聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

使徒の働き二八章17-30節「まだ終わらない」

2018-08-05 16:06:51 | 使徒の働き

2018/8/5 使徒の働き二八章17-30節「まだ終わらない」

 「使徒の働き」28章の結びです。一年二ヶ月説教を続けてきた最後です。30年以上に及ぶ教会の最初期の歩みを結ぶ言葉から、この続きに生きる者として整えられたいと思います。

1.イザヤの言葉どおり

 ローマに着いたパウロが三日後に早速行ったことは、ユダヤ人の主立った人たちを招いて、話をすることでした。ユダヤから遠いローマですが、バビロン捕囚やローマ帝国の繁栄などの歴史や経済の動きでローマには多くのユダヤ人がおり、ユダヤ教のセンターとも言える会堂(シナゴーグ)は十一もあったそうです。パウロは、そのユダヤ人のコミュニティとの対話をまず試みました[1]。丸一日掛けて、パウロは彼らに

「神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと」

説明を続けました。結果は、パウロの話を受け入れた人も信じようとしなかった人もいて、皆さんは帰ろうとする。そこで、

25…パウロは一言、次のように言った。「まさしく聖霊が、預言者イザヤを通して、あなたがたの先祖に語られたとおりです。26『この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。27この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉じているからである。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返ることもないように。そして、わたしが癒やすこともないように。』28ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らが聞き従うことになります。」

 なんだか捨て台詞のようです。あなたがたが煮え切らないのはイザヤ書の言葉通りだ。神はあなたがたを癒やさないのだ、とも取れます。しかし、このイザヤ書の言葉は、新約で何度も引用されているキーワードの一つです[2]。イエスも仰った言葉です。確かにユダヤ人の頑なさと結びついている言葉ですが、しかしそれを断罪するのではないのです。元々のイザヤ書の言葉もそうです。これはイザヤ書六章の言葉です。イザヤが初めて預言者となるよう、神の声を聞いた時にこの言葉が言われました。預言者として語ったのに聞く人がいなかった、という段階ではなくて、これから神さまの言葉をお伝えしようという時に、最初から聴いてくれると期待しない、分かってくれて、悔い改める人がいると思うなとイザヤに釘を刺すような言葉でした。しかし、その頑なさを踏まえた上で、イザヤ書は六六章もの長く壮大な、神の救いのご計画を語ります。その頑なな人間のために、「神のしもべ」メシヤが来られて、人のために苦しみ、異邦人にまで及ぶ回復を必ず完成させると語ります。それがこの言葉なのです。

2.少しも妨げられずに

 ですからこれは捨て台詞や憎まれ口とは思えません。パウロはユダヤ人には信じがたいことを十分分かっていました。その結果、異邦人の所へ行き、そこで信じる人が起こされる。却って神の国の働きが前進する、という無駄のない体験をしていたのです。それが、このローマでもそのようになろうとしている。そこに主の長いご計画を確認してのこの言葉なのでしょう。

 ですから最後30、31節でパウロがローマで二年間、自費で借りた家に住み、訪問者達を迎えて、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えたのも、そうした流れで見たらスッキリします。ユダヤ人の主立った人たちが信じなくても、パウロは二年間、軟禁状態でも訪ねてくる人を迎えると嬉々として神の国を宣べ伝えていた。地位があるか貧しいか、ユダヤ人か異邦人か、どんな人であろうと関係なく、訪問者を迎えて語った、そこに邪魔がなく語れたことを感謝している。こういう結びが、神の国と人の国との見方の違いを浮き彫りにします。

 それはいつまでもではありませんでした。この数年後、パウロは捕らえられて、このローマで殉教したのはまず間違いありません。それでも、二年間の自由な証しを取り上げるのです[3]。そこに与えられた二年の出会いを特筆して記しています。皇帝カイザルのお膝元で、名も知れない人たちとの出会いがあったと結んでいます。カイザルの前に立って堂々と証しをした、というドラマチックなクライマックスの方が絵になりそうですが、そうじゃないのが良いです。皇帝や大統領や天皇の前に呼ばれるかどうかより、今訪ねてくる人、今出会った人を迎えて喜んでいます。そして「神の国」を宣べ伝えているパウロは、ローマ帝国とか世界の権力とか、社会の流れから自由で、本当に「神の国」、イエス・キリストを王とする生き方をしています。そしてそれ自体が、ローマ帝国には脅威でもあり、とんでもないメッセージでした。

 「使徒の働き」と「ルカの福音書」はローマの高官テオフィロへの献辞で始まります。

ルカ一4すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたい…。

 「分かる」とは、ただイエスの事を知識として知る、キリスト教教理を知る、ということではありません。イエスの知らせ、パウロの語ることを分かり、受け入れ、信じるなら、テオフィロも神の国を生きるようになるはずです。それがルカが「使徒の働き」という二八章にも及ぶ本を執筆した動機でした。頭で分かるだけでなく、神の国を生きるようになる。この世界の常識とか圧力とかヒエラルキー、価値観や世界観や物語よりも大きくて、良い意味で本当に人間的な、キリストを王とする生き方をするようになっていく。それが、イエスが王であって、私たちを下から支え、治めておられるという事です。それは、パウロだけの話ではないのです。

3.神の国に生きる

 「使徒の働き」は弟子たちの伝記とかパウロを主人公とする物語ではなく、イエス・キリストの福音の証しです。ルカはここで筆を置きますが、福音そのものはまだ始まったばかりです。それが、ここでの終わりが特別にドラマチックでもゴージャスでもない理由の一つかもしれません。パウロのローマ到着という当初の目的は果たされて、そこでパウロは来る人皆に神の国を教えました。かつてはキリスト者を迫害し、イエスの福音に力尽くで抵抗したパウロが、どんな人でも受け入れて、神の国を語るように変わっています。そしてその御業はテオフィロのうちにも始まっています。ローマ帝国中のあちこちで、皇帝や権力者達の与り知らない随所で、

