聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

ルカ二章8~20節「救い主がお生まれになりました」

2014-12-23 18:34:28 | クリスマス

2014/12/21 ルカ二章8~20節「救い主がお生まれになりました」

 

 今日この夕拝に来ているのは、お昼のクリスマス礼拝に、何かの用事があって参加できなかったから、という理由が多いでしょう。クリスマス礼拝や祝会がどれだけ楽しかったかを聞いても、却って寂しい思いがするのでしょう。クリスマスは家族や恋人がステキな時間を過ごすというイメージがある分、一人の人や、家族と別れて過ごす人はいつも以上に寂しくなる時期でもあるそうです。「せっかくのクリスマスなのに、わびしいなぁ」といいたくなる事もあるでしょう。しかし、今日の聖書を読む時に、クリスマスは、そういう人のためにこそキリストがお生まれになったと告げ知らされることなのだと分かります。この夜、私たちにも、御使いが告げています。

10…恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

12あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。

 この知らせを聞いたのは、羊飼いたちでした。彼らは、

 8…野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

のです。そうです、彼らは仕事をしていました。他の人たちは、住民登録のために宿を取り、ごった返していた時に、彼らはその数にも数えられず、仕事を黙々と果たしていました。夜も、狼や盗人(ぬすっと)が来ないように交代で見張りをしながら、羊を守っていました。それは、単調ですが、気の抜けない、日陰の労働でした。羊飼いたちは何を思っていたのでしょうか。二千年前の彼らが何を思っていたかは想像も出来ません。でも、大事なのは、彼らが闇の中で何を思っていようと、そして、その心までもどんなに暗かったのだとしても、そこにキリストのお生まれの素晴らしい知らせが届けられた、という事実です。彼らの所に御使いが来たのは、偶然ではありませんでした。御使いは、

10…今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

と言ったのですから。彼ら羊飼いにこの素晴らしいニュースを知らせるために、御使いは来ました。神様が御使いを羊飼いたちに遣わしたのです。神様が、この知らせを真っ先に受け取る相手として、羊飼いたちを選ばれたのです。

 神様は、羊飼いたちが、この知らせを受け取るのに、一番相応しかったとお考えになりました。でもそれは、この羊飼いたちが、とてもよい心で、信仰も厚くて、仲が良かった、ということでしょうか。神様を待ち望んで、立派な人生を生きていたから、神様も彼らに、福音を最初に告げ知らされる特権を与えられた、ということでしょうか。

 いつの頃からか、クリスマスにはそういう考えが入って来ています。それこそがクリスマスの意味だと信じられています。だって、こう言うでしょう? 「良い子にしていたら、サンタさんがプレゼントを持って来てくれますよ」って。「良い子にしていないと、プレゼントがもらえませんよ」って、みんなが言っています。そして、プレゼントを貰うために良い子になったり、良い子でいてもプレゼントが貰えないと「クリスマスなんて楽しくない」とガッカリしたりするのです。

 もともとはそうではありません。その反対です。羊飼いたちも、「この民全体」も、ちっとも良い子ではありませんでした。神様から離れていました。けれども、その彼らを取り戻すために、イエス様が来てくださいました。人となってマリヤの胎に宿り、この夜、お生まれになりました。私たちが相応しかったから、ではありません。相応しい人を救うために、相応しい良い子達だけに与えられる「すばらしい喜びの知らせ」ではありませんでした。ふさわしい者など一人もいないのにも関わらず、神が、ご自身の民のために、主をお遣わしになりました。キリストが、自ら人となって貧しくお生まれになることさえ厭わずに、来てくださいました。この知らせの素晴らしさは、私たちが相応しくないのに、それでも神様が私たちにお与えくださった、救いだからです。

 御使いたちは、最後に神を賛美しました。

14「いと高き所に、栄光が、神にあるように。

 地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

 この賛美が、御使いたちが私たちにくれた、新しい歌です。私たちは、いと高き所にいます、栄光ある神を忘れています。神に栄光を帰するよりも、自分の栄光や評判、世間体や自己充実を求めています。そして、神を忘れて、自分が神に成り代わろうとするような生き方をしていますから、地の上にも平和が作れず、争ったり、妬んだり、衝突ばかりしています。神様が与えてくださった人生を感謝することが出来ず、与えられた仕事を虚しい思いや不安、文句を言いながらこなし続けているだけ、という事になるのです。でも、キリストのお生まれの知らせは、この簡単な賛美へと私たちを救います。

14「いと高き所に、栄光が、神にあるように。

 地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

 神に栄光を帰すること、そして、地の上で御心にかなう者とされ、平和にあずかる者とされること。それが、クリスマスに響いている、救いの歌です。この歌を歌わせるために、主イエスはお生まれになったのです。そして、実際、最後の20節で、

20羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

のです。神をあがめ、とは、神に「栄光」を帰するという言葉です。賛美も、御使いが賛美したように、でしょう。そして帰って行って、何をしたのでしょうか。やっぱり、羊を飼ったのでしょう。彼らは羊飼いなのですから。でも、羊飼いであって、羊を飼い、その後も野宿で夜番をすることはあっても、彼らは今までと同じではありません。神をあがめ、賛美しながら、羊を飼う者となったのです。素晴らしい喜びは、彼らが仕事をしている真最中に来たのですから、彼らの全生活がこの知らせで新しくなるのです。

 クリスマスは私たちに届けられた喜びです。忙(せわ)しい毎日、疲れた夜、孤独、そして神など忘れた人間の闇のどん底で「救い主がお生まれになりました」と言われたのです。

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1 コメント

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感謝☆ (たなかけいこ)
2014-12-27 11:02:48
 説明のいらない(と勝手に思っています♪)先生との関係を覚えさせて戴いて主を崇め畏れて心から感謝します。お便りの数々、只感謝です☆相応しい伴侶を☆
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