旧街道と言うか岩瀬大町・新川町通りに出て街歩き。ここ岩瀬は北前船の寄港地として発展していました。当時の雰囲気を残した町屋が多く残っています。

ここでは国の重要文化財に指定されている廻船問屋森家を見学。100円です。
実はこの家一時大原総一郎が所有していたことがあり、その時に棟方志功に版画を頼んで、今、床の間に飾ってあります。


この絵を見るだけでも100円分の価値はあるか。
それを別にしても建物としても当時の財力を感じさせるものです。


蔵の扉とか壁にも装飾が施されています。


ここは今は富山市の所有だそうで、だから100円。
さらに歩いて行くと舛田酒造の建物も。

ここは「満寿泉」の蔵元です。販売所もあるのですが、荷物になるので買うなら駅かなとスルーしてしまいました。体調がよければ試飲だけでもするのですけど。
そこから東岩瀬駅までは徒歩10分ほど。
ライトレールで富山駅まで戻ります。
まだ12時前なので、時間つぶしがてら、ほど近い富岩環水公園に。
体育館やらの大きな建物の先に公園はあります。広々とした芝生があってその先に運河が広がっていて気持ちがいい空間です。

芝生では家族連れとかがシートを広げてランチをしていたりして、緩やかに時間が流れています。

運河の両側は遊歩道となっていてちょうど昼休みなのでサラリーマンが沢山ウオーキングしています。

まあ、気持ちのいい時間つぶしが出来ましたが、この日が暑くもなく寒くもなく晴れていたからで、これで雨だったら成り立たない街歩きです。冬はお勧めできませんね。
因みにこの環水公園から運河を通ってカナル会館まで約60分で行く船も出ています。時間に余裕があれば是非どうぞ。ただ運航本数は限られているので、あらかじめ調べておくことをアドバイスしておきます。
13時なったので、そろそろ空いたからお昼にしましょうか。やっぱり富山に来たのでキトキトの魚を食べたいので、駅ビルのお寿司屋さんへ。

中に入ると回転すしの仕様なのですが、回転していない。すべてタブレットで注文して席の前にレーンで運ばれてくる。コロナ対策としては完璧です。まずは北海五点盛を頼み、煮アナゴと地物の鯵を注文。


ところが順番に頼んだのですが、空いているのか一気に到着したので、ちょっと焦る。
お酒を飲んでいるわけではないので、ゆっくりお茶を飲みつつ食べていきます。
〆に蛤の味噌汁を注文して、ごちそうさまでした。

会計は1600円ほどでしたが、go toトラベルのクーポンが1200円分になるので安くできました。
列車までの時間を土産の買い物に使い、ここはやっぱり、白エビとホタルイカですかね。

体調不良で酒は飲めませんでしたが、2日間で6万歩いて一応当初の予定はすべてこなして無事帰路につきます。
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10月25日26日金沢富山にGO TO トラベル2

2020-10-29 21:00:37 | Weblog
富山に着くとまず駅の観光案内所に行き、富山の街歩きマップをもらい、ついでにおすすめコースを聞いておきました。本当は夜のお勧めのお店も聞きたいところでしたが、それはここでは無理。
ひとまず宿泊予定のエクセル東急に行くことに。駅南口の通りを挟んですぐです。
チェックインしたのですが、時節柄まず検温。手のひらで測ったのですが、なかなか上がらず35度台。まあ、いいか。あまり話してもいけないからかカードキーを出して最低限のインフォーメーション。客室へのエレベーターの案内ぐらいしてほしいものでした。朝食はつけていなかったのですが、宿泊者は割引料金になるのですが、それも聞かないと教えてくれない。ついでに料金はフロントの案内とツアー会社の案内と違っていた。まあ、ホテルで朝食を食べるつもりはなかったんですけど、なんだかな~
部屋は11階でシングルで17平米あってゆったりしていました。
まだ17時前なので、暫く夕食をどうするかと考えながらぶらぶらと街歩き。
歩いて気が付いたのですが、この日は日曜日。富山の一番の盛り場と言う駅からほど近い新富町には居酒屋なり飲食店が多いのですが、日曜休みのところが結構ある。まあ、胃の痛みは続いていたのでお酒はパス。そうすると一人で入るようなお店はほとんどない。孤独のグルメの井の頭五郎はいつもウーロン茶でがっつり食べているのですが、富山に孤独のグルメで取り上げたお店があるかどうかリサーりしておけばよかったかな。こんなに胃が痛くなるとは思っていなかったので吉田類の酒場放浪記はリサーチしたのですが、富山県では高岡市の1軒だけでした。
一旦ホテルの部屋に帰ってテレビを見て気が付いたのですが、この日は富山県知事選挙の投票日。そう言えば朝の山の投票勧誘ポスターがやたらとあったような。
結局迷った結果、駅ビルの中の麺類食堂で軽く食べることに。

