【カシャリ!ひとり旅】 千葉県浦安市 浄土宗大蓮寺 池泉庭園や枯山水庭園など4つの庭園のある寺院
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。
日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。
下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。
■ 千葉県浦安市 浄土宗大蓮寺 池泉庭園や枯山水庭園など4つの庭園のある寺院
「光縁山 勢至院 大蓮寺」(だいれんじ)は、室町時代後期、すなわち戦国時代の天文13年(1544)に、小田原から行脚してきた覚誉存栄上人によって建てられた浄土宗のお寺です。東京メトロ東西線・浦安駅から徒歩で5分強のところにあります。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所33番札所で、重森三玲に師事した現代の作庭家・吉河功さんの作庭による4つの庭園があります。
池泉庭園“薬師如来瑠璃光浄土之庭”、本堂前庭“二十五菩薩来迎之庭”は常時公開されていますが、枯山水の中庭“二河白道之庭”、および書院庭園“仙樹庭”は通常非公開です。
室町時代後期の浦安は、江戸川河口の小さな漁村に過ぎませんでした。町外れにある小さなお堂に、行基が彫ったといわれる勢至菩薩像(せいしぼさつぞう)が奉られていました。覚誉は、その見事さに惹かれ、小田原にあった自分のお寺と同じ名前の大蓮寺を創建し、その勢至菩薩像を守ろうとしました。
火災などの災害に遭いながらも、現在は、開山堂に奉られていて、安産祈願に多くの人が訪れています。
江戸時代には、東京の大寺院『増上寺』の住職・学誉冏鑑を輩出したり、鐘楼の脇にある黒門(裏門)が福岡藩主・黒田氏の江戸屋敷より移築されたりと、伝統ある寺院です。鐘楼は、増上寺法主・学誉冏鑑の頃に整えられましたが、現在の鐘楼は、明治時代に再建されたものです。
■ アクセス
東京メトロ東西線 浦安駅より南の方向に徒歩10分弱
〒279-0041 千葉県浦安市堀江4丁目14-2
常念仏塔下方が参道・表門
大蓮寺参道
東京メトロ地下鉄東西線浦安駅から歩きますと、
清滝神社を通り越したところに、
大蓮寺の参道が見えてきます。
大蓮寺表門
長い参道の途中に表門がたたずんでいます。
参道には、海苔養殖により浦安に貢献した大塚亮平と、
魚市場の設立をはじめ幾多の業績を残した
宇田川六郎兵衛の説明文があります。
水子地蔵尊
表門をくぐりますと水子地蔵が見てきます。
「水子地蔵尊」は参道左側にあり、
3月の春彼岸会にはだれでも参詣できる、
水子供養の大法要が厳修されます。
大蓮寺本堂
参道をさらに進みますと正面に本堂が見えます。
現在の本堂は、昭和2年の建立です。
しかし、老朽がすすみ、平成8年に改修築されました。
その時に、三夜堂と地蔵堂も、あわせて建立されました。
また客殿は平成13年に再築されました。
ご本尊は阿弥陀仏で、毎朝、ここで勤行が行われています。
鐘楼
鐘楼は、本堂を背にして斜め左にあります。
享保19年(1734年)に、学誉大僧正の遺徳顕彰のために建立されました。
農繁期の時報として、12月31日の除夜の鐘として利用されてきました。
鐘楼は、古くなったために、明治10年に再築されました。
また、梵鐘は、昭和18年の金属供出運動によって献納されてしまいました。
そのために、現在の梵鐘は、昭和26年に、
千葉県佐倉出身の彫金の大家、香取正彦により、鋳造されたものです。
浦安市唯一の鐘楼ですので、
大晦日には、除夜の鐘として、ここに多くに参詣者が訪れます。
本堂前庭『二十五菩薩来迎之庭』
本堂前にある庭園は、「本堂前庭」と呼ばれています。
伝統的な枯池・枯山水庭園で、
“阿弥陀如来諸菩薩来迎之庭”とも呼ばれています。
1991年に、大蓮寺の開創450年の記念法要に際して、
作庭家・重森三玲に師事した吉河功により作庭されました。
この庭園は、大きく3つの部分に分かれていて、
本堂寄りの白砂と松、中央(上部写真が中央部分)が
庭園の核となる来迎の庭、
写真左側に移っていない、庫裏の前にある
枯山水庭で構成されています。
【カシャリ!庭園めぐりの旅】 大蓮寺の4つの池泉・枯山水庭園
『二十五菩薩来迎之庭』の本堂寄り部分
白砂に松、中央に三角石の置かれた、
非常に見た目は簡素ながら、
中央の石が堂々とどっしり見えます。
『二十五菩薩来迎之庭』 中央、最も奥の部分
前庭の中央部分が、この庭園の核となる部分で、
庫裏の玄関に至る小径沿いにあります。
西方極楽浄土から来迎して下さる、
二十五菩薩を引き連れた
阿弥陀如来慈悲が表現されている庭園です。
建物に向かって正面に見て、
左手奥にある枯滝石組が阿弥陀如来を中心にして、
左右に観音菩薩と勢至菩薩の三尊を、
その他の立石が二十五菩薩を表しています。
念仏により、西方極楽浄土から、
私たち庶民の許へ来迎する阿弥陀如来および
二十五菩薩の慈悲を表しています。
池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』
大蓮寺にある4つの庭園の二番目の庭園は、梵鐘の隣にあります。
本堂前庭と同じ、吉河功による作庭です。
作庭者が“十二神将之庭”と命名している
この池泉庭園は、1999年の作です。
池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』は鐘楼の西隣
鯉が泳ぐ池泉庭園で、
教典にある東方世界の浄土「瑠璃光浄土」が
表現されています。
池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』の二段の滝
水が流れ落ちる二段の滝石組は、
薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)を中心とした
落ちつきのある造形となっています。
深山幽谷から流れ落ちる神秘の滝で、
薬師水と呼ばれる浄水によって、
病気を平癒させる意味が込められています。
永代供養塔
本堂左手の墓地入口には「永代供養塔」があります。
開山堂
戦国時代の天文13年(1544)に、
小田原から行脚してきた覚誉存栄上人は、
行基が彫ったといわれる勢至菩薩像(せいしぼさつぞう)に、
この地であうことができました。
覚誉は、その見事さに惹かれ、
小田原にあった自分のお寺と同じ名前の大蓮寺を創建し、
その勢至菩薩像を守ろうとしました。
ここには、大蓮寺が建立されるきっかけとなった、
覚誉が惚れ込んだ勢至菩薩像が、現在も奉られています。
火災に遭いながらもその姿をとどめてきましたが、
今日では、安産のご祈願のお参りに多くの方が訪れてきます。
裏門(黒門)
裏門は黒塗りで、
江戸の黒田藩の馬検所(馬場の入口)の門が移築されたもので、
今から300年以上も前の古いものです。
【カシャリ!庭園めぐりの旅】 大蓮寺の4つの池泉・枯山水庭園
ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】
写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。
静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm
【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています