物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

じじいだからと言って

2015-07-18 10:25:37 | 日記
元自民党の国会議員だった方が数人集まって「じじいだからと言ってもう黙っておくわけにはいかん」というので安保法案に反対する記者会見を数日前にした。

年をとってもなかなかの気概であり、多くの人が頼もしく思ったものだ。というのはもう自民党の国会議員もごく少数を除いて安保法制に表向き反対する人はいない。こういうことではもう自民党など信用できないと私など思っている。

それだのに自分が昔所属していた、自民党の安保法案に危惧の念を表明した勇気ある行動だった。

これらの方々の勇気を称賛すると同時にここではちょっと別のことにも注意をしてみたい。

それは男性の老人が自分のたちのこと「じじいだからと言って」というのはまあ許されるが、老年の女性が自分たちのことを「ばばあだからと言って」とは言えないだろうと思う。これは私が老人のせいかもしれないが、どうも自分が自嘲的にそう言ったとしても響きが悪い。どうも年には関係なく女性の口にする表現ではなさそうだ。

もっともこういう表現をする有識者の女性の老人は幸いなことにいない。別に女性だから特別な言葉遣いをせよというつもりはないのだが、どうもそういう風に思ってしまう。

「くそばばあ」などという憎まれ口は若い男または女がときどき中年の女性に対して発するすることを聞いたりするが、それも御愛嬌だなどと思ったことは一度もない。すくなくとも私はそういうことばを話し言葉として使ったことはいままではない。多分これからも使うことはないだろうし、フィクションでも書くこともないだろう。今、使ったではないかと言われればそうではあるが。

だから、なんでも男性に許されるから、女性にも許されるということはない。それは女子サッカーや女子ラグビーとかまでくらいにしてほしい。しかし、スポーツでは男性がするくらいのスポーツは女性もするというのはいまでは常識であろう。

von et. verschont bleiben

2015-07-17 13:47:10 | 日記
von et. verschont bleibenといういい方(Redewendugnen)は知らなかった。いま辞書で調べたら、「事(3格)の被害を受けずに済む」という訳語があった(注)。

こういういい方は必要が出てくるまで知ることはないものである。一昨日だがドイツ語のクラスについて、R氏からクラスの中止の要請があった。

それによると

Lieber Herr ・・・,
obwohl Matsuyama meistens von Taifunen verschont bleibt, scheint es diesmal doch so zu sein, dass der Taifun diese Woche doch sehr an uns vorbeikommt und wir doch etwas abbekommen.

Nach den Wetterberichten, die wir heute gesehen haben, geht es wohl schon am Donnerstag nachmittag auch schon mit dem Wind los. Um nicht die Sicherheit aller zu gef"ahrden, w"urde ich folgendes vorschlagen: ・・・

というような文章だった。

ここにタイトルのvon Taifunen verschont bleibtといういい方が出てくる。冒頭でも述べたが、この意味は「台風の被害はこれまで受けることがなかったが」というような意味であった。

もちろん、このようないい方はまったく知らなかったので、今回初めて知ったというわけである。von et verschont bleibenといういい方はどの独和辞典にでも出ているわけではなく、かなり収録語数の多い独和辞典でないと出ていない。

またabbekommenという語も知らなかった。辞書を引いてみると「損害を被る」というような意味である。abbekommenというところがはじめabbeとkommenと見たので変だなと思ってよく見たら、前綴りabにbekommenがついたものであった。

歳をとっても覚えることは多い。

(注)verschontは動詞verschonenの過去分詞である。このことばの前綴りverをとり除くとschonenという部分がある。ここでschonenという語を思い出す人はドイツ語をかなり学んでいる人であろう。

Schonen Sie sich !とは「お体を大切に」という意味である。これは再帰動詞としての用法だが、他動詞としてのschonenは「(人・健康などを)大事にする、いたわる、(物を)大切に扱う」という意味がある。またet.はetwasの省略形である。etだけ見れば、フランス語のet (英語のand)とまちがえる可能性がある。

妻はverschonenという語を聞いてschonという語を思い出したようだ。このschonは副詞で「もう」だとか「すでに」という意味に使われる普通の語だが、いろいろの場合にとてもよく使われる。


台風直撃か

2015-07-16 11:56:08 | 日記
まだ、実感はないが、台風が近づいている。

気象予報では進路の予報円のちょうど真ん中に松山はあたっている。もし直撃ならば多分40数年ぶりである。

子どもが生まれて間がなかったころに松山市が台風の直撃を受けたことがある。このころ市の西部に位置する、大学の宿舎に住んでいたが、北側の窓辺は壁とか窓から雨がしみ込んで来てあわてて窓際の畳を床から上げた思い出がある。当然大学には行けなかったので、一日台風が通り過ぎるのを待っていた。

風と雨のすごさはかつて経験したことがなかったほどだったが、あるときに一時的に青空が見えてきて、台風の眼が松山を通過したということを悟った。

このときには台風の進路の右側にあった今治市では屋根の瓦が飛んだりしたと後で聞いた。被害は台風の進路の右側が左側よりもひどいという。

これは台風の進む速さと台風に向かって吹き込む風とが合わさって風の害が大きくなるのだと聞いている。左側は風の向きと台風の進む方向とが反対であるから、風の強さが相殺されてそれほどひどくはない。

そう言われれば、そうかもしれない。


ドイツ語圏とその文化

2015-07-15 11:52:51 | 日記
「ドイツ語圏とその文化」というメール発行のサーキュラーを不定期に出している。

何号まで出したか覚えていない。多分4号まで出したと思うのだが。

それもいつ出したのか忘れている。もういい加減にしたらという自分の声も聞こえてくる。ところが不思議なもので、しばらくご無沙汰にしているとなんとかつづきを出したくなってくる。

今回思いついたことはドイツ語 技能検定試験の受験の経験について書くことである。すでにこのブログでも解答の一部を検討したが、それを再録してもいいのではないかと思い出した。

それに先号を発行した後で作家のギュンター・グラースが亡くなった。私は文学には暗いけれどもいつだったかテレビで見た「ブリキの太鼓」は深い印象を残した。

そういうテーマがいくつかできたので新しい号を準備してもいいのではないかと思っている。

それと最近のドイツ語の学習者の推移が気にかかる。少なくとも大学でのドイツ語の先生の数は激減している。

そのことがいいことななのかといえば、もちろんあまりいいことではない。もちろん、外国語はドイツ語だけではないし、タガログ語だってハングルだって、はたまた、中国語だって大切なのはまちがいがない。

外国語は英語だけでいいと思っているわけではなかろうが、どうもそうかと思われる風潮には断固として反対である。

安保法案のいくえ

2015-07-14 12:18:09 | 日記
「安保法案のいくえ」などというテーマでブログを書かなけらばならないと思うと悔しい。

絶対的多数を国会で自民・公明で占めているので、いくら国会外でおかしいだのとか憲法違反だとか言っても結局は多数の意見ということで押し通すであろう。

それにしても経済が比較的見通しがいいからということで得た、多数をこういうことに使うのはどうだろうか。

アベノミクスと言われる経済政策もうまくいっているのは日銀の金融緩和策ぐらいであって後は上手く行っているという保証はまったくない。

それだのに国立競技所は2500億円の金を使ってやるという。「私が首相だから安保法制は絶対大丈夫だ」と言って国会で答弁して見ても自分が首相をする期間は歴史的に見れば、ごくわずかの期間である。それに福島の原発の影響は完全にコントロールされているなどと国際的に大ウソを少しの良心の仮借もなしにいうことのできる人の言うことなど誰が信用できるだろうか。

辛抱強い、日本の社会もやはり安保法制の真偽のしかたや説明がおかしいのではないかと内閣支持率が下がって、不支持の方が上回った。これが一時的な現象なのかどうかはわからないけれども、国民の70%近くは生活がよくなったとは思っていないという。

一部の株式を持っている方々だけ18%ほどが生活が改善されたという。誰も改善されないよりもいいけれど、非正規雇用の社会で所得が減少している。それに1000兆円を超える国の負債である。このことをどうするか真剣に考えないでギリシャの問題を他人事のように論ずることなど私にはできない。

ギリシャと日本が事情が違うのは国債を買っているのは大抵日本人だということくらいである。私はあまり多額ではないが、国債をもっていたが、それも10年の償還日が来たので昨日全部を定期預金に切り替えた。

どうしても入用になったときに少しづつ国債を売り払ってもう少額しか残っていなかった。それでも雀の涙ほどもっていたが、それも止めた。これは年金だけでは生活ができないので、すぐに普通預金の残高額がなくなり、オーバ―ローンになるのだが、そのときのために定期預金をいくらか持っておく必要があるからである。

それとても多額のオーバーローンは許されない。

中国との緊張感をことさらあおり、軍事産業が儲かるように仕向けているのはほかなならぬ首相を大将とする、政府、自民党である。

中国の方も自分たちの政府への抗議をそらすためとか、将来を見据えた資源確保の狙いもあって拡張主義が目立つことはいうまでもないが、国境紛争でも軍事衝突を繰り返した中ソの国境でも最後は外交的手段で決着がつけられたと聞く。

国境紛争の専門家は最終的に軍事的な力で紛争では解決しないと断言している。一時的にはそういうことも可能かかもしれないが、やはり恒久的にはそれはできないのである。

例えば、戦前の日本であるが、力であちこち(朝鮮、満州、台湾等)に出て行っては支配をしていたが、それはたかだか数十年のことである。なんでもほぼ十年のスパンで見れば、解決は穏当なところに落ち着かざるをえない。

それができない国家は滅びるしかない。


腰痛は半分くらい幻か

2015-07-13 14:54:32 | 日記
腰痛の人は280万人もいるとかいう。

しかし、その半分くらいは頭が感じる腰痛であって、症状としては腰に原因があるのではないとNHKの日曜の放送で見た。

「ためしてガッテン」でも腰痛を取上げていたが、慢性の腰痛の大半は脳に問題があるのだという。それで新しい心理学的療法が試みられるようになってきたとか。

まだ、日本では腰痛に心理学的療法は保険適用にはなっていないというが、早急に心理学療法を取り入れる必要がありそうだ。そうすることによって腰痛の治療にかかる費用を削減することが将来可能になるであろう。

厚生労働省の英断が求められる。

S先生の追悼集

2015-07-13 14:33:30 | 日記
H大学の素粒子論研究室の同窓生を中心にして、この研究室の出身であった S さんの追悼集を発行して土曜だったかにメールで発送した。

しかし、二人を除いて応答なしであった。そんなものかもしれないが、手ごたえのなさが気にかかる。まだ数人のメールをもっていない人のためにプリントをして送る作業が残っている。

「数学・物理通信」の別冊とすることも考えられたが、共同編集者の N さんの了解を得るのが面倒だったので、独自発行とした。

妻などももう亡くなった人のことに世話を焼く私にあきれているが、さすがに文句まではいわなかった。「数学・物理通信」の物理系の読者の方々にこの追悼集を送ることも考えている。

原稿はだいぶ前にできあがっていたが、自分が書いたところを中心にして文章を修正した。約1か月ほど原稿を寝かせておいたことがよかったと思う。

しっかりしろ、NHK

2015-07-13 12:11:24 | 日記
一連の安保法制に反対するマスコミは朝日、毎日新聞くらいでテレビは少なくともNHKはあまり議論がない。

ニュース報道としてはNHkもしていないわけではないだろうが、議論としてはほとんど、あるいは、まったくしていない。

こんなことでは公共放送としてのNHKの名が廃るではないか。個々の記者としては安保法制に疑問を感じたりする人はいるのだろうが、それが放送に反映されない。特にそれを討論する番組が組まれない。