 「キリストこそ王であり神である。主であるイエスが十字架に死によみがえって、世界を治めておられる。その国がやがて来る」

という知らせが伝えられていました。その知らせを聞きたいと訪ねて来る人たちが起きていました。この終わりは「まだ終わりではない」、今も続いている、という結びです。

 世界の宣教団体で時折「使徒二九章(Acts Chapter 29)」という言い方をします。使徒の働きの二九章は今も書かれている。いいや、使徒の働きそのものが、続きへの開かれた終わり方をしている、という事だと思うと、こういう終わり方だと腑に落ちるのではないでしょうか。

 このパウロの時代から二千年になろうとする今も、まだ神の国は終わっていません。イエスが王として私たちを治めておられ、この世界に神の国を始めておられます。私たちはその方の恵みの力によって今ここにいます。神の国に生かされています。日本やアメリカや中国にそれぞれの声があり、またテレビやコマーシャルや消費社会の声が飛び交う中、そういう華やかな声に流されやすい私たちですが、それでも私たちは、もっと大きく尊く、いのちに繋がる御言葉があると知っています。その通りには生きられなくても、その御言葉こそ永遠だと信じ始めています。私たちの生活に、人が神に期待するドラマはないでしょう。奇跡や華やかさもないとしても、でもイエスはそこでも私たちと一緒に歩んでおられます。「神の国」はまだ終わらず、頑固に見えるこの世界に生きて働いています。そこを忘れて、教会が華やかさや力や華やかなドラマを求めるなら虚しいことです。置かれた場所で、神の国に今既に生かされていることを信じて、まだ終わっていない神の物語の端に加えていただいていることを覚えたいのです。

「主イエスよ。御国の福音が二千年書き綴られてきました。今や日本にも伝えられ、なおも世界各地で書き継がれているのは、あなたこそ王だからです。始まりとは全く違うこの結びのように、教会の歩みも私たちの人生も決して予測通りには行きませんが、あなたの御手の中にあります。信頼をもって、柔らかで開かれた心で歩ませ、あなたの証し人とならせてください」



[1] エルサレムではユダヤ人の過激な人たちに捕まって殺されかけましたから、その事がローマのユダヤ人達にも伝わっていて、警戒心を抱かれていることを懸念したのでしょう。まずは自分がローマに上訴してここに来た経緯を話しています。自分はユダヤ人の一員であって、関係を築きたい、話をしたいと願っているのだ、と言います。

 集まったユダヤ人達も、集まってくるぐらいですから、パウロの名前を聞いたり、キリスト教に対する情報を得たりして、警戒心か関心程度はあったので、23節、後日改めてもっと大勢でやって来ます。

[2] ルカ八10、ヨハネ十二39-40、ローマ十一8。マタイ十三15も参照。

[3] この時期に、パウロ書簡のコロサイ、ピレモン、エペソ(獄中書簡)、ピリピが執筆されたと考えられています。

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使徒の働き二八章1-16節「親切と尊敬があれば」

2018-07-15 14:16:42 | 使徒の働き

2018/7/15 使徒の働き二八章1-16節「親切と尊敬があれば」

 「使徒の働き」最後の章です。嵐の地中海を2週間漂流して、最後には全員が無事に助かりました。その辿り着いた先がマルタ島で、そこでの顛末が少し書かれた上で、目的のローマに到着する流れになります。マルタ島は鳴門市の面積の二倍ほどの島で[1]、小説や映画でも知られていますが、今は絶景の観光地として売り出しています。その南に一節の海岸があります[2]

1.「人殺し」から「神様」に

 パウロたちは上陸した海岸で島の人々に助けられます。欄外に

「バルバロイ」

とありますが、バルバルとは日本語の「ベラベラ」みたいなもので、何を言っているのか分からない野蛮人を指す、蔑んだ差別的な言い回しです。ローマ帝国では野蛮人と蔑まれている人々が

「非常に親切にして」

くれました。雨や寒さの中、暖を取れるように火を焚いてくれました。276人の遭難者が暖を取れるためにはかなりの薪が必要でしょうが、その手間を惜しまないでくれました。

 そこでハプニングが起きます。3節でパウロが枯れ枝を一抱え集めて、火にくべると薪の中から蝮が這い出してきて、パウロの手にぶら下がったのです[3]。島の人々はこれを見て、

「この人はきっと人殺しだ。海からは救われたが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ。」

と言いますが、しかしパウロが平気でいるのを見て考えを変え、

「この人は神様だ」

と言い出すのです。非常に親切な人たちでしたが、蛇に噛まれると「折角この嵐を助かったのに、それでも毒蛇に噛まれるなんて、よっぽど悪人に違いない」と決めつける。それが助かったら、今度は掌を返すように「この人は神様だ」と持ち上げる。似た事が前にもありました。14章のリステラでパウロたちの奇蹟を見て、「神々だ」と驚喜した人々が、直ぐ後でパウロに石を投げつけて殺そうとしました。ここでもパウロが毒蛇よりも強かったスゴイ奇蹟とか、そのために人々がパウロを崇めたから万歳、ではないのです。むしろ人は「あの人は人殺しだ」と言った舌の根も乾かぬうちに「神様だ」と言うものなのです。人の評価など聞き流して善い。聖書は単純な因果応報、何かあったらそれは何か原因があるに違いないと決めつける考え方から人を自由にします。

 パウロは過去に多くの信徒を殉教させた迫害者ですが、それでも神の恵みのゆえにこんな言葉を受け流せています。私たちも人の非難や賛美は気にしなくてよいのです。

2.深い尊敬を

 大事なのはその続きです。7節以下、島の長官プブリウス[4]がパウロたちを歓迎して親切にもてなしてくれました。彼の父親が病気で伏せっていたため、パウロはそこに行って手を置いて祈り、癒やしました。続いて島中の病人がやって来て癒やしてもらいました。そして人々はパウロたちに深い尊敬を払うようになり、三ヶ月後に船出する際は必需品を用意してくれる程の強く温かい関係が築かれていたのです。最初に「人殺しだ」とか「神様だ」とアップダウンした単純な見方から、病気を癒やされ、痛みを理解してくれたことで、もっと深く強い絆が始まったのです。パウロは島の人の病気を見て「きっと何かのせいだ」とは言いません。自分が言われたように「正義の神の裁きだ」と言ったり、悔い改めや改宗を求めず、癒やしたのです。

