物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

無料での活動

2015-07-30 17:38:32 | 日記
現代では、無料での活動が大切になっているのではないかと思っている。

私が行っている『数学・物理通信』の発行でも、投稿料などはとっていない。そのせいもあってかときどき見ず知らずの人が投稿されることもある。

別に見ず知らずの人だからと言って断る訳にも行かないのだが、どうもちょっと問題意識がずれているのではないかと思うものもある。そこらあたりがいうに言われぬ難しいところである。

すでに今までにそういう方の投稿が3つあったが、一人は掲載をお断りをした。一人は大きく書き改めてもらって、掲載を認めたのだが、まだ掲載はされていない。9月以降の発行の号に掲載を予定している。

現在も一人の方とメールでやり取りしている。私は掲載をお断りするつもりであるが、共同編集者が強い意見で掲載を主張されたら、掲載をするしかない。

これは『思想の科学』の編集方針の一部をまねたものである。基本的に『数学・物理通信』は私と共同編集者の N さんが個人的に出しているメール配布のサーキュラーである。

名古屋大学の T さんという方がボランティア的に彼のサイトに『数学・物理通信』のバックナンバーのすべてをご自分のサイトにリンクして掲載してくださっているので、それを見て投稿されるというケースがある。いままでに投稿された3人の方々ともにそうである。

もともと個人発行のサーキュラーであるから、個人的に気に入らなければ断ってもいいはずである。理由は鮮明にできないことが多い。ただ、やはりちょっと奇妙に感ずるというぐらいしか言えない。

同人誌的に出しているサーキュラーだから、どなたかの同人として登録されている方で、信用のある人の紹介があれば、いいのだが、私も知らないし、誰も知らないという場合にはそういう素姓を自己紹介してほしいという、お願いのメールをまず返事に出している。なんでもそこからはじまるのだ。自己紹介もされないで、投稿される方がいままでの3名のうちの2名はそうだった。

別に自己紹介がなければ、無礼とかいうつもりはないが、私たちのサーキュラーは学会誌の代わりではない。学会誌ならば所属(または元の所属)を書けばそれでいいだろうが、やはり個人発行のサーキュラーである。そこらあたりの感覚が私には理解できない。

そんなことはもともと投稿規定には書いてないではないかと言われるのかもしれないが、もともと N さんと二人で始めた同人誌的サーキュラーである。一般の人からの投稿があるとは想定をしていない。同人の間で「投稿規定があった方がいい」ということでつくられた投稿規定である。

同人の方からの投稿が結構数が多いので、当初は3の倍数の月に1号だけ発行するので、すむものと思っていたのだが、それでは原稿がたまりすぎるという事態になったので、2号または3号を発行するという事態にまでなっている。

そういう事態を同人でない人が知ることは難しい。それだのに長文の投稿があったりすると途方に暮れる。それもどこか奇妙だと思う場合には掲載を断るというのはしかたがない。

このブログにこんなことを書くつもりはまったくなかった。私はすぐに筋道をはずれてしまう。いけない、いけない。

要するに現在ほどほとんど無料できるボランティア的な活動が大事だと思っている。これは私自身が生活に汲々としているためもある。それだけではなく、友人たちも年金生活で汲々としている。そして日本の国もそうである。

そして大学でも研究プロジェクトを出さないと研究資金を得られない時代になっている。これは友人が最近の雑談会でふと漏らした言葉だが、「研究プロジェクトでは成果がわかっている研究しか資金が出ない。それはすぐに成果を求められるからである。だが、研究成果が出るか出ないかわからないのが、研究というものである」と。また数年で結果の出る研究など大したものではないとも。

彼はなかなか独創的な研究者であったが、その彼の言葉を本当にかみしめた方がいい。だが、そういう余裕もなくなっているのが、現在の大学である。

特に、野心的な研究であるならば、失敗する確率が大きい。だが、その失敗を許容できなければ、大きな成果の得られる研究もできない。

こんな当たり前のことも国家的にはできないので、無料の活動が重要な時代だと思う。

『数学・物理通信』の発行も、雑談会もタダで私がやっている活動である。






南の島に雪が降る(松山公演)

2015-07-30 11:48:57 | 日記
昨日、前進座の「南の島に雪が降る」の松山公演を見た。

最前列で見たのだが、なかなか迫力があった。この芝居は先日広島ですでに見ていたのだが、やはり2度目に見ると細かなところも気がつく。

先回はモノローグをしている役者さんだけに注意が行ったが、それだけではなく、そのモノローグがある間中に他の舞台にいる人がどういう表情をしているのかをちらっと眺める余裕があった。

なかなか自分が何かをしゃべっていないときでも観客が見ているのだという緊張感は舞台に出ている人しかわからない緊張感であろうか。

チケットは540枚を売ったとかで、観客席はいっぱいに詰まっていた。拍手も多くて、最後に嵐芳三郎さんから一言ご挨拶があった。前進座としても喜んでいるらしいことが伝わってきた。よかった、よかった。

安保法制法案の審議がされている今の時期に適した芝居だあったのではないかと思った。私には芝居の設定状況から今回は仕方なかったのだが、女性が出てこなかったことは物足りなかった。

私の妻はこの公演の成功のためにかなりの力を注いできたので、抜け殻になっているかと思ったのだが、案に相違してまた趣味の籠バッグが編めると意気揚々としている。

もっとも彼女は何でも張り切り過ぎて、ときどきダウンしてしまう。ちょっとセーブをしてほしいとも思うが、なんでも全力投球だからしかたがない。