せっかく富山に来たので「白エビ天蕎麦」にしました。白エビはアカシャ海老と違って、どことなく頼りなくふんわりしているけど上品な甘みがあって美味しい。

さすがにそれだけでは寂しいのでこれまた富山の昆布巻き蒲鉾を追加。

メニューの写真では4~5切れだったんですが、出てきたらたくさんあってびっくり。
さらに追加でマコモダケのおでんを頼みました。この店は注文はタブレットでするのですが、これはメニューには載っていなくてタブレットでは注文できない特別メニュー。

ところがすでに売り切れとかで食べられない。なんだかな~
それでもgo toトラベルのクーポン券が使えたのですが、駅ビル全体のお店が期間限定で1000円券で1200円使えるということでちょっと儲かった気分。結局100円の支払いでした。
飲まないので早々と夕食は終わって部屋に帰って風呂に入ってテレビを見つつ寝落ちしてしまいました。
朝食は向かいのコンビニで野菜ジュースとヨーグルトとサンドウィッチで済ませます。ファミレスでもあれば朝定食とも思ったのですが、駅周辺にはないような。もう少し駐車場が取れるようなところにあるのでしょうか。

ロビーに地元の北日本新聞があったので見てみると一面トップは富山知事選挙の結果。現職が負けたので余計なのですが社会面もほとんど知事選の結果。名古屋へ帰ってみた中日新聞では小さかったですけどね。
チェックアウトは11時なので、荷物を置いて朝食後の散歩を兼ねて街歩き。
富山城までは歩いても10分ほど。観光案内所では路面電車の環状線があるのでそれを乗るのを勧められたのですが、大した距離でもないので歩いて回ることに。
城は神通川と松川を外堀にして石垣は多少残っていますけど天守は復元されたもので博物館になっている。


野面積みの石垣は江戸時代のものです。

城址は広々と芝生公園になっているのですが、カラスが多いのかここでえさを食べるなとの「告」が立っています。

まあ、カラスには効き目はないでしょうけど。
お城からちょっと歩いて市役所に。ここには無料の展望台があって晴れているので立山がみられるはずでしたが、山は雲がかかってイマイチの展望でした。月曜なのでみんな仕事をしている中、1台だけある展望階まで行くエレベーターに乗るのですが、専用ではないので何やら書類を抱えた人も途中乗ってくる。暫くいれば雲が消える…と言うこともなさそうなので1周して帰ります。

機会があればまた天気がいい時に来たいものですが機会はないだろうな。
ひとまず環状線半周くらいの街歩きを終えてホテルに戻って、朝ぶろに入ってからチェックアウト。
続きます。
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10月25日26日金沢富山にGO TO トラベル

2020-10-28 20:45:01 | Weblog
せっかくGO TOトラベルと言う制度ができたので、政策としていいのかという点はあるのですが使わない手はないと一人旅に行くことに。かみさんはパート先が高齢者施設と言うこともあって旅行は自粛しているので、一人でご勝手にというスタンス。それならば遠慮なく一人旅で、通過したことはあっても泊まったことがない富山へ行くことに。
JR東海ツアーズに申し込んだのですが、ホテルはどうするかと言われGO TO トラベルが適用になるならと一番高いホテル「エクセル東急」にします。この点は政策的観点からは如何と思うのですが、制度がある以上うまく使わないとね。
ところが当日の朝はなぜか頭がふらつき胃が痛い。2~3日前から鼻水が出て寒気が出たりしたのでひょっとして胃腸風邪か。でも熱はなくて血圧も正常だったんですけど。う~ん、本来は8時50分の列車に乗るつもりが暫し横になって1本遅らせて9時48分名古屋発の「しらさぎ」に。名古屋発なので自由席としておいてよかった。