 この三ヶ月にパウロがマルタで伝道した様子はないし、尊敬は受けたけれども主イエスを信じた人があったとも書かれていません。パウロはこの島のバルバロイを「伝道対象者」とは見ませんでした。そうではなく、父親の所に行って手を置いて祈り、他の病人たちが来ても癒やしてあげた。その姿こそ、逆に尊敬になったのです。蝮に噛まれたのは人殺しだから、病気になったのは祟りがあるから、何か問題があると神が怒っているに違いない、そういう考えに人間は陥りがちです。パウロはそのような単純な発想から自由でした。相手が「野蛮人」であろうとその親切を感謝して受け取って、「人殺し」と言われようと「神様」と言われようとスルーして、病人がいれば行って手を置いて祈り、他の病人たちにもそうしました。

 もしそこでパウロが、これをチャンスとして癒やしのカリスマ的な力でカルト集団を作ろうと思えば出来たかもしれません。「蝮殺しのパウロ様」を人々は恐れたでしょう。でも、いくらそこに「深い尊敬」は築けなかったでしょう。

 先日オウム真理教の教祖たちが死刑を執行されました。宗教がどんなに魅力的で、スゴい奇蹟や預言や体験を提供できても、反対者への暴力を正当化するなら、それは最悪の宗教です。人の禍につけこんで、人をコントロールするような宗教はたとえキリスト教の看板を掲げていても、ない方がよいのです。イエス・キリストは正義の神でありつつ、人に天罰を与える神ではなく、人間の一人となって苦しみや痛みを味わわれ、病や孤独に苦しむ人の所に行き、手を触れ一緒に食事をし、仕えて希望を与えた。それがイエス・キリストでした。パウロはそのキリストの愛をもってここで人々と過ごしました。そしてその素朴な姿が、親切で善意に溢れてもまだ因習に囚われていた人々の中に、尊敬と交わりを呼び起こして、新しい交わりを生み出して、彼らはここを去ることになったのです。

3.勇気づけられた

 三ヶ月後、航海が安全になった頃に、パウロたちはマルタからシチリア島のシラクサを経由して、遂にイタリア半島に着き、ローマに到着します[5]。プテオリで一週間滞在したのは、ローマに彼らの到着を知らせたためでしょうか。15節でローマから兄弟(教会の信者)たちが迎えにやって来てくれました[6]。この時パウロは

「神に感謝し、勇気づけられた」

と言います。パウロは勇気づける立場だったのではないでしょうか。今まで弱気や緊張などは見せていませんでしたが、でも「勇気づけられた」という素直な言い回しです。ここでしか使われない言葉で、パウロのもらった力、特別な勇気を感じさせます。Ⅱコリントではパウロは教会の兄弟姉妹、諸問題、悩みを思う時に心が痛まずにはおれず、自分が弱くなると正直に告白しています[7]。だから「勇気づけられた」というのもパウロの実に素朴で、飾らない感情表現です。パウロは鉄の心臓で何にも動じない人ではありませんでした。人に勇気づけられる人でした。それも嵐の中のサバイバル体験でも、蝮にも負けない奇蹟や、人の病気を癒やして大勢の人が押し寄せてくるような出来事でも「勇気」にはなりませんでした。このローマから兄弟たちが何人か、自分を迎えにやって来てくれた、その単純な歓迎で、神に感謝し勇気づけられた、と言える人でした。言ってしまえば「淋しい人」かもしれません。でも、寂しさを恥じずに、「人から勇気もらった」って言えたらどんなに素晴らしいでしょう。カルトの教祖や諸団体のリーダーが自分の寂しさを認められたら、犯罪やテロなど起こさずに済んだのではないでしょうか。

 この時パウロを迎えに来たローマ教会も、八年程後、パウロが再び投獄された時、ローマの監獄でテモテへの手紙第二を書いた時には、パウロが囚人であることを恥じて、会いに来る事が少なかったようです[8]。教会のキリスト者の思いも、いつも愛や温かさがあるわけではなく、移ろうものです。自分たちの思いも、何かあれば揺れて消えるような感傷に過ぎません。でもその迎えでパウロは勇気をもらいました。また、マルタ島の人々が示した親切を受け取り、その尊敬を有り難く受け取りました。そういうパウロの影響が静かに、力強く証しされています。

 マルタ島の人々同様、今の私たちも、悪いことがあれば原因を探し、いい目を見た人がいればその人をヨイショしてしまいます。そういう言葉や考えは、人を結びつけません。親切を終わらせます。イエス・キリストはそのような単純すぎる見方から私たちを解放してくれました。私たちが蛇に噛まれたり嵐で全てを失ったりカルトに巻き込まれたりして苦しんでいるどんな人を見ても、何の役にも立たない憶測をやめることが出来たらどんなに世界は住みやすくなるでしょう。自分とは言葉も考えも通じない人にも小さな親切を与えて、その人の中に神を見て尊敬をすることを選べたら、イエス・キリストが新しいことをなさるお手伝いになるのです。

「私たちの旅路を導かれる主よ。嵐に流された先にも、あなたの新しい業が始まりました。私たちがあなたに導かれて出会う先々でも、あなたの命の御業がなさってください。互いに助け合い、不幸や奇蹟があってもなくても、互いに尊び合い、親切を尽くせる。寂しさも勇気も隠さず分かち合える。そういう主の御業を、今ここでも作るよう、私たちを新しくしてください」



