気ままな撮影紀行

鉄道写真をメインに航空機や一般の
風景写真等の撮影に出かけました。

SL時代名残の終着駅 ・ JR名松線伊勢奥津駅(三重県)

2020年08月20日 | JR東海エリア
JR名松線は三重県内の松坂と名張間を結ぶ計画であった事から名付けられましたが、同区間に現在の近鉄大阪線と山田線が先行して開通しました。その為に名松線は松阪駅(まつさかえき)から伊勢奥津駅(いせおきつえき)まで開通したに留まり、名張迄延伸される事無くこの駅が終着駅となりました。

伊勢奥津駅にはSLが現役時代の必須設備だった給水塔が残っています。そして給水塔の横にコンクリート製の構造物が有って、頑丈な元栓の付いた太いパイプ出てました。どの様な機能をしていたのか確認出来ませんでしたが、SL時代には給水塔と一緒に活躍していた物と思われます。


駅のホームから車止めの方向を見ました。本来ならばこの先は名張迄延伸されるはずでしたが、願いは叶わずこの駅で終わってしまいました。線路の奥、写真右奥に給水塔が見えます。


この沿線途中の踏切標識には、SLの絵が描かれたのを何ヶ所も見ました。
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昭和の日常を彷彿させる光景 ・ 大井川鉄道(静岡県)

2020年08月18日 | 大井川鐵道
大井川鉄道のSL停車駅の家山駅(いえやまえき)から線路沿いに、終点の千頭駅(せんずえき)方向に5分程歩いたポイントです。木造の旅館の前をSLが走っており、昭和の日常の雰囲気がよみがえってくる光景がありました。

私はこの旅館には泊まった事はありませんが、ガイドブックによると宿泊した部屋から『SLビュー』を楽しむ鉄道ファンの宿泊が多くあるようです。
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近鉄大阪線五位堂検修車庫への回送(奈良県)

2020年08月13日 | 近畿日本鉄道
近鉄大阪線の五位堂駅(ごいどうえき)と下田駅(しもだえき)間に五位堂検修車庫があって、大阪近郊を走行している特急列車や通勤電車の全般的な重要部品検査を実施しています。

近鉄線は大阪線と南大阪線とでは線路幅の規格が異なっており、南大阪線の列車はそのまま五位堂検修車庫へ入庫する事が出来ません。

大阪線が標準軌の1435mm、南大阪線は狭軌の1067mmと異なっている事から南大阪線の車両は、橿原神宮駅(かしはらじんぐうえき)構内で標準軌道用の台車に履き替えます。そして電動貨車に台車のみを積載して検査入庫車両の先頭と最後尾に各1両ずつ連結して、電動貨車が牽引する形で五位堂まで回送されます。

真菅駅(ますがえき)の付近で名阪特急「ひのとり」を狙おうと待期している時に回送車両がやって来ました。貨車には取り外した台車が積載されています。




松塚駅(まつづかえき)付近の田んぼで待期してる時、愛称「ラビットカー」と呼ばれている列車の回送です。




大阪メトロ中央線と相互乗り入れを行なっている、近鉄けいはんな線の車両は第三軌条方式となっており集電方式が異なっています。その為この路線の車両は集電装置を取り外して、電動貨車に牽引されて五位堂へ回送されます。

五位堂検修車庫に入庫中の、けいはんな線の車両です。電動貨車には取り外した集電装置を積載しているのが見えます。




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旧豊後森機関庫(大分県)

2020年08月09日 | 鉄道遺産/駅舎他 施設
JR九州の久大本線 豊後森駅の隣接地に、扇形機関庫が残されているので行って来た時の様子をまとめました。(撮影:2014年8月3日)

機関庫の前には転車台も、残されています。この機関庫は京都の梅小路機関庫に匹敵する、九州では最大級の大きさを誇っていました。太平洋戦争中には戦時物資の輸送拠点となっていた事もあって、米軍の攻撃目標となり米軍機の機銃掃射を受けて、壁面には今も弾痕が残っています。

蒸気機関車の時代には方向転換の為に必要だった転車台や扇形機関庫等の設備ですが、旧国鉄の無煙化の推進によりディーゼル化が進み1970年に豊後森機関庫は廃止されました。

この豊後森機関庫はJR九州が所有してましたが、地元の玖珠町が買い取って管理してました。機関庫の建物本体は老朽化が進んでいて危険な事も有って、機関庫と転車台の手前にはロープが張られていて、内部への立ち入りは禁止されています。
当時内部の見学には玖珠町役場に許可申請が必要だった為、私は町役場に許可申請書を提出の上、許可を得て機関庫内部に入り撮影しました。又 内部への立ち入りには、危険防止の為ヘルメットの着用を求められました。

撮影当時ここを鉄道記念公園として整備する計画があるとの事を聞いてました。
現在の状況をネットで確認をすると、転車台や扇形機関庫等はそのままで、転車台の前には「蒸気機関車9600型」 愛称では「キューロク」とも呼ばれているSLが展示されてました。

2012年には、国の登録有形文化財に登録されています。

≪1≫豊後森機関庫の正面全景です。機関庫手前には転車台が有って、その手前には背丈の低い植え込みがありロープが張られていて、その先は立ち入り禁止になっています。


≪2≫転車台です。SLの全盛期には転車台もフル稼働してたんでしょうね。






≪3≫扇形機関庫の内部です。天井はSLの煙で煤けて真っ黒になってました。煙を建物外へ出す排煙ダクトも、当時のまま残っています。


≪4≫コンクリート壁面に複数個所のくぼみが見えますが、これは機銃掃射時の弾痕です。機関庫の正面から見て建物の裏の、左側壁面に残っていました。この機銃掃射によって職員の方が3名、亡くなられたようです。







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JR紀勢本線 三瀬谷駅(三重県)

2020年08月07日 | JR東海エリア
JR紀勢本線の三瀬谷駅(みせだにえき)です。

JR紀勢本線は三重県の亀山駅(かめやまえき)から和歌山県の和歌山市駅(わかやましえき)迄の間を、紀伊半島の海岸線に沿って走行して結んでいます。この紀勢本線が全線開通したのは、主要幹線の路線としては比較的近年の事で、1959年(昭和34年)です。

この路線は和歌山県側と三重県側から建設を開始し順次延伸工事して完成区間から開業されました。和歌山県側からの完成した路線は「紀勢西線」、三重県側からの路線は「紀勢東線」の名称で運行されていて、全線開通後に「紀勢本線」に改称されました。

この三瀬谷駅は1925年(大正14年)に国鉄紀勢東線の終着駅として開業されました。そして1926年(大正15年)には和歌山県方向に一駅先の滝原駅(たきはらえき)迄延伸されました。

特急列車も停車する主要な駅で、駅舎内には事務室も有ったが現在は無人化で閉鎖されていました。




下りの新宮方面行の列車が入線しました。







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