2015/09/13 ウェストミンスター小教理問答73-75「盗むなんてもったいない」 エペソ四章28節
今日の聖書箇所を読むと、疑問が湧きます。
エペソ四28盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
エペソの教会には、盗みをしている人がいたんでしょうか。泥棒や強盗がいたのでしょうか。たぶん、そんな堂々とした盗人はいなかったと思います。でも、意外と、私たちは「盗み」としているんではないでしょうか。この御言葉は、聴いているみんなに、自分の生き方を見直すようにと呼びかけているのです。
ウェストミンスター小教理問答73 第八戒は、どれですか。
答 第八戒は、「盗んではならない」です。
問74 第八戒では、何が求められていますか。
答 第八戒は、私たち自身と他の人々の、富と財を合法的に獲得し、増進させることを求めています。
問75 第八戒では、何が禁じられていますか。
答 第八戒は、私たち自身や隣人の、富や財を不当に損なったり、そうする恐れのある一切のことを禁じています。
持ち物があることが悪いのではありません。お金持ちであることがいけないのでもありません。私たちは沢山のものをもらっています。プレゼントされています。あるいは、働いて、お金を稼いだり、働いた見返りに何かを手に入れたりして、物を持つようになります。「あなたに」ともらったか、ちゃんと働いて手に入れたなら、それはその人のものです。それ以外の方法で手に入れること、それは盗みになるのです。「不当に」人のものを損なうこと。それはしてはいけないよ、というのが「盗んではならない」です。いわば、狡(ずる)をすることが禁じられているのです。フェアでありなさいといことです。
勿論、フェアプレイといっても、駆け引きや相手の裏をかくことはしますね。盗塁は「塁を盗む」と書きますが、反則ではないし、ストライクと見せてボールを投げてもフェアプレイです。しかし、反則はしてはいけません。そして、ベンチで意地悪をしたり、出し抜きたい人のお弁当に毒を入れたりしたら、どうでしょうか。「汚い手を使いやがって!」と言われるでしょう。そうやって、こっそりでも狡い手を使うことは盗みになります。では、私たちは、毎日の生活でそういう「盗み」をしていないでしょうか。
例えば、人のものを盗むのはもちろんダメですが、お父さんやお母さんや兄弟のものを勝手に使うのも、ダメでしょう。テストのカンニングは勿論、やらなかったことをやったふりをするのはどうでしょうか。もちろん、万引きは盗みですが、お店でサービスのものを必要以上にもらうのもオカシイですね。詐欺は盗みですが、騙されてお金を払う方に、ひょっとして「こっそりお金さえ払えば、問題が解決できるだろう」という計算があるとしたら、それはそれで「盗み」かもしれません。「正直な人は騙せない」とも言われるのです。仕事をしていても、サボっていたのに時給をもらうとか、仕事をするのもギャンブルや違法すれすれの方法で大金を稼ぐことも、神は喜ばれません。貧乏人がお腹が空いてパンを盗むと捕まりますが、そういう貧乏人や社会の貧富の差を生み出して、贅沢に暮らしている金持ちは、神の怒りと無縁なのでしょうか。そうやって、貧しい人から吸い上げて、懐を肥やしたこと自体に、もっと大がかりな盗みや搾取があったのではないでしょうか。もしそうだとしたら、それは正されなければなりません。お金持ちが陥りやすい、ケチも浪費も、どちらもそれは罪なのです。
もうひとつ、聖書がハッキリと「盗み」だと言っていることがあります。■
マラキ書三8人は神のものを盗むことができようか。
ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。
『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』
それは、十分の一と奉納物によってである。
つまり、ささげ物をしていないことはわたしのものを盗んでいるのだ、と神は言われるのですね。でも、注意してください。十分の一とか奉納物が神のものだ、とは言われていません。私たちの持っている物の十分の一とそれに加えたものは、神のものだ、ということではありません。それに、この後、マラキ書ではこう言われているのです。
マラキ三10十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。
こうしてわたしをためしてみよ。― 万軍の主は仰せられる―
わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を
あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
「わたしはあなたがたのために、天の窓を開き、溢れるばかりの祝福を注ぎたいのだ」と仰っています。そこに背を向けて、私たちが自分の財産を、自分の物だと考えて、ケチケチしているのはもったいないですね。コソコソと狡をして、人に恨まれたり、良心の呵責を覚えたりするような道では人は豊かにはなれません。盗むことで人の心は貧しくなり、せっかくの人生が味気なくなります。神の祝福の素晴らしい関係からどんどん遠ざかるだけです。神は、この祝福の関係に私たちを立ち帰らせようとなさり、なんと神の御子イエス・キリストをこの世にお与えくださいました。それは、私たちが盗んだりケチをしたりすることはもう止めて、本当に私たちを惜しみなく愛し満たしてくださる神を信頼して、正しく生かしてくださるためでした。たとえ、みんながしている狡をしないために損をするとしても、神は私を喜び、愛して、豊かに祝福してくださる。盗みや狡を止めた私たちの正しい生き方は、恵みの神を証しするのです。
ウェストミンスター小教理問答の初めで学んだのは、
問一 人間の第一の目的は何ですか。答 人間の第一の目的は、神に栄光を帰し(神の栄光を現し)、神を永遠に喜ぶことです。
ということでした。私たちは神に栄光を帰し、神を永遠に喜ぶべき存在です。私たちの丸ごとが、溢れる祝福で私たちを愛してくださる神のものです。この神に立ち帰って、盗みは悔い改めて、損も気にせず、正直に、晴れやかに、歩ませていただきましょう。