NHKのヘッドからしておかしいのだから全体がおかしくなるのはしかたがないとしても、「しっかりしろNHK」と言いたい。

こういうことでは放送料金の支払いを拒否したくもなる。イギリスのBBCが時の政府に批判的な放送を堂々とするのに比べても最近のNHKの委縮ぶりがひどい。

個々の放送では頑張っていても、大きな大勢としてはもうNHKは御用放送だと心ある人に密かに思われても一言もあるまい。時の政権に対する批判ができなくなったら、マスコミの価値はない。

妻も先週の土曜の年金問題の討論番組を見て、「なぜ三宅民夫さんは安保法制の討論番組をしないのだ」といらいらしていた。もっともNHkを見ているのは私であって、妻はあまりNHKをみない。もうすでに御用放送だと決めつけているみたいだ。

安保法制に反対する学者の数は1万人に迫っている。一般に学者とか研究者というものは世間に疎い者が多いのに、である。

友人から回ってきた安保法制に反対する署名について私が友人や知人にそのメールを転送したら、すぐに書名をしてくれる人が多かった。

私が転送したメールでも10名以上20名くらいの人が署名をしてくれた。私が署名したころは署名数は6300人くらいだったが、それから2週間程経って1万人に迫っている。

もっとも現役の学者や研究者は署名をすることに差しさわりがあると判断される方も多かろう。だから、1万人に近づいて来た署名数は決して少ないとは言えない。私たちは現役の研究者の声も代弁しているつもりである。だから一人は実は一人だけを示しているわけではない。その後ろには数人を代表しているのである。

こんな盛り上がりは1960年ころの安保闘争以来のような気がする。



メダカを売る

2015-07-13 11:39:41 | 日記
「メダカを売る」といってもそう高い値段で売るわけではない。

20匹100円で餌付きで売っているのは妻で松山の来住町にある、生協病院の土曜市で売った。二人の人が買ってくれたという。

大きなペットボトルに20匹くらいのメダカを入れて、水草を浮かべたものを売る。これはもちろん儲けを期待してではない。というのは餌付きでもあるから。

これはお金儲けのためではもちろんなく、人々の楽しみのために売っている。お茶の入っていた、大きなペットボトルを横においてその横っ腹(上側といった方がいいか)に四角い窓を開けて横においてある。その中に20匹ほどのメダカが入っている。

数日、自宅の私がいつもテレビを見るときに座っている座椅子の前においてある座卓の上においてあったメダカがいなくったと思ったら、土曜市で売ったという。

土曜市を見に来た人も100円のメダカくらいなら、買う人がいる。

つい先日も私の家に買っていたメダカをお隣の小学生の兄弟が来て根こそぎすくって持って帰った。これはもちろんタダです。

それで一匹もメダカがいなくなったら、妻が友人からまたメダカをもらって帰って来た。その一部を目玉商品として二つ売ったという。

こういう楽しみ方をするというアイディアを出せるのが妻のいいところである。

双対性

2015-07-11 13:14:10 | 日記
双対性とは「そうついせい」と読む。

数学を大学で学ばれた方は射影幾何学でその概念を学ばれると思う。私の知っていた双対性とは射影幾何学に関係したものであった。

ところが、最近武藤 徹先生から数学メモがメールで送られて来たのだが、それが何に関係した事柄なのかわからなったので、お尋ねのメールを書いた。

そうしたら、数日してHilbert und Con-VossenのAnschauliche Geomtrieの数ページのコピーが添付書類で送られて来た。この本の出版年は1932年である。まだ私が生まれてもいない頃の出版である。