[1] マルタ島の面積は246 km²。「マルタは地中海に浮かぶ諸島で、シチリア島と北アフリカ沿岸の間に位置します。ローマ人、ムーア人、マルタ騎士団、フランス人、イギリス人により支配されてきたこの国には、その一連の歴史に関する史跡が残っていることで有名です。たくさんの要塞、巨石神殿群が存在します。また紀元前 4000 年頃に造られた埋葬室と広間からなる複合的な地下建造物として有名なハルサフリエニの地下墳墓が残っています。」Wikipediaより。

[2] マルタ島の「St. Paul’s Beach」は現在も観光地の一つです。

[3] 新改訳は「かみついた」とし、新共同訳は「からみついて」としています。新共同訳の方が、直訳です。

[4] 「新改訳」では「ポプリオ」でしたが「新改訳2017」では「プブリウス」になりました。これはローマによくある名前ですが、有名なのは前4世紀の政治家前4世紀頃のローマの政治家。「4度執政官 (コンスル ) に就任。前 339年に最初のプレプス (平民) 出身の独裁官 (ディクタトル ) にもなっている。またプレプスのパトリキ (貴族) に対する社会的平等の闘争に画期的な3つの法制定に貢献している。その法は,(1) 戸口総監 (ケンソル ) 職がプレプスに開放されたこと。 (2) 平民会の投票がローマ国家全体に拘束力をもつようにしたこと (ホルテンシウス法制定への関与) 。 (3) 父権に基づく提案は,ケンツリア会に提出されるまでは形式上の承認にとどめたこと。彼は最初の法務官 (プラエトル ) にもなり (前 337) ,戸口総監として新しい部族マエキアとスカプチアの創設に助力し,前 327年の執政官のときにはネアポリス (現ナポリ) を包囲した。内政上では対立した保守派のアッピウス・クラウディウスの南進政策に協力した。」 コトバンクより。https://kotobank.jp/word/プブリウス-125682

[5] マルタに滞在していたアレクサンドリアの船については「その船首にはディオスクロイの飾りが付いていた」とあります。ディオスクロイは「神の子ら」、すなわちゼウス神の双子カストルとポルックスです。それは船旅の守り神の飾りでした。嵐の中を助かったキリスト者にとって、異教徒の「お守り」は皮肉な意味合いしか持ちませんが、しかし、パウロはそれを揶揄したりしません。なんとも不思議なこの挿入です。

[6] ローマからアピイ・フォルムまでは、64kmほどだそうです。

[7] Ⅱコリント十一28-29、十二9-10など。

[8] Ⅱテモテ一8、12、16-17。

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使徒の働き二七章27-44節「嵐の中をくぐり抜け」

2018-07-09 15:31:06 | 使徒の働き

2018/7/8 使徒の働き二七章27-44節「嵐の中をくぐり抜け」[1]

1.二転三転

 嵐で二週間漂流して、最後の夜から翌日の上陸までの一日が、今日の出来事です。直前の26節でパウロが

「私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」

と言ったとおりになります。けれど船を操る水夫たちも、パウロを護送するローマ兵たちも、パウロの言葉を信じたわけではないし、パウロに一目置くようになっていたわけでもありません。もうパウロが信頼されていたと勘違いしそうになりますが、まだです。水夫たちはベテランの感覚で陸地が近いと気づいて水深から確かめました。ところがそれなら自分たちだけ助かろうと、錨を降ろすように見せかけて小舟を海に降ろすのですね。これに気づいてパウロが注意を促すと、兵士たちは早合点して、小舟の綱を断ち切って避難の手段を失ってしまいます。この兵士たちもパウロを信頼したわけではなくてピリピリしています。42節では、囚人達が逃げないよう殺してしまおうと計ります。最後まで「パウロの言う通り助かった」と思った様子はありません。まだ不安や疑心が渦巻く中で一喜一憂が続きます。陸地が近いらしいと喜んだり、朝まで待ったり、朝になって見たらどこの陸地かよく分からず、砂浜のある入り江が見えて、錨も舵の綱も切って船を軽くし、帆を上げて風に乗って進む。すると見えない浅瀬に座礁して船首がめり込み、船尾が壊されるほど激しい波に打たれる。最後は、泳げる者は泳ぎ、泳げない者は何かに捕まって、もう本当に二転三転、船も気持ちも浮き沈みを繰り返しての上陸だったのです。

 私は泳げないカナヅチですから、この場にいたら最後まで生きた心地がしなかったでしょう。パウロの言葉があっても、いいえ直接主が幻で現れて、

「恐れることはありません」

と言ってくださったとしても、それでも次々に起きる困難に、意気消沈したり怖じ気づいたり、泣き喚いたかもしれません。主がともにいてくださるとは、すべて順調でスムーズに行くことではありませんね。まさに下が見えない海の船旅です。浅いのか深いのか。凪かと思えば嵐になり、遠くまで運ばれて、そう旅立った人が二度と帰ってこない。聖書で海は恐怖や死と結びつけられていて、黙示録には

「新しい天と新しい地」

には

「海がない」

と言われるぐらいです。(ヨハネの黙示録二一章一節)そういう「海」の旅路を、翻弄されつつ、色々な出来事や嵐の中でも主はともにおられて歩み続けるのです。

 それは「人間の努力が無意味だ」ということではありません。パニック映画には、祈るだけで何もしない信心深い人たちが出て来ますが[2]、パウロは「天命を信じて人事を尽くす」人でした。水夫たちの働き、経験値や役割を認めています。水夫が逃げようとするのを放っては置かず、「助かるためには彼らが必要だ」と逃がさせない。現実的なパウロの姿が印象的です。

2.パンを裂き

 何よりもパウロの行動は、食事を勧めたことですね。嵐で絶望して食欲も失せていたのか、取っておいたのか。十四日丸々絶食していたかはともかく、腹ぺこでは上陸出来ません。パウロが食事を勧め、自分からパンを取って、神に感謝の祈りをささげて、裂いてパクパク食べ始めた。その姿に