予想通りガラガラの自由席でゆったりと体を休めながら本を読んで12時48分に金沢到着。頭のふらつきは消えたのですが、胃が痛いのは変わらず食欲もないので、昼食抜きでそのまま歩いて金沢城へ。
最初は尾山神社。

独特の門です。和洋中折衷のような形で国の重要文化財に指定されているとか。ちょっと神社としては違和感あるけどね。
時期的に七五三の人が結構いました。

ぐるっと一回りして鼠多門橋を渡り鼠多門をくぐって、いざ金沢城へ。

ここは復元されたばかりのようでまだ新しい。
さて金沢城は石垣を見ろと言われている。戦国期から江戸時代まで改修を重ねた中でいろいろな時代の石垣をみることができる。実はこれは「ブラタモリ」の受け売り。

今回の金沢についてはるるぶなどのガイドブックは全く役に立たずにもっぱら「ブラタモリ」に頼っていました。
それにしても金沢城は一回りすると結構広くて高低差もあり、さすが加賀百万石のお城。
まずは一番古い石垣。
野面積みという石も自然石を積んで間に小石を入れている。


ブラタモリで桑子さんが小石を抜いてしまったところか。
丑寅櫓跡の石垣は案内板によると最古の物とか。

それにしてもここは本丸跡のさらに上で登るのに大変。景色はいいのですけどね。

途中三十軒長屋があるのですが、ここの石垣は場所によって割石積みだったり切り石積みする。

五十間長屋は有料の資料館になっていてそこはパス。

すぐ近くの石川門は右と左で石垣の積み方が違うところも。

割石積みと切り石積みの違いがよくわかります。
ぐるぐる歩いていると突然赤レンガのトンネルが出てきたりして?

どうやらここが戦前陸軍駐屯地になっていた名残で爆薬貯蔵庫への運搬路みたい。
二の丸から降りてくるとやたらと広い芝生広場があって気持ちいい。

ここは新の丸と言う政庁があったところの跡。大手門から入ってすぐのところで当時は官庁街として金沢の政治の中心だったんだろう。石垣の写真はたくさん撮ったのですが、そればかり載せるのも興味ない人には苦痛なのでこれぐらいにします。興味がある人は是非「ブラタモリ」を持って金沢城へ行ってください。城内は広いし、高低差も結構あるので歩ける靴がいいですよ。
お城を歩き回った後は長町武家屋敷街へ。香林坊を抜けてどこから入ればいいのか、ちょっと案内板が不足しているかも。
それでも何とかたどり着けました。

落ち着いた雰囲気でどことなく萩の街を思い起こします。

通り抜けて地図を見つつ歩いて駅に戻ります。駅に着くとお昼を抜いてきたのでさすがに何かおなかに入れておかないととコンビニで飲み物とチーズケーキで昼食替わり。
金沢から富山へは初めての北陸新幹線。でも乗っている時間はほんの30分もない。
席に着くと座席の頭乗せは上下に動かせます。

足元にはコンセントが付いています。

ちょっとづつですが進化しているのが分かります。
富山編に続きます。
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10月24日熱田神宮公園テニスコートの後は1059さんと二人

2020-10-27 17:53:57 | テニス
終わって、11時5分前に鍵を管理事務所に返したのですが、11時だとまだ昼食を食べるお店がやっていないかも。
それでも1059さんと二人で串揚げの「ふくろう」まで行ったのですが、予想通り準備中。

残念。
それでは通りを渡ったビールとコーヒーのお店と書いてある「シャーロックホームズ」へ行ってみます。回転灯が回っていたのでここはやっているはず。
1階は駐車場で2階がお店ですが、雰囲気は喫茶店風、それでも一応ビールと書いてあります。お昼はランチがあります。

とにかくお店に入って席に着きます。
中はやっぱり喫茶店風。
とにかく生ビール。

メニューを見れば料理はつまみもあるようですが、二人なのでそんなにガンガン飲むつもりもなくて、食事にします。
ランチメニューはチキンカツか海老ドリアだったのですが、私はエリザべス2世セットと言う何やら訳が分からないものにしてみました。