この書は「直観幾何学」の名前で訳本が出ていることを知っていたので、それをインターネットの古本屋で購入した。原著が読めないわけでないだろうが、辞書のお世話にならないと読めそうもなかったからである。

そこで、正多面体の双対性という概念にはじめてお目にかかった。

例えば、正多面体の面の中心を線分で結ぶともう一つの正多面体が生じ、この操作を二度くりかえすともとと相似な正多面体が得られるという。この説明は『数学入門辞典』(岩波書店)の説明から引いた。

が、もっとわかりやすくは瀬山士郎さんの「読む数学」(ベレ出版)には正6面体の頂点の数が8で、面の数が6であるが、正8面体では頂点の数は6で、面の数が8となっており、この二つの多面体では頂点の数と面の数が入れ替わった数になっている。このことが上に書いた事実が成立する根底にある。

射影幾何学ではある命題が正しければ、その命題の中の「点」と「直線」とを入れ替えて「含む」と「含まれる」の関係を逆にした命題もそのまま成り立つ。

このような概念は一般に双対性といわれる。

解析幾何学と題された幾何学の講義でこのような話を聞いたと思う。狭い意味の解析幾何学の話は数学科と合同の解析幾何学の講義は聞かなかったと思う。

直線が集まって一つの曲線や曲面をつくることは包絡線や包絡面のことを考えれば当然であろう。

点が集まって直線をつくるように、直線が集まって一つの点をつくるといった話が主だったような気がする。二次形式の理論で出てくる固有ベクトルと固有値の話もそれとは同じ種類のテーマではなかったかもしれないが、講義を受けた。

森永覚太郎先生は講義のはじめに30分間くらい前回の講義の復習をして下さるのだが、その言われることがわからないという学生が多かった。私も同様であった。たまに「森永さんの講義はよくわかる」と豪語する学生もいないでもなかったが、それはあくまで少数であった。

これは前にも書いたことがあるが、前期の試験が危うく不合格になりそうだったということを先生から伺って後期の試験は精出して勉強をした。

それで、友人が後期の試験が終わった後で私のノートを借りに来て、貸してあげたら、ノートは二度と私のところには帰って来なかった。

そのときに先生が Y のつく名前の学生が比較的成績がいいようだからそれらの学生のだれかにノートを借りて追試の勉強せよと言ったらしい。それで私のところに友人がノートを借りに来たというわけである。

後期の解析幾何の試験の成績は優の評価をもらっていると勝手に思い込んでいたが、何年もしてドイツに留学することになって学部時代の成績を取り寄せてみたら、なんのことはない、単に良の評価でしかなかった。

それに後期は解析幾何学の勉強に時間をかけていたせいで、後期の「微積分学」の単位を落としてしまい、3年生の後期に必死になって勉強しなけらばならなかった。

私たちにとっての鬼門は解析幾何学ではなくて、むしろ微分積分学であるというのが定評であった。

工学部で数学を学んだ人などに誤解してもらいたくないのは微分積分学と題する科目で理学部数学科に対する講義は集合論の基礎を教えるのが、どこの大学でも普通だったから、そこで私たちは躓くことが多かったのである。

sultry(むし暑い)

2015-07-11 12:55:18 | 日記
昨日のブログ「夏が来た」でsch"uwulというドイツ語でいうと書いたら、いつもコメントを下さる「かんちゃん」さんから英語ではsultryというとお教え頂いた。こういう語はアメリカとかイギリスのような英語を話す現地に住んだことのない人には縁のない言葉である(注)。

知らなかった語なので、早速辞書を引いてみたが、もちろん「むし暑い」「暑苦しい」の他に「官能的な」という意味もあった。

これはドイツ語の方もまったく同じような意味がついているので、語源が同じなのであろうか。

一見したところ語源が同じようには見えないのだけれど。「かんちゃん」さんからはさらに覚え方まで「サル、トリ、イヌ、亥」とお教え頂いた。もうこれで忘れることはないだろうか。