36それで皆も元気づけられ、食事をした。」

のです。22節でも25節でもパウロは

「元気を出しなさい」

と言っていました。その言葉がやっと今パウロの食事の姿を通して、届いたのです。ここでパウロがパンを取り、感謝の祈りをささげて、裂いて、食べた、というのは明らかに聖餐式を思わせます。教会の礼拝で、パンを取り裂いてキリストが十字架で裂かれた体を覚える、あの聖餐式と同じ言葉遣いです。とはいえぶどう酒はなかったのですし、パウロは一人で食べ始めていますから「聖餐式を行った」のではないでしょう。それでも聖餐式を思わせます。主がご自分のいのちを献げて、苦しみの死をもってしてまで、私たちに救いを下さいました。キリストの十字架を思う時、私たちは希望を持つことが出来ます。パンを裂く時、私たちはキリストによって、一つとされていることをありありと味わいます。聖餐式ではなくとも、パウロが嵐の中で、希望をもってみんなに食事を勧めて、神への感謝を祈りつつパンを裂き、飄々とムシャムシャ食べている姿は、確かに皆を元気づけました。私たちも嵐の中でもパンを食べ、キリストからの命を味わって証しをするのです。

 この時パウロは34節で

「あなたがたは助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません」

と言います。これはイエスも使われた「失うことは何もない」という強調表現です。文字通りとは思いません。人は何がなくても、毎日50本から100本の髪の毛が抜けるそうです。それ以上に、積み荷は失い、船も失い、手荷物も持ち出せなかった。こういう状態は「何もかも失った」と言わないでしょうか? 「髪の毛一本失われない」よりも荷物を、自分の財産、地位、人生を返してくれ、と言われるとは思わなかったのでしょうか。

 ここに大事なポイントがあります。荷物も船も、髪の毛と同じくいずれは必ず失われます。私たちの持ち物や仕事、立場や生活スタイル、健康や人間関係、多くのものは脆いものなのです。私たちはそれを失った時に愕然として、「どうして?」と不公平な目にあったように思ったり、神は意地悪だと腹を立てたりしますが、神が「失われることはない」と仰ったのは、そういう人間の期待とは違う意味でした。イエスは

「人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではない」[3]

と仰いました。それは、積み荷より何より大事な体験です。

3.全員が無事に

 船長たちは積み荷や商売の事に目が眩んで、無謀にも嵐の中に船出してしまいました。結局そのために、積み荷も船も海の藻屑にしてしまいました。最後には、全員のいのちだけが助かりました。嵐の中をくぐり抜けて、いのちだけが助かり、他のものはすべて失ったようでした。でもその人に対してパウロは言うのです。「髪の毛一本も失われなかったね。よかったねぇ~」と。「生きてくれて良かった。助かってくれて良かった。あなたがいるだけで良かった。失ったと言わなきゃならないものなんて何もない」。それは何と有り難いことでしょう[4]

 先にパウロはコリント人への手紙で、人生を建物に例えてこう書いていました。

「だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。」[5]

 木や草や藁、焼けてなくなるようなものを頼みとして生きてきて、最後は全部を失ってしまうこともある。なくなるものを頼みにしてきて、最後に全部を失うことはひどい損害です。でも、「だからその人もダメだ」ではなくて、

「その人自身は火の中をくぐるようにして助かります」。

 人生を無駄にしたとしても神はその私たちを受け入れてくださる。喜んで迎えてくださるのが神です。パウロはそういう言葉を語っています。そして、この最後で、人々が上陸したことを

「こうして全員が無事に陸に着いた」

と言い切っていますね。

 自分さえ助かればと小舟に乗ろうとした水夫もいました。兵士たちは、保身のため囚人達を殺そうとしました。でも、そういう企みも、船や積み荷ごと神は引っ繰り返されました。人の命よりも物や面子を重んじてしまうような生き方を神は引っ繰り返されます。私たちも、失うようなものを全部失って、嵐の中をくぐり抜けた時、「あの時、あんなことさえしなければ」とか「積み荷も船も失った」と損を数え上げたり、失敗を非難し合ったりするのでしょうか。いいえ、何もかも失ったようでも、「あなたが無事で善かった、命が助かったのだから、何も失わなかった」と言えるなんて素晴らしいことではないでしょうか。この神との出会いが、今ここでの私たちの生き方も変え始めています[6]。私たちの命を喜ばれる神の視点によって、今ここで、嵐の中でも神に感謝を献げ、パンを分け合う場が教会です。嵐の中、一喜一憂する中、パウロのように「元気を出そう」と励まし、助け合うように変えられましょう。浮き沈みの絶えない世界だからこそ、お互いの無事を喜び、神に感謝していく。そのための教会です。

「主よ。外に嵐がある中、今日も私たちはここであなたの善き力に信頼をし、感謝と希望を確かめています。パンを裂き、主の恵みを分かち合っています。嵐や困難に揉まれ、最後には死をくぐって、何も持って行くことは出来ませんが、失ったと言えるものは何一つないと言えるゴールがあります。その途上で、どうぞ助け合い励まし合う歩みを今週も育てさせてください」



[1] 「使徒の働き」を一章ずつ読んで来ましたが、最後の二七、二八章はじっくりと二回ずつ読みたいと思いました。今日は二七章の後半、嵐にあって船が流され絶望した状況から、陸地に辿り着いて、最後は全員が助かるという顛末です。リアルな映画で観たいシーンです。

[2] 「タイタニック」「ポセイドンアドベンチャー」など。「神が守ってくださるのだから」と無理をするか何もしないか、どっちか極端になりがちです。

[3] ルカ十二15「そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

[4] ルカ二一18にも「しかし、あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません。」とイエスが同じ言葉を仰っていますが、その前後関係は「10「それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、11大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。12しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します。13それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。14ですから、どう弁明するかは、あらかじめ考えない、と心に決めておきなさい。15あなたがたに反対するどんな人も、対抗したり反論したりできないことばと知恵を、わたしが与えるからです。16あなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにも裏切られます。中には殺される人もいます。17また、わたしの名のために、すべての人に憎まれます。18しかし、あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません。19あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい。」という迫害の文脈です。

