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遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

紫式部文学賞

2011-12-23 18:12:50 | 本と雑誌
尼僧とキューピッドの弓 (100周年書き下ろし) 尼僧とキューピッドの弓 (100周年書き下ろし)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2010-07-24

多和田さん「受賞の言葉」で「宇治は菟(ウサギ)の道」とか言ってた、その通りだけど奈良時代すでにウサギの意味は忘れられてたと思うんだがな、などととりあえずの揚げ足鳥、いや読んだものの何を言ったらいいのか悩んじゃう作品なんだよ、ラジー賞文学賞部門がなかったらパスしてたかも

群像のインタビューによるとプロテスタント修道院宣伝プロジェクトなる企画に招かれてホントにしばらく尼僧院へ滞在してたとのこと

人の住んでない建物は朽ちてしまうから誰かに生活してもらうことによって何とか残したい、歴史をみんなに伝えたい(略)女性がある年齢を迎えて一人になった時(略)自分にできる範囲で社会事業に携わる

というわけで尼さんたちは建物を保全しつつ見学者を案内するのが仕事、それはそれでけっこう大変だし、メンバーは例によって高齢化が進んでる、ガン治療で通院中のヒトもいる、男手は庭師の兄ちゃんだけ、10人の尼さんたちは運転手も賄いも事実上の高齢者介護も自分たちでやる、昔の建物だから8月でも何となく冷えてるほどで冬場はとにかく寒い、でもって

成人女性が10人も集まって共同生活を営むのに「和」があるわけはない(メンバーの一人)

とか言いながら彼女らはみんな話し好きでけっこう楽しげ、老尼のおぼろげな記憶につきあって昔の知り合いを訪ねたりもする(でもその家には誰も住んでないらしい、このくだりけっこう不気味)
たいした美術品はないが「最後の晩餐」の絵に犬が描きこまれててそいつだけがこっちを見てる(イエスも使途たちも見られてることを意識してないのに)なんてちょっとおかしい、その絵見たいね、写真載せてくれんかしらん?そう言えば死人を描いたとしか思えない肖像画が飾ってあったとのこと、それが誰だったかの説明あったかなあ(思い出せぬ)・・・

などというただのルポルタージュをヴェテラン作家が小説として売るわけはない、実はこの尼僧院、院長が失踪して戻らないので次の院長を募集中なのである、「院長」というがいわゆる長老のことではない、金銭関係と事務処理一般をこなす経営者=雇われ社長という表現が一番近いのじゃなかろうか、ここへ来るまでの経歴はいろいろだがその方面に有能な女性はそうそういない、前の院長は貿易会社で長く働いてて(と後でわかる)40歳と若くてとっても頼りになったのだが以前弓道の師匠と恋仲だった、その男が訪ねて来て院の庭で弓の練習を始めたあげくとうとういっしょに逃げてしまったのだ、全く男女の仲というヤツは、恋の矢を射るキューピッドは盲目で・・・

ここで前半オワリ、後半はその元院長がサンフランシスコの本屋で上の小説(英語)を買うシーンから始まる、ここに書かれてるのは自分なんだろうけど、でも違うんだよ、あの男に恋してつまりキューピッドの矢に射られて駆け落ちしたわけじゃなかったの、でも尼僧院をやめるしかなかったのはなぜかと言うと・・・

ここは完全なフィクションだよね、せっかくドイツのニーダーザクセンから北米西海岸まで飛んで来ちゃったんだから、もう一ヒネリほしかったなとミステリ読みは思うのであった、あ、何かけっこう書けちゃったじゃないか、何でもやってみるもんだ

12/25追記-よく見たら元院長のいる街は「カリフォルニアのどこか」であってシスコと決めてはなかった、たまたま若い同僚がシスコからチョコを買って帰った印象がどっかに残ってたらしい、重要なのはドイツよりずっと明るい街であってかつヨーロッパの反対側だということ、そこまで考えたんだからやっぱもっとひねってほしいよな・・・


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