2016/05/29 士師記16章「どうぞ私を御心に留めてください」
今日の説教は「人物説教」です。取り上げるのはサムソン。聖書で最も、人間の「弱さ」というものを教えられる人物です。「強さ」ではありません。「弱さ」です。勿論、サムソンは怪力で知られています[1]。しかし、その怪力サムソンの最後は、デリラという女性に惚れ込んで、自分の怪力の秘密を明かしてしまい、力を失って捕らえられる、呆気ない幕切れでした。怪力で千人にも負けなかったのに、ひとりの女の軽蔑に耐えられませんでした。十六章16節には彼の言葉が嘘だと責め立てられたとき、
「死ぬほどつらかった」
とあります。不死身の戦士かと思われたのに、愛した女性から嘘つきと責められて死ぬほど辛くなり、道を踏み誤ってしまう。何とサムソンは弱く脆い人だったか。何と人間とは弱いものか…と思わされるのです。
しかし実はこの失態は、サムソンの最初の結婚の失敗と同じパターンでした。十三章で結婚しかけたときも、妻に泣きすがられて、言う必要の無い秘密をバラしていたのです。つまり、怪力サムソンが、最後に悪女デリラに騙された、というオチではなかったのです。最初から、人の非難に弱く、振り回されやすい問題を抱えていたのです[2]。また、彼の短気や怒りっぽさの下には未熟さがありました。彼の外面的な怪力は内面的な弱さ、自信なさの隠れ蓑だったのでしょう。彼が倒した相手が、三十人、三百匹、千人と増えていった事には、エスカレートしていく危険を感じます。大丈夫か、と心配になります。そしてデリラに足をすくわれる直前の、ガザの門扉を引っこ抜いた事件は、全く必然性のないパフォーマンスでしかありませんでした。
確かに、彼が怪力を発揮する時には、
「主の霊が激しく下った」
と何度も書かれています[3]。でもそれが彼の正しさや信仰を裏付けていたとは限りません。新約でも御霊の賜物が無条件に崇められてはならないとパウロが注意した通りです[4]。「主から遣わされた怪力のヒーロー、サムソン」とは勝手なイメージかも知れません[5]。むしろ、彼は怪力で敵には勝利して、二〇年、イスラエルを治めはしたものの、主に自分を聖別する生き方ではありませんでした。どんなに大勝利をしても自分は弱く渇いた者であることを告白したのは、二〇年間一度きりでした[6]。強さを誇っていても、女性につれなくされたら腰砕けになる弱い内面は、何の成長も解決もありませんでした[7]。その結果、彼は頭を剃られ、ペリシテ人に捕らえられ、目を潰され、牢の中で足枷をはめられて、女のように臼を引き続けたのです。しかしその最後に、引き出されたペリシテ人の前で、見世物になりながら、主に呼ばわります。
28「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」
30そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。
あの傲慢で、怒りっぽく、負けず嫌いだったサムソンが、最後には、心砕かれた謙虚な祈りを叫びます。力を病的なほどに見せびらかしながら、女からなじられれば死ぬほど辛くて耐えられなかったサムソンが、ここでは自分のいのちを差し出し、自分の分を果たそうとします。サムソンは
「この二つの目のために、もう一度」
と言いますね。彼には他にも多くの失ったものがありました。怪力、名誉、地位、またデリラなど、失いたくなかったものを考えたら、目が見えるなんて事は当たり前すぎたでしょう。しかし、今、彼に特別だった沢山の失ったものを嘆いたり、それらを取り戻してほしいとしたりせず、ただ小さな自分の目のために(あるいはその目の「一つのために」[8])ペリシテ人に復讐したい、と言い、自分も共に死ぬことでよしとしました。彼は最後にようやく、自分を聖別しました。人並み外れた力を振り回して、自分を守ろうとして、心には深い渇きと恐れを抱えていたサムソンが、全てを失った末にようやく自分の大間違いに気づいて、主に祈り求めました。
それは、放蕩息子が我に返ったような方向転換でした。自分たちを幸せにするのは、お金ではない。力でもない。スーパーヒーローでも、美しい女性でもない。主だけが私たちを満たして下さる神であり、私たちはその方に心から立ち帰り、自分自身を捧げる以外、満たされることはありません。サムソンは最後にそう思い至って、主を呼んだのです[9]。その結果、サムソンは三千人の客がいた宮を崩します。生きている間よりも多くの敵を死に至らせたのです。この打撃は、同胞イスラエル人の生活をある程度は楽にしたに違いありません[10]。これこそ、サムソンが生まれる前に、主が約束されていた彼の使命だったのです。彼の生涯は失敗続きでしたが、その末に主の約束は成就したのであって、決して彼の生涯が「失敗」だったのではない、と私は思うようになりました[11]。
イエスの時代、弟子も群衆も敵たちさえも、イエスに奇跡や軍事的な力を求めました。十字架の死においても、
「神の子なら十字架から降りて見よ」
と言いました。傍らの強盗でさえ、そう詰(なじ)りました。神に力を求め、敵を薙ぎ倒してくれることを期待し、要求するのです。士師記は、サムソンだけでなく、社会全体が主よりも力と繁栄とを追い求めていました[12]。主を喜びとするよりも自分の知恵や力や繁栄を偶像としていました。力さえあれば、自分たちの問題は解決できる。主への感謝や献身よりも、もっと欲しい、少しでも上に立ってみたい。そういう歪んだ基準が産み出してしまった怪物がサムソンだったのかも知れません。私たちもそうではないと言いつつ、力が欲しいものです。お金[13]、技術力、ハイテクの力、何かしら人をアッと言わせたい、無力だと笑われたくない。恥はかきたくない、格好悪いことは隠して、一目置かれたい。そんな力が欲しい。しかしもし力を得たとしたら、幸せになるのでしょうか。いや、力に麻薬のように依存して、ますます心は渇き続け、本当の問題から目を背けたまま、自滅するだけではないかと、サムソンの記事は問いかけてくるようです。[14]
最後にサムソンが、零落(おちぶ)れた果てに漸(ようや)くではあっても、主に呼ばわって、
…「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。…」
と祈るに至った姿には、イエスの十字架の横にいたもう一人の犯罪人が、十字架に悶え苦しみながらも
「主よ。私を思い出してください」
との尊い告白をした姿が重なります。そう告白させてくださるのが主イエスです。いいえ、十字架の主ご自身にサムソンが重なります。病を癒やし、嵐を鎮め、死人を生き返らせる力をお持ちでありながら、主は十字架に御自分を差し出し、神への生け贄となってくださいました。すべてを手放した献身こそが、私たちを救い、世界を贖う力でした。サムソンも私たちも、この主の愛へと近づけられる歩みを与えられていたのです。神は、今この時代にも働き、私たちをそこに至らせる良きご計画を立てておられます。力や名声を追い求めて、ますます心が渇き荒んだ末、大失敗の人生で終わりそうでも、そこで悔い改め、主を呼び求める者に、主は応えてくださいます。その主を思う時、ないものに憧れる生き方に気づいて恥じ入り、今ある私たちを主に献げる信仰へと変えられたいと願うのです。
「力を崇め、ないものに憧れ、誘惑に弱い私たちです。あなたの深い愛によって満たされ、自分自身を献げる以外、命の道はありません。主イエス・キリストの十字架の愛を、サムソンの生涯にさえ見て、御名を崇めます。あなたが私共をも心に留めてくださることを感謝します。そのあなたに自分を捧げつつ、本当の幸いと祝福を噛みしめ、証しする者とならせてください」
[1] その力は並ではありません。若い獅子(ライオン)を引き裂いた(十四6)のを初めとして、アシュケロンの住民三十人を打ち殺し(十四19)、ジャッカルを三百匹捕らえ(十五4)、腕を縛っていた二本の新しい綱を切り、ロバの顎骨で千人を殺す(十五14-16)、ガザの門扉を閂(かんぬき)毎引き抜き、ガザから60km以上離れたヘブロン付近の山頂まで運びます(十六3。ちなみにヘブロン山は海抜935mという立派な山です。岡本昭世『士師記・ルツ記 新聖書講解シリーズ』280ページ)。また、七本の新しい弓弦で縛られても、未使用の綱で縛られても、糸のように腕から切り落としてしまいます(十六7-12)。
[2] 生まれる前に約束した通り、髪の毛だけは切らなかったものの、本来はナジル人として死体に触れたり、汚れたものを食べることは禁じられているのに(十三4、13。民数記六1-21)、ライオンの死体に触れ、そのからだに蜜蜂が造った蜜を食べて、父母にも分け与え、しかもそれを父と母には黙っていました。これは明らかに最初の約束の違反であり、それを父と母に分け与えて食べさせたことは、エデンの園でエバがアダムに禁じられていた木の実を食べさせたことさえ想起させます。
[3] 十四6、19、十五14。
[4] Ⅰコリント十二-十四章。