[5] Ⅰコリント十13。

[6] この経験は、船や積み荷は失う、という知恵をもたらしてくれました。また、自分だけ助かればいい、という水夫たちのような個人主義でもないし、集団として助かるためには囚人は殺して逃がさないという兵士たちのような全体主義でもないことを学ぶ経験でもありました。それぞれが協力し合いつつ、全員を生かすようなあり方へと導かれて行く物語です。

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使徒の働き二七章1-20節「絶望の中の希望」

2018-07-01 16:05:50 | 使徒の働き

2018/7/1 使徒の働き二七章1-20節「絶望の中の希望」

 使徒の働きの最後の二章はパウロがローマまで辿り着く旅行記です。あっさり省略して「嵐もあったがローマに着いた」でも良いのにあえて詳しく書きます。聖歌の「人生の海の嵐に」を思い起こす、そしてあの聖歌のように人生の嵐に悩む時の慰めになってくれる結びです。

1.旅の流れ

 この27章前半は地図を見ながら読んだ方が分かるでしょう[1]。カイサリアからシドン、キプロスの島陰、キリキアとパンフィリアの沖、リキアのミラ港に入港というコースです。

「アドラミティオ」

はエーゲ海北東の町でそこに帰って行く船を利用したのでしょう。そしてミラでアレクサンドリアの船に乗り換え、クニドへ、四国ほどの幅のクレタ島の島陰に入り

「良い港」

に着いた。二度も

「やっとのことで」

と相当風向きに難儀をして、1400kmの旅は、予定よりも大幅に遅れてしまったのです。

9節「かなりの時が経過し、断食の日もすでに過ぎていた」。

 この「断食の日」はイスラエルのカレンダーで10月頃に祝われる「贖いの日」の事ですが、地中海の船旅は9月の半ばを過ぎるともう危険で、11月11日から3月10日までは航海は行わなかったそうです。既にここまでで風は強い年でしたから、危険は予測できました。ですが、船長や船主はもう少し西の港に行きたいと欲を出してしまう。13節で穏やかな南風が吹いたのをこれ幸いと船を出します。しかし直ぐに暴風が叩き付けて船は流されてしまう。小舟を引き寄せ、綱を巻き、浅瀬に乗り上げないように、と必死です。翌日には積み荷を捨て、三日目には船具さえ投げ捨てますが、何日も真っ暗な中を揉まれながら過ごします。

「私たちが助かる望みも今や完全に断たれようとしていた」

という心境で何日もした頃[2]、パウロが立ち、

21…言った。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。

22しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もいません。失われるのは船だけです。

23昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、

24こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』

25ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。

26私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。

2.パウロの発言

 確かにパウロが最初に言ったように、クレタの港でパウロは警告していました。その通りになりました。パウロは船乗りではありませんが、船旅をして、Ⅱコリント十一25では

「難船したことも三度」

と言うほどの経験がありました[3]。また、船乗りの判断を当てにしたら危険なことも経験していたのでしょう。あそこで向こう見ずに船を出さず、賢く行動していたら良かった。そうすればこんな嵐に遭って結局積み荷も捨てて命まで絶望的な思いをすることはなかったでしょう。愚かな行動の結果、どんなに悔やんでも取り返しは付かないのです。

 しかし、パウロの要点はその非難ではありません。責めて後悔させて、自分が正しかったのだと今更の発言をしたかったのではないのです。その後の

「元気を出しなさい」

がパウロの要点なのです。この絶望的な状況も、絶望ではない、そこから希望を持つことが出来る。神は人間にとって、望みが絶たれたように思える状況、愚かな選択のどうしようもない結果、太陽も星も見えない真っ暗な嵐の中でさえ、希望を語ってくださる神です。パウロはその希望を宣言するのです。元気を出しなさい、と語るために立ったのであって、責めるためではありません。

 パウロがただ宗教熱心なだけでこの生ける神、創造主なる神を知らなかったらどうでしょう。ここで人々を非難して「やっぱり私が正しかった」と見下したでしょう。その後の希望も、「悔い改めたら救われる」と条件付きの救いだったような気もします。でもそうではなかった。パウロがこの時に語ったのは、夕べ主がパウロの枕元に立って

「恐れることはありません。パウロよ」

と語って、将来を約束してくださったからです。そして、パウロは自分だけが助かってローマに行けたら良い、こんな傲慢で罰当たりな連中は滅びたらいい、などとは思っていなかった。だからこそ、主との間に同船者たちの安全も話題になったのでしょう。そして、この希望が語れるまで、パウロは黙っていました。「だから言ったのに」という嫌みならいつでも言えたのに、そんな言っても仕方のないことは言わなかった。主の幻で希望がハッキリした時、初めて、立ち上がって語りかけたのです。責めるためではなく、また、この機に乗じて悔い改めや信仰を持たせるためではなく、あるいは空望みや曖昧な慰めを語るためでもなく、自分の神である方がハッキリと与えてくださった希望を、一人一人に語るため、励ますためでした。

3.神の冒険

 「使徒の働き」の最初でルカは本書の内容を

「イエスが行い始め、教え始められたこと」

と切り出しました。イエスがなさったことはもう終わったのではなく、始まりでした。イエスは今も教会に、また教会を通して働いておられ、教えておられる。人を変え、ユダヤ人と異邦人を和解させ、絶望の中に希望を語られます。死で終わりでなく、復活という望みがある。ただの道徳や宗教ではない、イエスが生きておられ、今も働いて、命の業をなさっている。そういう御業が、この最後のパウロのローマへ行く旅路に本当に力強く現されているのです。

