経営コンサルタントへの道

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■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 勝林院2 天台声明のお寺 法華堂・鐘楼・諸仏

2022-03-15 16:15:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 勝林院2 天台声明のお寺 法華堂・鐘楼・諸仏

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 京都 大原 のどかに広がる田んほとシソ畑と草生川

 

 大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名で、比叡山の北西麓、高野川上流部にあります。大原は四方を山に囲まれていて、高野川に沿って若狭街道が通っています。

 

 大原という地名は、すでに平安期から見られ、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するといわれています。かつて大原村は、山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬と併せて「八瀬大原」と称されました。古くは「おはら」と読まれ、「小原」と表記されたこともあります。

 

 大原は、「天台声明が響く」といわれ、三千院や寂光院など、比叡山の影響もあり天台宗系の山寺があります。そこをめざして、ひなびた畑道を歩くことを楽しみにしている人が集うところでもあります。

 

 「大原女(おおはらめ)」も有名で、「小原女」とも書きます。山城国大原で、女性が薪・木炭・柴を頭に載せて都まで売りに出かけました。魅力的な出で立ちは、寂光院に隠棲していた平徳子(建礼門院)に仕えた阿波内侍が山仕事をした時の衣装を模したといわれています。

 


 大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田んほと、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

 のんびりと、その中を進んで行きますと、草生川の上流にあるのが寂光院です。私が再び寂光院を訪れたのは、管主の寂聴さんが亡くなる10日ほど前のことです。

 

 ここは、聖徳太子の創建と伝わっていますし、建礼門院が余生を過ごした古刹でもあります。


 寂光院へは、京都駅または地下鉄国際会館駅から大原行きのバスに乗ってゆくのが一般的です。

 大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田圃と、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 勝林院 天台声明のお寺 本堂とご本尊 

 

 京都大原といいますと寂光院や三千院を連想する方が多いと思います。その三千院の前を通りすぎますと正面突き当たりにあるのが、勝林院です。

 正式名称は、「魚山大原寺勝林院」といい、長和2年(1013)に寂源によって、声明(しょうみょう)による念仏修行の道場として創建されました。およそ90年のちに、三千院の裏手にあります来迎院が創建されますと、二つの本堂を中心として僧坊が建立され、多くの僧侶が声明の研究研鑽をする拠点となりました。このようにして勝林院と来迎院を中心とした大原東部の寺院群は、魚山大原寺と総称されるようになります。

 勝林院は、火災や水害のたびに再建されてきました。現在のお堂は安永7年(1778)に再建されたもので、幅七間、奥行六間の総欅造りです。屋根は、木の板を重ねて葺いた杮葺(こけらぶき)です。

 欄間や蛙股などに彫り込まれた立体的な彫刻は、当時の木彫技術の素晴らしさを今に伝えています。

 かつては、声明の修行道場でした。法然上人の大原問答でも知られ、勝林院のお堂の中央に安置されているご本尊・阿弥陀如来坐像です。大原問答のおりに奇瑞を示したことから「証拠の阿弥陀如来」とも呼ばれています。

 【所在地】     〒601-1241 京都市左京区大原勝林院町187
 【電話番号】    075-744-2537
 【拝観時間】    9:00~16:30<無休>
 【拝観料】    一般300円(団体270円) 小中学生200円(団体180円)
  ※障害者手帳お持ちの方は100円割引

 

■ 本尊 証拠の阿弥陀 
 
 お堂の中央に安置されている本尊の阿弥陀如来坐像は「大原問答」の折りに奇瑞を示したことから「証拠の阿弥陀」と通称されています。

 文治2年(1168)、勝林院住職の顕真が法然を招いて、延暦寺・金剛峯寺・東大寺などの高僧らとともに念仏の教えについて問答を交わしました。

 

 法然は白熱する論議の中で、念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると経典を引用しながら説きました。すると本尊が光を放ち、法然の主張が正しいと証明したのです。

 

 集まっていた多くの聴衆たちは、どんな人でも等しく極楽往生できることができると知り、大いに喜んで三日三晩絶えることなく念仏を唱え続けたといいます。
 

 

■ 天台声明 てんだいしょうみょう

 

 声明(しょうみょう)とは、法要の中で経典を歌のように唱える宗教音楽で、インドから中国を経て日本に伝えられました。

 天台宗に伝わる声明の系譜は、平安時代に円仁が中国から比叡山へと声明を伝えたことから始まります。そして円仁の系譜に連なる寂源が勝林院を、ついで良忍が来迎院を建立しますと、大原寺は声明を研究伝承する一大拠点として発展していきます。

