聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2020/1/26 創世記3章1~13節「エデンの園の後」ニュー・シティ・カテキズム14

2020-01-26 16:44:05 | ニュー・シティ・カテキズム
2020/1/26 創世記3章1~13節「エデンの園の後」ニュー・シティ・カテキズム14

 聖書は、神がこの世界をお造りになったと語り始めます。神がこの世界を造られ、すべてを手の中に包んでいおられるのです。それとともに、今読んだように、
12こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった…
 神が作られた世界に、一人の人、最初の人が罪を持ち込んで、この世界に罪と死が広がっている事実も聖書は教えています。それは、創世記の3章に書かれている物語です。
 神が作られた世界は、最初、罪が入っておらず、最初の人、アダムとエバは神を親しく知り、心から神を愛し、神と共に生きていました。置かれた場所はエデンと呼ばれる園(庭)で、見ても麗しく、食べても美味しい、すべての木々を生えさせていました。そして、神は人が神の栄光を現すために、エデンの園(森?)の管理をさせて、その木々の果樹を楽しむように言われていました。そして、一つだけ、園の中央にある「善悪の知識の木」からは食べてはならない、という約束をされていました。
 そこに、ヘビがやって来て、女に言いました。
「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか」
 いいえ、神は「どの木からも取って食べてよいが、善悪の木からだけは食べてはならない」と言われていたのです。ヘビの言い方だと、神はとてもケチで、冷たい方のようですね。女は言いました。
「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、「あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ」と神は仰せられました。」
と。神は「食べたら死ぬから」「触るだけでも死ぬかもしれないから」という理由ではなく、「食べてはならない」と言っていたのですが、誤解していました。その所につけ込んで、ヘビは女に言ったのです。
「あなたがたは決して死にません。それを食べるその時、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです」
そう言って、消えてしまうのです。
 さあ、そう言われて、木を見てみると、その木は食べるのに良さそう、見るからに美味しそう、賢くしてくれそうに思えてきました。それで女はその実を取って見ました。まだ食べてはいません。でも「触ってもいけないと思っていたけれど、なんだ、大丈夫じゃない」と思ったかも知れませんね。取って大丈夫なら、食べてもいいじゃない、少しぐらい、と思ったかも知れません。そして囓ったら、あら大丈夫。一緒にいた夫アダムにも与えました。アダムは、「それは神との約束を破ることだからダメだよ」「僕は食べない」「神が仰ったのは『死ぬといけないから触るな、じゃなくて、食べない』という約束だったよ」とは言ったんでしょうか、言わなかったんでしょうか。どちらにしても、アダムも食べてしまったのです。すると、二人は目が開けました。今まで見えなかったものが見えるようになりました。ヘビの言った通りです。しかし、ヘビが言ったように神のようになったでしょうか。いいえ、二人は自分が裸の人間であることが見えただけでした。神のようにはならなかった。嘘をついたのは、神ではなく、蛇でした。
 二人は自分たちの間違いを認めて、神にゴメンナサイ、約束を破りました、と謝ることはしませんでした。イチジクの葉っぱを綴り合わせて腰の覆いを作り、裸を隠しました。神が二人に呼びかけても、「そうですゴメンナサイ」と言ったでしょうか。いいえ、アダムは
「私のそばにいるようにとあなたが与えてくれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」
と言いました。自分が悪いんじゃない、女がくれたんだ。その女を作ったのはあなたじゃないですか、と神のせいにするようですね。主は女に言いました。
「あなたは何と言うことをしたのか」
 女は「ゴメンナサイ、私が神様を疑ったのです」と言ったでしょうか。いいえ、
「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました」
と言ったのです。こうして、二人はエデンの園にいることが出来なくなりました。神と一緒に生きることの出来ない心になったのです。
 多くの物語が、世界に問題が入った原因を説明します。最初は良い関係があったのに、悪い考えにたぶらかされた。疑う心を吹き込んで、裏切らせた。そういうお話しもあります。

 それは聖書にあるお話しに近いもので、聖書から引っ張ってきたとも言えますね。「あいつらを信じたらダメだ、お前はもっと強くなれる、私の言う通りにした方がいい」そんな声を信じたのが、破壊の始まりになった、というのは聖書とソックリです。神を信じて約束を守ることを捨てて、神に背を向けた時、人は嘘や胡麻菓子、責任転嫁を始めました。人間同士の関係も、愛して信頼するよりも、疑ったり傷つけたり利用しようとしたりするようになりました。だから、今も人は神の善い命令に従えないのです。
第十四問 神は私たちを神の律法が守れないように創造されたのですか?
答 いいえ、しかし私たちの最初の祖先であるアダムとエバの不従順によって、全ての被造物が堕落し、私たちは全て、罪と罪悪を持って生まれ、私たちの本質は腐敗しており、神の律法を守ることは出来ません。
 神は、人間を神の律法を喜んで守れるように作られました。本来私たちは、神の言葉に喜んで従っていけたのです。ところが、神との信頼を捨てたとき、人の心に罪が入り、神の律法を守る事も出来なくなりました。十戒に示された、神を神とし、互いに大切にすることが出来なくなってしまったのです。世界には罪が入ってきました。この出来事を「堕落」と呼びます。エデンの園で幸せだった人間は、堕落した後、神との関係が壊れた罪、また心の中の悲惨な罪悪を産まれながらに持っています。だから私たちは神の律法を守れないのです。これが、聖書の人間理解です。しかし、それでは終わりません。
 創世記3章は始まりに過ぎません。神はエデンから追い出して終わりとはしなかった。その人間のため、神の子キリストが私たちを回復し、神を信頼する関係を取り戻して下さる。私たちが神をもう一度信頼するようイエスが来て下さって、今もともにいて、やがて完成してくださる。それが、エデンの後も続く、聖書の大きなストーリーなのです。
「憐れみ深い主よ。私たちは根っこから汚れている者です。第一のアダムの子孫として産まれた私たちは、あなたの禁じられるものを求めてしまいます。どうか、第二のアダムであるキリストのうちに、私たちを新しく生まれ変わらせ、新しく造り変えてください。そして、聖霊の力によって、あなたの戒めに従うことができますように。アーメン」
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