尾崎翠集成〈上〉 (ちくま文庫) 価格:¥ 1,050(税込) 発売日:2002-10 |
「第七官界」から始まる一連の作品を「小野町子もの」と呼ぶそうだが、それを読んでもこのフシギな家族のその後はわからない、お話はどんどん幻想的な(ファンタスティックよりこちらの漢語が似合う)方向へさまよって行って(スピンオフして-と言うらしい)、ついには地下室へ迷い込んだまま消えちゃうのだ、「町子と三五郎はどうしたんですか?」と読者に聞かれたことはなかったんだろか、もちろんあったけど「知りません」って言ったのかもな
自分は「作家は作品だから作者がどういうヒトかなんてどうでもいい派」だと前に書いたけど、この作者にはいささか気になるところがある、コケを飼う兄貴のモデルは実兄、一時期東京でいっしょに住んでたというのだ、こうなるとたちまち妄想がわいて来るのだな
兄貴はイネの開花を研究している、開花=受粉=植物の恋、自家受粉だからいささかロマンに欠けるが、ロマンのために研究してはいない、お米をよく実らせるためにどんな肥料をやったらいいのか、現実的実用的そのものなのだ、ある日のこと
妹「コケの花が咲いたよ」(国文科だからもちろんこの言葉を知っている)
兄「コケなんか食えんだろ」
妹「お米の花よりきれいだと思うけど」
兄「女ってのは細かいものに眼をつけるもんだ」(それ花じゃないぜ-とはたぶん言わなかった、だけどコケはイネよりずっと下等で原始的だとは言ったかも)
というわけで作者の中ではコケの胞子嚢は花、中の胞子は花粉のままだったのだ、そう思えば作中の兄貴は(心理学者の長兄と違って)別にアタマがおかしいわけではない、ただ作者が乗り移っててロマンチストに過ぎるだけ
で、私の妄想はさらに続く、お話のラストで作曲(コミックオペラの)の才にめざめた三五郎(従兄)、二助(兄貴)の論文「蘚の恋」に曲をつけて映画会社へ売り込む(変な台本だがメロディはいけるかもと言われる)、三五郎と町子(私)はようやく自分らが似合いの恋人どうしだったことに気がついて(結婚するのはまだ先としても)、とりあえずめでたし
何でそうなるって、自分はこうなるのが自然だと思うんだからしゃあないんでない?
8/16付記-しかしこれでは完全に少女マンガ、それも本来私好みじゃないタイプだわな(どんなのが好みだって、「らんま1/2」とか・・・)、不明のままにしとくのが文学というものかも
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