[5] 十三章で生まれる前に主の使いが告げていた言葉には、怪力のことなどひと言もなかったのですから。言われていたのは、「今、気をつけなさい。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。見よ。あなたはみごもっていて、男の子を産もうとしている。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから神へのナジル人であるからだ。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」(十三章4節、13-14節も)だけでした。つまり、彼ら家族が自分を主に聖別することであって、怪力や働きではなかったのです。
[6] 十五章最後で、千人を倒した後、彼はひどく喉が渇いて「死にそうだ」と主を呼び求めました。主は彼に湧き水を与えて、元気を回復させてくださいました。彼の渇きを満たしたのは、怪力ではありませんでした。喉が渇いて死にそうだという情けない叫びに、黙って応えた主の憐れみが、彼を潤したのでした。しかし、この出来事を含めて、サムソンのさばきつかさとしての活躍は20年続きましたが、彼が主を再び呼び求めたのは、死の間際までなかったようです。その間、彼は自分の怪力に依り頼み、思い上がっていました。
[7] サムソンがティムナの女を娶ったのが三〇代前後として、デリラに惚れ込むのは、五〇代前後ということになります。壮年期の方が、青年期よりも、誘惑に弱くなっている例です。
[8] 十六章28節、欄外注参照。
[9] 一三章のサムエル誕生の告知において、主の使いは御自身を「不思議」と名乗られ、「不思議なこと」をします。それは「子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主にささげた」あとのこと、「炎が祭壇から天に向かって上ったとき、マノアとその妻の見ているところで、主の使いは祭壇の炎の中を上って行った」のです(士師記一三章18-20節)。彼らの精一杯のささげ物の中で、神の使いは御業をなさいました。その不思議にマノアは「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう」と言います(22節)。これに対して妻は「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のいけにえと穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。…」と答え(23節)、多くの注解者は妻の方が現実的で、主の御心を見抜いていた、と解釈しています。しかし、そうなのでしょうか。サムソンの生涯に「死への恐れ」のモチーフが点在していることと、サムソンの最後が「ペリシテ人といっしょに死のう」という言葉であり、自らをささげ物として、生きている時よりも多くのペリシテ人を道連れにしたことを考えるなら、確かに死の受容は、サムソンの生涯が行き着くゴールだったのです。マノア家族には、主の栄光を見ることはいのちをささげ物とせずにはないという真理を受け取るべきだった、と言えるように思えます。
[10] ですから彼の記録は、丁重に葬られた士師として結ばれるのです。
[11] 士師記には「イスラエルの堕落→他民族による支配→民の悔い改めと主への懇願→さばきつかさによる救済」というパターンがあると言われます。確かにこのようなパターンはありますが、実は、それ自体が崩壊していく、ということにこそ、士師記のメッセージがあるのではないでしょうか。そのパターンに慣れ、真剣な悔い改めなしに、主に叫びさえすれば、社会は回復する、という思考への堕落が糾弾されているのです。
[12] 問題はサムソン一人ではありません。サムソンの両親も、主の御心が十分理解できていなかったことは十三章の誕生記事で明らかです。当時のイスラエルの社会全体が、神の民でありながら、道を踏み外していました。
[13] デリラが約束された報酬は、ペリシテ人の領主から銀1,100枚ずつでした。ペリシテ人には五人の領主がいましたから、銀5,500枚ということになります。単純に今には置き換えられませんが、銀貨一枚5,000円と見積もっても、3千万近くになります。これにほだされない人は希有です。
[14] 力に対する偶像化の危険をよく描いたのは、J・R・R・トールキンの『指輪物語』です。その「一つの指輪」を使おうとするものは、善のためにであっても皆、狂気に捕らわれていくのです。