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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 2 これって“恋”?

2024-03-08 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 2 これって“恋”?

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。

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【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第

  4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 

 

■■ 4 迷いの始まり

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-2 これって“恋”?

 本社の指示で、アテンドを命じられ、対応をした数日間後に、ラッキーの幸常務も満足して帰国した。円・ドル為替レート問題も、日本ではどうかわからないが、アメリカでは、大したニュースにもなっていない。そのためか、あれほど重大事件と思ったのが、いつの間にかいつもの自分に戻っていた。この慣れが恐ろしい。
 波乱のニューヨーク生活であるが、事務所やアパートがそれなりの生活ができるような状況が整ってくると、少しずつではあるが、アメリカの生活にも馴染み始めた。クリスマス休暇の間は、仕事にはならないが、今後の仕事の準備のための資料作りにじっくりと時間をかけられた。
 正月は、元日だけが休日で、日本のように松の内という雰囲気はない。元日の朝、日本から送られてきた餅を焼いて、形だけの正月を迎えた。アパートの玄関にある自分の部屋のポストを覗くと、一枚のはがきが入っていた。年賀状である。母が寂しくないようにと投函してくれたものかと思ったら、相本からの年賀状であることが、見慣れた達筆からわかった。そこに書かれたいた文面は、儀礼的といえば儀礼的だが、竹根にはそこに相本の思いやりを勝手に感じ取った。相本は、本当はどのような意味で年賀状をくれたのだろうか、その日は、一日中、思い出しては相本の年賀状を繰り返し眺めた。

 夜の九時を回ったところで、日本にいる母親に電話をした。竹根の母親は、自分のことよりも竹根がニューヨークで不便を囲っているのではないかと、そのことばかりを気にしている。連れ合いである、竹根の父親を戦争で喪い、女手一つで竹根を育ててきた。まだ、ニューヨークに来て一ヶ月というのに、ずいぶん長い時間が経ったように二人には感じられた。
 受話器を置くと、急に日本が恋しく感じられた。竹根が日本に来る時に味わった、胸が締め付けられるというのは、こういうことかという気持ちを思い出した。部屋で座っていると、女性の顔が霧にかすんで見えるようである。立っていると、自分の身体が雲の上を歩くようで、頭の芯から何かが頭皮に向かって一斉に動き出し、一部が外に漏れるが、大半の流れが行き場を失い、頭の中を駆け巡るのである。
――恋をすると、「気が狂いそうになる」というように小説などでも書かれているが、まさにその通りだ。これが恋なのだろうか――
 女性を見ても、「美人だ」と思うことはあっても、それ以上気持ちが発展したことがない。奥手というほどでもないと自分では思っているが、恋らしい恋をしたことがない。それだけに、今の自分がどうなるのか、心配になる冷静さを一方で持っている。
――思い切って、彼女に手紙を書いてみよう――
 思いつくと突っ走る、自己制御が利かなくなる。
 手紙を書こうと思ったものの、便せんを日本から持ってこなかった。元日は、アメリカでも祝日だからお店は開いていない。とにかく、下書きだけでもしておこうと、やれ紙を引っ張り出す。いざ、机に向かって手紙を書き始めようとすると、筆が進まない。
 このままでは手紙は書けない自分がそこにいることは認識できる。
――そうだ、何を書きたいのか、まず箇条書きにしてみよう――
 そう思うと、いくつか単語が思い浮かんだ。
――彼女が、俺の手紙を受け取ったら、どう思うだろう。彼女の年賀状だけでは、彼女の気持ちはわからない。ましてや、ニューヨークに来てから今まで、本社からの通信に添付されて来る、彼女のメモには、事務的な連絡以外はなにも書かれていない。俺は、年賀状を受け取ったことで勝手に有頂天になっているだけだ。俺が手紙を書いても、彼女は迷惑をするだけで、かえって嫌われてしまうだろう――
 気がついたら、机に突っ伏して眠った自分があった。

  <続く>

■ バックナンバー

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