オムレツにツナサラダにチーズパンにアップルパイ。どこがエリザベス2世?
1059さんはハンバーグにしました。

ビールを1杯飲んでつまみ代わりにサラダとオムレツを食べ、パンとアップルパイを食べると結構おなか一杯になりました。
お勘定は4320円。まあ、ちょっとこじゃれたお店でビールとランチを食べたということですが、大きな声で馬鹿話をする雰囲気ではないし、わがクラブの雰囲気とはちょっとミスマッチでした。
ここから歩いて家に帰ったのですが、まだ12時30分前。比較的な健全なテニスの日でした。




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10月24日熱田神宮公園テニスコート

2020-10-26 21:29:06 | テニス
昨日の雨は上がって、この日は晴れるはずなのに朝起きると曇り
この日は9時からなので、まずは新発売の糖質ゼロの一番搾りと枝豆を詰めて、

早々に支度をして8時30分過ぎには家を出て熱田神宮公園へ
公園に着くと前をえみちゃんが歩いている。管理事務所からはげ親父が出て来て、どうやら受け付けは済ませてくれたみたい。

コートの入り口には1059さんもいて、ほどなくヤッターマンも到着。
コートは前日の雨で土が柔らかい。本当はローラーをかけなければいけないのだろうけど、誰もそんな元気はなくて、コート面をならすぐらいが精いっぱい。そのまま5人で乱打を始めます。
丁度一回りして一休みする時に30分遅れでカバちゃん夫妻が到着。この日は7人でした。
カバちゃん夫妻が練習してからじゃんけんして試合に。
最初の試合はえみちゃんと組んでヤッターマン、はげ親父組と対戦。この試合、最初のゲームから私とはげ親父のミス合戦で膠着しデュースを重ねたんですが、ヤッターマンの守備範囲の広さで1:3で負け。
この頃には雲が切れて晴れ間が出てくるときもあるのですが、晴れてくると途端に暑くなる。でも雲に陰るとひんやりしてくるんですよね。

次の試合はヤッターマンと組んでえみちゃん、1059組と対戦。コート面が柔らかいのでボールが沈み込んだり飛ばなかったりで、そうかと思うとラインにあたると跳ねたりして、応用力がないので対応できなかったのですが、ヤッターマンだけ右や左へと走って対応するので4:0の勝利。
休んでいる時にはビールと枝豆で乾杯するのですが、持参した糖質ゼロの一番搾りはやっぱり美味しくない。プリン体オフのビールでも思うのですが、体に悪い成分は美味しいのです。それを取ってしまうとなんだかな~の味になります。
えみちゃんと話していると最近はマラソンに出ないので練習をしていなくて走れなくなったとか。子どもの出産とか孫育てとか介護などといろいろあって練習する暇もないので体幹も鍛えられずにミスも多くなった…
次の試合は1059さんと組んでえみちゃん、かばちゃん組と対戦。ここでもミスが多くて、この日は凡ミスばかりの出来の悪テニスです。結局1059さんも同じようにミスを重ねて1:3の負け
ここで11時10分前になりコート整備をして終了。
枝豆は食べてしまい、ビールは350缶ビール2本に500缶1本でした。

この日ははげ親父とヤッターマンは帰らなくてはいけないみたいで、1059さんと二人で昼食に行くことに。
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FACTHULNESS

2020-10-23 14:59:04 | 
評判になった本なので、図書館で予約してかなり待たされました。
漸く順番が回ってきたので早速読みましたが、これはさすが待っただけのことはある。大いに知的興奮を呼びます。
年金暮らしでテレビを見るのが日課ですが、朝の情報番組に辟易としている身には必読の本でした。

