元自民党の国会議員だった方が数人集まって「じじいだからと言ってもう黙っておくわけにはいかん」というので安保法案に反対する記者会見を数日前にした。
年をとってもなかなかの気概であり、多くの人が頼もしく思ったものだ。というのはもう自民党の国会議員もごく少数を除いて安保法制に表向き反対する人はいない。こういうことではもう自民党など信用できないと私など思っている。
それだのに自分が昔所属していた、自民党の安保法案に危惧の念を表明した勇気ある行動だった。
これらの方々の勇気を称賛すると同時にここではちょっと別のことにも注意をしてみたい。
それは男性の老人が自分のたちのこと「じじいだからと言って」というのはまあ許されるが、老年の女性が自分たちのことを「ばばあだからと言って」とは言えないだろうと思う。これは私が老人のせいかもしれないが、どうも自分が自嘲的にそう言ったとしても響きが悪い。どうも年には関係なく女性の口にする表現ではなさそうだ。
もっともこういう表現をする有識者の女性の老人は幸いなことにいない。別に女性だから特別な言葉遣いをせよというつもりはないのだが、どうもそういう風に思ってしまう。
「くそばばあ」などという憎まれ口は若い男または女がときどき中年の女性に対して発するすることを聞いたりするが、それも御愛嬌だなどと思ったことは一度もない。すくなくとも私はそういうことばを話し言葉として使ったことはいままではない。多分これからも使うことはないだろうし、フィクションでも書くこともないだろう。今、使ったではないかと言われればそうではあるが。
だから、なんでも男性に許されるから、女性にも許されるということはない。それは女子サッカーや女子ラグビーとかまでくらいにしてほしい。しかし、スポーツでは男性がするくらいのスポーツは女性もするというのはいまでは常識であろう。
年をとってもなかなかの気概であり、多くの人が頼もしく思ったものだ。というのはもう自民党の国会議員もごく少数を除いて安保法制に表向き反対する人はいない。こういうことではもう自民党など信用できないと私など思っている。
それだのに自分が昔所属していた、自民党の安保法案に危惧の念を表明した勇気ある行動だった。
これらの方々の勇気を称賛すると同時にここではちょっと別のことにも注意をしてみたい。
それは男性の老人が自分のたちのこと「じじいだからと言って」というのはまあ許されるが、老年の女性が自分たちのことを「ばばあだからと言って」とは言えないだろうと思う。これは私が老人のせいかもしれないが、どうも自分が自嘲的にそう言ったとしても響きが悪い。どうも年には関係なく女性の口にする表現ではなさそうだ。
もっともこういう表現をする有識者の女性の老人は幸いなことにいない。別に女性だから特別な言葉遣いをせよというつもりはないのだが、どうもそういう風に思ってしまう。
「くそばばあ」などという憎まれ口は若い男または女がときどき中年の女性に対して発するすることを聞いたりするが、それも御愛嬌だなどと思ったことは一度もない。すくなくとも私はそういうことばを話し言葉として使ったことはいままではない。多分これからも使うことはないだろうし、フィクションでも書くこともないだろう。今、使ったではないかと言われればそうではあるが。
だから、なんでも男性に許されるから、女性にも許されるということはない。それは女子サッカーや女子ラグビーとかまでくらいにしてほしい。しかし、スポーツでは男性がするくらいのスポーツは女性もするというのはいまでは常識であろう。