 今も舟は人間社会や人生の譬えに使われますが[4]、聖書にも船は度々出て来ます。弟子たちは既にイエスの話を聞いて、神の国の教えやイエスの語る素晴らしい希望に心燃やされる思いをしていたはずです。群衆がその話を聞きに大挙してきたぐらい、イエスの話に元気をもらっていたのです。しかしその後、船に乗って嵐に遭ったら、途端に恐れて信仰も吹っ飛んでしまいました。でも「だからダメ」じゃない。しくじって、間違ってしまうのが人間です。そしてそういう弟子たちとイエスはいてくださる。今日の箇所もそうです。パウロの語るイエスが、嵐の中でもともにおられて、絶望的な状況から生還させてくださったのです。

 パウロは「自分の言ったとおりにしなかったから嵐に遭った」とは言いません。最初から強い向かい風だったのです。パウロは現実主義者です。「信じて祈れば嵐も恐れない」と強行突破しようとはしません。嵐がある、思うままにならない。

「良い港」

と思ったら冬を越すには適さない。それでも待った方がよい時があります。ちょっと穏やかな風が吹いて、やったと思って動き出したら暴風に襲われる。判断を間違えてしまう。そういうあれもこれもひっくるめた冒険なのです。そして神はそういう歩みを紡がれるのです。向かい風に悩まされ、明らかな警告無視で漂ったりしても、そこからさえイエスは道を開いてくださる。望みが完全に絶たれたような中にも、そこで新しい事を創造してくださる。希望を持たせて下さる。私たちが信じられなくても、神は私たちを導いて、船旅を最後まで導いてくださる。そして私たちが無謀な愚かな行動をしたり、絶望したりせず、人生に十分取り組めるよう助けてくださるのです。

 海外宣教週間です。宣教師の報告には、その働きが順調で、成果が見えることばかりを期待しやすいものです。実際には、そこにいる方々との個人的な関わりや思うままにならない状況で待たされたり思いがけない関わりをしたり、宣教師やご家族が深く心を探られたり取り扱われている様子が伝えられます。単純ではない、人間的で人が大事にされる出来事が、今も続けられています。イエスは今も生きて働き続けておられます。待ちきれず、欲を出して判断を誤り、嵐にもまれて神も希望も失ってしまうような私たちの中に、イエスは働いて下さっています。この方から希望を戴いて、元気を戴いて、その元気を無条件に分かち合っていきましょう。

「主よ、あなたは私たちの主、私たちはあなたのものです。造り主なるあなたが、今も私たちの旅路にあなたの物語を紡いでおられます。船もこの体も世界も壊れますが、そこにもあなたの御手を信じて手を開きます。変えられない過去を責める思いから救い出してください。失敗や嵐や絶望を見据え、そこにもあなたの創造の御業を信じて、慎みをもって歩ませてください」



[1] ルカはこの「使徒の働き」を、当時の地理感覚がある読者に書いています。ですから、その地理感覚がない読者は、地図や資料で理解した方がより分かります。それがないままだと、全く見当違いな読み方をしかねません。

[2] 19節には「三日目」、27節には「十四日目」とありますから、その間、一週間か十日経った頃でしょう。

[3] Ⅱコリント十一25「ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。」

[4] 古歌に「世は海よ身は浮き舟よ 心をば 舵とぞ思い 心して漕げ」というのがあるそうですが、その他多数・・・。

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使徒の働き二六章1-18節「神にお帰りなさい」

2018-06-17 21:24:25 | 使徒の働き

2018/6/17 使徒の働き二六章1-18節「神にお帰りなさい」

 新約聖書の三割の著者で、最大の伝道者で神学者である使徒パウロが、以前は教会の最大の迫害者だった事実はそれ自体、最大級のメッセージです。だからでしょう、使徒の働きではパウロが迫害者だった真っ最中にキリストに出会った出来事が三度記されています。今日の箇所はその三回目、パウロが

忍耐をもってお聞きくださるよう」

と話し始める証しです。

1.若い頃からの望み

 パウロの話は三回とも微妙な所で結構違います。話す相手や状況に応じて、伝え方を変えています。いつも紋切り型の同じ話も悪くないでしょうが、パウロは相手に合わせてアレンジした人です。特に今日の所では、目が見えなくなった事や、アナニヤが来て祈ってくれて視力が回復した事は端折っています。では強調点はどこでしょう。それはパウロが今キリスト者として持っている

「希望」

だと思います。神が約束して下さった望み。23節の最後では

「光」

とも言い換えられます。「希望の光」です。そしてパウロはそれを、自分が若い時、パリサイ人として厳格に生きてきたときから待ち望んでいた約束だと言っています。更には、この弁明を取り仕切っているアグリッパ王も、ユダヤ人の慣習や問題に精通しておられるのだから、あなたにも分かるはずだ、と言っているのです[1]。いや、むしろアグリッパ王が、ユダヤ人の文化や聖書の知識にもかなり通じているからこそ、その聖書の希望を接点として、自分の証しをアレンジして、希望という切り口の話に仕上げて語りたい気持ちが伝わってくるのです。

 パウロ自身、今キリストから希望を頂いていますが、最初はそれが分からず、ナザレのイエスの名に対して、徹底して反対すべきだと考えていました。教会を猛烈に弾圧して、激しい怒りに燃えていた。そうしてダマスコへ向かう道、真昼に太陽よりも明るく輝く光に打たれて、「サウロ、サウロ」と自分に語りかける声を聞いたのです。

14「…サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。」

15私が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、主はこう言われました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

16起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。

17わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。

18それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。」

2.神に立ち返る歩みの始まり

 パウロは神を信じて聖書の希望を待ち望みつつも、その希望を成就してくださったのがナザレのイエスだとは信じられませんでした。だから一生懸命迫害していました。それをイエスは

「棘の付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」

と仰います。これは「天に向かって唾を吐く」、つまり自分に帰ってくる、というような諺でしょう。キリストに反対するのは、結局、自分が痛い思いをすることでしかないのです。しかし主が現れたのは、パウロを責めたり怒ったりするためではありません。パウロがキリストを知り、キリストを信じる信仰によって罪の赦しを戴いて、その事を他の人にも伝えるよう、主はパウロを遣わすためだったのです。