本の最初のイントロダクションに、13問の質問があるのですが、この問題の平均正解率は地球温暖化の問題を除いた12問では2問。全問不正解の人も15%とか。
この問題に挑んだのは、無知無教養な人を選んだわけではなく、医学生、教師、大学教授、著名科学者、投資銀行のエリート、多国籍企業の役員、ジャーナリスト、活動家、政界のトップと高学歴で国際問題に興味のある人たちとか。3択なのでチンパンジーがやっても33%は正解するはずなのに。
ちなみに私もやってみましたが、多分ひっかけだろうという知恵が働いたこともあってチンパンジー並みに3分の1は正解しましたけど半分も当たりませんでした。
間違えるのは知識不足ではなくてみんな同じ勘違い、思い込みをしているから。
その勘違いと言うのは「世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。金持ちはより一層金持ちになり、貧乏人はより一層貧乏になり貧困は増え続ける一方だ。何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう」というようなもの。
しかし、たくさんのデータからの事実に基づき世界を見れば先入観とは違った世界が見えてくる。
因みに、日本人が最も正解率が低い質問は
・世界中の1歳児の中で、何らかの病気に対して予防接種を受けている子供はどのくらいいるでしょうか?
A 20%   B 50%  C 80%
この問題の正解率は13%、日本の正解率は6%です。
答えはCでした。びっくりではないですか。テレビを見ればユニセフとか国境なき医師団とかがいくらかの寄付でワクチンをたくさんの子供の命を救えるとCМを流している。南スーダンとかロヒンジャの子どもたちはきれいな水さえ飲めないとか。それはその通りなのだろうが世界の80%の子どもが予防接種を受けているなんてことはテレビで見たこともない。犬が人を噛んでもニュースにならないけど人が犬を噛んだらニュースになると言うことだろうが、世界のほとんどの子どもはちゃんと予防接種を受けていますね、よかったということはニュースにならない。勘違いするはずです。
それではもう一つ日本人の正解率が低かった問題を。
・現在、低所得国に暮らす女子の何割が初等教育を修了するでしょうか?
A 20%   B 40%  C 60%
この問題の正解率は7%、日本の正解率も7%です。アフリカとか中近東とかイスラム圏では女子の教育はいまだ必要ないとされていて、まともに学校に通っていないはずなのに。確か女性の教育を訴えてテロにあったのはパキスタン、アフガニスタンでも学校がテロの標的にされているとか。
この本はこの13の問題をどうして間違えてしまうかということを10の視点から解説している。
人は往々にして世界を先進国と発展途上国というように二分割に分断して変わらない構造として理解しようとしてしまう。その方が単純明快だし、論理もすっきりしている。だが途上国は何時までも途上国ではない。徐々に経済発展をしており、貧しい途上国を脱し中間に位置するようになってきた。今や世界人口の75%は中所得の国に住んでいる!
ここでは著者は世界を4つの所得レベル
・レベル1;極度の貧困レベルで1日1ドルの所得(約10億人)
・レベル2;1日2ドルから8ドルの所得(約30億人)
・レベル3;1日8ドルから32ドルの所得(約20億人)
・レベル4;裕福なレベルで1日32ドル以上の所得(約10億人)
に分けて世界を見てみる。
そうすると世界人口のうち極度の貧困にある人の割合は過去20年でどうなったかと言うと約半分になっている。(これは問題3で正解率は7%)。悲惨なことばかりが増えているようなニュースを見ていると世界はどんどん悪くなっているかのようだが、データで見ていると世界はどんどん良くなっている!
数えきれないほどの「小さな進歩」が世界中で起きていてゆっくりと世界を変えているが、それがニュースとなることはほとんどない。因みに世界はどんどん悪くなっていると答えた人は世界各国で半数を超えている。
ところで最初に予防接種の問題を紹介したが、ワクチンが工場から子供の腕に届くまでには、ずっと冷蔵されている必要がある。と言うことは港まで冷蔵コンテナで運ばれ、病院までは冷蔵トラックが届け、病院で冷蔵庫で保管する、交通インフラ、電力、教育、医療が揃っていなければいけない。世界の多くのところでこういった物流インフラ、教育、医療システムが整備されていると言うこと。ここには大きな投資機会があるはずなのに欧米諸国の投資家たちは思い込みでスルーしてる。当然ながら、いくらかでも電気が使える人は世界に80%いるということです。これも問題の一つなのですが、正解は4人に一人、日本人では15%です。
多くの人は発展途上国、とりわけアフリカ諸国は極度の貧困から抜け出せず経済発展などありえないと思い込んでいる。だが現実にはレベル1からレベル2へ、レベル3へと着実に成長している。アジア・アフリカは中間所得層の拡大から大きな市場拡大、ビジネスチャンスが見込まれている。
子どもの数についてもよく宗教や文化の影響が言われるが、宗教別に3グループに分け女性一人当たりの子どもの数と所得を見てみるとどのグループでもレベル1の極度の貧困層は子どもの数は多く、所得が上がるに従って減ってくる。価値観とか子育ての流儀とかは少しづつだけど変わっていく。所得が上がり極度の貧困から抜け出せば、女性が教育を受けることで、夫婦の対話が進み子どもの数は減っていくのは宗教とか文化に関係なく世界共通のことみたいです。宗教的原理主義者たちにとっては許されない認識であり暴言でしょうけど。
こう書いていくと13の問題をみんな紹介したいのですけど、既に2600字ほど。いつも私のブログは長くてくどいので読む気がなくなるなどと言われているので、あとは実際に本を読んでくださいと言うことで終わります。
事実をデータに基づいてみてみれば、世界は少しづつでも進歩しており、よくなっている。読んでみて少し元気が出てくる本です。