 大原寺の住職たちは、宗派を超えて声明の伝授をおこなったため、浄土宗や浄土真宗などの声明は、大原の天台声明の流れをくんだものです。

 また声明は、のちの時代に謡曲や浄瑠璃などの古典邦楽に対して大きな影響を与えたことが知られています。つまり魚山大原寺は、古典邦楽の聖地と言い換えることもできるでしょう。
 

 

■■ 法華堂 ■■

 

 後鳥羽天皇の冥福を祈って、梨本門主尊快親王の母親である修明門院の計らいで、水無瀬御所を以て、仁治元年に建立されました。

 

 享保21年に類焼に遭い、現在の堂宇は安永年度の建営です。昭和11年8月、内部および屋根が修繕されました。

 

 ご本尊は、普賢菩薩です。

 

 

三千院の前を直進しますと右手に見えてきます

 

本堂

 


 

■■ 勝林院 諸仏 ■■

 

 

 

白衣観音(左)

 

 

白衣というのは、出家したお坊様が着るものと思っていました。

本当は、出家していない在家の人が着るものなのですね。

 

 

■■ 勝林院 鐘楼 ■■

 

門を入って、すぐ右手に鐘楼があります。

 

本堂から観た鐘楼

 

鐘楼と梵鐘

 

 

 

 

天橋立の紹介 https://youtu.be/DRdt__LiMGc
天橋立旋回橋 https://youtu.be/k231c--XGlU
天橋立大天橋 https://youtu.be/uusNGaMuWN4
天橋立松と碑 https://youtu.be/GErHrkLQS5o
天橋立・橋立神社と磯清水 https://youtu.be/HFVuH_K-LYI
天橋立白砂青松と舟屋 https://youtu.be/1JllCe7i3mg
天橋立・コハクチョウ飛来地 https://youtu.be/qkZhqLuvzqU
天橋立の遊覧船に乗る https://youtu.be/syeWiLRCk4U
天橋立ビューランド https://youtu.be/Vc9kdnPUdfs

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 勝林院2 天台声明のお寺 法華堂・鐘楼・諸仏

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 京都 大原 のどかに広がる田んほとシソ畑と草生川

 

 大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名で、比叡山の北西麓、高野川上流部にあります。大原は四方を山に囲まれていて、高野川に沿って若狭街道が通っています。

 

 大原という地名は、すでに平安期から見られ、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するといわれています。かつて大原村は、山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬と併せて「八瀬大原」と称されました。古くは「おはら」と読まれ、「小原」と表記されたこともあります。

 

 大原は、「天台声明が響く」といわれ、三千院や寂光院など、比叡山の影響もあり天台宗系の山寺があります。そこをめざして、ひなびた畑道を歩くことを楽しみにしている人が集うところでもあります。

 

 「大原女(おおはらめ)」も有名で、「小原女」とも書きます。山城国大原で、女性が薪・木炭・柴を頭に載せて都まで売りに出かけました。魅力的な出で立ちは、寂光院に隠棲していた平徳子(建礼門院)に仕えた阿波内侍が山仕事をした時の衣装を模したといわれています。

 


 大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田んほと、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

 のんびりと、その中を進んで行きますと、草生川の上流にあるのが寂光院です。私が再び寂光院を訪れたのは、管主の寂聴さんが亡くなる10日ほど前のことです。

 

 ここは、聖徳太子の創建と伝わっていますし、建礼門院が余生を過ごした古刹でもあります。


 寂光院へは、京都駅または地下鉄国際会館駅から大原行きのバスに乗ってゆくのが一般的です。

 大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田圃と、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 勝林院 天台声明のお寺 本堂とご本尊 

 

 京都大原といいますと寂光院や三千院を連想する方が多いと思います。その三千院の前を通りすぎますと正面突き当たりにあるのが、勝林院です。

 正式名称は、「魚山大原寺勝林院」といい、長和2年(1013)に寂源によって、声明(しょうみょう)による念仏修行の道場として創建されました。およそ90年のちに、三千院の裏手にあります来迎院が創建されますと、二つの本堂を中心として僧坊が建立され、多くの僧侶が声明の研究研鑽をする拠点となりました。このようにして勝林院と来迎院を中心とした大原東部の寺院群は、魚山大原寺と総称されるようになります。

 勝林院は、火災や水害のたびに再建されてきました。現在のお堂は安永7年(1778)に再建されたもので、幅七間、奥行六間の総欅造りです。屋根は、木の板を重ねて葺いた杮葺(こけらぶき)です。

