事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

ドリアン・グレイ

2018-10-30 14:25:43 | 本と雑誌
オスカーワイルド全集1」古書しかないがソニーがおいてた(と前に書いたね)
ドリアン・グレイの絵姿-PortraitではなくPictureなのでこの訳が正しいのかもね
アーサー郷の犯罪-やっぱしアーサー郷のやることはメチャクチャ
キャンタヴィルの幽霊-都筑道夫がホメてたんだがその件はまたいずれ(書かないかもしれない])
謎のないスフィンクス
模範的億万長者-ハッピーエンドと言ってよいのかだうか・・・
が入ってる
ドリアンは再読だが前読んだ時「これはウィリアム・ウィルソン」だと思った、設定はかなり違うんだが今回読んでもやっぱし似てる、どこがって「主人公の堕落ぶりがほとんど描写されてないこと」

「ウィリアム」の私はいかさまバクチで同級生をカモにした、これはもちろん犯罪だがその後どんな悪事を働いたのかは何も語られていない、ドリアンは婚約を一方的に破棄して彼女を自殺させたがこれは法律に触れる犯罪とは言えないんじゃないか、以後どんなハレンチなことをやったのか作者は一切口をつぐんでいる、これはワイルドの方が先輩を意識してたってことなんだろか?

今回読んで意外だったのは画家殺しがずいぶん早い時期だったこと(あ、これは立派な犯罪)、死体を「化学的に」消滅させちゃったこと、そんなアホなことができてたまるかよ、死体より先に床が溶けるぜ、なんてつっこむ私はヤボなんだろな、そもこれはオトギ話じゃないか

再読した方がよいんだろが字が小さくて疲れるのよな、私がこういうんだから相当なもんだ

それがミステリか?

2018-10-27 09:19:59 | 本と雑誌
都筑道夫「悪意銀行
表題作にあきれ返って(こちら)しばらくほってあったのをようやく読み終わった、落語ネタにはけっこう面白い(アッハッハとおかしいという意味)のがある、「朝帰り」にはあっと言った
だけど「幽霊探偵について」を読んだら開いた口がふさがらんくなった、何でそこまでネタを割る?黙ってればわからんのだからここまで読者をあきれさせることはないだろが?たとえば笹沢佐保とかとどこが違うかわからんと言ったけどちょっとわかった気がするよ

私はミステリとは出来上がったジグソーパズルをバラしてできるだけ元の絵柄がわからんように、つまりピースがつながらんように見せて行くもんだと思っていた、このヒト書き始めた時にはまだピースを作ってない、というかこのパズルがどんな絵柄なのか自分でも知らないのである、そんなんがミステリと言えるかよ?

いやまあさうじゃないかとは思ってたけどね、「ジャケット背広スーツ」は実際にそういう男を街でみかけたんだと言う、佐野さんが言った「そんなんそばへ行って、お宅それどうされますのん?と聞けばすむ話じゃないか」だよな、つか聞かにゃ正解はわからんからミステリにはならんハズだ(実際なってなかったと思う、忘れたけど)

ついでにもう一つ-ベッドシーンを読者サービスだとか思ってない?ミステリに恋愛はあっていい、だけどセックスは必要ない、と思う読者も少なくないと思うけどな
ヤケでもう一つ-それ(エロ)がミステリを成り立たすための必然かだうかってこと、必然なら入れたらいい、さうでないならそんなモノを読者サービスだと思うなんてミステリ読者をナメてるだけ、ミステリ作者を名乗ってながらこのヒトたったそんだけのことすらわかってなかったんだろか、だろな、でなきゃどれほど才能が狡猾(小松さんのマネ)したからって「だれだよこんなこと書いたヤツは、オレじゃねーぞ」なんて文章で原稿料を請求できたわけはない・・・世の中「晩節を汚す」ことってあるんだね

オレがルールだ!

2018-10-24 14:44:02 | 本と雑誌
これも「ホモ・デウス」の彼が書いてること
いわく「サピエンスは身内どうしでなくても協力して計画的にことを運ぶことができる、クーデターによる政権奪取がしばしば成功するのはそのため、だがトップが変わってもその他おおぜいの生活にはほとんど影響がない」

全くその通り、政権交代でみんなの自由が増すとか豊かになるとかということはまあない、近くは幕藩体制の崩壊を見よ、最近の東欧もイスラム圏の自由化も概ねその通りとのことで、その辺は昔から定期的に起きてた隣の国の王朝交代とさして選ぶところはない
それはさうなんだが、サピエンスが協力が得意なのは情報交換能力が優れてるから、つまり言葉を使って話し合いができるからという当たり前のことをまずは押えてもらいたいよな

ということはさておきサピエンスでは社会性昆虫と違ってただの働きバチがトップを乗っ取れるのはなぜか?そら体の構造が違うわけではないからだ-などと言ってしまってはミもフタもないので、ヒトの場合社会のルールを決めるのは(神でもなければ鬼でもない)タダのヒトだからである、だからそのルールはしばしば現実に合わない(もっともヒトでなしが作ったらもっと合わんだろうという気はするが、と漱石のマネ)、だから「もっといいルールをオレが作ってやる」という集団が現れてギャングになったり革命家になったり場合によっては議員になったりして部分的にあるいは全面的にルールを変えるパワーを持つようになる、だがそうやって作ったルールも所詮はヒトが作ったもの故に不完全で、だから別の集団が「今度はオレらが」・・・・(以下略)

トップが交代しない社会は健全じゃないが年中交代している社会は不安定で暮らしにくい、当たり前だろってこんなことに当たり前でないことがさう言えるわけはない、以上のようなことを考えさせてくれたという意味でこれはよい本だろうと思う、言うことはそんだけ