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母と一緒にインフルエンザ予防接種

2020-10-21 21:17:32 | 介護
ディサービスに通っている母は現下のコロナ騒ぎにも我関せずというか危機感ゼロなのですが、ディサービスに通っているので他の人に迷惑をかけてはいけないので、とにかくインフルエンザの予防接種ぐらいはしておかないと。
加えて介護保険の更新時期で医師の意見書を書いてもらわないといけないのだが、根っからの医者嫌いで、「医者も商売だからやたらと継続受診を言い薬をたくさん出そうとする。もう歳なので受診する必要はない」というのが口癖でこの1年受診したことがない。これも11月の更新時期までに受診しなくてはいけない。
まともに話しても拒否感ばかりなのですが、私と一緒にインフルエンザの予防接種を受けようということで何とか説得。
近所の医院に予約の電話を入れるとまず聞かれたのが私と母の年齢。10月中は高齢者優先と言うことで確認したみたいです。
予約した時間に何とかごまかしながら医院に連れて行くことに成功。もっとも出かけるよと言ってからそんなことが必要かと何回も言い、着替えをして、儀式のような外出前の確認があり、30分以上かかって、こちとらは爆発しそうなのを懸命に抑えてでしたけどね。
受診は1年ぶりと言うことで母はレントゲン写真を撮り、骨密度を図り、血液を採り、心電図を測り、認知症の検査と一通りいろいろやります。
検査をしている間、母は馬鹿なことを話し続け、壁越しに聞きつつ血圧を測ると聞いているだけでイライラしてストレスをためたのか145/92とかなり上がっていました。
当日分かる検査は特に異常もなく無事インフルエンザの予防接種を受け、続いて私も受けました。

これでインフルエンザ対策はちょっと安心。医師には勧められたのですが、続けて肺炎球菌の予防接種も受けた方がいいのか。
今年はコロナ対策もあって高齢者のインフルエンザ予防接種は無料。どれだけの効果があるのかは分かりませんが、その点では予防接種を受けるモチベーションにもなりますし、去年だと母は無料ですが、私は1500円だったので、ちょっと助かります。
血液検査の結果は後日なのですが、そこには母は必要ないと言うことで私が聞きに行くことにしました。
因みに医院で測った血圧が高かったので、これはまずいと家に帰ってから確認のためにもう一度測ったのですが、121/82と正常。やっぱりこれは白衣性高血圧と言うより母を連れて行くのがかなりのストレスだったと言うことだったんでしょう。
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森の熊さんに連絡してみましたが

2020-10-19 18:32:27 | テニス
凶悪かつ危険な猛暑も去り、いつの間にか秋の気配に満ちています。
曇っていて昼前から雨が降ってきたこともあって、今日の最高気温も15度。朝起きると窓に薄く結露が付きだしました。

ようようテニスをやっても大汗かくようなこともなくなり、晴れていればテニス日和に。
こうして10月も半ばを過ぎてきたのに、いまだ森の熊さんはテニスは欠席。4月からもう半年余りご無沙汰です。
腕が痛くて休みますとのことだったのですが、いかにも長い。
6月に聞いたときはLDLの薬の副作用による筋肉痛ではないかとのことで服用を変更してみるとのことでしたが、そこからはや3月余り。本当に薬の副作用?
そもそもLDLなんぞは私は要医療レベルなのですが、血圧がちゃんと管理されていれば薬など必要ないという根拠なき楽観で何ら対応していません。今は年金暮らしで職場検診もないので検査もしていない。自己責任ですので突然倒れても文句ない。
それでも気候も良くなり前回のメールから3月たったので、森の熊さんに状況をメールで聞いてみました。
返事はすぐにあり「お気遣いありがとうございます。腕の可動範囲は復調しつつありますが自由度がききません。気持ちばかり焦っています。」とのこと。
長引いていますが、多少動かなくてもできる範囲でやってみたら…とは他人事なので無責任な意見ですが、一日も早い復帰を願っています。テニスが出来なければ終わった後の飲み会だけでも参加してくれればと思うのですが。
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再読「メタモルフォセス群島」筒井康隆

2020-10-18 07:39:14 | 
確か筒井康隆のエッセイに書いてあったと思うのだが、筒井の細君は筒井の書くものを狂人の書いたものと思っているので一切読まないとか。
本棚にあった筒井康隆の本を久しぶりに手に取ってみたのですが、確かに狂気に満ちていて狂人の書いた小説。でも本当の狂人ではこういう狂気に満ちた小説は書けないだろうな。

昭和50年前後に書いた小説の短編集ですが、今となっては恐ろしくて出版社もそのままでは出版できないようなもの。いろいろと抗議反発があるとマスコミは軋轢を避けるために怪しい言葉を禁句として、あれこれ書き換えしなければいけないという状況については筒井は激しく反発して断筆宣言までしているのだが、この本が書かれた当時はまだまだそこまで事態は進展しておらず、大丈夫かと思ってしまうほどのことをバンバン書いてある。何やら騒乱の70年代の気配を思い起こしてしまいます。
ところでこの文庫本の解説は「走る取的」についてだけ書いているのですけど、私が読んだ印象では、この「走る取的」はスピルバーグのデビュー映画の「激突」を筒井流に換骨奪胎したパロディ。解説に「激突」について全く触れていないのは如何。多くの筒井作品にあるように、最初は日常のごくさりげない出来事なんですが、徐々にそれがエスカレートしていき、常識では考えられないような狂気の世界に突入していき、最後は破滅するというパターンなのですが、徐々にエスカレートしても、どこかで踏みとどまるのが日常。その日常を突き抜けるか否かはほんの少しの分かれ目と思えるところが、あり得るかもしれないという現実味を醸し出すのでしょう。
この狂気は人間の表に出していない心の奥に誰しも持っているもので、こうやって顕わにされるとひそかに喜びを感じてしまうのは悲しい性か。ちなみに私の友人は高校生の時に図書館で「霊長類、南へ」を借りるときに司書から高校生がこんな本を読んでいいのかと散々嫌味を言われたとかで憤慨していましたが、確かに不道徳かつ猥褻で狂気に満ちた内容ですが、だからこそ面白い本だったという記憶です。今読んでも十分に読めるのですが、今では普通には読めない本だろうか。
一緒に写っているのは、椎名誠の「麦の道」。椎名誠の高校1年生時代の自伝的小説。椎名は私より10歳上だが、高度成長真っ最中の日本は社会全体の上昇過程でほとんど解決されていったのだが、実態は騒々しくて荒々しい時代だったのだろう。高校生でも闘いの日々でバチバチと眼を飛ばして殴り合っていたというのは、私の高校時代とは隔世の感があります。ただ、下町の中学校は私が1年生の時はまだまだ荒れていて、教師はなめられないように暴力教師と言われようとなんかあると生徒を殴っていたし、トイレのドアは全部どこかしら穴が開いていた。栄などに行くときにはいつカツアゲされるかもわからないので、お金は札を靴下の中に隠して行くのが生活の知恵だった。そんな雰囲気がもっと強烈に漂っていた時代を彷彿とされる小説でした。
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ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」