 神は人間を

「闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ」

てくださいます。イエスを信じれば、罪の赦しだけでなく、多くの人と一緒に聖とされ、一緒に神の相続人にさえして頂くのです[2]。神は私たちに「お帰りなさい」と言って迎え入れてくださる方です。私たちが神に逆らい、神に唾を吐いたり蹴りつけたり不届きな生き方をしていても、神はキリストをこの世界に送ってくださいました[3]。22節23節では、預言者やモーセ、つまり聖書に書かれてあるのは

「キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになる」

という知らせだと言っています。パウロは若い頃から聖書を学んで、聖書に厳格に生きようとしていました。しかし聖書でもっと大事なことは、神御自身が人間の所に来られて、苦しみを受けて、死にまで謙ってくださって、そこから復活されて、光となってくださる、というメッセージです。それこそ預言者やモーセの予告していた事です。

 そうして神の側から来られたキリストを信じて、神に立ち帰るのが「悔い改め」です。罪を反省する以上に、神に立ち帰ることです。そして、そうして神の元に帰る時、それに相応しい生き方が始まります。神がお帰りと言ってくださっている。自分には永遠の居場所がある。自分の闇も苦しみも、間違いも全部知った上で受け入れてくださる神がおられ、また、同じように神にお帰りと言ってくださる大勢の人たちの中に自分がいる。そう知った者としての相応しい生き方、新しい歩み方、人との関わり方を励ますのが、パウロの宣教でした。

3.私のようになってほしい

 二六章後半で、パウロの弁明を聞いていたフェストゥスもアグリッパ王も、パウロの言葉に激しく抵抗を見せますね。それに対してのパウロの最終的な答が29節にあります。

29…私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」

 今パウロの前にいるのは王や総督たち、有力者たちです。彼らに対してパウロは

「私のようになってくださること」

を神に願っているというのです。パウロは鎖に繫がれた惨めな未決囚です。過去を振り返れば、教会を激しく迫害して、暴力的に御名を汚させたり徹底して多くの聖徒を苦しめた、消えない負い目を持っています。今でも自分は罪人の頭だと自認しています。それでも「私のようになって」ほしいと言います。そういう私にキリストが出会ってくださり、誰もが望んでいる希望を下さった。努力とか王や総督の地位や財力でも決して手に入らない希望を頂いた。それゆえパウロは「自分のようになってほしい」と思えました。

 断じて自分のように伝道して説教して、立派に生きて、という自慢ではないです。彼は自分の問題や悲しみにもとても率直です[4]。そういうのです。希望よりも怒り狂って生きていた自分にキリストが出会ってくださいました。自分の帰りを大喜びして迎えてくださる神と出会った、その一点です。立派な偉人とか道徳的に完璧とかではなくて、欠けも限界も、変えられない過去もあって、将来も失敗や間違いをせずには生きられない自分だけれど、そういう自分にも帰る家がある。お帰りと受け入れて下さる神がおられる。そうして神に立ち帰らせてもらった時、生き方も変わりました。かつては人を断罪して怒って責めなきゃという生き方でした。自分は異邦人でなくて善かった、という生き方でした。それがここで異邦人にも落ち着いて語り、心を込めてキリストとの出会いを願うように変わっています。「あなたのようでなくて善かった」という上から目線でなく、自分の失敗も後悔も鎖も差し出しながら「キリストの光をいただいた私のようになってほしいなぁ」と願うのです。

 誤解を恐れず言えば、キリスト者になると「私のようになってほしい」と思える人になるのです。神は私たちにそう思って欲しいのです。「『私のようになって』と言える立派なキリスト者になる」とは違います。立派ではなく、正直言えば、問題や傲慢も悩みもあります。鎖や病気や大変な目にも遭います。キリストに従い切れない自分に悩まずにおれません。でもそのままの自分を迎えてくださるキリストとの出会いが有り難い。その希望に立ってどんな問題にも絶望せずに向き合える。その鎖は別、あれやこれの「別にして」は沢山あっても、それでも本当にキリストと出会って善かった。それをどの人にも分かち合いたいと願って行きたいのです。

「主よ。あなたが私たちの人生をも照らして、最高の希望を下さいました。闇から光に立ち帰り、罪から神に立ち帰らせてくださいました。本当に有難うございます。キリストの苦しみと私たちへの光を深く味わわせて、この世界にあってこの世界のものではなく、光を心に戴いたものとして生かしてください。そうすることによって私たちをあなたの光としてください」



[1] パウロの弁明は、キリストが下さる望みが、キリスト者だけの特権や独占的なものではなく、ユダヤ人やアグリッパ王もよく知っているはずの希望だ、というアプローチを取っています。人の罪を責め、そこから神に立ち帰る、という「糾弾型」のアプローチではありません。「共通善」から説き起こし、その「善(希望)」こそ福音によって与えられるものである、という論法です。

[2] ユダヤ人だから救われるとか、善い行いをすれば罪が赦されるとかではない。神に立ち戻る人、教会に来る人なら良くして上げよう、というのではない。神の方から人間の所に来られて、あるいはパウロを遣わされて、神に立ち返らせてくださる。主を信じる信仰をもらって、もう罪を赦された者として、神が将来のご計画を相続させて下さる希望を持って生きるようにしてくださる。そういう神なのです。

[3] 神の光に背を向けて、世間の成功や幸せや楽しさを求めて生きています。サタンと言われるように、悪い力、間違った考えにどっぷり浸かっています。皆に希望を与えることも出来ないし、希望を下さる神がおられると伝える事もない、闇の中に生きているのです。

[4] 自分だけでなく、どの人にもそういう約束が届けられる。誰でもそういう希望に憧れているなら、キリストから頂けます。苦しい思いをしなくても、キリストが代わりに苦しんでくださってプレゼントしてくださるのです。

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