【きょうの人】 1105 島村抱月 新劇運動の先駆者 ■ 高峰顕日 南浦紹明とともに天下の二甘露門
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■ 島村抱月 新劇運動の先駆者
しまむら ほうげつ
1871年2月28日(明治4年1月10日)- 1918年(大正7年)11月5日
日本におけます新劇運動の先駆けの一人として知られています。旧姓は佐々山、幼名は瀧太郎です。
イギリスのオックスフォード大学とドイツのベルリン大学に留学しました。帰国後、早稲田大学文学部教授となり、「早稲田文学」誌を復刊(第二次)し、主宰しています。
1906年(明治39年)には、坪内逍遥とともに文芸協会を設立、1909年(明治42年)には協会附属の演劇研究所において本格的に新劇運動をはじめ、芸術の拠点である「芸術倶楽部」(東京都新宿区)を創設しました。
芸術倶楽部跡、終焉の地(写真)
http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/shinjukuku-kagurazaka/shinjuku-kagurazaka15.htm
しかし1913年(大正2年)に妻子ある抱月と研究所看板女優の松井須磨子との恋愛沙汰が醜聞となったことで逍遥との関係が悪化、これで抱月は文芸協会を辞めることになり、須磨子は研究所を退所処分となりました。
同年抱月は須磨子とともに劇団・芸術座を結成。1915年(大正4年)、須磨子とともにロシア帝国のウラジオストクを訪れ、須磨子とロシアの劇団との合同公演をプーシキン劇場で行い大好評を博しました。
■ 高峰顕日 南浦紹明とともに天下の二甘露門
こうほう けんにち
仁治2年(1241年)- 正和5年10月20日(1316年11月5日)
鎌倉時代後期の臨済宗の僧で、後嵯峨天皇の第二皇子です。諱は顕日、字は高峰、密道と号しました。諡号は、仏国禅師・仏国応供広済国師といいます。
1256年(康元元年)に、円爾に従って出家し、十六歳の時に聖一国師につき得度しました。その後、兀庵普寧や弘安二年には、無学祖元に世良田長楽寺にて師事しました。
下野国那須の雲巌寺の開山にもなっています。
南浦紹明とともに天下の二甘露門と称されました。
鎌倉幕府執権北条貞時・高時父子の帰依を受け、鎌倉万寿寺・浄妙寺・浄智寺・建長寺の住持を歴任しています。門下には、夢窓疎石などの俊才を輩出し、関東における禅林の主流を形成しました。
七十二歳で遷化しています。
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