2020-10-13 17:49:48 | 
どうせ時間はあるのだから、今回は腰を落ち着けてかねてから読んでみたいと思っていた「銃・病原菌・鉄」を読みました。

上下巻で合わせて600ページ以上。
知的好奇心をバンバン刺激してきて、読みにくいということはないのですが、集中力が続かないふにゃふにゃ頭になって、加えて最近目も悪くなったことにより薄暗いところでは全く見えず、結局読了するまでに2週間以上かかりました。
それでもコロナ禍の今、人類が病原菌、ウイルスとどう出会い、どう折り合いをつけてきたか考えるには押さえておく本でしょう。
約1万3千年前の更新世後期の人類は、世界各地で小グループの狩猟採集生活をしていた。その文明度と言うか暮らしぶりは大陸ごとにほとんど差はなかった。小集団での狩猟採集生活が基本で、比較的食糧確保の容易な恵まれた地域では定住生活をしてるところもでてきた。しかし、農耕栽培はまだ行われておらず、家畜の飼育も始まっていなかった。
それでは世界の各地の文明の差はどうして生じたのだろうか。
人類が植物を栽培することを見出したのは、チグリスユーフラテス文明が誕生した肥沃な三日月地帯、そして少し遅れて中国。そこには栽培に適した植物の原種があり何世代かの品種改良の結果、農耕栽培を営むことによって定住生活を実現していった。つまりユーラシア大陸には栽培化可能な植物種(麦とか米)が分布しており、さらに家畜可能な適性のある野生の動物種(牛、馬、羊、豚)がいた。農耕栽培と家畜によって食糧生産は飛躍的に上昇し、定住化し、余剰生産物の蓄積を可能にした。そのことが非生産者階級の専門職を養うゆとりを生み出し、人口の稠密な大規模集団の形成を可能にした。実は南北アメリカ大陸、オーストリア大陸そしてアフリカ大陸には、家畜に可能性のある大型哺乳類は更新世後期には絶滅しており、農耕栽培に適した植物原種も少なかった。
ユーラシア大陸は東西に方向に延びており、緯度が同じのため環境に合わせて技術の内容を変える必要がなく、作物や家畜の伝播が容易だった。一方南北アメリカ大陸、アフリカ大陸は南北に伸びており、四季の変化が大きく違い、農耕の伝播や拡散が極めて難しかった。麦も亜熱帯、熱帯では栽培不可能、牛や馬も熱帯ではうまく生き延びられないのだろう。
さらにアフリカ大陸は広大な砂漠によって分断されており、南北アメリカ大陸は中央は狭い地峡で隔てられていて、ユーラシア大陸とは大洋によって隔てられている。オーストラリア大陸はインドネシア海域によってユーラシア大陸と隔てられていた。
地図を見ればすぐにわかる事だが、ユーラシア大陸は面積が大きく、当然そこに暮らす人口も多い。人口が多ければ何かを発明する人間の数が相対的に多く、利用可能な技術も相対的に多く、技術の受け入れを促す社会的圧力もそれだけ高い。新しい技術を受け入れなければ競合する社会に負けてしまうからだ。多くの狩猟採集民は、新しい技術を取り入れず、自分たちの土地に入り込んできた農耕民にとってかわられてしまった。
農耕と家畜がもたらした人口の稠密な社会では、家畜などからもたらされてきた色々な病原菌、ウイルスの攻撃にさらされてきた。多くの犠牲を払いながら、それらの病原菌と何世代もかけて免疫を獲得していき、共存できるようになってきた。今回のコロナ禍でも時間はかかるのだろうが犠牲を払いつつ人類は集団免疫を獲得していき、ウイルスと共存していくことになるのだろう。
ところがそれらの病原菌にさらされたことがなく免疫を持っていなかった南北アメリカの狩猟採集民は天然痘の免疫を持たずに社会全体が危機に陥る。スペイン人が進出してきたときには天然痘のパンデミーとなり、インカ帝国が容易に征服されてしまう一つの要因となった。ところでピサロによるインカ帝国征服の大虐殺は読むだけで反吐が出そうだが、それを可能にした思想的背景としてのキリスト教も人口稠密社会で争いなく共生し余剰生産物を円滑に分配する必要から生まれたものと考えると、生産力が社会を規定する…
いささか唯物史観的だが、カバーするレンジは長く、視野は広い。重複する面もあるのかエンゲルスの「家族、私有財産、国家の起源」を読み返してみようかなとも思うのだが、まだ本棚にあるか…
とにかく600ページ余りの本なので読むだけでも大変なのですが、レビューを書くのも大変。強引に2千字余りで要約するなんて言うのは無茶で、作者のダイアモンドさんに失礼なのですが、専門書ではないので予想外に読みやすくて、20年前の出版なんですが、知的好奇心を刺激される楽しい時間を過ごせました。

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