 欄間や蛙股などに彫り込まれた立体的な彫刻は、当時の木彫技術の素晴らしさを今に伝えています。

 かつては、声明の修行道場でした。法然上人の大原問答でも知られ、勝林院のお堂の中央に安置されているご本尊・阿弥陀如来坐像です。大原問答のおりに奇瑞を示したことから「証拠の阿弥陀如来」とも呼ばれています。

 【所在地】     〒601-1241 京都市左京区大原勝林院町187
 【電話番号】    075-744-2537
 【拝観時間】    9:00~16:30<無休>
 【拝観料】    一般300円(団体270円) 小中学生200円(団体180円)
  ※障害者手帳お持ちの方は100円割引

 

■ 本尊 証拠の阿弥陀 
 
 お堂の中央に安置されている本尊の阿弥陀如来坐像は「大原問答」の折りに奇瑞を示したことから「証拠の阿弥陀」と通称されています。

 文治2年(1168)、勝林院住職の顕真が法然を招いて、延暦寺・金剛峯寺・東大寺などの高僧らとともに念仏の教えについて問答を交わしました。

 

 法然は白熱する論議の中で、念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると経典を引用しながら説きました。すると本尊が光を放ち、法然の主張が正しいと証明したのです。

 

 集まっていた多くの聴衆たちは、どんな人でも等しく極楽往生できることができると知り、大いに喜んで三日三晩絶えることなく念仏を唱え続けたといいます。
 

 

■ 天台声明 てんだいしょうみょう

 

 声明(しょうみょう)とは、法要の中で経典を歌のように唱える宗教音楽で、インドから中国を経て日本に伝えられました。

 天台宗に伝わる声明の系譜は、平安時代に円仁が中国から比叡山へと声明を伝えたことから始まります。そして円仁の系譜に連なる寂源が勝林院を、ついで良忍が来迎院を建立しますと、大原寺は声明を研究伝承する一大拠点として発展していきます。

 大原寺の住職たちは、宗派を超えて声明の伝授をおこなったため、浄土宗や浄土真宗などの声明は、大原の天台声明の流れをくんだものです。

 また声明は、のちの時代に謡曲や浄瑠璃などの古典邦楽に対して大きな影響を与えたことが知られています。つまり魚山大原寺は、古典邦楽の聖地と言い換えることもできるでしょう。
 

 

■■ 法華堂 ■■

 

 後鳥羽天皇の冥福を祈って、梨本門主尊快親王の母親である修明門院の計らいで、水無瀬御所を以て、仁治元年に建立されました。

 

 享保21年に類焼に遭い、現在の堂宇は安永年度の建営です。昭和11年8月、内部および屋根が修繕されました。

 

 ご本尊は、普賢菩薩です。

 

 

三千院の前を直進しますと右手に見えてきます

 

本堂

 


 

■■ 勝林院 諸仏 ■■

 

 

 

白衣観音(左)

 

 

白衣というのは、出家したお坊様が着るものと思っていました。

本当は、出家していない在家の人が着るものなのですね。

 

 

■■ 勝林院 鐘楼 ■■

 

門を入って、すぐ右手に鐘楼があります。

 

本堂から観た鐘楼

 

鐘楼と梵鐘

 

 

 

 

天橋立の紹介 https://youtu.be/DRdt__LiMGc
天橋立旋回橋 https://youtu.be/k231c--XGlU
天橋立大天橋 https://youtu.be/uusNGaMuWN4
天橋立松と碑 https://youtu.be/GErHrkLQS5o
天橋立・橋立神社と磯清水 https://youtu.be/HFVuH_K-LYI
天橋立白砂青松と舟屋 https://youtu.be/1JllCe7i3mg
天橋立・コハクチョウ飛来地 https://youtu.be/qkZhqLuvzqU
天橋立の遊覧船に乗る https://youtu.be/syeWiLRCk4U
天橋立ビューランド https://youtu.be/Vc9kdnPUdfs

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 


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■【あたりまえ経営のすすめ】1-3-43【組織編】 組織で動く 基本を励行できれば全社一丸の活動は実現できる

2022-03-15 12:03:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ1 経営編

  【あたりまえ経営のすすめ】1-3-43【組織編】 組織で動く 基本を励行できれば全社一丸の活動は実現できる

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 それが露呈したのが、東日本大震災の福島原発事故ではないでしょうか。