いやいや、明日にはもう忘れているかもしれない。

(注)「かんちゃん」さんはアメリカに3年も住まわれて、日本で修められた医学の研鑽をさらに深められた方である。

夏が来た

2015-07-10 11:16:32 | 日記
夏が来た。

一昨日以来、気温が急に変わって来た。夏の到来である。小笠原気団はまだ十分日本列島に張り出してきてはいないが、もうそろそろ梅雨明けであろうか。

7月から8月初めの気候は高温なだけではなく、湿度が高い。いわゆる蒸し暑い。ドイツ語ではこれをschw"ulという。

もっともこのschw"ulの"uをウムラウトをとってder Schwulとすれば名詞でゲイを意味するらしいが、最近ではこの語を特別視することはいけないのであろう。

そういう時代が来たことを喜んでいいのかもしれいない。

そういう余談はさておいて何年日本人をやっていてもこの季節は耐え難い気がする。最近では網戸とかエアコンの普及で夏でも比較的快適に過ごせるようになってきている。それでも高齢者の死亡する時期としては夏と冬がどうしても多くなる。

これは季節の耐え難さもあるのであろうか。

国立競技場

2015-07-10 10:57:06 | 日記
2500億円かかると言われている国立競技場だが、もちろん森元首相と安倍現首相の面子がかかっているのは当然だが、いわゆる公共事業としての性格があると思われる。

この公共事業が意味があるのかないのかはともかくとして大手ゼネコンはこの仕事を引き受ける訳だからそれで潤うという訳である。

こんないい機会は今度を逃すとまた60年後であろう。という訳でいくらマスコミに叩かれようがひっこめるはずがない。

とはいえなんとさもしい根性であろう。もっともゼネコン自身は自分で新しい国立競技場の建設を決めたわけではないし、ただそれを受注するだけとでもいうのだろう。

形の上ではそうだが、そうではない裏があるはずである。安藤忠雄審査員長は日本の技術力の可能性の挑戦と言われたそうである。

それはそうだろうが、それなりに費用がさむことは計算にはいっていないはずはない。どうもグルだと言ってしまえば、身もふたもないが、それが資本主義の企業というものであろう。

そんな話はさすがに新聞にはでないから、新聞とかテレビとかのマスコミといえどもそういうところに踏み込むのはタブーなのであろう。

タブーであることを知ることがまず大事である。

感覚が鈍感になったか

2015-07-09 11:53:18 | 日記
最近でも新聞もテレビも見ているのだが、どうも私の感覚が鈍磨しているのか、このブログで書く内容があまりない。

「100分で名著」でも、TEDでも、はたまた知恵泉でも以前と変わりなく放送がされている。それにも拘わらずである。

これは新聞においてもそうである。鷲田清一さんの「きょうのことば」でもそうである。どうも感覚麻痺に落入っているとしか思えない。

こういう時期もあるのだと思う。じっと我慢の時期である。

離婚が流行る?

2015-07-09 11:21:40 | 日記
離婚が流行る(?)し、のだろうか。

子どもいない夫婦なら離婚もあまりショックではないかもしれないが、子どももおられる夫婦が離婚するのは穏やかではない。

しかし、それぞれの理由があるのであろうが、どうもそういう話を聞く機会が最近ある。多分立ち入った事情を知れば、離婚に至るのもしかたがないのかもしれない。

週刊誌ダネになるような有名な俳優さんやテレビタレントなら離婚もあるのだろうし、生活の心配もないのだろうが、普通の人が離婚に至るのはよほど深い事情があるに違いない。

だから、一概に離婚などしてなどとは言うまいと思う。しかし、そんなに簡単に別れられるものか。もっともそれぞれの事情があるのならしかたがあるまい。

ともかくそういう話を続けて最近聞いたので、どうも印象に残った。