ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237) 価格:¥ 861(税込) 発売日:1977-04 |
いったん書いた文章をアップできなくて消えちゃったので気勢をそがれたことはなばなしい
50年前には早晩実現すると思われてたけど今はまず不可能が決定したもの、1番が「恒星間飛行」、2番は「重力制御」、この2つがバッチシ使われてる(ついでに言えば3番「タイムマシン」、4番「超能力」、5番「知性を持つ機械」だろな、たぶん)、細かいことを言えば「原子が見える顕微鏡」、「物質じゃないものでできた物質みたいなもの」なんかもあの頃はあってもよいと思われてたんだろね、ニュートリノは光に代わるエネルギーかもしれなかった、その正体は今もって不明だけど「物質らしきもの」を構成することはなさそうだ
逆に何とかなりそうなのが「RNAは記憶物質」という当時最新の知識、実際には記憶(というかアタマの働き全般)は「タンパク合成を必要とするシナプスとそれによる神経細胞のネットワーク形成」だったんだけど、「アタマの中へ(立体的)に描かれるもの」というイメージ自体は結果的に大きなマチガイじゃなかった
また人工衛星にモールス信号で指示を送ったりコンピュータが紙テープを打ち出したり(印字じゃなくパンチ穴が開いてるんだよ、たぶん)、ヒトが「対数表」を使ってややこしい計算を手でやったりなんてことにはさしたる違和感なし、ついこの前までそうだったんだし、小さなテレコがあるあたりハインラインの未来より進んでるかも(そう言えば結局録音聞かずじまいだったんじゃない?)ともあれ技術の進歩において行かれたということは作品の致命的欠陥にならない
ただなあ、とにかくわからんのだよ、若い時に読んだら全く了解不能だったと思うけどこの年になってもわからん、主人公が来るまでにソラリス基地ではいったい何があったのか、1人が死んで残った2人はいったい何をやろうとしてるのか、「言ってもわからん」かもしれんが言わにゃもっとわからんだろ、もうちょっとわかるように書いてくれてもバチは当たらんのじゃあるまいか
というわけで私の勝手な解釈によればこの作品もまた「悲しい愛の物語」、なればこそ時代を超えて残った、違うかな?だってこのカバーにしてからがラブシーンだもんね、02年映画化、主演ジョージ・クルーニー、何となく納得・・・
追記-今頃気がついたけど小松さんの「虚無回廊」はまちがいなく本作の後継だよね、恋人を自殺で失った、そしてそれは自分の責任だとはっきり自覚してる男の子が宇宙=未知の世界へ向かうお話なんだから、いつもオリジナルだった小松さんであればこそ、元ネタを意識したら、この先どうすべきかわからんくなっちゃったんだろか、それで未完になったんだろか、それほどたいした元ネタじゃないと思うんだがな・・・・・
さらなる追記-例によって揚げ足鳥、ギバリャンってどういう人名だよと思ったけど「ギバリアン(あるいはジベイリアン)」って発音が近いのじゃあるまいか、また宇宙船ウリッセス号はないだろ、ユリシーズ号と言ってくれよ
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