 その対応においても、事後対応においても、専門家と言われる人達な何もできず、口を閉ざしてしまっだではないですか。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 40年余の経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 1-3章 【組織編】 あたり前のように「組織で動く」には

 「組織で動く」「組織的な活動」等々という言葉を、しばしば耳にしたり、口にしたりします。しかし、それには、どうしたらよいのでしょうか。

 頭ではわかっていても、言葉にして、他の人に説明しようとすると困惑してしまいます。そのような、お悩みの参考にしていただければと考え、連載しています。

 また、これまで【第1章 経営編】、【第2章 心 de 経営編】をお届けしています。そちらのバックナンバーも掲載していますので、併せてご覧下さると幸です。

 

■ 1-3-43【組織編】 組織で動く 基本を励行できれば全社一丸の活動は実現できる

 

 「組織で動く」ことができる企業作りの基本思想のひとつが、「ものさし思考」です。

 考え方・思考の基準となるものを「ものさし」にたとえ、経営上の判断を行うときに、それが正しいのかどうかに使います。

 ものさし思考の基本的な考え方は、意思決定を行うときに、その事項の上位概念と相違がないかどうか常に意識して判断します。これにより、上位概念から下位概念まで思想が統一されることになり、「共通目標」としてふさわしい形になります。

 共通目標というのは、共通に認識されるものと思われがちですが、金太郎飴のような共通した認識ではなく、個々によるバラツキがあることが多いです。そのバラツキを最小限に抑えられるように、一人一人の認識を統一してゆきます。

 企業では、「知識がある」ということと「実行できている」ということは往々にして一致していません。ましてや「実行できている」と「実効が上がっている」とでは大差があります。

 頭で理解していても、実務に活かされていないことが多いですので、ビジネス管理上では、くどいくらいの繰り返しによる徹底が必要なのです。ですから、あえて「共通目標」の「共通認識」ということを強調しています。

 たとえば、経営計画は、経営理念実現のための方策ですので、経営理念を実現するには、どのような方法があるのか、その方法をどの様に運用したら効果が上がるかを経営戦略といい、それを一定期間の目標とするのが中長期や年度の経営計画となります。

 その年度計画を実現するために、各部門は、どの様な考え方で、どの様に経営計画を実現するのか、いわゆる戦術レベルの考え方を部門の年度計画として決定し、明示します。

 各担当者は、部門の年度計画実現のために、自分の担当タスクの中で、何を、どの様に、いつまでに、どのレベルまで持ってゆくのか、いわゆる「戦技」のレベルの年間方針を明確にします。

 経営理念から、経営計画、部門計画、個別計画とドリルダウンしていますので、全ての計画のベクトルが、同じ方向に向いているのです。

 共通認識された目標が確立されますと、その目標の各階層における実行策を実施することにより、全階層において、ベクトルが統一された方向に向かって、一丸となった行動となります。これを「共通行動」と呼びます。

 経営トップは、つねに経営理念実現という命題の中で、企業業績の推移を見たり、グローバル市場の中における自社の現状ポジションを見たりして行きます。

 役員レベルは、経営理念実現のための経営計画を常に念頭におき、その進捗管理を通して、時には、トップに提言し、時には管理職を通じて、関連部門に指示や命令を出します。

 管理職は、経営計画実現のために、経営理念を意識した日常の部下管理を行います。社員それぞれは、自分の成すべきタスクを、個別年度計画書をものさしとして、進捗管理をしながら、報連相を通じて、全社の経営計画実現に邁進します。

 すなわち、全社員の行動も、トップから社員までが同じ目標に向かって、全社一丸の行動をするのです。

 このような、当たり前と思えることですが、これが実施できている企業がどのくらいあるのでしょうか。私は、経営コンサルタントとして、この考え方をベースにコンサルティングをしてきました。「知っていても、業績や企業成長を通して社会貢献するという結果に結び付けられないのでは、企業活動をしているとはいえない」のです。


 「共通目標」は英語で「Common Aims」、「共通認識」は「Common Acknowledgement」、「共通行動」は「Common Action」と表記します。この頭文字は、3つとも「CA」ですので、この省略語の複数形から「3CA's」と表記します。(英文法では、省略語の複数形には、アポストロフィを付けます)

 

 

 

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【話材】 昨日3/14のつぶやき 平時の備えあれば、憂いなし

2022-03-15 10:34:05 | ブログ

【話材】 昨日3/14のつぶやき 平時の備えあれば、憂いなし

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

    https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8731d05aee673321a0ffb6f30e82eb92

傘

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

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