事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

梁田貞と城ケ島の雨

2024-09-03 16:23:05 | 音楽
「日本の唱歌」(こちら)には團さん(こちら)が論じておられる歌が意外に入っていない「唱歌」の編者は明らかに團さんの著書を読んで引用してるんだからその方が作られた「ぞうさん」や「ありさん」を採ってないのは解せぬ話である、もっとも「どんぐりころころ」も「あめあめふれふれ」も「かあさんおかたをたたきましょ」も「ゆうやけこやけ」も「うたをわすれたかなりや」もないのだからこれらは意図的にハズされたのでここはまた別の「日本の童謡」という本を作る予定だった、そこに「ぞうさん」「ありさん」やちょっと後からTVで広まった「さっちゃん」とか「おもちゃのチャチャチャ」とかが入る予定だったのじゃないかと思われる、それが実現しなかったのは悲しい、実はこういう歌って知ってるようでしばしば正確な譜面がわからんのである(「かあさんおかたを」のタントンタントンって節ごとにメロディ違うじゃないの、とかね)

そんな中なぜないのかわからん1曲が「城ケ島の雨」これは童謡じゃあるまい、いささかというかかなりむつかしいと思う、私はこの歌を昔小学校の講堂で聴いた、当時は巡回映画というモノがあってそん中で歌われてたのである「音楽教師」という映画だった(とは後で知ったと思う、たぶん)
主人公は作曲家の梁田貞、旧制中学(府立一中→日比谷高校とこれも後で知った)で音楽を教えている、リゴレットの「女心」を歌ったらこれがド迫力なので生徒は彼を「ライオン」と命名した(事実らしい)この生徒たち英語の「マイボニー」がなぜか気に入ってみんなで歌うようになる
ある時(いつだろ?)梁田先生は北原白秋の「城ケ島の雨」を作曲し自ら歌って公開した、たぶん好評だったんだろうと思うけどわからない、北原が出てたかだうかも記憶なし
戦争が始まった、先生が音楽室でピアノを弾いてマイボニーを歌っていると兵隊が来て「敵国の歌はやめていただきたい」と言う、先生「そうですか、私は戦争に行った子供たちを思って歌っていたのですが」兵隊さんは英語を解さなかったんだろね、という私も当時は意味を知らずに聴いてたハズだが
さて戦争が終わって老いた先生のところへ昔の生徒たちが集まって来た、その一人が名乗った時見ていた同級生が言った「これ事件記者のヤツやねーか」言われて私も気が付いた、相沢キャップ(永井智雄)だったのだ
彼のいわく、収容所にいた時若いMPを見て息子を思い出しマイボニーを歌ったらそのMPもいっしょに歌って「あんたはいいヒトだな」と言った
で「先生も歌ってください」となったんだったと思うけど記憶定かならず、オワリ

この映画はその後TVで放送されてそん時オヤジが「このヒト梁田貞は戦前長く(東京の中学で)音楽教師をやっていた」と言ったので私はその名前を覚えたのである「やなだてい」なる文字列をどっかで見た気がせんでもないけどたぶんニセ記憶だと思う、彼は「どんぐりころころ」の作曲者でこの歌はマチガイなく教科書に載ってたのだが

それがだうしたって実はそんだけ「音楽教師」という映画のデータはネットに全く上がっていない、見たという証言がある(こちら)からフィルムが消滅したわけじゃないんだろが相沢キャップ(元生徒の沢村)以外のキャストが誰だったのか「女心」や「城ケ島」を歌ったのが(あれはプロの声だったと思うけど)役者さん本人だったのかだうか確かめる術も今のところないのである
というわけでこれについてご教示いただける方がおられましたら幸いです、とアップ

追記ー考えてみれば(みんくても)相沢キャップの歌を聴いたのって後にも先にもこん時だけなんだよにゃ、いやあれ本人が歌ってたと思うけど・・・

もう一つ追記ー何と肝心なことを書くの忘れてた、この映画は「城ケ島の雨」と私のまさに奇しき因縁なのである、ヒトと歌は様々な形で出会うと思う、だけどどこでだうやって出会ったかはっきり記憶に残る歌ってさうあるか?

やけでさらに追記ー考えてみたらマイボニーもそっか、中学生が声をそろえて歌うシーンけっこうインプレッシブだった、この歌はその後リーダーの教科書(確か)に譜面が載っててそっかこういう歌ホントにあるのだにゃと思ったものであったのだが・・・